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『白鷺の契約婚 ― 蒼き(難病を持つ)少年と冷徹医師の0日婚―』  作者: AQUARIUM【RIKUYA】
 第1章:「0日婚という選択 ― 白鷺と蒼の出会い」
3/10

第3話「白衣の天使だけが見せる顔(秘密の夜・距離の崩壊)」


蒼爽あおの返事は、結局すぐには出なかった。


「……結婚?」


その言葉だけが、病室の中で浮いていた。


朝の光がカーテン越しに差し込む。

白い床、白いベッド、白い空気。


そのすべてが、現実味を薄くしている。


帆乃香は、いつも通りの声で繰り返した。


「そう。私と結婚しよう」


感情のない提案。

医療説明の延長のような口調。


だが蒼爽は、その“異常さ”に気づいていた。



「……理由、聞いてもいいですか」


少し間を置いて、蒼爽はそう言った。


帆乃香は一秒も迷わない。


「あなたに帰る場所がないから」


「病気が進行する前に、誰かが責任を持つ必要があるから」


それは“正論”だった。


正しすぎるほどの理由。


だが、蒼爽は静かに笑った。


「それ、医師としての理由ですよね」


その一言で、空気がわずかに揺れた。



帆乃香の目が、ほんの一瞬だけ止まる。


だがすぐに元に戻る。


「それで十分だ」


「十分じゃない気がします」


沈黙。


病室の時計の音だけが、やけに大きく響く。



やがて帆乃香は、視線を外さずに言った。


「あなたは選べる立場じゃない」


冷たい言葉。


それは正しい。

そして残酷だった。


蒼爽は一瞬だけ目を伏せる。


だが次の瞬間、いつもの“壊れない笑顔”に戻る。


「……わかりました」


その返事は、諦めに近かった。



その日の午後。


婚姻の手続きは静かに進められた。


病院関係者の誰もが知らないところで。


“患者と医師”という関係のまま。


しかし書類の上では、確実に変わっていく。



夜。


病院は静かだった。


消灯時間を過ぎ、廊下の灯りは間引かれている。


4人部屋の一角。


他の患者はすでに眠っていた。


蒼爽だけが、天井を見ていた。



足音がした。


静かすぎるほどの足音。


扉が開く。


そこに立っていたのは、白衣を脱いだ帆乃香だった。



白衣がない彼女は、少しだけ違って見えた。


それでも表情は変わらない。


感情は見えない。


だが――どこか“仕事を終えた人間の顔”ではなかった。



「まだ起きていたの?」


「眠れなくて」


短い会話。


それだけで終わるはずだった。


だが帆乃香は、病室の中に入ってきた。



椅子に座る。


ベッドの横。


距離は近い。


けれど、どちらもその距離を意識していないふりをしている。



「今日の話……本気なんですか」


蒼爽が静かに聞く。


帆乃香は一瞬だけ視線を落とす。


そして答える。


「本気よ」


迷いがない声。



「先生って、結婚ってそんなに簡単に決めるんですね」


少し冗談めかした声。


だが帆乃香は笑わない。


むしろ、少しだけ沈黙が長くなる。



「簡単じゃない」


そう言ってから、少し間を置く。


「でも、迷う時間がない」



その言葉は、どこか“医療判断”ではなかった。


もっと個人的な、切実な響きがあった。


蒼爽はその違和感に気づく。



「僕、そんなに長くないんですか」


その問いは静かだった。


恐怖ではなく、確認。



帆乃香は一瞬だけ息を止める。


そして、短く答えた。


「そんなことは言っていない」


だが否定は、肯定よりも弱かった。



沈黙。


病室の空気が、少しだけ重くなる。



そのときだった。


蒼爽が小さく笑った。


「じゃあ、なんでそこまで急ぐんですか」



帆乃香は答えない。


答えられないのではなく、選んでいるようだった。



そして――


彼女は立ち上がる。


「少しだけ、外に出る」


そう言って、病室を出ていった。



夜の廊下。


蛍光灯が淡く揺れている。


帆乃香は壁に背をつけて、初めて小さく息を吐いた。



(私は、何をしている?)


医師として正しい。

倫理的には議論が必要。

社会的には異常。


全部わかっている。


それでも――


止まらない。



そのとき、胸の奥に“理由にならない理由”が浮かぶ。


蒼爽の笑顔。


火事の話をするときの静かな目。


壊れそうで、壊れない人間。



(あの人は……一人で終わるには、綺麗すぎる)



その思考に気づいた瞬間。


帆乃香は、自分がもう医師として考えていないことを理解した。



一方、病室。


蒼爽は天井を見ていた。


そして小さく呟く。


「結婚って……治療なんだ」


誰にも届かない声。



数分後。


帆乃香は戻ってきた。


今度は少しだけ、距離が近い。



「明日、手続きを進める」


「もう決まってるんですね」


「ええ」



蒼爽は少しだけ笑った。


「先生って、本当に怖い人ですね」



帆乃香は、ほんの一瞬だけ止まる。


そして、静かに言った。



「あなたにだけは、そう見せていないつもりだった」



その瞬間。


空気が変わった。



蒼爽の笑顔が、少しだけ崩れそうになる。


帆乃香の視線が、ほんの少し揺れる。



“医師と患者”だった距離が、音もなく崩れ始めていた。



夜は深くなる。


誰も知らないまま。


この結婚は、契約ではなくなっていく。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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