第二十一話 ビデオを見た日から、リディアが約束の日になっても来ません
月曜日。
玄関の前には誰もいなかった。
念のため扉を開けて外を見回したが、どこにも金色の頭は見えない。
「あ、おはよう、コータくん」
少し遅れてフィーナが顔を出した。
後ろにはセレスティアとカイルもいる。
三人だけだった。
「リディアさんは?」
「うん。あのね」
フィーナは気まずそうに頬をかいた。
「宿の部屋から出てこないの。ご飯は扉の前に置いておくと食べているみたいなんだけど」
「……ビデオのせいですか」
「そうね」
セレスティアが静かにうなずいた。
「自分の姿が記録されていると、はっきり自覚したみたい。しばらくは誰の顔も見られないそうよ」
「誰のせいですか」
「私ね」
素直なのはいいが、少しは反省してほしい。
カイルが小さく咳払いした。
「悪気はなかったと伝えてある。そのうち出てくるだろう」
三人は昼ご飯を平らげて帰っていった。
火曜日。水曜日。
同じ光景が続いた。
三人は来る。リディアは来ない。
約束の日が終わっても、週末が過ぎても、炊飯器のご飯が一合ずつ余る日々が続いた。
気づけば台所の棚には、四人分の茶碗を出す癖がついていた。
ビデオカメラ事件から九日目の朝。
約束の日ではなかった。
洗濯物を干していると、玄関の戸が控えめに鳴った。
こん、こん。
三人なら遠慮なく扉を叩く。
こんな叩き方はしない。
開けると、鎧姿のリディアが立っていた。
大剣を背負い、背筋をぴんと伸ばし、なぜか視線だけは斜め上の空を向いている。
「…………おはよう」
「お、おはようございます」
沈黙。
「その、近くを通りかかってな」
「ここは町外れの郊外ですよ?」
「……知っている」
ぐぅぅぅぅ。
「…………」
「…………」
「入りますか」
「……ああ」
リディアはロボットのような動きで玄関をまたいだ。
居間のソファに座ったリディアは、背筋が石像のようだった。
俺は温かいお茶を出して、向かいに腰を下ろした。
目が合いかけては、二人そろってそらす。
「……いい天気ですね」
「そうだな」
「…………」
「…………」
お茶をひと口。
「風が、少し冷たくなりましたね」
「ああ」
目が合った。
リディアの顔がみるみる赤くなる。
つられて俺の顔も熱くなった。二人とも慌てて湯呑みに顔を隠す。
時計の針の音だけが聞こえる。
このままでは、あと三十分もすれば二人とも恥ずかしさで蒸発してしまいそうだ。
そのときだった。
ブゥゥゥン。
居間のテレビが勝手に光った。
『もう見ていられません!!』
画面いっぱいにブレディアの顔が映った。
『さっきから無言で赤くなってぇ!見てるこっちが恥ずかしくなりますぅ!!』
「ブ、ブレディア様!?」
リディアが慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
『頭は下げなくていいですぅ。それよりお腹がすきましたぁ!!』
「結局そこですか」
『オトクくぅん!お寿司がいい!!お寿司ぃ!!』
「寿司ですか……」
『神界の雑誌に載ってました!お魚をご飯にのせて!そのまま食べるやつですぅ!!』
簡単に言ってくれる。
だが俺はため息をつきながら、今朝のチラシを広げた。
【スーパー・マル得 週末のごちそうフェア】
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お寿司パック 握り十貫 通常1,298円のところ 特価998円
海鮮ちらし寿司 698円
いなり寿司 398円
鶏の唐揚げ 100gあたり198円
フライドポテト 298円
ポテトチップス大袋 128円
コーラ1.5L 168円
プリン 3個入り 198円
シュークリーム 4個入り 298円
バニラアイス 2個入り 258円
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「あった」
『あったんですか!?』
「はい。ちょうど特価です」
寿司パックが九百九十八円。
前世の俺なら、スーパーの特売でも高いと渋っていたはずだ。
値段だけで冷蔵コーナーの前を三往復していただろう。
だが今は違う。
この世界での金銭感覚に照らせば、迷うような値段ではなかった。
俺は十パック購入した。
リディアと駄女神だ、絶対に三パックでは足りないだろう。
テーブルに並んだパック寿司を前に、リディアが固まっていた。
「……これは、魚か?」
「はい。生の魚です」
「生?」
「新鮮なうちにご飯の上にのせて食べるんです。海の近くの国の料理ですね」
リディアは慎重に箸を握った。スプーンではなく、今日は箸に挑戦するらしい。
「サーモンからいきましょう。くせがなくて食べやすいですから」
醤油を少しだけつけて、リディアは口へ運んだ。
数秒の沈黙。
「…………」
目が大きく見開かれた。
「…………!?」
「どうですか」
「口の中で、溶けた」
「それが脂です」
「ご飯と、酸っぱくて、甘くて、魚が……!」
うまく言葉にならないらしい。
リディアは次のマグロに手を伸ばし、さらに玉子へ進み、エビで感動して箸を止めた。
その横の画面では、ブレディアが寿司をほおばっていた。
『…………!!』
頬が膨らんでいる。
次の瞬間。
『おしゅしおいしいぃぃぃぃ!!!』
居間が揺れた。
俺とリディアは同時に画面を見て、それから互いの顔を見た。
「……ぷっ」
リディアの口元がぴくぴくと震えた。
「ははっ……あはははは!ブレディア様、おしゅしって!」
「噛みましたね」
『か、噛んでません!!あたしはちゃんとお寿司って言いましたぁ!!』
「いや、今はっきり『おしゅし』って…………」
「聞こえましたよ?しっかりと」
『二人してぇぇぇ!!あたしは豊穣と食文化の女神ですよ!?お寿司くらい正しく言えますぅ!!』
「では、もう一度どうぞ?」
『お、おしゅ……っ!ち、違いますぅ!今のはぁ、舌が滑っただけですぅ~!!』
「ふっ……くくっ!」
リディアがとうとう腹を抱えた。
「ブレディア様……お顔が真っ赤ですよ?」
『赤くありませんっ!!これは神々しい光なんですぅ!!』
「神々しい光って、顔にも出るんですね」
『オトクくんめぇぇぇ!!!』
画面の中でブレディアが頬を膨らませた。
その顔がまたおかしくて、俺もこらえきれずに吹き出した。
「はははっ!すみません、でも……!」
『笑わないでくださいぃ!あたしは今ぁ、真剣にお寿司を味わっているんですぅ!』
「分かった、分かった!もう言わないから!」
「そうだぞ、コータ。女神様をからかうのはよくないぞ……ふふっ……」
そう言いながら、リディアはまだ肩を震わせていた。
「リディアさんも笑ってますよね?」
「……わ、笑ってなどないです!」
「いや、どう見ても笑ってますって!」
「……ふふっ、だって、おしゅしって……!」
『もぅ!!!リディアさんまでぇ!!!』
結局、ブレディアが抗議の声を上げるほど、俺たちの笑いは止まらなくなった。
さっきまで、何を話せばいいのかすら分からなかった。
目が合うだけで顔が熱くなり、言葉を探しては沈黙する。そんな気まずさが、今はどこにもない。
ひとしきり笑ったあと、リディアは目尻に浮かんだ涙を指でぬぐった。
「……はぁ。こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「俺もです」
リディアは少しだけ表情を曇らせた。
「……すまない。ずっと避けていた」
「いえ。俺も同じようなものでした」
「でも、私は……あの映像を思い出すたびに、どうしても顔を合わせられなくてな」
「……あれは、まあ……俺も、ちょっと恥ずかしかったですし」
「ちょっと?」
「……かなり」
「そうか」
リディアは申し訳なさそうに肩を落とした。
「本当にすまない。コータにも迷惑をかけた」
「迷惑なんて思ってませんよ。来てくれて、うれしかったですし」
「……っ」
リディアの顔が、また赤くなった。
しまった。今のは少し恥ずかしいことを言ったかもしれない。
慌てて話題を変えようとしたところで、リディアが小さく口を開いた。
「あの日のことは、その……忘れてくれ」
「無理です。録画されてますから」
「だからそれを言うな!」
リディアが勢いよく立ち上がった。
「セレスティアのやつ……!あの記録さえなければ……!」
「いや、俺に怒られても……」
「コータも見ただろう!?」
「見ましたけど!」
「なら忘れてくれ!」
「無茶言わないでください!」
再び俺たちの笑い声が居間に響いた。
今度は、どちらも目をそらさなかった。
そこへ、玄関が勢いよく開く音がした。
「リディアー! いるんでしょー!」
フィーナだった。
セレスティアとカイルも一緒だ。三人がどやどやと居間へ踏み込んでくる。
「宿の人がさ、リディアが出かけたって言うから! 絶対ここだと思って!」
「記録の準備はできているわ」
「記録はいりません!!」
俺は三人の前に立ちふさがった。
「今日は約束の日ではないので、お引き取りください」
「ええええ!?」
「せっかく様子を見に来たのに!」
「ご飯の時間でもないのに?」
「今日は約束の日ではありません!!」
きっぱりと言った。
フィーナとセレスティアが顔を見合わせる。その後ろで、カイルが静かに言った。
「……行こう」
「でも」
「行くぞ。今日は引くべきだ」
彼の目はこちらをちらりと見て、すぐリディアのほうへ向いた。
フィーナが目を細めて、にやりと笑う。
「ふうん。がんばってね、コータくん」
「何をですか」
「さあ?」
三人は去っていった。
玄関の戸を閉めてから、俺は居間へ戻った。
「リディアさん」
「な、なんだ」
「うちには、うるさい女神様がいますので」
『誰がうるさいんですかぁ!!』
「少し散歩でもしませんか?」
リディアは目を見開いた。
それから、小さくうなずいた。
「……ああ。行こう」
俺は冷蔵庫からコーラとポテトチップスを取り出し、棚の奥からあの携帯ゲーム機を出した。画面に魔力を通して、テレビの前に置く。
「ブレディアさん。これで大人しくしていてください。邪魔しないでくださいよ?」
『えー?』
画面の中のブレディアが、ポテトチップスの袋を抱えながら笑った。
『あたしがいなかったらぁ、二人とも無言で過ごしてたくせにぃ。オトクくんも生意気ですねぇ〜』
「…………っ」
図星だった。
妙に鋭いのが腹立たしい。
「……行ってきます」
『いってらっしゃぁ〜い!ごゆっくりぃ〜!』
郊外の道は静かだった。
畑の脇の細い道を並んで歩く。
収穫の終わった麦畑が、冬の淡い日差しに黄金色に光っていた。
風が冷たい。それでも隣を歩くリディアの横顔は、さっきよりずっと穏やかに見えた。
「……コータ」
「はい」
「ブレディア様に、うるさいと言うのは罰当たりすぎるぞ?」
「すみません」
「あの方は豊穣と食文化の女神様なのだ。毎朝の祈りを欠かさない身としては……」
「でも……」
俺は足元の小石を軽く蹴った。
「ブレディアさんがいなかったら、俺たちあのまま石像みたいに固まってましたよね」
「……」
リディアは少し黙った。
「……確かにな」
「はい」
「助かった。……ブレディア様には内緒だぞ」
「見てるかもしれませんけど」
「あの方は今、おしゅしを食べている最中だ」
「噛んでましたもんね」
「だから言うな!」
リディアがくすくすと笑った。
いつもの豪快な笑い声ではない。小さくて、柔らかい笑い声だった。
歩幅が少しずつ揃っていく。
何も言わなくても、二人の間の空気はもう重たくなかった。
しばらく歩いて、道の先に小さな丘が見えてきた頃だった。
リディアが足を止めた。
「コータ」
呼びかける声に、さっきまでの照れた響きはなかった。
振り返ると、リディアは背筋を伸ばし、まっすぐこちらを見つめていた。大剣を握って魔獣と向き合うときと同じ眼差しだ。
「どうしました?」
「その、頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
リディアは一度、深く息を吸った。
いつになく真剣な表情だった。何か大事な話なのだろうか。
「……実は、前からお前に頼みたいことがあったんだ」
「前から?」
「ああ。なかなか言い出せなくてな」
リディアは拳をぎゅっと握り、少しだけ視線を落とした。
普段はどんな魔獣を前にしても堂々としている彼女が、今はひどく緊張しているように見える。
「コータ。ウチの家族と会ってくれないか?」
「…………え?」
思わず聞き返した。
家族?
リディアの家族に会う?
どうして、そんなに真剣な顔で?
頭の中でいろいろな考えが浮かんでは消える。
ただ家族を紹介したいだけなら、ここまで緊張する必要はない気がする。
いや、でも、リディアにも何か事情があるのかもしれない。
「えっと……それは、どういう……?」
恐る恐る尋ねると、リディアはますます真剣な顔になった。
「頼む。会ってほしいんだ」
理由は、それ以上話してくれなかった。
俺は三秒かけて、その言葉の意味を考えた。
「ええええぇぇぇぇぇぇ!!!???」
冬空に、俺の絶叫が響き渡った。
次回予告
第二十二話 リディアの両親が、思った以上に明るく気さくでした
リディアの実家を訪れたコータを待っていたのは、満面の笑みの両親だった。
「ウチの娘をよろしくお願いします!」
「あ、あはは……」
一目見るなり頭を下げられ、コータは完全に空気に呑まれる。
しかし、本題は別にあった。それは次回のお楽しみ。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、ビデオ騒動から九日ぶりにリディアが一人でコータの家を訪れるお話でした。
無言で赤くなる二人を見かねて、ブレディア様がお寿司を要求。結果として、「おしゅしおいしい!」の一言が、二人のぎこちなさを吹き飛ばしてくれました。いろいろ台無しですが、功労者です。
そして散歩の終わりに、リディアの口から飛び出したまさかの一言。
次回、リディアの家族が登場します。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……お寿司は、大トロが特に喜ばれるそうです。




