第二十二話 リディアの両親が、思った以上に明るく気さくでした
アメクス領へ向かう街道は、思っていたより穏やかだった。
歩いて二日。
馬車を使えばもっと楽なのに、リディアが「二人で歩いて行きたい」と言い張ったのだ。
最初は、せっかくの帰省だから景色を楽しみたいのかと思った。だが、道中の彼女はいつもより口数が少なく、時折こちらの様子をうかがっては、何か言いかけて口を閉じている。
「……理由は聞かないでくれ」
「聞いてません」
「聞きたそうな顔をしている」
「してません」
そう返すと、リディアは気まずそうに前を向いた。
背中の大剣が、妙にそわそわと揺れている気がした。本人は平静を装っているつもりなのだろうが、歩く速度が少し速くなったり、急に遅くなったりと、落ち着かない様子が伝わってくる。
普段の彼女なら、どんな相手にも物怖じしない。魔物を前にしても堂々としているし、仲間たちといるときも遠慮なく自分の意見を口にする。
それなのに、今日はどうにも様子がおかしい。
家族に会わせるのが恥ずかしいのか。それとも、何か別の心配事でもあるのだろうか。
理由を尋ねても答えてくれそうにない。今は無理に聞かず、彼女の歩幅に合わせて進むことにした。
どうやら、家族に会わせるというだけでも彼女なりに思うところがあるらしい。
出発の前の晩、リディアが一通の手紙を見せてくれた。
『姉ちゃんへ。おれ、料理人になりたい。宿のごはんをもっとおいしくしたい。でもどうやって勉強したらいいか分からない。姉ちゃんの仲間に料理がうまい人がいるって言ってたよね。教えてもらえないかな。ロイより』
字は少し乱れていた。
何度も書き直した跡がある。
「弟のロイだ。十四になった」
「いい手紙ですね」
「だから、ピッタリな人を連れて行くことにした」
リディアは前を向いたまま言った。耳が赤い。
「俺ですか」
「お前以上の人材はいない」
そう言われると断れない。
野営の夜に豚汁を作ると、リディアは三杯おかわりして「父さんの宿でも食べさせたい」とこぼした。それから慌てて「いや、弟にだ」と付け足していた。
その様子を思い出すと、今回の帰省はロイのためだけではなく家族に俺を紹介したいという気持ちもあるのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、二日目の夕方を迎えた。
丘を越えると、小さな町が見えた。
石畳の通りの突き当たりに古い木の看板が揺れている。
『陽だまり亭』と書いてあった。
「ここだ」
リディアが立ち止まった。大きく息を吸って吐いて、もう一度吸う。
「緊張してますか」
「してない」
「手が震えてますよ」
「武者震いだ」
魔獣の前でもそんな顔はしないくせに。
リディアは意を決して扉を叩いた。
「父さん。私だ。帰ったぞ」
扉が勢いよく開いた。
出てきたのは熊のような大男だった。
腕まくりをして頭にはタオル。リディアと同じ金髪を短く刈り込んでいる。
「おお!リディア!よく帰っ――」
言葉が止まった。
父親の視線がリディアの後ろに立つ俺へ移る。
頭から足までをゆっくり確かめて、またリディアを見て、もう一度俺を見た。
沈黙。
「あの、初めまして。コータと――」
「母さぁぁぁぁん!!!」
家が揺れた。
「リディアが恋人連れてきたぞぉぉぉ!!宴会だぁぁぁっ!!」
「ち、違う!父さん!」
「違います!」
俺とリディアの声が重なった。
しかし、父親にはまったく届いていない。
奥から女性が駆けてきた。
リディアに似た顔立ちで、手にはお玉を持っている。
母のマリエだった。
「まあまあまあ!あらあらあら!」
お玉を握ったまま俺の両手をがっしりつかむ。
「ウチの娘をよろしくお願いします!」
「あ、あはは……」
笑うしかなかった。
「だから違うんだ母さん!この人は仲間で!」
「仲間!いい響きね!」
「そうじゃなくて!」
「照れるな照れるな!」
父のガイゼルがばしばしとリディアの肩を叩く。そのたびに、鎧がガシャンガシャンと音を立てた。
「男を連れて帰るなんて、おまえにもそんな日が来たんだなあ!」
「だから違うと言っているだろう!」
「お姉ちゃんが彼氏連れてきたー!」
二階の窓から少女が顔を出して叫んだ。妹のミーナだ。十二歳。金髪を二つに結んでいる。
「ミーナ!やめろ!」
「みんなに言ってくるー!」
「待てええええ!」
窓が閉まる音。階段を駆け下りる音。扉から飛び出していく足音。
遠くで「リディアお姉ちゃんが彼氏連れてきたってー!」と叫ぶ声が聞こえた。
……終わった。
町中に広まるのは時間の問題だった。
三十分後、陽だまり亭の食堂は人であふれていた。
きっかけは、ミーナが町中に駆け出していったことだった。
どうやら彼女は、姉が恋人を連れて帰ってきたという話を近所の人たちに片っ端から広めてしまったらしい。
最初にやって来たのは、店の常連らしい年配の夫婦だった。
続いて近所の商店主や、仕事帰りの職人たちまで顔を出し始める。
普段から陽だまり亭を利用している人たちばかりなのだろう。
誰もが勝手知ったる様子で席に着き、ガイゼルやマリエに声をかけている。
その話題は、もちろん俺とリディアのことだった。
「いやあ、リディアちゃんがついに連れてきたのか!」
「おめでとう!お似合いじゃないか!」
「いつから付き合ってるんだい?」
誰もが「おめでとう」と言いながら、まるで祭りでも始まるかのような勢いで席に着いていく。
どうやら、町の人たちにとってリディアは昔からよく知られた存在らしい。
そんな彼女が男性を連れて帰ってきたとなれば、一大ニュースなのだろう。
そして、本人たちは否定する暇すら与えてもらえない。
「本当に違うんです」
俺は食堂の奥の席で、何度目かの弁明をしていた。
「リディアさんとはただの仲間で、一緒に冒険者をしているだけなんです」
「そうかそうか!」
向かいに座った近所のおじさんが、満面の笑みでうなずく。
「で、いつ結婚するんだ?」
「全然聞いてないじゃないですか!」
どうしてそうなるんだ。
説明しているはずなのに、なぜか話が一歩も前に進まない。むしろ、俺が否定すればするほど、おじさんの笑顔が深まっていく。
「若いんだから、恥ずかしがることはないぞ!」
「いや、恥ずかしいとかじゃなくてですね……!」
隣ではリディアが顔を真っ赤にして、両手で顔を覆っていた。
いつもなら、こういう場面でも豪快に笑い飛ばしそうな彼女だが、今日はまるで別人だ。周囲から祝福の言葉が飛んでくるたびに肩を小さく震わせ、顔を上げようともしない。
「……穴があったら入りたい」
その声は、両手の隙間からかすかに漏れていた。
そんな俺たちの様子を、母のマリエは厨房と食堂を行ったり来たりしながら、始終笑顔で眺めている。
助けてくれる気配はない。
むしろ、楽しんでいるようにさえ見えた。
「コータくん。好きな食べ物は?」
「え、ええと。なんでも食べます」
「まあ、好き嫌いがないのね。いい子だわ!」
料理を運んできたマリエが、今度は俺の向かいに腰を下ろした。
「それじゃあ、趣味は?」
「お料理です」
「まあ素敵! うちの子と気が合うわね!」
うちの子って、リディアのことだよな?
確かに彼女も料理はするらしいが、俺と気が合うという話にどうつながるのかはわからない。
「ほかには? 好きなものとか、得意なこととか」
「ええと……」
質問に答えるたび、マリエは嬉しそうにうなずき、隣にいるリディアをちらりと見る。その視線には、娘の新しい一面を見つけた母親のような温かさがあった。
何を聞かれても好意的に受け取られる。
否定しても聞き流される。
しかも、否定すればするほど周囲の笑顔が深まっていく。
食堂のあちこちから、祝福や冷やかしの声が飛び交っていた。
逃げ場がない。
どうやら、この町では俺たちの説明よりも二人が並んで座っているという事実のほうが重要らしい。
そして何より厄介なのは、リディアも俺と同じくらいこの状況から逃げ出したがっていることだった。
やがて食堂の中央に、ガイゼルが大きな皿を運んできた。
「今日はとっておきを出すぞ!」
皿の上には、手のひらほどの小さな肉が一枚だけ載っていた。
焼き目をつけた豚肉だった。
「……」
俺は思わず口を閉ざした。
この世界で豚肉は百グラムで五十万ペイ。
小さな宿屋にとって、これが精いっぱいのもてなしなのだと分かった。
それに、皿を運ぶ父親の太い指が、ほんの少し震えていた。
「娘の大事な人が来てくれたんだ。これくらいはさせてくれ」
「……ありがとうございます」
声が詰まった。
この人たちは、手持ちの全部を出して祝おうとしている。
誤解だと言い続けるのが、だんだん申し訳なくなってきた。
「あの、ご主人」
「ガイゼルでいい!」
「ガイゼルさん。手土産を持ってきたんです。厨房をお借りしてもいいですか」
「おお!何を作ってくれるんだ!」
厨房の隅で専用冷蔵庫を展開し、今朝のチラシを開いた。
【スーパー・マル得 地域応援大特売!】
━━━━━━━━━━━━━━
鶏もも肉1kg698円
フライドチキン用粉198円
キャベツ1玉198円
レモン3個入り198円
━━━━━━━━━━━━━━
これなら、集まった町の人たち全員に振る舞っても、数千ペイで済む。
鶏肉に下味をつけ、粉をまぶして揚げていく。
じゅわあ、と油の音が厨房に響き、香ばしい匂いが食堂まで流れていった。
「……何だ、この匂いは」
食堂のざわめきが静まっていく。
さっきまで騒がしかった人たちが、そろって厨房のほうを向いている。
黄金色に揚がった唐揚げを大皿に山盛りにして運ぶと、誰かが息をのむ音がした。
「……鶏肉が、こんなに」
「食べてみてください」
最初に手を伸ばしたのはガイゼルだった。ひと口かじって、動きが止まる。
「…………」
「どうですか」
「……うまい」
低い声だった。
「うまいぞ!母さん!これはうまい!」
「あらまあ!」
マリエも頬張って目を丸くした。
「皮がぱりぱり!中はじゅわっとしてる!」
その一言を合図にしたように、宴会の食堂が一気にわいた。
おじさんもおばさんも子供たちも、争うように皿へ手を伸ばしていく。
「これ、鶏肉なのか!?」
「こんな料理は初めてだ!」
「もう一個もらっていいかい?」
あっという間に大皿の唐揚げが減っていく。
リディアはそんな様子を見ながら、小さく笑っていた。
「……やっぱり、コータの飯は最高だな!」
「ありがとうございます」
「あ、いや。その。弟にも食べさせたくて」
「分かってますよ」
そう言って笑い返すと、リディアは少しだけ安心したように表情を緩めた。
食堂の入口に、一人の少年が立っていた。
金髪の短髪で背は俺と変わらないくらい。
目をまんまるに見開いて、俺の手元をじっと見ている。
弟のロイだ。
宴会が終わったのは夜が更けてからだった。
片付けが終わって静かになった食堂で、ロイは落ち着かない様子で椅子に座っていた。
手には、くたびれたノートを握っている。
「あの、ロイです。手紙、読んでもらえましたか?」
「読みましたよ」
俺がそう答えると、ロイはぱっと顔を上げた。
「ほ、本当ですか」
「はい。きれいな字でした」
「何回も書き直したんです」
「そんな感じがしました」
ロイは少し照れて、それから真剣な顔になった。
「おれ、料理人になりたいんです!!」
「どうして?」
「……うちの宿のごはん、毎日干し肉と豆のスープなんです」
ロイはノートの表紙を指でなぞった。
「お客さんは文句を言わない。けど、『こんなもんだよな』って顔で食べるんです。それが悔しくて」
「悔しい?」
「おれは、お客さんが笑って食べるごはんを作りたい!!」
言葉は、まっすぐだった。
「でも食材も高いし。教えてくれる人もいない。父さんも母さんも宿の仕事で手いっぱいで」
ノートを開くと、びっしりと文字が書いてあった。
味の工夫。香辛料の使い方。町の人から聞いた料理の話。
ところどころに料理の絵も描かれている。
うまく描けているものもあれば、何を描いたのか分からないものもあった。
「ひとりで、ここまで……」
「はい。でも、これ以上は分からなくて」
ロイの目に、うっすらと涙がにじんでいる。
それでも、ノートを握る手には力がこもっていた。
俺はノートをそっと閉じて、少年の目を見た。
「ロイくん」
「はい」
「俺は、君のお姉さんの料理番をしています」
「はい。姉ちゃんの手紙にそう書いてありました」
「教えられることは、あまり多くありません。でも、一緒に作ることはできます」
「……!」
ロイの顔が、ぱあっと輝いた。
金髪が揺れる。リディアそっくりの笑顔だった。
「明日の朝、厨房で卵を焼いてみましょうか」
「卵!?卵なんて、一個で――」
「俺にはちょっとした伝手があるので!」
「ありがとうございます!」
ロイは立ち上がって、勢いよく頭を下げた。
その声を聞いて、食堂の入口にいたリディアがこちらを向いた。
腕を組んで見ていた彼女と目が合う。
リディアは小さくうなずいた。それからすぐに顔をそらした。
「……ありがとう」
聞こえるか聞こえないかの小さな声だった。
その一言だけで、今回ここまで来た意味は十分にあった気がした。
「さて!」
ガイゼルが食堂に入ってきた。
「二人とも今夜は泊まっていけ!部屋は用意してある!」
「ありがとうございます」
「リディアの部屋でいいな!」
「別々です!!」
「別々だ!!」
俺とリディアの声が、また重なった。
マリエがくすくすと笑っていた。
どうやら、誤解を解くのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
次回予告
第二十三話 弟の料理修行は、まず卵を割るところから始まりました
翌朝の厨房。ロイの小さな手が、初めて卵を握る。
「割れない……!」
「力は入れすぎなくていいんですよ」
――小さな宿屋に、新しい味が生まれようとしていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、リディアの実家「陽だまり亭」を訪れるお話でした。
一目見るなり恋人と勘違いする父ガイゼルに、「ウチの娘をよろしくお願いします!」と迫る母マリエ。明るくて気さくなご両親にコータも大わらわです。
そして本題の弟ロイ。
料理人を目指す真剣な姿は、どこか姉に似ていましたね。
次回は、ロイの料理修行が始まります。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……唐揚げは、レモンを添えると喜ばれるそうです。




