第29話 行きはよいよい帰りは
ジークフリートが再びピンク色の扉をくぐると、そこは勇者たちの集まる部屋だった。だが、そこに集まった勇者たちは、ジークフリートが知っている姿とは違っていた。なんとなく記憶の片隅にあるようなないようなそんな姿だった。
「あ、この服は俺たちがこの世界に召喚された時に着ていた制服だよ」
全員が同じ格好ではないが、何となく似たような黒い生地で作られた制服は、この世界の貴族が着ている服よりも立派な作りだった。しかも、手にしているカバンはどれも上等な革でできていた。つまりそれだけ、彼ら勇者が元居た世界は豊かな世界だというわけだ。
「あ、これらはね、このドアを使って王城に忍び込んで回収してきたんだ。俺たちの私物、ぞんざいに物置に置かれていたからさ。持ち出しても誰も気づかなかったんだよね」
伸大がそう言って、呆れたような顔をした。聖女ミリアの指図だったのかどうかは今となってはわからないが、処分に困った勇者たちの私物を、とりあえず目につかない場所に隠しただけだったのだろう。
「あ、俺のは記憶を頼りに魔法で再現したんだ。学ランはスタンダードなデザインなんだけど、校章が記憶になくてさ」
自分の姿が気になるのか、慎二はなんだか落ち着きがなかった。
「ま、なんにしても、俺たちが実は同級生ってことがわかったのは面白いよな」
そう言ったのは正士だ。
「もしかすると聖女も同じ時代に生きていたのかもね。案外近所に住んでいたりして」
「やめろよ。怖すぎる」
「でも、俺たちが召喚されたのって、同じ沿線じゃん」
「しかも都内じゃないところが」
「順番にベットタウンだよな」
何か、手書きの地図の上に線が引かれ、そこにいくつか丸印が書かれていた。どうやらそこが勇者たちが召喚されたポイントらしいが、ジークフリートにはさっぱりわからない地図だった。
「俺たち、元の世界に戻ろうかと思ってるんだ」
正士がジークフリートに向かって宣言をした。そんなことを言われても、今更だけどジークフリートに拒否をする権利もなければ、許可をする立場でもない。たぶん、この世界の誰かに「さよなら」を伝えたいだけなのだ。
「このピンクの扉、ドアノブに魔石を使ってるって、説明したと思うんだが」
正義が眼鏡をクイッと上げながら話し始めた。
「魔力を流すことによって自分の行きたい場所に扉がつながる仕組みなんだ」
「まぁ、なんというか、アニメで見たことのあるあの扉に似ているよな」
「それを目指したんだよ」
「目指してできるものだったのか」
「300年ぐらい開発にかかったけどね」
「恐ろしい年月だな」
「神殿や城の書庫にある魔方陣の本には帰還の魔方陣のことが本当に書かれていなかったからね」
そこでいったん誰かが大きなため息をついた。
「聖女は全く俺TUEEでもなく、転生チートするわけでもなくただひたすらに『逆ハーで永遠に若く美しい私』しか頭になかったんだ」
最初に召喚された正士が言った。だからこそ、今の今まで聖女に見つかることがなく、二回目の殺害とかいった恐ろしい目に合うことがなかったというわけだ。
「俺たちって、この世界で異物じゃん?聖女もずっと生きていた。だから、殺しても死なないんじゃないかっておもったんだよ。だから生まれる前まで若返らせたんだ」
正士が今回の計画についてようやく説明をしてくれた。なにしろ、正士の手には魔方陣がない。実行するにあたって、他の勇者にお願いをしなくてはならなかったのだ。熱い源泉に手を突っ込んで、高温による火傷と皮膚の再生をするという、精神的苦痛を誰かにやってもらうのだ。2対3では強要のようだったけれど、4対3になったことで後ろめたさが多少解消したのだった。しかも、本人たちがやる気満々で源泉に手を突っ込んだものだから、正士は嬉しくて泣きそうな気持になったのだった。もちろん内緒だけれど。
「成功してよかったよ」
そう言って、朗が本を一冊取り出した。
「おい、そりゃあ」
朗が手にしている本を見て、それが何か気が付いたジークフリートが目を見開いた。
「聖女は生まれる前まで若返らせたから、この世界には今は存在しない。でも、また生まれるかもしれない。この世界なのか、元居た世界なのか、それはわからないけれど。だから、万が一この世界にまた聖女が生れてしまった時のために、この召喚の魔方陣がかかれたこの本を処分してしまおうと思う」
朗がそう言うと、手にあった本が音もなく燃えていった。静かな炎がゆっくりと確実に本を灰にしていった。薄い燃えカスが足元に落ちていく。それを他の勇者が無言で踏みつぶしていった。
「魔力がどの程度かわからないから。一人ずつ帰ろうと思う」
「異存はない」
全員がしっかりと帰り支度を整えていた。靴もしっかりと召喚時に履いていたスニーカーやローファーだ。
「俺が最後でいいかな?」
一人だけ、自分の魔法で作り出した学ランを着た慎二が言った。それを聞いて、皆が驚いた顔をする。
「ほら、俺だけ転生者じゃん?記憶を取り戻して前世の姿になったからさ、もしかしたら、ダメかもじゃん?」
そんなことを言われてしまうと、誰も強くは否定できなかった。なにしろ実験では、扉を開いて異世界の様子を伺ってみただけだったし、そこに落ちていた空き缶を拾ったりしていただけなのだ。扉を行き来しても空き缶は空き缶のままだったし、引き抜いた花は花のままだった。
「それにほら、俺はトラック転生だから、戻った途端に事故にあう可能性が高いだろ?」
「わかった。でも、無事に帰れたら、約束通り駅前に集合しよう。みんなちゃんとメモはポケットに入っているよな?」
正士が聞けば、全員が制服の胸ポケットから紙を取り出した。ドアの性能を確かめるため、深夜の文房具店からノートを一冊失敬したのだ。支払いは回収したカバンの中の財布からだ。表示が税込みかどうかわからなかったので、多めにおいた。ノートは使えたし、この世界のインクで字も書けた。元の世界とこちらの世界の道具を使っての大切なメモだ。
「ジークフリートさん、あなたに大切なお願い事がある」
「なんだよ」
短い間だけれど、ジークフリートは勇者たちを嫌ってなどいなかった。
「俺たち全員がこの扉をくぐって、そして最後に慎二が扉を閉めたら。この扉を破壊してほしいんだ」
正士が代表してジークフリートに頭を下げた。
「この扉を使ったあなたにならわかると思うけど、願えばどこにだって通じてしまう。腹を空かせた魔物がエサを求めてこの扉を開いてしまったら、その先は何処につながるだろう?」
「考えたくはねぇな」
ジークフリートはそう言って扉に目を向けた。
「それから。扉を破壊した後ドアノブの魔石を回収して城の宝物庫に返しておいて欲しいんだ」
優也があっさりというものだから、ジークフリートは驚きすぎてドアノブを凝視した。
「大きくて魔力の乗せやすい魔石が欲しかったんだけど、さすがにドラゴンからは取れないじゃん?こっそり城に忍び込んでカバンとか回収してたらいいサイズの魔石があったからさ」
伸大が笑いながら白状した。最初は食料にするために倒したオーガの魔石を使っていたのだが、宝物庫で見つけた魔石を使ったら、随分と遠くに行けたし、複数人でも通れたのだ。それで何度か元の世界を覗いてみるという実験を繰り返していたのだという。
「もちろん。通るときには各自の魔力を使うから、あっちに行ったときに体がどうなるかなんてわからないけれど。それでも俺たちは元の世界に帰りたいんだ」
皆が無言でうなずいた。
「順番に一人ずつな」
そう言って、召喚された順にピンクの扉を開けていく。ドアの向こうの景色は似たり寄ったりで、放課後の校舎だったりコンビニに脇だったりした。二人同時に召喚された朗と正義、優也と伸大だったが、一人ずつ扉をくぐった。少しずつ景色が違うのは、元居た場所の記憶の違いだろう。
「僕も、同じ駅使ってるよ」
そう言って光輝が慎二に見せたのは通学定期だった。電子カードに印字されていたのは懐かしい駅名だ。
「駅に向かって……東口から乗り降りしてて、横断歩道でトラックにひかれたんだ」
光輝の通学定期に印字された駅名を指さしながら慎二が告げた。
「僕、南口の高校だよ。駅の改札くぐったらこの世界に来ちゃったんだ。だから、すぐ、会えるよね?おっきなモフモフと別れるのは寂しいけれど、家で猫が待ってるし」
「猫って浮気を許さないらしいぜ」
慎二が笑って言うと、光輝は慌てて浄化の魔法を自分にかけて、すました顔で見送りをしに来たフェンリルに手を振った。
「ジークフリートさん。フェンリルをよろしくね」
なぜかそんなことを言って光輝はピンクの扉を開けた。夕方の駅前の慌ただしい音が聞こえてきた。
「またね」
光輝は慎二にそう言うと扉を閉めた。
閉じられた扉を前に、慎二は無言で立っていた。
次は慎二で、慎二で最後だ。
「元気でな」
ジークフリートが背中を押すような言葉をかける。
それでも扉に手をかけて開けないでいる慎二に、フェンリルが鼻先で背中を押した。
「あとは、頼んだ」
慎二が勢いよくピンクの扉を開くと、茜色の空と横断歩道があった。