第二十四話 陽だまり亭の夜、ガイゼルから娘を頼まれました
その夜。
女神の卵焼き騒動の一日がようやく終わり、陽だまり亭は静けさを取り戻していた。
ミーナは二階で寝息を立てている。
ロイは調理場の隅で卵焼き器を抱えたまま、練習の途中で寝落ちしてしまったらしい。
マリエがそっと毛布をかけてやったそうだ。
リディアは「今日はもう寝る」と言い残し、二階へと消えていった。
俺は裏口の階段に腰かけ、夜空を眺めていた。
町の明かりは遠く、頭上には星がいくつも瞬いている。
昼間の騒がしさが嘘のようだった。
そのとき、背後で扉が開いた。
「ここにいたか」
振り返ると、ガイゼルが立っていた。
腕まくりをしたままで、手には木のコップを二つ持っている。
「一杯付き合わんか。と言いたいところだが、宿の酒は高くてな。そう気軽には出せんのだがな……」
「それなら俺が出しますよ?」
「君のその伝手というやつは、酒まであるのか?」
「ええ、ありますよ」
俺は今朝のチラシを広げた。
卵焼きの面の裏にも特売の情報が載っていたのだ。
【スーパー・マル得 晩酌応援フェア】
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缶ビール350ml 6本パック 1,280円
桃のチューハイ缶(3%) 138円
冷凍枝豆 198円
燻製チーズ 248円
さきいか 178円
フライドポテト 298円
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裏口の脇に専用冷蔵庫を展開し、必要なものを注文する。
取り出したのは、冷えた缶ビールと冷凍枝豆。
それから、つまみになりそうな燻製チーズやさきいかも用意した。
ガイゼルは銀色の缶を見つめ、目を丸くした。
「銀の筒か」
「缶といいます。上のところを引くと開きます」
プシュッ。
小気味よい音とともに、白い泡が立ちのぼった。
「おおっ! 泡が出るのか!」
「冷えているうちにどうぞ」
俺たちは缶を軽く合わせた。
ガイゼルは恐る恐る一口飲み、しばらく口の中で味わってから、長く息を吐いた。
「……うまい。こいつは効く」
「枝豆と合いますよ」
「ほう。どれ」
俺が差し出した枝豆を一つ口に放り込むと、ガイゼルは満足そうに頷いた。
「なるほど。こいつは酒が進むな」
夜風が涼しかった。
酒が進むにつれて、自然と話も弾んだ。
王都のギルドで起きた騒動。ガルボアを倒したときの話。そして、モウ村でヒヨコたちに振り回された話。
俺が旅先での出来事を話すたび、ガイゼルは豪快な笑い声を上げた。時には手を叩き、時には腹を抱え、まるで自分もその場にいたかのように楽しんでいる。
「それで、あの子が頭にヒヨコを乗せて固まっていたのか。見たかったぞ!」
「それはもう、見事な石像でしたよ。声をかけても身動き一つしませんでしたから」
「ガハハハ!普段はあれだけ威勢がいいのにな!」
「本人は必死だったんですけどね」
「そうだろうなぁ。あいつは昔から、予想外のことが起きると妙なところで意地を張るんだ」
ガイゼルは笑いながら、空になりかけた缶を傾けた。
ひとしきり笑ったあと、彼は缶を手の中でゆっくりと回した。
先ほどまでの賑やかな表情が少し落ち着き、どこか懐かしむような目で夜空を見上げる。
「小さい頃のあの子はな。兄貴の背中ばかり追いかけていた」
「お兄さんですか?」
「ああ。アルフという。今は領都の騎士団にいる」
ガイゼルは懐かしそうに目を細めた。
「アルフが木の枝を剣みたいに振り回していると、あの子もすぐに真似をするんだ。自分の背丈ほどもある枝を引きずってきてな。最初は持ち上げることすらできなかった」
「それでも、真似をしていたんですね」
「そうだ。兄貴の後ろをついて回って、同じように剣を振ろうとしては転んでいた。膝を擦りむいて泣くこともあったが、少しするとまた枝を拾い上げるんだ」
ガイゼルは小さく笑った。
「心配して手を貸そうとすると、決まって手を振り払ってな。『自分でできる』と言って聞かない。転んでも、転んでも、最後には必ず『もう一回』と言うんだ」
「想像できます」
「だろう?あの負けず嫌いなところは、あの頃から何も変わっていない」
俺は思わず笑った。
確かに、リディアならそう言いそうだ。冒険者として旅をしている今も、困難にぶつかれば簡単には引き下がらない。
「兄貴が騎士団に入ると、今度は自分も騎士になると言い出してな。『私も強くなる』と、目を輝かせていたよ」
「それで剣の道に進んだんですね」
「ああ。もちろん、最初は反対した。女の子なんだから、もっと別の道もあるだろうとな。だが、あいつは一度決めたら絶対に曲げない。どれだけ説得しても、首を縦に振らなかった」
ガイゼルは缶を傾け、喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「まったく、昔から頑固な子だ」
そう言いながらも、その口元には娘を思う父親らしい笑みが浮かんでいた。
きっと、反対したことを今でも少し後悔しているのだろう。
それでも、娘が自分の意志で選んだ道を歩いていることを、誇らしく思っているように見えた。
「今でも、あいつが帰ってくるとつい昔のことを思い出す。あんなに小さかった子が、今では大剣を担いで世界中を旅しているんだからな」
「立派になりましたね」
「ああ。立派になったよ」
ガイゼルはそう答え、空になった缶を見つめた。
しばらくの間、俺たちは静かな夜風に吹かれていた。
「ところで」
ガイゼルがこちらを向いた。声の調子が、ほんの少し変わった。
「コータ君。うちの娘のことを、どう思っ――」
ぶうぅん。
荷物の口から、あの嫌な光が漏れた。
「あ」
『オトクくぅぅぅん!!!お酒の匂いがしますぅぅぅ!!!』
画面いっぱいにブレディアの顔が映った。
「ぶ、ブレディア様!?」
ガイゼルが缶を持ったまま階段から飛び降り、地面に膝をついた。
「どうして俺が酒を飲む夜に限って、こうなるんですか……」
『あたしは豊穣と食文化の女神ですよぉ!お酒の匂いは神界の端まで届きますぅ!』
女神様は画面の向こうで、鼻をひくひくさせている。
『それにぃ!おつまみもありますねぇ!あたしにも寄越しなさぁい!』
「お酒は強いんですか?」
『えっとぉ……甘くて度数が低いのがいいですぅ。あんまり強いと、ふにゃふにゃになっちゃうのでぇ』
「めっちゃ弱いじゃないですか……」
俺は桃のチューハイとフライドポテト、燻製チーズを画面の前に置いた。
品物は淡い光に包まれ、次々と消えていく。
『ぷはぁ!ももぉ!甘いぃ!しゅわしゅわぁ!』
「ははーっ。ありがたきお言葉……」
ガイゼルは地面に膝をついたまま、缶ビールを両手で捧げ持っていた。
「ガイゼルさん。座って飲んでください」
「し、しかし、ブレディア様の御前で……」
『いいですよぉ。座っちゃってぇ。ガイゼルさんでしたっけ。いつも祈ってくれてありがとうございますぅ!!』
「もったいない!」
「座ってください」
結局、ガイゼルは背筋をぴんと伸ばした正座で缶ビールを飲み始めた。
女神様はすっかり上機嫌だった。
陽だまり亭で毎朝祈りを捧げていることや、ミーナが毎朝ブレディア像に「おはよう」と声をかけていることを、ガイゼルが緊張しながらも丁寧に語る。
『へえぇ。ミーナちゃん、かわいいですねぇ』
「ありがたきお言葉」
『ロイくんの卵焼きもぉ、さっきおいしくいただきましたよぉ。ごちそうさまでしたぁ』
「あ、ありがとうございます!」
ガイゼルの隣で、ロイがいないのを残念がるように目を細めた。
そのうち、画面の中のブレディアの目が、とろんとしてきた。
『ふわぁ……ももがおいしくてぇ……ねむぃ……』
「ブレディア様?」
『んん……ポテトぉ……もういっこぉ……』
『……ぐぅ』
三十分も経たないうちに、画面の中の女神は机に突っ伏し、すうすうと寝息を立て始めた。
「……寝ましたね」
「……寝られましたな」
俺はそっとゲーム機に布をかけた。
意味はあるのかはわからないが、なんとなくだ。
ガイゼルは正座したまま、まだ背筋を伸ばしている。
静かになった夜の裏口で、ガイゼルは缶ビールをゆっくりと飲み干した。
「コータ君」
「はい」
「君は何者だ」
声は穏やかだった。だが、ガイゼルの目はこちらをまっすぐに見ている。
「ブレディア様とあれほど気安く話せる者を、私は知らん。君が持ってきた肉や卵のことも、ただの伝手ではないのだろう」
言い訳をしようと思えばできた。
だが、この人は娘の仲間である俺を何も聞かずに泊め、宿の貴重な肉まで焼いて振る舞ってくれた人だ。
そんな相手に、いつまでも隠し事をするのは気が引けた。
俺は深呼吸した。
「ガイゼルさん。実は、俺は転生者なんです」
「転生者……」
「別の世界で死んで、ブレディアさんの手でこの世界に送られました。そのときに特典として受け取ったのが、これです」
懐から一枚の紙を取り出した。
『スーパー・マル得 今週の大特売!』
「……紙か」
「特売チラシです。載っている商品を、この世界のお金に換算して安く買えるんです」
「安く?」
「卵が十個で百五十ペイとか」
「……」
「……」
長い沈黙のあと、ガイゼルの肩が震え始めた。
「ぶ、ぶはっ」
「ガイゼルさん?」
「ガハハハ!特売チラシ?よくわからないが君がとんでもないヤツというのはわかった!!」
「声が大きいです」
「いや、すまん!だがそうか。それで卵が。肉が。あの唐揚げが!」
笑い涙を拭いながら、何度も頷いている。
「合点がいった。だが、納得もした。リディアや冒険者仲間のあの子たちが君を囲い込もうとする理由もな」
「バレてました?」
「見ていれば分かる」
ガイゼルは笑いを収め、真剣な顔に戻った。
「秘密は守る。女神様に誓ってだ。家族にも決して漏らさん」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
ガイゼルは空き缶を脇に置き、背筋を正した。
「コータ殿。折り入って頼みがある」
先ほどまでの笑顔が消えていた。
低く、真剣な声だった。
俺も思わず背筋を伸ばす。
「あの子を、リディアを守ってやってくれ」
「守る、ですか?」
「ああ。冒険者として魔物から守ってほしいという話ではない」
ガイゼルは夜空を見上げた。
「あの子は強い。豪快で、何でも食べて笑い飛ばす。どんな相手にも臆せず立ち向かう。周りからは、悩みなんてなさそうに見えているだろう」
「確かに、そういう印象はありますね」
「だが、本当は違うんだ」
ガイゼルは一度言葉を切り、膝の上で両手を組んだ。
「あの子は昔から、弱いところを人に見せるのが苦手でな。何かあっても自分で何とかしようとする。苦しくても、つらくても、平気な顔をしてしまうんだ」
「リディアさんが……?」
「以前、手紙をもらったことがある。そこに、こんなことが書いてあった」
ガイゼルの声が、わずかに沈む。
「『私は力しか取り柄がない』とな」
「……」
「冒険者として強くなることに、ずっと一生懸命だった。だが、あの子は自分のことをそういうふうにしか見られないらしい。剣を振るうこと以外、自分には何もないと思い込んでいる」
ガイゼルは悔しそうに唇を結んだ。
「親としては、そんなことはないと言ってやりたい。あの子には良いところがたくさんある。豪快に笑うところも、困っている人間を放っておけないところも、仲間のためなら真っ先に動くところもな。だが、俺が何を言っても、あの子は素直に受け取らん」
「どうしてでしょう……」
「自分が弱いと思われるのが嫌なんだろう。心配をかけたくないという気持ちもあるのかもしれん。だから、泣き言を言わない。助けを求めない。何でも一人で抱え込んでしまう」
ガイゼルは握った手に力を込めた。
「俺たちの前では、いつも元気な顔をしている。帰ってくれば笑って飯を食い、何でもないように旅の話をする。だが、あの子が本当に何も悩んでいないのか、俺には分からん」
その言葉を聞いて、胸の奥にふと映像がよみがえった。
毒キノコを食べた朝。
いつもの豪快な姿とはまるで違う、ふわふわした声で甘えてきたリディア。
『めいわくだよねぇ』
そう言って、涙をこぼした顔。
普段なら絶対に口にしないような弱音を、あのときの彼女は隠すこともできずに吐き出していた。
あれは毒キノコの影響だった。
けれど、あの言葉まで嘘だったとは思えない。
自分が周りに迷惑をかけているんじゃないか。
自分なんかが一緒にいていいのか。
そんな不安を、ずっと心の奥に抱えていたのかもしれない。
「ああ見えて、あの子は強がりなんだ」
ガイゼルは俺の顔を見つめた。
「だから、無理に強くあろうとするあの子を、時には笑って受け止めてやってほしい。弱音を吐いてもいい。失敗してもいい。そう思える相手が必要なんだ」
「……でも」
俺は少し考えてから答えた。
「守られているのは、むしろ俺のほうです……」
「ほう」
「魔物の前では、いつもリディアさんが一番前に立ってくれます。危険があれば真っ先に飛び出して、俺を守ってくれる。俺は戦うこともできませんし、ただ飯を作っているだけで……」
「それでいい」
ガイゼルは静かに笑った。
「お前さんは、あの子に飯を作ってやっているんだろう?」
「はい」
「それだけでいいんだ。あの子が強い冒険者でいなければならないときだけじゃなく、ただのリディアとしていられる時間を作ってやってほしい」
「ただのリディア……」
「ああ。剣を振るわなくてもいい。誰かを守らなくてもいい。無理に笑わなくてもいい。そういう時間が、あの子には必要なんだと思う」
ガイゼルは俺の肩に大きな手を置いた。
「飯を作って、一緒に食べて、笑って、何でもない話をしてやってくれ。あの子にはそれが一番の薬だ」
「……」
「コータ君なら、娘を任せてもいい!」
夜風が頬を撫でた。
「娘を笑顔にしてやってくれ。幸せにしてやってくれ。頼む!」
父親の頭が下がった。
熊のような大男が、俺の前で深々と頭を下げている。
その姿を見て、俺はすぐに言葉を返すことができなかった。
きっと、ガイゼルはずっと心配していたのだろう。
娘が冒険者として強くなることを応援しながらも、その強さの陰で何かを我慢しているのではないかと。
遠く離れた場所で、無理をしているのではないかと。
親だからこそ、気づいてしまうことがある。
そして、親だからこそ、そばにいられないことがもどかしいのかもしれない。
けれど、返事は考えるまでもなく決まっていた。
「……リディアさんの笑顔は、俺にとってかけがえのないものです」
自分の声が、思ったよりも真剣に響いた。
「いつも俺を守ってくれている彼女に、俺ができることは多くないかもしれません。でも、彼女が無理をしているときは気づいてあげたい。つらいときには、そばにいてあげたいと思っています」
俺はガイゼルの目を見た。
「……幸せにします」
ガイゼルが顔を上げた。
目の縁が赤い。唇がかすかに震えている。
「……うむ」
短い返事だった。
長い沈黙があった。
頭上では星が静かに瞬いている。
そして。
「では、さっそくだがな」
「はい」
「孫の顔が見たい」
「ぶっ!?」
飲みかけのビールが鼻に入った。
「げほっ!ごほっ!ガイゼルさん!?」
「ガハハハハ!冗談だ!半分はな!」
「半分って何ですか!」
「残り半分は本気だ!」
夜の裏口に、熊のような男の笑い声が響き渡った。
布をかけたゲーム機の中から、くぐもった寝息が聞こえた。
『……むにゃ……ポテト……』
夜は静かに更けていった。
二階の窓のカーテンが、少しだけ揺れた気がした。
次回予告
第二十五話 帰る朝、弟のロイがと弟子にしてくださいと言い出しました
陽だまり亭での最後の朝。ロイが荷造りを済ませて玄関に立っていた。
「おれを、弟子にしてください!」
ガイゼルとマリエは顔を見合わせる。
――料理番に、生まれて初めての弟子ができるかもしれない。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、ガイゼルとコータが二人で飲む夜のお話でした。
ブレディア様に正座で酒を飲むガイゼル。そして、コータの転生者という秘密と、特売チラシの正体。
笑いに包まれた夜でしたが、後半は父親としての真剣な頼みごとが胸に残る回になりました。
そしてコータの返事は、もうかなり踏み込んでいます。最後の「孫」で全部持っていかれましたが。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……桃のチューハイは、おかわりも歓迎だそうです。




