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第4話/通算14話 「いびきは離婚理由になりますか?」

第2部「付き合ったら婚活より面倒でした」


前書き




付き合ったら、昨日より他人行儀になった。




「喜咲さん、おはようございます」




「……なんで敬語なの?」




婚活アプリで出会った、四十二歳の東海林喜咲と、四十五歳の小鳥遊優。




条件を比べて。




喧嘩して。




嫉妬して。




一度は相手を手放そうとして。




それでも二人は、ようやく「好きな人」を選びました。




だから優は思っていました。




付き合ってしまえば、もう婚活より簡単だろう。




ところが。




呼び方ひとつで緊張する。




手をつなぐにも迷う。




連絡の頻度すら分からない。




そして、この先には。




初めての旅行。




初めて一緒に迎える夜。




生活習慣。




元妻。




子どものこと。




再婚。




婚活では、プロフィールを見れば分かることがありました。




年齢。




職業。




趣味。




結婚歴。




希望条件。




でも。




「この人と一緒に生きていけるか」は、プロフィールのどこにも書いていない。




好きだから、全部合うわけじゃない。




恋人になったから、不安が消えるわけでもない。




四十二歳と四十五歳。




二人には、それぞれ四十年以上生きてきた時間があります。




仕事もある。




過去もある。




譲れないものもある。




そして優には、一度結婚に失敗した記憶がある。




だから第2部で二人が探すのは、




「自分にぴったり合う相手」ではありません。




違ったときに、話せるか。




傷ついたときに、黙らずにいられるか。




面倒になったとき、それでも隣にいたいと思えるか。




恋人になった二人の、本当の答え合わせが始まります。




第2部、




「付き合ったら婚活より面倒でした」




婚活は終わった。




恋愛が始まった。




そして二人は、まだ知らない。




好きになるより、好きな人と生きていくほうが、ずっと難しい。

恋人の幻想、午前二時十四分に崩壊


午前二時十四分。


喜咲は目を開けた。


暗い。


旅館の和室。


カーテンの隙間から、わずかに月明かりが差し込んでいる。


隣には優。


そして。


聞こえる。


規則正しい。


しかし、かなり大きな音。


「ぐぅ……」


少し間が空く。


「ぐごぉ……」


喜咲は天井を見た。


「優」


返事はない。


「優」


返事はない。


「……うるさい」


昨日、確かめたのは夜の相性だった。


嫌なら言える。


途中で止まれる。


失敗しても笑える。


そして、また一緒に寝たいと思える。


百点だった。


少なくとも、喜咲の中では。


なのに数時間後。


同じ男と、二度と一緒に寝たくないと思い始めている。


「ぐごぉ……」


「うるさい!」


優が飛び起きた。


「はい!」


「なんで返事だけ診察室なのよ」


「……え?」


優が寝ぼけた顔で辺りを見る。


「どうしたの?」


「いびき」


「誰の?」


「この部屋に四十五歳の男、何人いると思ってるの?」


優は数秒考えた。


「一人」


「考えるな!」


「ごめん」


優は目をこすった。


「俺、そんなにいびきかいてた?」


「旅館の耐震性能が心配になる程度」


「それはかなりだな」


「他人事みたいに言うな」


「ごめん。横向けば変わることもあるから」


「医学解説はいらない」


「じゃあ横向いて寝る」


優は素直に横を向いた。


「これでどう?」


「寝てみないと分からないでしょ」


「確かに」


「確かにじゃない」


喜咲は布団に戻った。


三十秒。


一分。


二分。


静かだ。


よし。


寝られる。


「ぐぅ……」


「横向きでも駄目じゃん!」


午前二時十九分。


東海林喜咲、四十二歳。


恋人のいびきによって、交際の未来を考え始める。


付き合って、まだ何日だ。


いびきは離婚理由になりますか?


翌朝。


朝食会場で、喜咲は焼き鮭を前に言った。


「ねえ。いびきって離婚理由になる?」


優の箸が止まった。


「……誰の話?」


「あなたの話」


「もう離婚の検討段階?」


「睡眠は大事だから」


「付き合って数日だよね?」


「だから今のうちに確認してるの」


優は味噌汁を一口飲んだ。


「婚活に戻ってない?」


「何が?」


「条件確認」


「してない」


「してる」


「してない」


「離婚理由になるか聞いたよね?」


「一般論!」


「俺を見ながら?」


喜咲は焼き鮭を少し強めにほぐした。


「……だって、うるさかったんだもん」


「ごめん」


「起こしても全然起きないし」


「それは知らなかった」


「本人は寝てるからね」


申し訳なさそうな優を見ていると、怒り続けるのも難しい。


昨夜、あんなに近かった人。


今朝、いびきで殺意を覚えた人。


同一人物である。


恋愛とは忙しい。


問題は、いびきだけではなかった


「でも」


優が言った。


「喜咲も結構すごかったよ」


「何が?」


「寝相」


喜咲が止まる。


「……私?」


「午前三時頃、俺の布団に足が入ってきた。そのあと掛け布団を半分持っていって、四時頃には枕も落としてた」


「嘘!」


「一回蹴られた」


「なんでそんなに知ってるの?」


「何回か起きたから」


「いびきかいてたくせに?」


「ずっとじゃない」


喜咲は黙った。


被害者だと思っていた。


どうやら加害者でもあったらしい。


「……痛かった?」


「少し」


「ごめん!」


「大丈夫だって」


優が笑う。


喜咲は顔を覆った。


「最悪……昨日の夜までは、もうちょっと恋人っぽかったのに」


「今も恋人だけど」


「いびきと寝相を報告し合う恋人になった」


「長く付き合えば、いつか分かることじゃない?」


喜咲の手が止まった。


いつか分かること。


婚活のプロフィールには書いていない。


年収。


職業。


趣味。


結婚歴。


喫煙。


飲酒。


子どもを希望するか。


でも、


《いびきが大きいです》


《寝相で恋人を蹴ります》


そんな欄はない。


人と一緒に生きるうえで本当に面倒なのは、プロフィールに書けないことなのかもしれない。


エアコン二十四度戦争


チェックアウトまで、あと一時間。


部屋へ戻るなり、喜咲は言った。


「寒い」


優がエアコンを見る。


「二十四度だけど」


「私は寒い」


「俺はちょうどいい」


「二十七度にして」


優が振り返った。


「二十七?」


「何、その顔」


「俺、たぶん暑くて寝られない」


「私は二十四度じゃ寝られない」


二人はエアコンを見た。


たった三度。


なのに、その間には深い谷がある。


「二十五・五」


優が言った。


「エアコンで小数点使える?」


「使えない」


「じゃあ言うな」


「二十六」


「……まあ」


「それで駄目なら、また話そう」


喜咲はリモコンを渡した。


「交渉成立」


「こんなことで交渉するんだ」


「生活って、こんなことばっかりなんじゃない?」


生活。


その言葉が、昨日までとは違って聞こえた。


普通なんて、一つもない


洗面所で歯を磨いていると、優が電動歯ブラシを取り出した。


「持ってきたの?」


「うん」


「一泊旅行に?」


「一泊でも歯は磨く」


「旅館の歯ブラシでいいじゃん」


「こっちのほうが慣れてる」


ヴィィィィィン。


喜咲は鏡越しに優を見る。


「優って、生活がちゃんとしてるよね」


「そう?」


「朝六時に起きるし、旅行にも電動歯ブラシ持ってくるし」


「普通じゃない?」


「普通じゃない」


「普通だと思う」


まただ。


婚活をしていた頃、喜咲は「普通の人」を探していた。


普通に働く。


普通に会話できる。


普通に清潔。


普通に優しい。


でも、一緒に過ごせば分かる。


優の普通と、自分の普通は違う。


たぶん、普通なんて最初から一つではない。


休日は何時まで寝ていいですか?


旅館を出たあと、二人は近くのカフェに入った。


「休日も六時に起きるの?」


「だいたい」


「二度寝は?」


「あまりしない」


「人生の半分損してる」


「寝てるほうが損じゃない?」


喜咲はカップを置いた。


「今、戦争始める?」


「始めない」


「私は休みの日、十時まで寝たい。場合によっては十一時」


「午前中が終わるね」


「休日なんだからいいの!」


「昼から動くの?」


「そう」


「もったいない」


「六時に起きるほうがもったいない!」


「何が?」


「睡眠が!」


会話が止まった。


そして、二人とも笑った。


昨日は、触れていいか、近づいていいかで緊張していた。


今日は、休日の起床時刻で揉めている。


色気が消える速度が速すぎる。


好きと暮らせるは、同じではない


帰りの電車。


二人の肩は自然に触れていた。


喜咲は、その距離の近さとは反対のことを考えていた。


「ねえ、優」


「うん」


「私たち、生活の相性悪くない?」


「生活?」


「いびき」


「ごめん」


「寝相」


「それは喜咲」


「エアコン」


「三度差」


「起きる時間」


「四時間差」


「歯ブラシ」


「それは関係ある?」


「なんか腹立つ」


「そこ?」


喜咲は笑いかけて、やめた。


「夜の相性より重大じゃない?」


優も少し黙った。


「そうかもしれない。一緒に暮らすなら、毎日のことだから」


喜咲の胸が小さくざわつく。


一緒に暮らす。


まだ、そんな話はしていない。


なのに、その言葉を嫌だと思わなかった。


むしろ少し嬉しい。


だからこそ、怖い。


「私たち、大丈夫かな」


「何が?」


「寝る時間も違う。起きる時間も違う。暑い寒いも違う。たぶん食べるものも違う」


「うん」


「それって、合わないってこと?」


優はすぐに答えなかった。


流れる景色を見ながら、しばらくして口を開く。


「俺さ。前の結婚で、勘違いしてたことがある」


喜咲は優を見る。


「合ってることが大事だと思ってた。生活も考え方も、なるべく同じほうが楽だって」


「……うん」


「でも、たぶん違った」


「何が?」


「違ったときに、ちゃんと言えるほうが大事だった」


喜咲は黙った。


「寒いなら寒いって言う。うるさいならうるさいって言う」


「言った」


「かなり言われた」


「ごめん」


「寝相が悪いなら、それも言う」


「それも言われた」


「お互い様」


優が笑う。


「俺、そういうのを言うのが苦手だったから」


喜咲の胸に、小さな棘が残った。


だった。


過去形。


本当に?


完璧じゃない男


昨日までの優は、どこか「ちゃんとした男」だった。


医者。


落ち着いている。


真面目。


優しい。


四十五歳。


バツイチ。


少し面倒。


かなり恋愛下手。


今日、新しい情報が追加された。


いびきがうるさい。


朝が早すぎる。


室温二十四度派。


旅行にも電動歯ブラシ。


そして、嫌なことを言うのが苦手。


完璧ではない。


むしろ面倒くさい。


なのに。


昨日より嫌いになったかと聞かれれば、逆だった。


少し安心している。


この人も、自分と同じように普通に面倒な人なのだ。


「ちゃんと言ってね」


改札の前。


「優」


「うん」


「これから、嫌なことあったらちゃんと言ってね」


優が少し驚く。


「急にどうしたの?」


「今日思ったから。私、結構言うでしょ」


「かなり」


「そこは否定して」


「ごめん」


「そういうところ!」


二人で笑った。


けれど、喜咲は続けた。


「優は言わない気がする」


優の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。


「言うよ」


「本当に?」


「うん」


「我慢しない?」


「しない」


即答だった。


でも、その答えだけは今日一日で一番信用できなかった。


元妻からのメッセージ


「じゃあ、また」


「うん。今日は楽しかった」


「いびきで怒られたけど」


「そこ以外は」


「寝相で蹴られたけど」


「それは忘れて」


優が笑う。


喜咲も手を振った。


そのとき、優のスマートフォンが震えた。


画面が一瞬だけ光る。


見るつもりはなかった。


ただ、名前が目に入った。


美和。


優の元妻。


「あ」


優が小さく声を出す。


「美和さん?」


「うん」


「元奥さんだよね」


「うん」


「何?」


優がメッセージを開いた。


表情が変わる。


「近くにいるらしい」


「へえ」


その直後。


背後から声がした。


「優?」


二人が振り返る。


一人の女性が立っていた。


優が固まる。


女性は優を見て、次に喜咲を見る。


そして少しだけ笑った。


「久しぶり」


優の喉が動く。


「……美和」


昨日、夜の相性を確認した。


今日、生活の相性を確認した。


そして今。


次に確認するのは、過去との相性らしい。


付き合ったら。


婚活より面倒だった。


第4話 完


次回 第5話/通算15話


「元妻と今カノを会わせてはいけない」


元妻・美和。


今の彼女・喜咲。


そして、その間に座らされる優。


「優、ちゃんと嫌なこと言えてる?」


美和の何気ない一言で、喜咲は初めて知る。


優が離婚について、まだ話していないことを。


帰り道。


「私にも同じことする?」


優は、すぐに答えられなかった。


元妻だから知っている男。


今の彼女だから知りたい男。


二人の間で、優がずっと黙ってきたものが見え始める。




続きはnoteで公開しています。


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この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。


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