第三十一話 夜通し尋問の翌朝、居間で雑魚寝していた六人分の朝ごはんを作ります
縁側で空が金色に染まりきった頃、居間から奇妙な音が聞こえてきた。
ぐううううう。
ぐぅぅ。
ぐるるるる。
腹の音だ。しかも、一つや二つではない。
「……起きたみたいですね」
「……そうだな」
隣でリディアが苦笑した。肩の距離は、さっきと変わらない。
二人で居間へ戻ると、そこは雑魚寝の跡地だった。
ソファの上ではロイが丸まり、床ではフィーナが大の字になっている。セレスティアは記録用紙を枕にしていて、カイルは椅子に座ったまま、背筋だけは伸ばして目を閉じていた。
テレビの画面の中では、ブレディアがポップコーンのボウルを抱えたまま、ぱちりと目を開けた。
『……おはようございますぅ……おなかがすきましたぁ……』
「全員、同時にお腹が鳴りましたね」
「合唱だな」
「朝ごはんだー!」
フィーナが勢いよく跳ね起きた。寝起きの髪が四方八方に広がっている。
「コータくん、朝ごはん!お腹と背中がくっつくよ!」
「はいはい。ロイ、起きて」
「……はっ! おはようございます、師匠!」
「師匠じゃないです。今日はロイに頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと、ですか?」
俺は台所を指さした。
「卵焼きを、二十本焼いてもらえるか?」
「二十本!?」
居間にいた全員が、同時に振り返った。
台所に立ったロイは、卵焼き器を両手で握りしめていた。
調理台の上には卵が六十個。白だしと砂糖、それから大根と明太子とチーズ。
「二十本を、一人で」
「はい。俺は横で見ている。手は出さない」
「見ているだけですか?」
「そうだよ。困ったときだけ声をかけてくれればいい」
本当は手を出したいところだが、ここは我慢だ。
この子は、自分の力で最後までやり遂げる経験を積んだほうがいい。
最初の一本目。
卵液を流し、表面が固まりかけた一瞬を見極めて巻く。奥へ戻す。もう一度流す。
くるり。
「できました!」
「いい出来だ。次、いこう」
二本目。三本目。
ロイの手つきは、日に日に良くなっている。出会った頃のあの危なっかしさは、もうほとんど消えていた。
ところが、十本目を越えたあたりから雲行きが怪しくなった。
卵焼き器が熱くなりすぎたのだ。卵液が流れた途端に、じゅわっと固まりすぎて、巻く前にひび割れた。
「あっ」
「火を、少し弱めるんだ」
「は、はい!」
十三本目。今度は逆に弱すぎて、なかなか固まらない。
「ええと、ええと……」
手が止まった。額に汗が浮かんでいる。
居間のほうからは、「まだー?」「お腹がー」という声が届いている。焦るのも無理はない。
「ロイくん」
「は、はい」
「深呼吸だ」
「すー、はー」
「卵焼きは、焦らなくても逃げないぞ?」
「……逃げません」
「お客さんは、ちゃんと待ってくれます。待たせる時間の分、おいしくすればいいんです」
「……そうだ」
ロイの目が、すっと落ち着いた。
火加減を見直し、卵液を流す。表面が固まりかけたところで、そっと巻く。
十七本目は、きれいに巻けた。
十八本目。十九本目。二十本目。
最後の一本を皿に載せたとき、ロイは長く息を吐いた。
「……できました」
「お見事です」
「師匠」
「師匠じゃない!」
「ありがとうございました!」
ロイは勢いよく頭を下げた。その頭を、俺は軽くぽんと叩いた。
朝ごはんの食卓は、いつもどおり戦場だった。
ただし、いつもと違う戦場でもあった。
「予約中のお二人、お塩を取ってくださる?」
「予約者の席は隣同士にしないとね。ほら、リディア、もう少しコータくんの方へ」
「やめろ!」
フィーナとセレスティアが、朝から容赦なかった。
味噌汁の湯気の向こうで、二人のにやにやが止まらない。
「予約というのは、不思議な言葉ね。記録に残しておきたいわ」
「記録するな!」
「まあまあ、リディア。そんなに怒らないで。ほら、卵焼き」
「……」
リディアは無言で卵焼きを口へ運んだ。
もぐもぐ。
「……うまい」
「今日はロイが一人で焼いたんですよ?」
「そうなのか!」
リディアの顔が、ぱっと輝いた。
「ロイ!お前、本当に上手くなったな!」
「えへへ」
ロイが照れて頭をかいた。
和やかな空気だった。ところが、そこでフィーナがにっこり笑った。
「ところでリディア。昨日のキスって、どっちから?」
ばきん。
乾いた音が食卓に響いた。
「…………」
「…………」
リディアの手の中で、茶碗が真っ二つに割れていた。
箸を持ったまま、リディアの動きがぴたりと止まる。
その場にいた全員の視線が、彼女の手元に集まった。
「リディア、茶碗が……」
「……す、すまない」
リディアは割れた茶碗を見つめたまま、ぎこちなく手を離した。
「怪我はないですか?」
「ない。大丈夫だ。それより、フィーナ」
「なあに?」
「今、何と言った?」
「昨日のキスって」
「聞いていないのではなかったのか!」
「聞いてないわよ?」
フィーナは悪びれる様子もなく、味噌汁を一口すすった。
「でも、昨日の尋問で『前払い』って言ってたじゃない。予約料の前払いって、そういうことでしょう?」
「…………!」
リディアの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「えっ、違うの?」
「ち、違うとは言っていない!」
「じゃあ、やっぱりそうなんだ?」
「そういう意味では……!」
「どういう意味なの?」
「それは……!」
言葉に詰まったリディアは、助けを求めるように俺を見た。
しかし、俺も何と答えればいいのか分からず、そっと目を逸らす。
「コータくん、顔が赤いわよ?」
「朝から何を聞いているんですか……」
「だって気になるじゃない。昨日はあんなに隠していたのに、今朝になったら二人とも隣同士で座っているんだもの」
「席を指定したのはお前たちだろう!」
「そうだったかしら?」
「そうだ!」
フィーナは楽しそうに笑い、今度はセレスティアのほうへ顔を向けた。
「ねえ、セレス。どう思う?」
セレスティアは、手元の記録用紙から顔を上げた。
「前払いの内容を確認。キスの可能性、九割」
「九割じゃない!十割だ!」
「あ」
「あ」
「あ」
三人の声が重なった。
食卓の空気が凍りついた。
リディアは、自分でも何を口走ったのか分かっていない顔で固まっている。
フィーナは口元を押さえ、肩を震わせていた。
セレスティアはペンを止め、ゆっくりとリディアを見つめる。
「……今の発言は、記録しても?」
「するな!」
「十割ということは、キスがあったと認めたものと判断してよろしいですね?」
「違う!いや、違わないが、そういうことではなくてだな!」
「なるほど。キス自体は事実、と」
「セレスティア!」
リディアの声が裏返った。
「……リディア」
「……何だ、コータ」
「自分で認めましたね」
「…………」
今度こそ逃げ場を失ったリディアは、割れた茶碗の片割れをそっとテーブルに置いた。
そして、両手で顔を覆う。
「……穴があったら入りたい」
「掘りますか?」
「掘るな」
「コータくん、そこは一緒に入るって言ってあげるところじゃない?」
「俺まで入るんですか!?」
「予約者同士なんだから、いいじゃない」
「予約者って何ですか!」
「予約者は予約者でしょう?」
フィーナが笑いながら身を乗り出す。
「それで?どんなキスだったの?ほっぺ?それとも唇?」
「聞くな!」
「一瞬だけ?それとも、しっかり?」
「フィーナ!」
「ふふっ。リディア、耳まで真っ赤よ?」
「もうやめてくれ……!」
リディアはテーブルに突っ伏したまま、ぴくりとも動かなくなった。
その隣で、セレスティアが淡々と記録を続けている。
「質問への反応から推測するに、唇への接吻である可能性が高いわね」
「セレスティア、記録をやめろ!」
「記録は事実を残すためのものよ」
「その事実を残すなと言っている!」
カイルが、静かに五杯目のご飯をよそった。
「……食事中に騒ぐな。冷める」
「カイルさんだけが、まともです」
「俺はただ、食べたいだけだ」
「カイル、あなたも何か聞きたいことはないの?」
フィーナが尋ねると、カイルは茶碗にご飯を盛りながら答えた。
「ない。本人たちが決めたことだろう」
「まあ、そうだけど」
「それより、卵焼きが残り少ない」
カイルの視線は、すでに皿の上に向いていた。
「ロイ、もう一本もらえるか」
「はい!どうぞ!」
「ありがとう」
この場で唯一、恋愛事情より朝食を優先している男だった。
「……カイルさん、見習いたいです」
「コータくんまで何を言ってるのよ!」
フィーナの笑い声が、朝の食卓に響いた。
テレビの画面の中で、駄女神が箸を持ったまま、ずっとこちらをじっと見ていた。
『オトクくぅん』
「何ですか?」
『あたしたちにも、特別メニューをくださぁい!!』
「特別メニューですか?」
『だってぇ、昨日は大事な日だったじゃないですかぁ。予約記念の特別メニューが必要ですよぉ!!』
「予約記念……」
『おめでたいときのご飯ですぅ!おめでたいときに食べるやつ!』
「……あ」
日本で、おめでたいときに食べる、あの料理が思い浮かんだ。
俺は朝のチラシを広げた。
【スーパー・マル得 お祝い料理特集】
━━━━━━━━━━━━━━
お赤飯パック 1パック398円
鯛の塩焼き 一尾498円
ごま塩45g 149円
北海道風甘納豆入り赤飯 1パック398円
お吸い物(粉末)5袋入り198円
━━━━━━━━━━━━━━
「ありました!!」
『やったぁ!』
「お赤飯です。お祝いのときに食べるご飯ですよ」
『おせきはん!』
「もち米と小豆を一緒に蒸した、赤いご飯です。ごま塩をかけて食べるんですよ」
『ごましお!おいしそう!』
「それから、ちょっと珍しいものもありますね」
俺はチラシの一角を指さした。
「北海道風の甘納豆入り赤飯もありますね!」
『あまなっとう?お赤飯に?』
「そうです。北海道では、甘納豆を使った甘いお赤飯を食べる地域があるんですよ!」
『ええっ!?お赤飯なのに甘いんですかぁ!?』
「まあ、そういう食べ方もあるんですよ」
『気になりますぅ!両方ください!』
「でしょうね……」
七パックの小豆のお赤飯に、甘納豆入りを何パックか。それから鯛の塩焼き、ごま塩も購入する。
食卓に並べる分とは別に、ブレディア用の一膳も用意した。
小豆のお赤飯にごま塩を振り、鯛の塩焼きと一緒に画面の前へ置く。
すると、いつものように光に包まれて消えた。
『わぁ……赤い!もちもち!あまじょっぱい!』
「小豆のうまみですね。ごま塩をかけると、また味が引き締まります」
『ごまの香ばしさもいいですねぇ!おめでたい味がしますぅ!』
「それはよかったです」
ブレディアは鯛の塩焼きにも手を伸ばし、すっかりご満悦だった。
『それでそれで!もう一つのお赤飯はどんな味なんですかぁ?』
「そっちは、あとで食べてみましょう」
『楽しみですぅ!』
食卓にも赤飯を並べた。
「これは何だ?」
リディアが赤い米を見つめている。
「お祝いのご飯です。日本では、おめでたいことがあったときに食べます」
「おめでたい……」
リディアは、そっと自分の茶碗を見下ろした。
割れた茶碗の代わりに、新しい茶碗が置かれている。
そこへ盛られた赤飯が、朝の光で艶々と輝いていた。
「……そうか」
小さく笑って、一口食べた。
「うまい!」
「でしょう?」
「お祝いの味だな!」
「そうですね」
リディアはもう一口、赤飯を口へ運んだ。
今度はごま塩のかかった部分を選んでいる。
隣でフィーナが、また何か言いかけて、セレスティアに口を塞がれていた。
「今はそっとしておきましょう」とでも言いたげに、セレスティアが首を横に振っている。
そんな二人を横目に、俺は甘納豆入りの赤飯を皿に取り分けた。
「こちらは北海道風の赤飯です。甘納豆が入っているので、普通のお赤飯とはかなり違いますよ?」
『待ってましたぁ!』
駄女神の声が、画面から弾んだ。
「まずは一口食べてみてください」
『いただきまーす!』
画面の向こうで、駄女神が甘納豆入りの赤飯を口に運ぶ。
『……ん?』
「どうですか?」
『お赤飯なのに甘い!』
「甘納豆ですからね」
『でも、おいしい!もちもちしたお米と甘いお豆が合いますぅ!』
駄女神はもう一口、今度は大きめに頬張った。
『これ、好きです!普通のお赤飯もおいしいですけど、こっちはおやつみたいでいいですねぇ!』
「気に入ったみたいですね」
『ところで、オトクくん』
「コータです」
『オトクくんは北海道民さんだったんですか?』
「そうですよ?地元の味です。俺の地元では、甘納豆入りのお赤飯が普通なんです」
『へぇぇ……!地元の味だったんですねぇ!』
「地域によって、いろんな食文化がありますから」
『面白いですねぇ!今度はほかの地域のお祝い料理も食べてみたいですぅ!』
「そのうち、機会があればですね」
『約束ですよぉ!』
「約束はしてません!」
駄女神は聞こえなかったふりをして、甘納豆入りの赤飯をもう一口頬張った。
朝食が終わると、全員が満足そうにそれぞれの部屋や風呂へと散っていった。
俺は洗い物の前に今朝の朝刊を広げた。
毎朝のことだ。
心の底からどうでもいい記事ばかりのはずの、あの朝刊だ。
一面を見る。
『剣士の娘と料理番 予約成立か?』
「…………」
小見出しがあった。
『関係者によると 昨夜は赤飯が炊かれた模様』
「炊かれたのは今朝です!!」
思わず叫んだ。
そもそも、どうしてこんな記事が載っているんだ?昨夜の出来事はこの家の中の人しか知らないはずだ。
「ブレディアさん、関係者って誰ですか?」
居間のテレビを振り返る。
画面の中の駄女神は、赤飯の茶碗を抱えたまま、きょとんと首を傾げていた。
『えっ?関係者?何のことですかぁ?』
「新聞に載っているんですよ。俺たちの昨夜のことが……」
『ええっ!?新聞に!?』
駄女神は慌ててこちら側に身を乗り出し、俺の手元にある新聞を覗き込もうとする。
『ちょっと見せてください!……えっ、リディアちゃんとコータくんの予約が成立!?しかも赤飯まで!?』
「そこに驚くんですか……」
『だって、あたしも知りませんでしたよぉ!いったい誰がこんな記事を!?』
どうやら、本当に知らなかったらしい。
では、いったい誰が昨夜の出来事を新聞社に伝えたんだ……?
この朝刊は、スキル《特売チラシ》と一緒に毎朝届く。
その発行元を、俺は一度も確認したことがなかった。
そもそも、この新聞はどこで発行されているんだ?
スキルの一部として届けられている以上、普通の新聞社なわけがない。
なるほど。
少なくとも、神界と関係していることは間違いなさそうだ。
それはともかくだ。
「……俺たちのことは放っといてくれ!!」
俺の叫びが、朝の居間に響き渡った。
次回予告
第三十二話 騎士団の兄から、妹の結婚相手に会いたいという手紙が届きました
朝食の洗い物が終わった頃、玄関に一通の手紙が届く。
「妹の相手を、この目で確かめたい。 アルフ」
「兄貴……!」
リディアの顔から血の気が引いた。
――領都の騎士は、妹の予約相手に何を問うのか。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、夜通し尋問の翌朝を描きました。
ロイが卵焼き十本に挑戦し、コータの見守りの中で成長。食卓ではフィーナとセレスティアの追及が止まらず、リディアが茶碗を割ってしまいます。
そして、おめでたいときのお赤飯。最後の朝刊の記事には、あの方の口笛が聞こえた気がしますね。
次回は、リディアの兄アルフが登場します。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……お赤飯には、胡麻塩を多めにかけると喜ばれるそうです。




