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『白鷺の契約婚 ― 蒼き(難病を持つ)少年と冷徹医師の0日婚―』  作者: AQUARIUM【RIKUYA】
 第1章:「0日婚という選択 ― 白鷺と蒼の出会い」
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第2話「0日婚の宣言」


翌朝の大学病院は、いつも通り冷たく整っていた。


白い廊下。

規則正しく並ぶ扉。

無機質なアラーム音と、淡々と流れる医師たちの足音。


そのすべてが、“感情を持たない世界”のように見える。


白鷺帆乃香は、その中心にいた。


完璧に整えられた白衣。

乱れのない髪。

感情の揺れを一切感じさせない表情。


誰もが思う。


――あの人は人間じゃないのではないか、と。


だが、その“人間ではない医師”の頭の中には、昨日から消えない影があった。


夜神蒼爽。


壊れた家族。

火事の記憶。

そして、異様なほど穏やかな笑顔。



「本日の回診、夜神蒼爽さんからお願いします」


看護師の声に、帆乃香は短く頷いた。


「分かっている」


それだけ言って歩き出す。


だが、心の奥で何かが小さく引っかかっていた。


(なぜ私は、あの患者を“患者以上”として認識している?)


医師としては異常な思考だった。


彼はただの症例。

治療不能の神経疾患を抱えた若年患者。


それ以上でも以下でもない。


――そのはずだった。



病室の扉を開ける。


そこには、いつものように蒼爽がいた。


白いベッドの上で、ゆっくりと体を起こしながら、静かに笑っている。


「おはようございます、先生」


その声は柔らかい。


昨日と同じ。

何も壊れていないような声。


だが帆乃香は気づいていた。


その笑顔が“作られた安定”であることに。



診察は淡々と進んだ。


聴診、反応確認、歩行テスト。


わずかなふらつき。

ほんの微細な筋緊張の異常。


記録は冷静に積み重ねられていく。


そして最後に、帆乃香は告げた。


「症状は進行している。今後はリハビリと神経内科の継続管理に移行する」


「……そうですか」


蒼爽は、やはり同じ返事をした。


恐怖も、焦りもない。


ただ“受け入れている”。



診察が終わり、帆乃香は踵を返した。


その時だった。


「先生」


背後から声がした。


振り返ると、蒼爽がこちらを見ていた。


いつも通りの笑顔。


だが、少しだけ違った。


“試すような目”だった。



「先生って……ずっと、そうやって誰のことも冷静に見てるんですか?」


「それが仕事だ」


即答だった。


間がない。


感情もない。


だが蒼爽は、少しだけ視線を細めた。


「じゃあ、僕のことも“患者の一人”ですか?」


その問いは、妙に静かだった。



帆乃香は一瞬、言葉に詰まりかけた。


だがすぐに答える。


「そうだ」


嘘ではない。

医師としては正しい答え。


しかし――


その瞬間、病室の空気がわずかに変わった。



蒼爽は小さく息を吐いた。


そして、まるで独り言のように言った。


「そっか……」


その声には、わずかな“寂しさ”が混ざっていた。


それを聞いた瞬間。


帆乃香の胸の奥で、説明できない違和感が再び動いた。



その日の午後。


会議室。


カンファレンスが終わり、医師たちが散っていく中で、帆乃香は一人残っていた。


資料を閉じる。


思考は乱れていないはずだった。


しかし――


ふと、脳裏に蒼爽の顔が浮かぶ。


(なぜあの患者は、あんなにも“ひとりで完結している”?)


通常、あのような喪失を経験した患者は崩壊する。


怒り。

悲しみ。

依存。

拒絶。


どれかが現れる。


だが彼には、それがない。


ただ“静かに存在している”。



その時だった。


会議室の扉が開いた。


「白鷺先生」


振り向くと、病院長だった。


そしてその後ろに、もう一人の男性医師。


「少し話がある」


その言葉に、帆乃香は無表情のまま立ち上がる。



数分後。


別室。


そこで告げられた言葉は、医学的議題ではなかった。


「夜神蒼爽患者についてだが……家族の支援が完全に消失している」


「長期療養の受け皿もない」


「このままでは退院後の生活が成立しない」


そして――


病院長は言った。


「誰かが“法的に支える立場”になる必要がある」



その瞬間。


空気が静止した。


普通なら、福祉制度や施設の話になる。


だが今回は違った。


“制度では救えない個人”として扱われていた。



帆乃香は短く言った。


「養護施設では不十分ですか」


「年齢的にも精神状態的にも適さない」


沈黙。


その時だった。


彼女の中で、何かが“音もなく切り替わった”。



「……なら」


そう言って、帆乃香は一度だけ目を伏せた。


そして次に顔を上げたとき。


その表情は、医師ではなかった。



「私が引き取ります」


一瞬、空気が止まる。


病院長が眉を動かす。


「引き取る……?」


帆乃香は淡々と続けた。


「法的に管理できる形でなら問題ないでしょう」


「たとえば――婚姻関係」



沈黙。


数秒後、別の医師が思わず声を上げる。


「……冗談だろ?」


しかし帆乃香は動かない。


表情も崩れない。


ただ静かに言う。



「私と結婚すればいい」



その言葉は、あまりにも自然だった。


狂気でも感情でもない。


まるで医療処置の一つのように。



病院長が呟く。


「白鷺先生……それは倫理的に――」


だが帆乃香は遮った。


「彼には帰る場所がない」


「治療もない」


「支援もない」


「なら、残る方法は一つです」



そして、最後に言った。


「私の側に置く」



その瞬間。


“医師の判断”は終わった。


そこにあったのは、理屈ではなく決断だった。



夜。


蒼爽の病室。


帆乃香は一人で立っていた。


照明は落ちている。


静かな呼吸音だけが響く。


蒼爽は眠っている。


その横顔を見ながら、帆乃香は小さく息を吐いた。



「……あなたは、すぐ壊れる」


誰に向けた言葉でもない。


しかしその声は、どこか優しかった。



そして。


彼女は静かに決める。


(なら、壊れる前に繋ぎ止める)



翌朝。


蒼爽は呼び出される。


病室ではない。


小さな面談室。


そこにいたのは、白鷺帆乃香。


いつも通り冷たい顔。


いつも通り正確な声。


そして――


その口から出た言葉は。



「私と結婚しよう」



蒼爽は、一瞬だけ理解できなかった。


そして数秒後、ようやく言葉を返す。


「……え?」



白鷺帆乃香は、まっすぐ彼を見る。


その目には一切の迷いがなかった。



「あなたを、ひとりにしないために」



その瞬間。


蒼爽の世界は、音を立てずに崩れ始めた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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