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第2話/通算12話「お泊まりデートに医者を連れてくるな」

第2部「付き合ったら婚活より面倒でした」



付き合ったら、昨日より他人行儀になった。




「喜咲さん、おはようございます」




「……なんで敬語なの?」




婚活アプリで出会った、四十二歳の東海林喜咲と、四十五歳の小鳥遊優。




条件を比べて。




喧嘩して。




嫉妬して。




一度は相手を手放そうとして。




それでも二人は、ようやく「好きな人」を選びました。




だから優は思っていました。




付き合ってしまえば、もう婚活より簡単だろう。




ところが。




呼び方ひとつで緊張する。




手をつなぐにも迷う。




連絡の頻度すら分からない。




そして、この先には。




初めての旅行。




初めて一緒に迎える夜。




生活習慣。




元妻。




子どものこと。




再婚。




婚活では、プロフィールを見れば分かることがありました。




年齢。




職業。




趣味。




結婚歴。




希望条件。




でも。




「この人と一緒に生きていけるか」は、プロフィールのどこにも書いていない。




好きだから、全部合うわけじゃない。




恋人になったから、不安が消えるわけでもない。




四十二歳と四十五歳。




二人には、それぞれ四十年以上生きてきた時間があります。




仕事もある。




過去もある。




譲れないものもある。




そして優には、一度結婚に失敗した記憶がある。




だから第2部で二人が探すのは、




「自分にぴったり合う相手」ではありません。




違ったときに、話せるか。




傷ついたときに、黙らずにいられるか。




面倒になったとき、それでも隣にいたいと思えるか。




恋人になった二人の、本当の答え合わせが始まります。




第2部、




「付き合ったら婚活より面倒でした」




婚活は終わった。




恋愛が始まった。




そして二人は、まだ知らない。




好きになるより、好きな人と生きていくほうが、ずっと難しい。

付き合って最初の旅行で、彼女と同じ部屋に泊まる。


四十五歳の男なら、それなりに落ち着いて対応できる。


優は、そう思っていた。


間違いだった。


「優」


「うん」


「一つ聞いていい?」


「何?」


「なんで体温計持ってきたの?」


駅のホーム。


東海林喜咲は、小鳥遊優の開いたバッグを見下ろしていた。


「念のため」


「何の?」


「体調不良」


「旅行で?」


「旅行だから」


喜咲が目を細めた。


付き合って、初めての一泊旅行。


温泉。


浴衣。


同じ部屋。


恋人同士なら、もう少し別のことを考えてもよさそうなものだ。


なのに彼氏のバッグから出てきたのは、体温計、常備薬、絆創膏、経口補水液。


「待って」


喜咲が手を上げる。


「はい」


「誰か手術する予定ある?」


「ない」


「遭難は?」


「しないと思う」


「じゃあ何これ」


「最低限の備え」


「私、一泊二日だと思ってたんだけど」


「一泊二日だよ」


「無人島に行くんじゃないよね?」


「箱根」


「文明あるよね?」


「ある」


「じゃあ置いていけ」


「経口補水液だけでも」


「置いていけ」


「はい」


付き合って二週間。


敬語はかなり減った。


名前も呼べるようになった。


手も、以前ほど緊張せずにつなげる。


恋人として少しは成長したと思っていた。


どうやら成長したのは、呼び方だけだったらしい。


初旅行で医者を出すな


電車が動き出して三十分。


喜咲は窓の外を眺めながら言った。


「楽しみだね」


「うん」


「温泉、久しぶり」


「長湯は脱水になりやすいから、水分は先に取ったほうが」


喜咲がゆっくり振り向いた。


「優」


「うん」


「今、誰と旅行してる?」


「喜咲」


「今日の職業は?」


「今日の職業?」


「彼氏」


優は黙った。


喜咲が人差し指を立てる。


「今日は医者禁止」


「無理じゃない?」


「なんで」


「職業だから」


「診療しろとは言ってない」


「でも健康上のリスクが」


「優」


「はい」


敬語が戻った。


喜咲はため息をつく。


「私、彼氏を連れてきたつもりなんだけど」


「うん」


「なんで医者も同行してるの?」


「医者の俺を置いてくるのは難しい」


「努力して」


「努力目標?」


「義務」


厳しかった。


旅館に着いたのは午後三時過ぎだった。


木造の落ち着いた建物。ロビーの向こうには庭が見える。


チェックインを済ませ、部屋へ入る。


広い和室。


窓の向こうには山。


低いテーブル。


そして。


布団は、まだ敷かれていない。


当然なのに、喜咲はそこを確認した。


優も確認した。


二人とも何も言わない。


「……いい部屋だね」


「うん」


「景色もいい」


「うん」


「…………」


「…………」


昨日まで普通に話せていたのに、部屋に二人きりになった瞬間、会話が死んだ。


喜咲がバッグを置く。


優も置く。


「座る?」


「座ろうか」


向かい合って座った。


お見合いになった。


喜咲が吹き出す。


「なんで恋人になって旅行まで来たのに、お見合いに戻るの?」


「俺にも分からない」


「進歩してないね」


「名前は呼べる」


「赤ちゃんみたいな成長報告やめて」


二人で笑った。


ようやく空気が戻る。


喜咲が立ち上がった。


「温泉行こう」


「入浴前に水分を」


「医者」


「……水、飲んでから行こう」


「ギリギリ彼氏」


判定は厳しい。


浴衣は、想定外だった


温泉から戻った優は、窓際の椅子に座っていた。


襖が開く。


「お待たせ」


顔を上げる。


優は固まった。


喜咲が浴衣姿で立っていた。


髪を上げ、湯上がりで頬が少し赤い。


いつもとは違う。


かなり違う。


「……何?」


「いや」


「変?」


「違う」


「じゃあ何」


「似合ってる」


喜咲が一瞬黙った。


「……そういうの」


「何?」


「急に普通の彼氏になるのやめて」


「褒めただけだけど」


「普段が普段だから耐性ないの」


喜咲が向かいに座る。


ふわりと温泉の香りがした。


優は無意識に視線をそらした。


「今、目そらした?」


「見すぎるのも失礼かと思って」


「患者じゃないから」


「分かってる」


「じゃあ見れば?」


優が視線を戻す。


目が合った。


今度は喜咲がそらした。


「……見すぎ」


「どっちなんだ」


「加減があるでしょ」


「難しいな、恋愛」


「四十五歳の感想じゃないのよ」


夕食は部屋食だった。


料理が並び、喜咲が嬉しそうにグラスを持つ。


「乾杯しよ」


「飲みすぎると」


「医者」


「……乾杯」


グラスを合わせる。


「おいしい」


喜咲が笑う。


婚活をしていたころ、優は相手を見るたびに条件を考えていた。


仕事。


生活。


価値観。


結婚できる相手なのか。


でも今は、目の前で喜咲が笑っている。


それだけでいいと思える時間が増えた。


「何?」


「見てた」


「何を?」


以前なら、ごまかした。


でも今は言う。


「楽しそうだなと思って」


「楽しいよ。優は?」


「楽しい」


即答すると、喜咲が笑った。


「じゃあプラス五点」


「旅行中も採点するの?」


「する」


「今何点?」


「三十二点」


「低くない?」


「体温計でマイナス十五点」


「持ってこなければ四十七点?」


「そういう計算するところがマイナス二点」


「理不尽だな」


そのとき、仲居が入ってきた。


「お布団、敷かせていただきますね」


二人の笑いが止まった。


「お願いします」


声が重なる。


一枚。


二枚。


布団が並んだ。


近い。


もちろん普通の距離だ。


なのに、その二枚を見た瞬間、それまで輪郭のなかった「今夜」が形になった。


仲居が出ていく。


襖が閉まる。


「…………」


「…………」


また会話が死んだ。


二つの布団と、答えのない問題


午後九時十二分。


喜咲は布団の上に座っていた。


優は窓際の椅子にいる。


遠い。


明らかに遠い。


「優」


「うん」


「なんでそこにいるの?」


「景色見てる」


「真っ暗だけど」


「山が」


「見えないよ」


「……そうだな」


喜咲は分かっていた。


優も緊張している。


夕食後から水を飲み、歯を磨き、室温を確認し、最後には真っ暗な窓を見ている。


「もしかして緊張してる?」


「してる」


即答だった。


「意外」


「好きな人と初めて泊まって、平気なほうがおかしくない?」


心臓が跳ねた。


この男は、ときどき何の予告もなく核心を投げてくる。


「……そういうの急に言うな」


「聞かれたから」


「心の準備ってものがあるの」


「ごめん」


「謝るな」


面倒だ。


自分でも分かっている。


でも、少し安心した。


緊張しているのは自分だけではない。


喜咲は浴衣の袖を握った。


旅行が決まった日から考えていた。


四十二歳。


子どもじゃない。


恋愛経験だってある。


付き合って旅行へ行き、同じ部屋に泊まる。


今夜、そういうことになるかもしれない。


嫌ではない。


優なら。


そう思う自分もいる。


それでも、怖くないわけではなかった。


付き合って二週間。


早いのか。


遅いのか。


普通なのか。


婚活なら条件表があった。


でも恋愛には、「付き合って何日目なら一緒に寝てよい」なんて項目はない。


「喜咲」


顔を上げる。


優が見ていた。


「さっきから静かだから。何か嫌だった?」


「違う」


「体調悪い?」


「医者」


「これは彼氏として聞いた」


その一言で、少し笑った。


第十一話で二人は決めた。


嫌なことがあったら言う。


分からなければ聞く。


黙って勝手に相手の気持ちを決めない。


だったら。


「……ちょっと緊張してる」


優の表情が柔らかくなった。


「俺も」


「それは知ってる」


「そんなに分かりやすい?」


「真っ暗な山を見続けてる男、初めて見た」


優も笑った。


緊張は消えない。


でも、言葉にした分だけ少し軽くなった。


「今日じゃなくてもいい」


喜咲は少し迷ってから口を開いた。


「今日さ」


「うん」


「その……今夜」


言った瞬間、顔が熱くなる。


優の表情が変わった。


「私たち、そういうことになるのかなって」


沈黙。


逃げたくなる。


「ごめん、今の忘れて」


「忘れない」


「なんで!」


「大事な話だから」


「そういうところだけ医者っぽくするな」


「医者じゃない」


優の声が静かになった。


「彼氏として聞いてる」


喜咲は黙った。


優は窓際を離れた。


けれど、喜咲の隣には来ない。


少し距離を空けて座る。


「俺も考えてた」


「……うん」


「でも、今日じゃなくてもいい」


喜咲は瞬きをした。


「え?」


「旅行に来たからって、何かしなきゃいけないわけじゃない」


「…………」


「俺は喜咲と旅行したかった。一緒にご飯食べて、温泉入って、同じ部屋で寝る。それだけでも十分楽しい」


喜咲は何も言えなかった。


「付き合ったんだから、とか。旅行なんだから、とか。そういう理由で急がなくていい」


「……優」


「嫌じゃなくても、迷ってるなら」


優は一度、言葉を切った。


「今日じゃなくてもいい」


胸の奥で固まっていたものが、ほどけた。


安心した。


本当に。


この人でよかったと思った。


なのに。


安心した瞬間、別の気持ちが顔を出した。


待ってくれると分かったから。


自分から近づいても大丈夫だと思ってしまった。


「……何、その完璧な回答」


「完璧?」


「そういうときだけ百点取るの、ずるくない?」


「何点だった?」


「採点制度は今だけ廃止」


喜咲は顔をそらした。


心臓がうるさい。


怖かった。


だから安心した。


優が急がない人でよかった。


自分の気持ちを待ってくれる人でよかった。


だからこそ。


このまま「おやすみ」で終わったら、たぶん後悔する。


優が立ち上がった。


「じゃあ、寝ようか」


「……うん」


優が自分の布団へ向かう。


本当に寝るらしい。


喜咲はその背中を見た。


「優」


「何?」


呼び止める。


もう一度、浴衣の袖を握った。


「さっきの」


「うん」


「今日じゃなくてもいいって話」


「うん」


顔が熱い。


四十二歳にもなって、こんな言葉一つで息が苦しい。


それでも。


今度は黙らない。


「……今日じゃなくなくても、いいけど」


優が止まった。


「…………」


喜咲は、自分が何を言ったのか理解した。


二重否定。


しかも最悪のタイミングで。


「…………」


振り返った優と目が合う。


今夜の答えは、まだ出ていない。


ただ一つだけ分かった。


付き合う前より、恋愛はずっと面倒だ。


そして。


その面倒を、この人とならもう少し続けてみたい。


第12話 完


次回 第13話


「夜の相性、本当に確認することになりました」


「何か嫌だったら言って」


「うん」


「途中でも」


「うん」


「少しでも違和感があったら」


「優」


「何?」


「確認が多い」


「重要事項なので」


「同意書みたいに言うな」


完璧な夜になんて、ならない。


でも、失敗も恥ずかしさも二人で笑えたなら。


それはきっと、条件表には書けない「相性」だ。


この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」https://note.com/momokun1と Momokun Official https://momokun.jp/で公開しています。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。


note:momokun https://note.com/momokun1


Momokun Official https://momokun.jp/

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