第二十話 緊急事態だと、飢えた獅子が家に駆け込んできました
モウ村から戻って五日が過ぎた。
今日は何の予定もない。
飢えた獅子の四人は昨日から討伐に出かけている。
俺は休みだ。休みなのだ。
ソファに寝転がって朝刊をめくった。
一面は『王都の鳩今朝は少し眠そう』。
心の底からどうでもいい。
折り込みチラシの束から見慣れたロゴを引き抜く。
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ハンディビデオカメラ 29,800円
三脚 1,980円
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「……ビデオカメラ」
思わず身を起こした。
調理の工程を毎回書き取っているセレスティアの顔が浮かんだ。映像で渡せば彼女の手間は減るはずだ。記録用に一台あっても悪くない。
俺は迷わず購入した。
専用冷蔵庫から出てきた箱を開けて魔力を流すと、小さな画面が点灯する。
試しに自分の顔を映してみた。再生すると、眠そうな男が画面の中でこちらを見ている。
「……よく映るな」
思った以上に鮮明だ。これなら調理の手元も細かく記録できるだろう。
三脚も買っておいて正解だった。
そのときだった。
ドンドンドン。
玄関の扉が壊れそうな勢いで叩かれた。
「コータ!開けてくれ!緊急事態だ!」
カイルの声だった。
慌てて玄関を開けると、そこには泥と煤にまみれた四人が立っていた。焚き火の匂いがする。カイルの腕には、ぐったりしたリディアが抱えられていた。
目を閉じたまま動かない。
「リディアさん!?」
「……食べてしまったんだ」
カイルが絞り出すように言った。
「食べた?何をです?」
「毒キノコだ」
頭の中が真っ白になった。
「客間へ!早く!」
カイルがリディアをベッドに寝かせる間に、俺は居間へ走った。
ドラッグストアのチラシ。解毒剤。胃薬。活性炭。何でもいい。何かないのか。
「コータ!」
「待ってください、今探してますから!」
「コータ!!」
セレスティアの声が低く響いた。
「落ち着いて。命に別状はないわ」
「……え?」
手からチラシが落ちた。
「ちゃんと説明するから座ってちょうだい」
フィーナが俺の肩を押してソファに座らせる。
三人の顔には、さっきまでの緊迫感がなかった。むしろ気まずそうだ。
「実はね……」
フィーナが頭をかいた。
「討伐が思ったより長引いたの。日帰りのつもりだったから食料は昼の分しか持ってなくて」
「最初は順調だったんだ。ところが、途中で魔物の群れを見つけてな。予定を変更して追いかけていたら、気づけば日が暮れていた」
カイルが疲れた顔で補足した。
「帰るには遅すぎたから、そのまま野営になったのよ。まあ、一晩くらいなら何とかなると思っていたんだけど……」
フィーナがちらりと客間のほうを見た。
「夜のうちに、持っていた食料を全部食べてしまったの」
「干し肉の一かけらも残らなかった……」
カイルが淡々と告げる。
「……それは、かなり厳しいですね」
「でしょう?朝になれば街へ戻れると思っていたんだけど、そこで問題が起きたのよ」
セレスティアが額を押さえた。
「朝食もないとわかった途端、リディアが『朝飯を探してくる』と言って森へ入ってしまったの」
「食べ物を探しに行ったんですか?」
「ええ。私たちもすぐに追いかけようとしたんだけど、あの子、こういうときだけ妙に足が速いのよ。呼び止める間もなく、あっという間に森の奥へ消えてしまって」
「しばらくして戻ってきたと思ったら、両手いっぱいにキノコを抱えていた」
カイルが小さく息を吐いた。
「見た目は食用のハタケシメジそのものだったわ。私たちも一瞬、問題ないと思いかけたくらいよ」
「でも、セレスティアさんは止めたんですよね?」
「もちろんよ。カサの裏を確認しようとしたんだけど……」
セレスティアは悔しそうに眉を寄せた。
「リディアが先に焼き始めてしまったの。空腹で、もう待ちきれなかったんでしょうね」
「それを焼いて食べた……」
「私たちが止める前に三個よ」
カイルが静かに言った。
「三個も!?」
「焼き上がったそばから口に運んでいたわ。私たちが毒キノコかもしれないと気づいて止めたときには、もう手遅れだった」
フィーナが肩をすくめる。
「それから五分もしないうちに、そのままぐぅと倒れたのよ……」
俺は言葉を失った。
空腹に耐えかねて森へ入り、見つけたキノコを三個も平らげた挙げ句、毒に当たって倒れた。
……リディアさん、豪快にもほどがあるだろ。
「で、そのキノコが毒キノコだったと」
「ええ。ユメウツツダケというの」
夢うつつ。なんとも優雅な名前だ。
「食用のハタケシメジそっくりでね。見分けるにはカサの裏を見るしかないの。裏側が少しだけ赤みがかっていたら毒よ」
セレスティアは懐から一個のキノコを取り出した。確かに裏側にうっすらと赤い色が差している。
「毒の症状は二つ。まず、強烈な眠気。食べると一晩は目を覚まさない」
「一晩」
「次に、目が覚めてから丸一日素直になるの。何でも正直に話してしまうのよ」
「素直に」
「そのせいで、別名を尋問キノコというわ」
俺は思わず聞き返した。
「尋問キノコ……」
「国では悪人の尋問に使われているわね。毒なのに薬にもなるから高値で取引されているの。一個で卵が百個は買えるわね」
「リディアさんは三個も食べたんですよね?」
「卵三百個ぶんよ?」
怖い。卵で換算されると急に現実味が増す。
「でも、眠っているだけなんですよね」
「ええ。眠気が治まっても、素直になる作用は残るわ。毒が完全に抜けるまでには数日かかるけれど、命に関わるものではないの」
「それならそうと最初から言ってくださいよ!」
「ごめんなさい。急いでいたから省略したわ」
「毒キノコだけで省略しないでください!」
肩から力が抜けて、ソファに沈み込んだ。
命に別状はない。本当によかった。
リディアは客間のベッドで穏やかな寝息を立てていた。
フィーナが額の汗を拭き、カイルが毛布を掛け直す。俺は台所で温かいお茶を淹れた。
居間に戻ると、セレスティアが机の上の箱をじっと見つめていた。
「コータ。これは何かしら」
「あ、それは」
先ほど開けたばかりのビデオカメラだった。
「映像を記録する道具です。人や景色を動いたまま残せるんですよ」
「映像を、記録」
セレスティアの目が音を立てるように輝いた。
「詳しく教えてちょうだい」
「えっ、今ですか」
「今よ」
この人の好奇心はどんな緊急事態にも勝つらしい。
俺はカメラを手に取り、説明を始めた。魔力を流せば電源が入ること。
赤いボタンで録画が始まること。もう一度押せば止まること。
小さな画面で映したものがそのまま見られること。
三脚に載せれば、手を放しても撮り続けられること。
セレスティアは一つ聞くたびに記録用紙へ書き込んだ。
「なるほど。文字ではなく映像として残せるのね。これなら調理工程の見落としもなくなるわ」
「実はそれを目的に買ったんです」
「あなたは天才ね」
「ただのチラシです」
「貸してもらえるかしら」
「もちろん。セレスティアさん用にと思っていたので」
彼女は両手でカメラを受け取り、少女のように嬉しそうな顔をした。
カイルとフィーナは遠い目でそれを眺めていた。
「……嫌な予感がする」
「奇遇ね。私もよ」
その日の夜、俺たちはリディアを客間で休ませたまま、コータの家で一晩過ごすことになった。
毒の影響を考えると、目が覚めるまでは誰かがそばにいたほうがいいらしい。
夕食は宅配ピザにした。
一日中走り回った四人は無言で何枚もたいらげ、そのまま客間に倒れ込むように眠った。
ブレディアに知られると面倒なのでテレビは点けなかった。
お供えはしないとブチギレられるので、ピザ3枚とコーラだけはお供えしておいた。
今日くらいは静かに過ごしたい。
翌朝。
台所で味噌汁を温めていると、廊下からぺたぺたと足音が近づいてきた。
振り向くと、寝間着姿のリディアが立っていた。
髪はぼさぼさ。目はとろんとしている。
そして俺の顔を見るなり、ふにゃりと笑った。
「おはよぉ、コータぁ」
「…………え?」
声が違う。
いつもの凛々しい響きは影も形もない。
甘くて柔らかい、小さな女の子のような声だった。
「リ、リディアさん?」
「えへへ。コータだぁ」
リディアは俺の袖をつかんで頬をすり寄せた。
その瞬間俺は、固まった。
鍋の味噌汁がふつふつと音を立てている。
「あ、始まったわね!」
背後からフィーナの声がした。
振り向くと、居間の机には三脚に載ったビデオカメラが設置されていた。
赤いランプが点灯している。その後ろでは、セレスティアが真剣な顔で記録用紙を構えていた。
「セレスティアさん!?いつから撮ってるんですか!」
「朝からよ。貴重な資料になるもの」
「資料って何のですか!」
「ユメウツツダケによる精神作用の経過観察よ」
言い方が学者だった。
「ねえ、リディア」
フィーナがにやにやしながら近づいてくる。
「コータくんのこと、どう思ってるの?」
「おい」
いきなり何を聞いているんだ、この人は。
だが、リディアはそんな俺の抗議など気にも留めず、きょとんと首を傾げた。
「コータぁ?」
俺の顔を見つけると、ぱあっと表情を明るくする。
「えへへぇ。コータ、ここにいたぁ」
そう言って、ぎゅっと俺の腕に抱きついてきた。
「だ、だから近いですって!」
「やぁだぁ。コータのそばがいいのぉ」
頬をすりすりと腕にこすりつけ、リディアは幸せそうに目を細めた。
いつもの凛々しい姿はどこへやら。今の彼女は、甘えん坊の子どもそのものだった。
「……すごいわね。普段のリディアからは想像もつかないわ」
フィーナが楽しそうに笑う。
「ねえねえ、リディア。コータくんのどこが好きなの?」
「んー?」
リディアは俺の顔を見上げ、しばらく考え込んだ。
それから、ぱっと笑う。
「ぜーんぶ!」
「ぜ、全部!?」
「うんっ!ごはん、おいしいしぃ。お話してると楽しいしぃ。笑うとおめめがやさしくなるのぉ」
指を一本ずつ折りながら、嬉しそうに数えていく。
「あとねぇ、手があったかいの!ぎゅーってすると、ほっとするんだぁ」
そう言って、俺の手を両手で包み込んだ。
「ほらぁ。あったかいでしょ?」
「そ、そうですね……」
「えへへぇ」
リディアは俺の手を頬に当て、うっとりと目を細めた。
「コータの手、すきぃ」
「リディアさん!?」
「それにねぇ、コータに会えない日が続くと、さみしいのぉ。今日は会えるかなぁ、早く会いたいなぁって、ずーっと考えちゃう」
リディアは少しだけ眉を下げ、俺の腕にぎゅっとしがみついた。
「だからねぇ、もっといっぱい会いたいの。コータといっしょにいたいのぉ。ずーっと、ずーっと!」
「…………」
俺は完全に言葉を失った。
何だ、この破壊力は。
いつもは頼りになる冒険者なのに、今はどう見ても甘えん坊の女の子だ。しかも本人は、自分が何を口走っているのか、まったく気にしていない。
「ねえ、リディア。コータくんのこと、大好き?」
フィーナがとどめを刺しにきた。
「だぁいすき!」
リディアは満面の笑みで即答した。
「コータぁ、だぁいすきぃ!」
「もういい!もうやめてください!」
俺は両手を振って叫んだ。顔が燃えるように熱い。
「えぇー?なんでぇ?」
リディアは不思議そうに首を傾げ、それから俺の顔をじっと見つめた。
「……あれぇ?コータ、お顔あかいよぉ?」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「えへへぇ。あたしのせい?」
嬉しそうに笑いながら、リディアはまた俺の腕に頬をすり寄せた。
「じゃあ、もっとぎゅーってしてあげるねぇ」
「そういう問題じゃないんです!なぁ!カイル、止めてくれ!!」
「止めたら尋問にならないだろう?」
「尋問してどうするんですか!」
カイルは我関せずと茶をすすった。
そのとき、リディアが俺の袖をくいっと引いた。
「ねえ、コータぁ」
「は、はい」
リディアが俺の顔を見上げた。
普段なら大剣を軽々と振り回し、魔物の群れに真っ先に突っ込んでいく女剣士だ。俺よりもずっと大柄で、背中を叩かれれば吹っ飛びそうなほど力も強い。
そんな彼女が今は、俺の腕を両手で抱きしめ、頬をすり寄せている。
大きな体をぎゅっと丸めて甘えてくる姿は、まるで飼い主にくっついて離れない大型犬のようだった。
そして、潤んだ瞳がまっすぐこちらを見上げてくる。
「コータぁ…………わたしのこと、すき?」
あまりにも無防備な声だった。
この空間の時間が止まった。
フィーナもセレスティアも息を止めてこちらを見ていた。
カメラの赤いランプがまぶしい。
「え、ええと。それは、その、大事な仲間ですし」
言った瞬間に後悔した。
リディアはぱちぱちと瞬きをした。
「……なかま?」
「は、はい」
「そっかぁ……」
ふにゃりと笑っていた顔から、少しずつ笑みが消えていく。
「わたしはねぇ、コータのこと、こんなにすきなのにぃ……」
大きな手が、俺の服の裾をきゅっとつまんだ。
「コータに会える日、ずーっと楽しみにしてるの。会えない日はね、次はいつ会えるかなぁって考えてるの。いっしょにごはん食べたいなぁ、とか、お話ししたいなぁ、とか……」
言いながら、リディアの眉がへにゃりと下がる。
「でも、コータにとっては、わたし、ただのなかまなんだねぇ……」
「い、いや、そういう意味では!」
「ううん、いいのぉ……。ごめんねぇ、わたしばっかり、すきですきで……ふぇぇぇん……」
ぽろり。
大きな瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「えっ!?リディアさん!?」
慌てて顔をのぞき込むと、リディアはぐしゅっと鼻をすすった。
「ごめんなさいぃ……。めいわく、だよねぇ……。こんなに大きくて、力も強くて、かわいくもないのにぃ……ぐすっ……」
いや、待ってくれ。
普段は大剣を片手で振り回すような女剣士が、守りたくなるような可愛さの泣き顔でそんなことを言うのか。
しかも、自分の体格を気にしているらしい。
「そんなことありません!迷惑なんかじゃないです!」
「……ほんとぉ?」
リディアが涙で濡れた目を上げた。
「ほんとうに、めいわくじゃない?」
「本当です!」
「じゃあ……」
リディアはおずおずと両腕を広げた。
「ぎゅーってしても、いい?」
「えっ」
「だめぇ……?」
しゅん、と肩が落ちる。
大剣を振り下ろせば魔物だって吹き飛ぶだろう大きな体が、今は捨てられた子犬みたいに小さく見えた。
「だ、だめじゃないです!」
「ほんとぉ!?」
ぱあっと顔が輝いた。
次の瞬間、俺はふわりと抱きしめられていた。
いや、ふわりと言うには力が強い。
「えへへぇ……コータ、あったかぁい……」
「リ、リディアさん、ちょっと力が……!」
「あっ、ごめんねぇ!」
慌てて腕の力を緩めたリディアは、それでも俺から離れようとしなかった。
「でもぉ、もうちょっとだけ……。ね?もうちょっとだけぇ……」
頬を胸元にすり寄せ、幸せそうに目を細める。
「……好きですよ。ちゃんと。大切に思ってます」
気づけば、俺はそう口にしていた。
リディアの動きがぴたりと止まる。
「……すき?」
「はい」
「わたしのこと?」
「そうです」
「ほんとうにほんとう?」
「本当に本当です」
リディアの顔が、ぱああっと輝いた。
「えへへぇ……!うれしいぃ……!」
大きな体をもじもじと揺らし、両手で自分の頬を包み込む。
「どうしようぅ……。うれしくて、にやにやしちゃうぅ……。お顔、ゆるんじゃうぅ……」
そう言いながら、もうすでに頬は緩みっぱなしだった。
「コータが、わたしのこと、すきってぇ……。えへへぇ……。えへへへぇ……」
「リディアさん、笑いすぎです!」
「だってぇ、うれしいんだもぉん!」
リディアは俺の腕にぎゅうっとしがみついた。
「ねえ、コータぁ。もういっかい言ってぇ?」
「えっ!?」
「すきってぇ……。もういっかい、聞きたぁい……」
「い、いや、それは……!」
「だめぇ……?」
またしても、うるうると潤む瞳。
ずるい。
その顔はずるすぎる。
俺が返事に困っていると、横からフィーナの声が飛んできた。
「どっちの好きかは言わないんだね」
「そこは勘弁してください!」
「記録。告白未満の返答に対し、リディアが再度の発言を要求。午前八時十二分」
「記録しないでください!」
「えへへぇ。コータ、だいすきぃ」
「リディアさんまで追い打ちをかけないでください!!」
叫んだ声が朝の家に響き渡った。
その日は一日、リディアは俺の後ろをついて回った。
洗濯物を干せば隣にしゃがみ込み、皿を洗えば「てつだうね」と言って皿を一枚割った。「ごめんなさい」と泣きそうになるので「大丈夫ですよ」と言うと、すぐに笑顔になる。
正直に言う。
可愛かった。
それが一番の問題だった。
夕方になっても、リディアの素直な状態は続いていた。
ユメウツツダケの作用は目覚めてから丸一日。
セレスティアはその間、カメラを回しながらリディアの言動を記録し続けた。
夕食を終え、リディアが眠りについたあと、セレスティアは録画を止めた。
「明日の朝には、いつものリディアに戻っているはずよ」
そう言いながらも、彼女の手はカメラを離そうとしなかった。
嫌な予感しかしない。
そして、翌朝。
俺は台所で炊きたてのご飯をよそっていた。
焼き鮭。卵焼き。味噌汁。漬物。居間のテーブルにはいつものメンバーが揃っている。ただしいつもと違うのは、全員が同じ方向を向いていることだった。
机の真ん中にビデオカメラの小さな画面が立てかけられている。
『コータ、だいすきぃ』
画面の中でリディアがにこにこ笑っている。
「何度見ても名場面ね」
セレスティアが満足そうにうなずいた。
「この角度がいいわ。表情の変化が全部映っているもの」
「いいなあ。私も撮りたい」
フィーナは終始ニヤニヤしながらご飯をかき込んでいた。
カイルは何も言わず、ただ静かにお茶をすすっている。我関せずの姿勢を崩さない。
俺はといえば、画面に映る自分の顔を見て死にそうになっていた。
『……好きですよ。ちゃんと。大切に思ってます』
画面の中の俺が真っ赤な顔で言っている。
「やめてください……消してください……」
「消さないわよ。貴重な記録だもの」
「セレスティアさん……」
そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。
全員が一斉に静止する。
客間の扉が開いて、寝間着姿のリディアが現れた。髪はぼさぼさで目をこすっている。
「……ん……ここは、どこだ……?」
いつもの声だった。凛々しくて少し眠そうな、あのリディアの声だ。
「おはようございます、リディアさん」
「コータ?ここは、コータの家か?」
「はい」
「おかしいな。討伐のあとから、記憶がないんだが」
リディアは首をかしげて居間を見回した。
そして机の上のカメラに目を止めた。
『コータぁ…………わたしのこと、すき?』
画面から甘い声が響き渡った。
「…………」
リディアが固まった。
『ほんとうにほんとう?えへへぇ……!うれしいぃ……!』
「…………」
『だいすきぃ』
「…………………………………………」
ゆっくりと。
それは本当にゆっくりと、リディアの顔が赤く染まっていった。耳から。首から。頬へ。そして額まで。
「……あ、あ」
断片的な記憶が蘇ってきたらしい。
「手があったかいの……ぎゅーってすると……ほっとするんだぁ……」
「思い出した?」
「いや、その、違うんだ!セレスティア、あれは私ではない!」
「いいえ、リディアよ?」
「違うんだああああ!」
リディアが叫んで突進した。
狙いは机のカメラだ。
だがセレスティアのほうが速かった。
彼女はカメラを胸に抱えて椅子から跳び上がった。
「セレスティア!それを渡せ!今すぐに!」
「嫌よ。記録は科学の財産なの」
「消せ!消すんだ!」
「消すなんてとんでもない。文字にも起こしてあるわ。逃げられないわよ」
「うああああ!」
リディアが追いかける。セレスティアが逃げる。
二人は居間を何周も回り、ソファを飛び越え、廊下へ消えた。
壁を叩く音。何かが倒れる音。「やめろおおお!」という絶叫。
「あはははは!」
フィーナは箸を持ったまま笑い転げていた。
「ご飯がおいしい。最高の朝ごはんだわ」
カイルは静かに茶を飲み干して、静かに湯呑みを置いた。
「……いい天気だな」
「カイルさん。現実逃避しないでください」
「俺は何も見ていない」
俺は両手で顔を覆った。
画面に映っていたのは、あの日の俺だ。
耳まで真っ赤にして、「好きですよ」と言っていた俺だ。
リディアの記憶が戻ったということは、あの言葉も思い出しているかもしれない。
どんな顔で会えばいいんだ。
そのとき、居間のテレビがひとりでに点灯した。
ブゥゥゥン。
画面いっぱいにブレディアの顔が映る。口元にはご飯粒が付いていた。
『オトクくぅん!ごはんおかわり!!』
「今それどころじゃないんです!」
『えー?だっていいものを見せてもらいましたよぉ!恋する乙女のふわふわ映像!おかわりもいくらでも食べられそうですぅ!』
「見てたんですか???」
『ビデオ通話ですから!』
廊下の向こうから、リディアの絶叫がまた響き渡った。
俺の平穏なスローライフは、どうやら当分戻ってこないらしい。
次回予告
第二十一話 ビデオを見た日から、リディアが約束の日になっても来ません
月曜日。火曜日。水曜日。いつもなら玄関の前で誰かが待っているはずの朝は、ひどく静かだった。
「リディアさんは、どうしたんですか」
「あの子ね、家から出てこないのよ」
――恋する乙女の羞恥心は、毒キノコよりも長引くらしい。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回から、少し肩の力を抜いたコメディ回に入りました。
日帰りのはずの討伐が長引き、空腹のリディアが食べてしまったのは尋問キノコこと「ユメウツツダケ」。
素直になった彼女は、コータ大好きふわふわ少女に大変身でした。
記録マニアのセレスティアの手にビデオカメラが渡ったことで、すべてが映像として残ることに。
リディアが真っ赤になって追いかけ回すのも無理はありません。
コータの「好きですよ」は、果たしてどちらの好きなのか。本人もまだ答えを出せていないようです。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……ご飯のおかわりは最低でも三回はしないと満足しないそうです。




