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第6話/通算16話 「42歳の彼女に子どもの話をする」

第2部「付き合ったら婚活より面倒でした」


付き合ったら、昨日より他人行儀になった。




「喜咲さん、おはようございます」




「……なんで敬語なの?」




婚活アプリで出会った、四十二歳の東海林喜咲と、四十五歳の小鳥遊優。




条件を比べて。




喧嘩して。




嫉妬して。




一度は相手を手放そうとして。




それでも二人は、ようやく「好きな人」を選びました。




だから優は思っていました。




付き合ってしまえば、もう婚活より簡単だろう。




ところが。




呼び方ひとつで緊張する。




手をつなぐにも迷う。




連絡の頻度すら分からない。




そして、この先には。




初めての旅行。




初めて一緒に迎える夜。




生活習慣。




元妻。




子どものこと。




再婚。




婚活では、プロフィールを見れば分かることがありました。




年齢。




職業。




趣味。




結婚歴。




希望条件。




でも。




「この人と一緒に生きていけるか」は、プロフィールのどこにも書いていない。




好きだから、全部合うわけじゃない。




恋人になったから、不安が消えるわけでもない。




四十二歳と四十五歳。




二人には、それぞれ四十年以上生きてきた時間があります。




仕事もある。




過去もある。




譲れないものもある。




そして優には、一度結婚に失敗した記憶がある。




だから第2部で二人が探すのは、




「自分にぴったり合う相手」ではありません。




違ったときに、話せるか。




傷ついたときに、黙らずにいられるか。




面倒になったとき、それでも隣にいたいと思えるか。




恋人になった二人の、本当の答え合わせが始まります。




第2部、




「付き合ったら婚活より面倒でした」




婚活は終わった。




恋愛が始まった。




そして二人は、まだ知らない。




好きになるより、好きな人と生きていくほうが、ずっと難しい。

「優は、子ども欲しい?」


その質問は、あまりにも普通の顔をしてやってきた。


日曜日の昼。


駅前のカフェで、優と喜咲は遅めのランチを食べていた。


昨日、二人は元妻の美和と偶然会った。


そこで喜咲は知った。


優が離婚した理由。


嫌なことを言わない。


寂しくても言わない。


大丈夫じゃなくても、大丈夫と言う。


そして最後には、一人で限界になる。


帰りの電車で二人は約束した。


大丈夫じゃないときに、大丈夫と言わない。


だから今日からは、少しずつ本音を言う。


そのはずだった。


「優は、子ども欲しい?」


優のフォークが止まった。


巻いていたパスタが一本、皿へ落ちる。


「……」


「優?」


「……うん」


「うん、じゃなくて」


喜咲が笑う。


「子ども、欲しい?」


「……」


笑顔が消えた。


「何、その沈黙」


「いや」


「欲しくないなら、そう言っていいんだよ」


「違う」


即答した。


「じゃあ欲しいの?」


「それも……」


また止まった。


喜咲がフォークを置く。


「優」


「はい」


「なんで返事だけ診察室になるの?」


「緊張してる」


「私も今、緊張し始めた」


まずい。


昨日、何を学んだ。


黙るな。


大丈夫で隠すな。


ちゃんと話せ。


なのに質問から一分もしないうちに、もう黙っている。


「俺、この話は簡単に答えられない」


「どうして?」


「それは……」


また言葉が止まった。


その一瞬で。


喜咲の表情が変わった。


「私が四十二歳だから?」


優は顔を上げた。


「え?」


「子どもの話に答えられないのって」


喜咲は笑おうとしていた。


でも。


笑えていなかった。


「私が四十二歳だから?」


「喜咲」


「違う?」


違う。


そう言いたかった。


だが。


違わない。


だから優は、言えなかった。


「……考えてはいた」


「やっぱり」


「でも、それで付き合うのを迷ったわけじゃない」


「じゃあ、何を考えてたの?」


優は息を吐いた。


「もし喜咲と結婚することになったら、子どものことをどう話せばいいんだろうって」


「……結婚」


喜咲がその言葉に反応した。


優も気づいた。


だが今は、そこへ逃げるわけにはいかない。


医者だから、簡単に言えない


「俺は医者だから」


「知ってる」


「何を?」


優は答えようとして、迷った。


妊娠。


出産。


年齢。


診察室なら説明できる。


必要な情報を整理して、できるだけ分かりやすく伝える。


でも。


目の前にいるのは患者ではない。


好きな人だ。


「年齢が上がれば、妊娠しやすさや妊娠中のリスクが変わる。それは事実としてある」


喜咲は黙って聞いていた。


「でも、『無理』とも言えないし、『大丈夫』とも言えない」


「……うん」


「人によって違うから」


「うん」


「だから俺が簡単に『子どもが欲しい』って言ったら……」


優は言葉を切った。


「その希望を、喜咲に背負わせる気がした」


「背負わせる?」


「俺が子ども欲しいって言ったら、どう思う?」


「どうって……」


「産まなきゃ、って思わない?」


喜咲は答えなかった。


その沈黙が答えだった。


医者じゃなくて、彼氏に聞いてる


「じゃあ」


喜咲が静かに言った。


「私が三十二歳だったら?」


優は黙った。


「同じ答えだった?」


「……分からない」


「また分からない」


「ごめん」


「謝らないで」


思ったより強い声だった。


「私、医学の話を聞いてるんじゃない」


「うん」


「患者でもない」


「分かってる」


「分かってない」


喜咲の声が少し震えた。


「私は、彼氏に聞いてるの」


優は黙った。


「優が子どもを欲しいのか。それだけ聞いてる」


「……」


「四十二歳の女が妊娠できるかどうかを聞いてるんじゃない」


「喜咲」


「私だって知ってるよ」


喜咲は笑った。


少し苦い笑顔だった。


「私、四十二歳だよ」


「……うん」


「五年も婚活してたんだよ?」


優の胸が痛んだ。


「結婚相談所でも言われた。アプリでも年齢はずっと表示されてた。子どもを希望する人から外されることだってあった」


「……」


「三十代の頃は、まだ普通に考えてた」


喜咲はカップへ視線を落とした。


「結婚したら、子どもができて、家族になって」


少し笑う。


「そういう未来って、普通に来ると思ってた」


優は黙って聞く。


「でも結婚しないまま三十五になって。三十八になって。四十になって」


そして。


「四十二になった」


その数字だけが、二人の間に落ちた。


「私だって考えるよ」


喜咲が言った。


「もう遅いのかな、とか」


「喜咲」


「子どもが欲しい人とは、付き合わないほうがいいのかな、とか」


「違う」


優は今度こそ、すぐに答えた。


「俺は、それで喜咲と付き合わないほうがいいなんて思ってない」


「じゃあ」


喜咲が優を見る。


もう一度。


同じ質問をした。


「優は、子ども欲しい?」


逃げられない。


いや。


逃げたくない。


優は目を閉じた。


医者としての正解を探すな。


彼氏として答えろ。


欲しい。でも


「欲しいと思ったことはある」


喜咲が黙る。


「結婚してた頃も考えた」


「美和さんと?」


「うん」


喜咲の指が、わずかに動いた。


「子どもがいて、家族で暮らす。そういう人生を想像したことはある」


「……そっか」


「だから、子どもが欲しくないとは言えない」


喜咲は視線を落とした。


「でも」


優は続けた。


ここで止めたら。


また同じことになる。


「子どもが欲しいから、喜咲と付き合ってるわけじゃない」


喜咲が顔を上げる。


「順番が逆なんだ」


「逆?」


「喜咲と付き合いたかった」


優は言った。


「それが先」


「……」


「その先に、子どもがいる未来があるかもしれない。いない未来かもしれない」


「うん」


「俺は、それを今決められない」


喜咲がしばらく黙ったあと、聞いた。


「子どもがいなくてもいいってこと?」


優は少し考えた。


「『いい』って言い方はしたくない」


「どうして?」


「子どもがいる人生と、いない人生。そのどっちかを妥協みたいにしたくないから」


喜咲の目が揺れた。


「俺が今、考えたいのは」


優はまっすぐ喜咲を見る。


「子どもがいる未来じゃなくて」


一度、息を吸った。


「まず、喜咲がいる未来なんだ」


喜咲が止まった。


「……それ」


「うん」


「ずるくない?」


「え?」


「そんなこと言われたら、怒れないじゃん」


「怒ってたの?」


「ちょっと」


「ごめん」


「だから、すぐ謝らない」


「はい」


「また診察室」


「難しいな、彼氏」


喜咲が吹き出した。


「今さら?」


二人の間に、ようやく笑いが戻った。


「分からない」でいい


しばらくして。


優が聞いた。


「喜咲は?」


「え?」


「子ども、欲しい?」


今度は喜咲が止まった。


「……仕返し?」


「違う」


「今、結構困ってる」


「俺も困った」


「そういうところだけ平等にしないで」


それでも。


喜咲は考えた。


優は待った。


やがて。


「分からない」


喜咲が言った。


「分からない?」


「うん」


「俺にはあんなに答えろって言ったのに?」


「人に聞くのと、自分で答えるのは別」


「理不尽だ」


「恋人だから許して」


「便利だな、その制度」


喜咲が笑った。


でもすぐに、真顔へ戻る。


「欲しかった。たぶん」


「……うん」


「でも、今も欲しいのかって聞かれると、分からない」


優は黙って聞く。


「子どもが欲しいのか。子どもがいる普通の家庭が欲しかったのか。それとも、結婚できなかった自分が嫌だっただけなのか」


喜咲は小さく息を吐いた。


「分からなくなった」


「そっか」


「だから」


喜咲が顔を上げた。


「私も考える」


「何を?」


「優がいる未来」


優の胸が、少しだけ熱くなった。


「子どもがいるかどうかだけじゃなくて?」


「うん」


「それでいいの?」


「分かんない」


「また分からない」


「今日は、それでいいじゃん」


喜咲が笑った。


「分からないことを、大丈夫って隠さない日なんでしょ?」


優も笑った。


「そうだった」


昨日の約束。


大丈夫じゃないときに、大丈夫と言わない。


それは。


何でも答えを出すという意味ではなかった。


分からないなら。


分からないと言う。


そして。


二人で考える。


それも、本音だった。


「……じゃあ、結婚は?」


店を出ると、夕方になっていた。


二人は駅へ向かって歩く。


喜咲の手が、優の手に触れた。


優が見る。


「何?」


「手」


「嫌?」


「嫌じゃない」


「じゃあ握って」


「確認しなくていい?」


「それを確認するな」


「難しい」


「付き合う前より面倒になってるよ」


「タイトル回収みたいに言うな」


喜咲が笑った。


優も笑う。


手をつないだ。


四十五歳と四十二歳。


若くはない。


過去もある。


時間も無限ではない。


知らないふりはできない。


でも。


年齢だけで未来を決める必要もない。


二人で話す。


怖くても。


答えが出なくても。


昨日までの優なら。


きっと今日の話を避けていた。


まだ付き合ったばかりだから。


そのうち話そう。


そうやって「そのうち」を積み重ねた先で。


美和との結婚は終わった。


だから今度は。


「喜咲」


「ん?」


「今日、聞いてくれてよかった」


喜咲が少し驚く。


「本当に?」


「怖かったけど」


「私も」


「でも、話せた」


「うん」


「だから、これからも聞いて」


「嫌なことも?」


「聞いて」


「答えにくいことも?」


「……できれば手加減して」


「考えとく」


「そこは即答してくれない?」


二人で笑った。


駅が見えてくる。


そのとき。


喜咲が立ち止まった。


「優」


「何?」


「一個だけ聞いていい?」


「うん」


「さっき言ったよね」


「何を?」


「喜咲がいる未来を考えたい、って」


「言った」


「それって」


喜咲は少し迷った。


そして。


聞いた。


「……じゃあ、結婚は?」


優の足が止まった。


「……」


「優?」


「はい」


「また止まった」


「いや」


「大丈夫?」


昨日までなら。


大丈夫。


そう答えていた。


でも。


今日は違う。


優は喜咲の手を握ったまま答えた。


「大丈夫じゃない」


「え?」


「ものすごく緊張してる」


喜咲が吹き出した。


優も笑った。


ただ。


質問には。


まだ答えていない。


子どもの次は、結婚。


婚活を五年続けてきた四十二歳の喜咲と。


一度、結婚に失敗した四十五歳の優。


好きだから付き合った。


でも。


好きだからといって。


同じ未来を見ているとは限らない。


二人はまだ知らなかった。


次に交わす言葉が。


付き合ってから初めて。


二人を、本気で別れの近くまで連れていくことを。


第6話 完


次回 第7話(通算17話)


「結婚しないなら、何のために付き合ってるの?」


「まだ付き合ったばかりだから」


優の言葉は、間違っていなかった。


だからこそ。


喜咲には、逃げているように聞こえた。


「私には、優みたいに時間が無限にあるわけじゃない」


「結婚を約束しないと、付き合う意味がないの?」


その一言で。


二人の間から、笑いが消える。


そして。


「優」「喜咲」と呼び合っていた二人は。


もう一度。


「小鳥遊さん」


「東海林さん」


に戻る。


好きだから付き合った。


でも。


好きだけで未来まで同じになるわけではない。


二人にとって初めての、本当の喧嘩が始まる。






続きはnote・HPで公開しています。https://note.com/momokun1

Momokun Officialhttps://momokun.jp/


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