第二十七話 ロイの料理番補佐、初日の朝ごはんが大事件になりました
翌朝。
台所に降りると、ロイはすでに立っていた。
髪はきちんと整えられ、手にはあのくたびれたノートを持っている。
ただ、緊張しているのか、膝が小さく震えていた。
「おはようございます、師匠!おれ、ちゃんと作れるでしょうか?」
「師匠じゃない。今日は基本の朝ごはんから始めようか」
俺は今朝のチラシを広げた。
【スーパー・マル得 朝ごはんフェア】
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塩鮭切り身4切れ入り 598円
卵10個入りパック 150円
納豆3パック 98円
味付け海苔8袋入り 298円
きゅうりのぬか漬け 158円
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「鮭を二十切れ。卵は六十個。納豆は三十パック」
「……二十切れ、ですか?」
「はい」
「何人前ですか?」
「二十人前です」
「二十人前……」
ロイが復唱した。声が裏返っている。
「ここに住んでいるのは師匠とおれだけですよね?泊まっているのは四人です。六人で二十人前ですか?」
「そうですね」
「……なぜですか?」
「すぐに分かります」
台所の隅には、炊飯器が三台並んでいた。先月買い足したものだ。
「なぜ三台もあるんですか?」
「一台では足りないからです」
ロイは何も言えなくなった。
俺は味噌汁の鍋を火にかけ、鮭を焼き始める。ロイには卵焼きを任せた。
「卵液は一度に六個分です。大きめの卵焼き器を使ってください」
「は、はい!」
じゅわっ。
卵液が卵焼き器いっぱいに広がる。表面が固まりかけたところで、ロイが慎重に巻き始めた。
昨日までは形が崩れてばかりだったが、今朝は四回目にして、きれいに巻き込むことができた。
「できました!」
「いい出来です。次も焼いてください!」
「次ですか?」
「十本焼きます」
「十本……」
ロイの目が遠くなった。
俺は鮭を焼きながら味噌汁の味を確かめ、同時に納豆を器へ移していく。
手を動かしながら、次の段取りを頭の中で組み立てる。前世では一人暮らしの自炊で身についた癖だ。
ロイがそんな俺の様子をじっと見ていた。
「師匠。手が三本あるみたいです……」
「慣れですよ?」
「おれ、一生慣れる気がしません……」
「数日もすれば慣れます」
朝の八時。
廊下から足音が近づいてきた。
「おはよう、コータくん。いい匂い!」
「おはよう、コータ!」
「おはよう。記録の準備はできているわ」
「……腹が減った」
フィーナ、リディア、セレスティア、カイルの四人が居間に入ってきた。
それと同時に、テレビがぶうぅんと光った。
『オトクくぅん!朝ごはんの匂いがしますぅ!』
「おはようございます、ブレディアさん」
『おはようございますぅ!今日もお供え、よろしくお願いしますねぇ!』
画面の中では、女神様が箸を両手に持って待機している。
ロイは配膳の手を止め、背筋を伸ばした。
「お、おはようございます、ブレディア様!」
『おはよう、ロイくん!卵焼き、楽しみにしてますよぉ!』
「は、はいっ!」
緊張で声が上ずっている。
全員が席に着いた。
テーブルの上には、焼き鮭に卵焼き、納豆、海苔、漬物、味噌汁。
そして、山盛りのご飯が並んでいる。
「いただきます!」
全員の声がそろった。
それが、戦いの合図だった。
「おかわり!」
最初に叫んだのはリディアだった。
茶碗が空になるまで、わずか二十秒。
「早い!」
ロイが目を丸くする。
「次の鮭をくれ!」
「今、焼いてます!」
リディアは返事を待つ間もなく、二杯目のご飯をよそい始めていた。
焼き鮭の身を豪快にほぐして白いご飯に乗せると、皮まで残さず食べ、味噌汁を一気に飲み干した。
「ふぅ……やっぱり朝はしっかり食べないとな!」
「リディアさん、まだ皆さん食べ始めたばかりですよ?」
俺が声をかけると、リディアはきょとんとした顔でこちらを見た。
「そうなのか?なら、次も頼む!」
「……はい」
ロイが慌てて次の鮭を焼き始めた。
「私もおかわりをお願い!」
フィーナが茶碗を差し出した。すでに二杯目だ。
「フィーナさんもですか?」
「ええ。朝からこんなに美味しいものを食べられるんだもの。遠慮する理由がないでしょう?」
そう言いながら、フィーナは卵焼きを一切れ口に運ぶ。
「んー!この卵焼きふわふわね。ロイくん腕を上げたじゃない!」
「ありがとうございます!」
「出汁の味もちょうどいいわ。もう一切れもらうわね!」
皿に伸びた手が、迷いなく最後の一切れをつまんだ。
「あっ、フィーナさん。それ、私も食べようと思っていたのですが……」
セレスティアが少しだけ残念そうに言う。
「ごめんね。じゃあ、次のを焼いてもらいましょ?」
「そうですね。ロイくん私も卵焼きをお願いします。できれば少し甘めのものも食べてみたいです」
「わ、分かりました!」
セレスティアも茶碗を差し出す。こちらもすでに二杯目だった。
「俺も」
カイルは短く告げ、黙々と三杯目をよそっていた。
「カイルさん、もう三杯目ですか!?」
「ああ」
それだけ答えると、焼き鮭をほぐしてご飯に乗せる。
海苔で包んで一口。味噌汁をすすり、またご飯を口に運ぶ。
その動きに無駄がない。
「みんな、朝からよく食べるなぁ……」
「そうか?」
リディアが不思議そうに首を傾げた。
「朝食は一日の活力だからな!」
「姉ちゃん、それはそうだけど……」
ロイが返事をしている間にも、リディアの茶碗は空になっていた。
『あたしの分もぉ!おかわりぃ!』
画面の中でもブレディアが茶碗を揺らしている。
「ブレディア様、もう食べ終わったんですか!?」
『もちろんですぅ!焼き鮭も卵焼きも最高ですねぇ!特にこの卵焼き!ふわふわでぇ、出汁がじゅわぁっと広がってぇ……ああ、幸せですぅ!』
「ありがとうございます!」
『ロイくん、もう一切れお願いしますぅ!できれば大きめで!』
「はい!すぐに用意します!」
ロイは慌てて一膳分のご飯をテレビの前に置いた。すると、光に包まれて消えた。
『おかわりぃぃぃ!』
「早いです!」
ロイが叫ぶ。
「卵焼きがもうありません!」
「ロイ、次を焼くんだ」
「焼くそばからなくなっていきます!」
「それが朝ごはんだ!」
俺は鮭を焼く手を止めずに答えた。
リディアは三杯目のご飯に納豆をかけ、豪快にかき込んでいる。フィーナは漬物を挟みながら、卵焼きの追加を待っていた。セレスティアは味付け海苔を細かくちぎってご飯に乗せ、味噌汁と交互に口へ運んでいる。カイルは相変わらず無言で、空になった茶碗を差し出していた。
テレビの中では、ブレディアが焼き鮭を頬張りながら、次の卵焼きを待っている。
「ロイくん。ご飯は今炊き上がる三台目が最後です」
「まだ足りないんですか?」
「足りません!!」
「そんなぁ!」
ロイは悲鳴を上げながら、フライパンを三つ同時に回した。
「リディアさん、鮭の追加です!」
「おお、待っていたぞ!」
「フィーナさん、卵焼きが焼けました!」
「ありがとう。あら、甘いほうもできたのね。いただくわ」
「セレスティアさん、漬物のおかわりです!」
「ありがとうございます。ご飯もお願いします」
「カイルさん、三杯目……じゃなくて、四杯目ですか!?」
「うん」
「ブレディア様、卵焼きです!」
『わぁい!ロイくん、大好きですぅ!』
「ありがとうございます!」
「……俺の分も残しておいてな」
「コータさんの分もですか!?」
「もちろんだ!」
「分かりました!頑張ります!」
ロイの額から汗が流れ落ちる。
それでも、誰かが美味しそうに食べてくれるたびに、少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
十五分後。
テーブルの上は壊滅していた。
鮭は骨だけ。
卵焼きは皿ごと空になり、納豆の器が山を作っている。
漬物も海苔もなくなり、味噌汁の鍋には一滴も残っていなかった。
炊飯器は三台とも空だった。
ロイはその場に立ち尽くしていた。
手には空になったしゃもじ。額には汗が浮かんでいる。
「…………」
「お疲れさま、ロイ」
「コータさん……」
「どうした?」
「皆さん、いつもこんなに食べるんですか?」
「だいたいこんな感じだな」
「毎朝……?」
「毎朝だ」
ロイは空っぽの炊飯器を見つめた。
「……朝ごはんって、こんなに大変だったんですね」
「慣れるよ」
「本当ですか……?」
「たぶんな」
「たぶん!?」
その横で、リディアが満足そうにお腹をさすっていた。
「いやあ、美味かった!ロイ、卵焼きも鮭も最高だったぞ!」
「ありがとう姉ちゃん……」
フィーナも笑顔で頷く。
「ごちそうさま。朝から幸せな気分になれたわ」
「私もです。特に卵焼きの焼き加減が素晴らしかったですね」
カイルは空になった茶碗を置き、短く言った。
「美味かった」
『ロイくん、ごちそうさまでしたぁ!また明日もお願いしますねぇ!』
「は、はい!」
ロイは笑顔で返事をした。
ただし、その目はまだ空になった炊飯器から離れていなかった。
「……師匠」
「師匠じゃないです」
「姉ちゃんやブレディア様、それにカイルさんがたくさん食べるのは分かります」
「はい」
「でも、フィーナさんやセレスティアさんまで、三人前は食べていますよね……?」
フィーナは満足そうにお茶を飲み、セレスティアは平然と記録用紙に何かを書き込んでいる。
二人の茶碗は、どちらもきれいに空になっていた。
「普通でしょう?」
「普通ね」
二人は涼しい顔で答えた。
ロイが固まった。
俺は空になった鍋を洗いながら、静かに言った。
「朝食は戦場だ……」
「…………」
「慣れるまでは、そう思っておいてくんだな」
「はい……」
ロイの返事は、疲労で小さくなっていた。
テレビの中では、ブレディアが口元を拭っていた。
『ごちそうさまでしたぁ。ロイくんの卵焼き、ふわふわでしたよぉ!!』
「あ、ありがとうございます!」
ロイは画面に向かって深々と頭を下げた。
疲れ切った顔をしているのに、その目だけはきらきらと輝いていた。
約束の三日間は、こうして始まった。
月曜日は朝食に昼食に夕食。火曜日はリクエストされた唐揚げとオムライス。水曜日はみんなで鍋を囲んだ。
ロイは毎日、台所で動き続けた。
初日は泣きそうになっていたが、二日目にはご飯を炊き始めるタイミングを自分で判断するようになった。三日目には、俺が指示を出す前に鮭を焼き始めていた。
ノートはあっという間に埋まっていった。セレスティアがそれを覗き込んで満足そうに頷き、カイルも「字がきれいだな」と感心していた。
そして、水曜日の夜。
全員が帰宅した後、ロイは台所で一人洗い物をしていた。
俺はお茶を淹れ隣に立った。
「お疲れさまでした」
「師匠!」
「師匠じゃない!」
ロイは手を止め少し考えてから口を開いた。
「おれ、分かった気がします」
「何が?」
「師匠は、料理がうまいだけじゃないんです。食べる人のことを、ずっと見ているんですね」
俺は少し驚いた。
「姉ちゃんの茶碗が空になる前に次のご飯を用意してます。フィーナさんが薄味を好むことも、セレスティアさんがタレを多めにほしがることも、カイルさんがだし巻き卵に一番嬉しそうな顔をすることも。全部分かっているんですよね」
「……そうだな」
「おれ、宿で毎日ご飯を出していたのに、お客さんの顔をあまり見ていませんでした」
ロイは泡のついた手を見つめた。
「今はちゃんと見ていたいです。師匠みたいに!!」
「……だから師匠ではないんだが」
俺はお茶を一口飲んだ。
「それは、料理人にとって一番大切なことだと思うぞ!」
「はい!」
ロイは顔を上げて笑った。
リディアによく似た、まっすぐな笑顔だった。
その夜、テレビがひとりでに光った。
ぶうぅん。
『オトクくぅん、ロイくぅん!一緒にご飯を食べましょ〜!』
画面の中では、ブレディアがお膳を前にして待っていた。
「……今からですか?」
『はい!今からです!』
「みんな帰りましたよ?」
『そうなんですけどぉ。たまには、誰かとゆっくりご飯を食べたいなぁって』
女神様はお膳に視線を落としそれからこちらに微笑んだ。
『みんなでわいわい食べるのも楽しいですけど、こうして落ち着いてお話ししながら食べるのもいいでしょう?』
「…………」
ロイが何か言いたそうに、こちらを見ている。
俺は小さく息をついた。
「分かりました。ロイ、残っているご飯でお茶漬けを作りましょう」
「お茶漬け!はい!」
三人分の茶碗を並べる。
ロイが海苔とお茶を用意し、俺は鮭の残りをほぐしてご飯に載せた。
一膳をテレビの前に置くと、光に包まれて消えた。
『わあ、あったかぁい!』
画面の向こうで、駄女神が茶碗を両手で持っていた。
「いただきます」
「いただきます!」
『いただきまぁす!』
ささやかな声が、夜の台所に三つ重なった。
ロイは茶碗を持ったまま、目を細めていた。
「……ブレディア様と一緒にご飯を食べているんですね」
「そうですね」
「おれ、本当にとんでもない人の弟子になりました!」
「だから弟子じゃないです」
『オトクくん、細かいですよぉ。ロイくん、おかわりぃ!』
「……結局そこですか」
静かな台所に、笑い声が小さく響いた。
次回予告
第二十八話 ロイが初めて一人で朝ごはんを任されて、師匠は優雅に新聞を読みました
飢えた獅子の四人が来ない木曜日。
朝食をロイに任せたコータは久しぶりに優雅な朝を満喫……するはずだった。
だが新聞には、リディアとの関係を面白おかしく書き立てた記事が。
一方、買い物ではロイに新しい服や包丁を買い与え、夕暮れの帰り道。
ロイから姉のことを尋ねられたコータは、ついに自分の本心を口にする。
「リディアさんのことは、大好きですよ」
――その言葉を聞いた十四歳の弟は、ある計画を思いつく……?
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、ロイが料理番補佐として初めて朝食という戦場を体験し、約束の三日間を駆け抜けるお話でした。
三人前を平然と食べるフィーナとセレスティアに、ロイが驚くのも無理はありません。
ちなみに、ブレディア様の食欲は三人前では収まらないそうです。
最後は、女神様の小さなお願いで締めました。食べ物の話ばかりの女神様ですが、たまにはこんな一面もあります。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……お茶漬けは、鮭のほぐし身が多めだと喜ばれるそうです。




