第二十五話 帰る朝、弟のロイが弟子にしてくださいと言い出しました
陽だまり亭での最後の朝は、よく晴れていた。
荷物をまとめて食堂へ降りると、ガイゼルとマリエがすでに並んで待っていた。
ミーナはまだ眠そうに目をこすりながら、母親の後ろに隠れている。
「コータ君。世話になったな」
「こちらこそ。昨夜はごちそうさまでした」
「うむ。こちらこそ、楽しい時間を過ごさせてもらった」
ガイゼルは満足そうに頷いたあと、声を潜めて呟いた。
「例の件は、よろしく頼む」
「例の件とは何だ?」
背後からリディアの声がした。
「何でもない!」
「何でもありません!」
ガイゼルと俺の答えが重なった。
リディアは目を細め、俺と父親の顔を交互に見比べた。
「……何か隠しているだろう」
「気のせいだ」
「そうです。気のせいです」
「そうか……」
リディアは納得していない様子だったが、すぐに視線をそらした。耳まで赤くなっている。
朝からずっとこうだ。俺と目を合わせようとしないし、話しかけてもどこか落ち着かない。
昨夜のことが原因だろうか。
……いや、気のせいだと思うことにした。
マリエが布に包んだ籠を差し出した。
「これ、道中で食べてね。大したものじゃないけど」
「ありがとうございます。中身は何ですか?」
「パンと干し肉よ。途中でお腹が空いたら食べてちょうだい」
籠を開けると、こんがり焼いたパンと干し肉が丁寧に詰められていた。
どれも特別な食材ではない。けれど、この宿にとっては決して安くないものだろう。
俺たちのために、わざわざ用意してくれたのだ。
「ありがとうございます。大事にいただきます」
「ふふ。そんなにかしこまらなくていいのよ」
マリエは優しく笑い、そして後ろを振り返った。
「そして、この子もよろしくね」
食堂の入口に、大きな荷物を背負ったロイが立っていた。
金髪をぴしゃりと整え、手にはあのくたびれたノートを持っている。
いつもなら料理の話をすると目を輝かせる少年も、今は緊張で顔がこわばっていた。
「コータさん」
「はい」
「おれを、弟子にしてください!」
ロイは勢いよく頭を下げた。
食堂がしんとした。
「……えっと、弟子ですか?」
「はい!」
「いや、まだ弟子にすると決めたわけじゃ…………」
「はっはっは!!娘と息子のことは、頼んだぞ!!」
ガイゼルが大声で被せた。
「えぇ!?まだ誰も決めてないですよ!」
「ロイ、頑張るのよ!」
「はい、母さん!」
マリエまで笑顔で応援している。
どうやら、俺の知らないところで話がまとまっていたらしい。
「あの子、昨夜はずっと考えていたのよ」
マリエが穏やかに言った。
「コータ君のところへ行って、料理を教わりたいって。もちろん、私たちも簡単には決められなかったけれどね」
「……ご両親としては、心配ですよね」
「ええ。でも、この子が自分で決めたことだもの。私たちも応援してあげたいの」
マリエはロイの肩に手を置いた。
「それに、コータ君なら安心して任せられると思っているわ」
「いや、そんなに立派な人間じゃないんですけど……」
「ガハハハ! 謙遜するな!」
逃げ場は、すでになかった。
ロイの目が真っ直ぐこちらを見ている。リディアそっくりの、引かない目だ。
「……とりあえず、一緒に帰りましょうか」
「はい! ありがとうございます!」
「返事をしたわけじゃないですよ!」
ロイは満面の笑みを浮かべていた。
その顔を見ていると、これ以上何を言っても無駄な気がしてきた。
陽だまり亭の前では、ミーナが大きく手を振っていた。
「お兄ちゃんたち、また来てねー!」
「うん。また来るよ」
ガイゼルとマリエも店の前に立ったまま、俺たちの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
ガイゼルが最後に口を動かした。
孫。
……見えなかったことにした。
ペイペの町へ戻る道は、行きよりもにぎやかだった。
「師匠、この草は食べられますか?」
「師匠はやめてください。それは……ごめん、分からない。キノコと同じで、見た目だけでは判断で着ないから……」
「なるほど……。食べられるかどうか分からないものは、口にしない、と」
「そうです。知らないものを勝手に食べるのは危険です」
「分かりました!」
ロイは感心したようにノートへ書き込んでいる。
さっきから歩きながら、道端の草や花、木になっている実を見つけては質問してくる。料理に使える食材を探しているのだろう。
その熱心さはいいのだが、質問の頻度がなかなかすごい。
「では、この実は?」
「それも分からない」
「この葉っぱは?」
「わからない」
「このキノコは?」
「それは絶対に触らないで!」
「えっ?」
「毒があるかも」
「分かりました!」
ロイは素直に頷き、またノートを開いた。
その後ろで、リディアが腕を組んで歩いていた。
「ロイ、食材を探すのはいいが、道端のものを何でも食べようとするな。危ないだろう」
「分かってるよ、姉ちゃん」
「本当か?」
「本当だって」
どうやら弟の前で姉らしい顔をしようとしているらしい。
普段のリディアなら、ロイの好奇心を笑って見守るところだろう。だが、今は妙に心配そうだ。
俺はその様子を見ながら、少し考えていた。
ロイをどういう形で受け入れるか。
弟子にしてほしいと言われたが、正直なところ、俺に誰かを一から育てられるほどの腕があるとは思えない。
料理の知識はある。だが、それを教えることと、弟子を取ることは別だ。
俺は立ち止まった。
「リディアさん。ちょっといいですか」
「あ、ああ」
リディアがびくりと肩を震わせた。
「ロイくんのことですが、弟子の件は保留にさせてください」
「そうか……」
ロイが少ししょんぼりする。
「俺に教えられることはありますけど、誰かの師匠になれるほど立派な人間じゃないので」
「そんなことないです!」
ロイがすぐに顔を上げた。
「コータさんの料理はすごいです! おれ、もっといろんなことを教わりたいです!」
「ありがとうな。でも、まずは一緒に料理をして少しずつ覚えていこうか」
俺はロイに笑いかけ、それからリディアを見た。
「そこで、提案なんですけど。飢えた獅子の料理番補佐として、ロイくんを入れるというのはどうですか?」
「……料理番補佐?」
「はい。野営の食事を作るときに、調理の手伝いをしてもらうんです。もちろん、町にいる間も料理の練習はできます」
リディアの顔が曇った。
「パーティに入れるということは、魔物の近くに連れて行くことだ。危険がある」
「補佐ですよ。野営の食事を手伝うだけで、戦闘には出しません」
「でも、旅をする以上は危険がないとは言えないだろう」
「それはそうですね」
俺は頷いた。
「でも、俺も戦闘能力はほとんどありませんよね?危険があるからってロイくんを心配するなら、まず俺をパーティから外すべきなんじゃないですか?」
「それとこれとは話が別だ」
「どう違うんです?」
「コータはコータだからな」
「いや、まったく説明になってませんよ!?」
「お前は大丈夫だ」
「何を根拠に……」
「何がなんでも私が守る」
リディアは当然のことのように頷いていた。
「だから、戦闘に関わることはさせません。魔物が出たら、俺たちの指示に従って安全な場所へ避難してもらいます。無理に冒険者の真似をする必要もありません」
「……」
「それに、リディアさんの弟さんですよ。目の届くところにいたほうが安心ですよね」
リディアはしばらく黙った。
ロイを見る。ロイはノートを抱えたまま、じっと姉を見上げていた。
「姉ちゃん。おれ、ちゃんと気をつけるから」
「……分かった」
リディアは小さく息を吐いた。
「コータがそこまで言うなら、仕方ないな。ただし、ロイ。絶対に無茶はするなよ?」
「うん!」
「コータもだ。ロイのことを頼んだぞ」
「もちろんです」
まだ少し心配そうな顔をしていたが、リディアはそれ以上反対しなかった。
どうやら、俺の言葉を信じて任せてくれるらしい。
「ただし、前線には絶対に出さない。危険な場所では必ず私たちの指示に従う。これは守ってもらう」
「はい! ありがとうございます、師匠!」
「師匠じゃない!」
「ありがとうございます、先生!」
「先生もやめてください!」
「では、コータさん!」
「……それでいいです」
リディアが小さく首を振った。
「仕方ない。師匠でも先生でも、もう好きに呼ばせてやれ」
「やったー!」
ロイは拳を突き上げて、道の上を飛び跳ねた。
師匠を否定していたはずなのに、コータと呼ばれる前にもう諦めている自分がいた。
夜、野営の焚き火を囲んでいると、リディアがふと言った。
「そういえばロイ。お前、町ではどこに住むんだ?」
「え?」
ロイは焼いたパンをくわえたまま固まった。
「宿を取るのか。私と同じ宿に泊まるか?」
「いや、姉ちゃんと同じ部屋は無理だろ」
「なっ」
「起きる時間も違うし、姉ちゃん寝相悪いし」
「寝相は関係ないだろう!」
「あるよ!!とにかく自分で宿を取るよ。見習いとして自分のことは自分でやりたいし」
「……そうか」
リディアはショックを受けた顔でロイを見つめていた。
弟が自立しようとしているのだから喜ぶべきところなのだろう。
だが、どうにも寂しそうだ。
俺は苦笑しながら、別のことを考えていた。
十四歳。
この世界では十四歳でも働くのが当たり前だとは聞いている。
ロイも宿屋の手伝いを始めて何年も経つ。
料理を覚えたいという目的もはっきりしているし、子供扱いするつもりはない。
それでも、初めて訪れる町で、知らない宿に一人で暮らすとなれば心配だ。
それに、ガイゼルとマリエに「頼む」と言われた。
俺はロイに声をかけた。
「ロイくん」
「はい」
「ウチに住まないか?」
焚き火の火がぱちとはぜた。
「……えっ、いいんですか?師匠!」
「師匠はやめろ」
「は?」
低い声がした。
振り返ると、リディアが立ち上がっていた。
「なんでだ!?私だって週三日しか行けないのに、毎日コータに会えるとかずるいじゃないか!」
「はい?」
「私も住むぞ!」
「ダメです!」
即答した。
リディアの目が見開かれる。
「だから、なんでだ!?」
「なんでもです!」
リディアは不満そうに眉を寄せた。頬がほんのり赤くなり、目元にはうっすら涙まで浮かんでいる。
「昨日、父さんと話していて、私のことを守ってくれると言ってたじゃないか!」
焚き火の音だけがした。
「……盗み聞きしてたんですか?」
「……あ」
リディアの顔がとてつもない速さで真っ赤になった。
「あんなデカい声で話してたら聞こえるわ!」
「どこからですか?」
「……」
「どこから聞いてたんですか?」
「……『守ってやってくれ』のあたりから……」
リディアは観念したように白状した。
「それで、孫のあたりで、窓を閉めた」
「ちゃんと聞いてるじゃないですか!」
「な、なんのことだ!孫などという言葉は聞いてないぞ!」
「さっき自分で言いましたよね?」
「言ってない!」
ロイが焚き火の向こうで、目を丸くしていた。
「……姉ちゃん、盗み聞きしてたの?」
「うるさい!」
リディアはマントの裾を握って顔を隠した。
俺も顔が熱かった。だが、ロイの手前、顔に出すわけにはいかない。
「とにかく。住まわせるのはロイくんだけです」
「そんな!」
「料理番補佐として、住み込みです。家は部屋が余っていますから」
「……部屋が余っているなら、私も」
「週三日です」
「……」
リディアはマントの中でぶすっと膝を抱えてしまった。
「……コータのけち」
「これはケチじゃなくて、節度です」
焚き火の向こうで、ロイが若干「姉ちゃん……」と同情するような目をしていた。
……姉の威厳は大丈夫だろうか。
そこで、もう一つ約束しておくことがあった。
「ロイくん。住み込みの料理番補佐として、もう一つ大事な仕事をお願いしたいんです」
「はい! 何ですか!」
「毎日、ある方の料理番もしてほしい」
「ある方?」
「ブレディアさんです」
ロイが固まった。
リディアも顔を上げた。
「……ブレディア様の、料理番ですか?」
「毎日、朝と昼と夜にお供えをしてくれる人がいると助かります。今は全部俺がやっていますから」
「……」
ロイの目が、みるみる潤んでいった。
「おれが、ブレディア様の、料理番に……!?」
「ただし。食い意地の女神様の料理番は大変だぞ?」
ぶうぅん。
荷物の口から光が漏れた。
「……あ」
『だぁれが食い意地の女神ですってぇ?オトクくぅぅん?』
ゲーム機の画面から、女神の顔がじとりとこちらをにらんでいた。
しん。
焚き火の音だけがした。
ロイがものすごい勢いで地面に額をつけた。
「ぶ、ブレディア様ぁぁぁ!おれ、いえ、私、あの、料理番になりますっ!!」
『あらあらあらぁ。よろしくお願いいたしますね、ロイくん!』
「はいっ!ロイですっ!毎朝、一番に祈ってますっ!」
『うふふ。良い子ですねぇ。それに卵焼きも、とってもおいしかったですよぉ』
「あ、ありがたきしあわせっ!」
ロイは地面に額をこすりつけている。
『ではこれから、よろしくお願いしますねぇ!とりあえず今日の夜ごはんは、明太子卵焼きをしてもらいましょうかなぁ』
「ここ野営なんで卵焼き器が……」
『……それなら、仕方ありませんね!』
「はいっ!仕方ありませんっ!」
俺は空を見上げた。
これで、女神様の料理番に弟子が一人加わった。
「……コータ。食い意地の女神って」
「言いましたね」
「言ったな」
リディアが笑いをこらえて肩を震わせていた。
「いや、事実じゃないですか。食べ物の話になると、いつも目の色が変わりますし……」
『聞こえてますよぉぉ!オトクくぅん!あたしは豊穣と食文化の女神ですよ?食べ物を愛することの何が悪いんですか!?』
「悪いとは言ってませんよ?」
『じゃあ、どうしてそんな呼び方をするんですかぁ!』
「日頃の行いですかね」
『むきぃぃ!反省する気がまったくありませんねぇ!』
画面の向こうで、ブレディアが頬を膨らませているのが目に浮かぶ。
隣ではリディアがとうとう我慢できなくなったのか、声を上げて笑い始めていた。
「ふふっ……コータ、女神様を怒らせてしまったな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「私は何も言っていないぞ?」
「さっきからずっと笑ってるじゃないですか!」
『リディアさんも笑ってないでください!信徒なら女神を敬うべきですよ!』
「す、すまない。だが……ふふっ」
『もう!まったくぅ!二人とも反省してください!』
「はいはい。今度から気をつけます」
『絶対に思ってないですよね!?』
「そんなことありませんよ」
『その返事が一番信用できないんですけどぉ!』
ブレディアの抗議はまだまだ続きそうだった。
『いいですか、オトクくぅん!今日の晩ご飯は豪華なのを期待してますからねぇぇ!』
「……結局そこですか」
『当然です!あたしは豊穣と食文化の女神なんですから!信徒からの供物は大切にいただかないといけません!』
「都合のいいときだけ神様らしいことを言いますね……」
『都合のいいときだけじゃありません!いつだって神様です!』
「はいはい」
『はいは一回!』
「はい」
『よろしい!』
どうやら、これで機嫌を直してくれたらしい。
焚き火の向こうでは、リディアがまだ楽しそうに笑っていた。
「コータは女神様にも遠慮がないんだな」
「遠慮しても、お供え物の要求が増えるだけですから」
『聞こえてますよぉぉ!』
また画面の向こうから抗議の声が飛んでくる。
俺とリディアは顔を見合わせた。
二日後の昼過ぎ、ペイペの町の門が見えてきた。
「あれが、師匠のお家がある町……」
「師匠はやめろと言っているでしょう」
「でも、ブレディア様の料理番の先輩ですし」
「……そこは認めます」
ロイは期待に胸を膨らませ、荷物を背負い直した。
その後ろで、リディアが小さく言った。
「……コータ」
「はい」
「週三日は、これまでどおり顔を出す」
「それは今までどおりですね」
「……それと、たまに朝ごはんを食べに行く」
「たまにならいいですよ」
「と、ときどきだからな!」
リディアは顔を真っ赤にして、逃げるように先に歩き出した。
その背中を、俺は黙って見送る。
かばんの中で、ゲーム機がぶるっと震えた。
『ふふふ。面白くなってきましたねぇ』
「黙っていてください」
『あらあらぁ、照れちゃってぇ!』
「聞こえてますよ」
『もちろん聞こえるように言ってますからねぇ!』
俺は小さくため息をつき、リディアの後を追った。
こうして俺たちは、新たにロイを仲間に加え、ペイペの町へと帰っていった。
次回予告
第二十六話 新しい住人は、冷蔵庫から出てくるベッドに絶叫しました
ロイが初めて踏むコータの家。魔力で動くエアコン、お湯が出る蛇口、そして冷蔵庫。
「ここが、師匠のお家……!?」
「師匠はやめろ。というかまずは、部屋のベッドを用意しないとな」
――冷蔵庫の扉が開く。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、ロイがついにコータのもとへやってくるお話でした。
「師匠」と呼び続けるロイと、立場を誤魔化し切れないリディア。
ガイゼルとの夜の会話を窓越しに聞かれていたこともここで明らかになりました。
そして、食い意地の女神様に新しい料理番が増えました。
次回、ロイが初めてコータの家を訪れます。
異世界では見たこともない設備の数々に、どんな反応を見せるのでしょうか。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……マリエさんの焼いたパンも、実はこっそり気になっているそうです。




