第十八話 ギルド本部長と女官フレイヤが、荒れた村に視察にやってきました
モウ村に来て四日目の朝。
村の南側から土を打つ音が響いていた。
崩れた水路の底で男たちが鍬を振るっている。
数日前まで立っているのがやっとだった人たちだ。
それが今は、互いに声を掛け合いながら、少しずつ土を掘り起こしていた。
ペイペのギルドが非常用の備蓄から麦を出してくれたのだ。エクルさんが領主様の名前で話を通してくれたらしい。
昨日の夕方、カイルが荷車いっぱいの麦を積んで戻ってきたとき、村中が静まり返った。誰もが荷車を見つめ、やがて麦が自分たちのものだと理解すると、一斉に歓声を上げた。
「無理はしないでください。倒れたら元も子もありません」
「分かってる。だが、手を動かしてねえと落ち着かねえんだ」
ホルスは額の汗を拭って笑った。この人が笑う顔を見るのは、これが初めてだった。
「コータ。水路の復旧はあと十日はかかるわ」
セレスティアが記録用紙の束を抱えて隣に並んだ。目の下には薄く隈ができている。昨夜も遅くまで作業をしていたのだろう。
「問題は上流の取水口よ。石組みが崩れて、水がほとんど入らないの」
「そこは俺とカイルさんで見ます」
「頼むわ。それと、畑の面積と小屋の状態は本部長に見せられる形にまとめておいたわ。数字のない相談は相手にされないもの」
「さすがです」
「当然よ」
セレスティアは得意げに胸を張った。けれど、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
そこへ、フィーナが北の丘から戻ってきた。
「巣を見つけたよ。ネズミとウサギを合わせて四十は下らないかな。畑の芽を食べているのは、あいつらで間違いない」
「討伐は私たちだけでもできるが」
村の入口にある岩に腰かけていたリディアが、大剣を抱えたまま顔を上げた。
その足元では、子供たちが積み木を積んでいる。塔を崩さないように身を縮め、慎重に手を伸ばしていた。その真剣な姿が、なんとも微笑ましい。
「いえ。まずは本部長の話を聞いてからにしましょう」
俺がそう答えたとき、リディアが勢いよく立ち上がった。
「来たぞ。馬車が二台だ」
山道の向こうに土埃が上がっている。先頭の馬車にはギルド本部の紋章。後ろの馬車には領主家の紋章が付いていた。
家の陰から様子をうかがっていた村人たちが、ざわざわと引っ込んでいく。
無理もない。数日前まで、貴族もギルドも自分たちを助けてくれるとは思っていなかったのだ。
先に降りたのは、白髪白髭の老人だった。
「ガルド本部長」
「よう来たな。ずいぶん遠くまで連れてきてくれたもんだ」
ガルドは豪快に笑ったが、その目は笑いながらも、村の様子を素早く見渡していた。
続いて降りたフレイヤは眼鏡の位置を直し、深く頭を下げた。
「コータ殿。お手紙を拝見しました。すぐに参るべきだと判断いたしました」
「ありがとうございます。女官様まで来てくださるとは思いませんでした」
「領主様のお言葉を預かっております。それは後ほど」
フレイヤはリディアにも目礼した。リディアも小さくうなずく。
毎朝の祈りを分かち合う者同士の気安さが、二人の間にはあった。
ガルドは何も言わずに村を歩いた。
傾いた門。煙の上がらない屋根。戸口の影からこちらを見ている子供たち。
村のあちこちに残る荒廃の跡を確かめるように、ガルドはゆっくりと視線を巡らせた。
そして、積み木の塔の前でぴたりと足を止めた。
子供たちが一斉に固まる。
巨大な老人が杖を持ったままゆっくりとしゃがみ込み、赤い積み木をひとつ拾った。
「……これは、どこに乗せるんだ」
「そこ」
昨日の少女が小さな声で答えた。
ガルドは真剣な顔で積み木を乗せた。
塔が少しだけ傾いた。
「へたくそ」
少女がぼそりと言い、周りの子供たちが息をのんだ。
俺は思わず天を仰いだ。
相手はギルド本部長だぞ。もう少し言い方というものが――。
だが、ガルドは怒らなかった。
むしろ目を細め、豪快に笑った。
「ははは!そうか、わしはへたくそか!」
その笑い声に、こわばっていた子供たちの表情がわずかに緩んだ。
ガルドは少女に向かって、積み木をもうひとつ差し出した。
「では、お前が教えてくれ。この老いぼれにも積めるようにな」
少女は戸惑ったあと、こくりとうなずいた。
そして、差し出された積み木を受け取ると、ガルドの手元をじっと見つめた。
家畜小屋に着いたのは昼過ぎだった。
牛小屋の戸を開けると、乾いた埃の匂いが流れ出した。干し草の一本もなく、餌箱には灰色の埃が積もっている。
ガルドは小屋の隅から隅まで歩き、柱を叩いて強度を確かめた。
「造りはしっかりしている。屋根も壁も十分使えるな」
「はい。柵を直せば牛も豚も入れられます」
「問題は中身か」
ガルドは空の小屋を見回し、ふうと息を吐いた。
「女官殿。わしは豚の生姜焼きの調理法を全国のギルドに配った。だが、豚の生姜焼きを広めるだけでは豚は増えんからな」
「承知しております」
フレイヤは眼鏡を押し上げて静かに答えた。
「だから村を見に来たのです。机の上の報告だけでは分からないことがあります」
畑にも足を運んだ。
ひび割れた地面には枯れた茎がまばらに残り、乾いた土がどこまでも続いていた。
フレイヤは膝をつき、乾いた土を指でほぐした。
「雨が降らなかっただけではありませんね。水路が壊れたまま放置されているせいで、本来なら引けるはずの水まで失っています」
「そのとおりです。水路を直せば畑の半分は戻せるはずだとセレスティアが言っています」
「半分」
「はい。残りは時間がかかります」
「時間があれば戻るのですね」
フレイヤはうなずき、土を払って立ち上がった。
話し合いは村の広場で行われた。
運び出した板の上に、セレスティアが記録用紙を並べていく。
人口は七十五人。うち子供が十五人。家畜小屋は十棟。農地はおよそ三十反。
崩れた水路の長さ、復旧に必要な人手と日数、種や餌の見積もり。村を立て直すために必要な情報が、紙の上に整理されていた。
ガルドは黙って最後まで目を通した。
それから顔を上げ、セレスティアに向かって頭を下げた。
「見事だ。農政院の連中にも見せてやりたいくらいだな」
「光栄です」
「最初に戻す家畜は何だ。コータ」
急に名前を呼ばれ、俺は慌てて答えた。
「鶏からだと思います。育つのが早くて卵も早く取れるので、村の人たちが食べながら続けられます。次に豚、牛は最後です」
「理由は」
「牛は餌と時間がいちばんかかります。先に鶏と豚で村が立ち直ってからのほうが無理がありません」
ガルドは顎髭をなでた。
しばらく考え込んだあと、やがて大きくうなずいた。
「よし。では決めるぞ」
全員が顔を上げた。
「ひとつ。ギルドはモウ村周辺の小型魔獣の討伐を常設の依頼として出す。報酬は本部が持つ。冒険者が出入りすれば村にも金が落ちる」
ガルドは指を一本立ててから、続けた。
「ふたつ。種と雛鳥と子豚は王都近郊の牧場と農政院から都合する。数字は揃っておるから説得はわしがやる」
「みっつ。水路の復旧が終わるまでの食い扶持は、村の人間が働いた分だけ麦で払う。施しではない。賃金だ」
ホルスが目を見開いた。
「賃金……」
「働いた者には払う。それが筋というものだ」
ガルドは当たり前のように言った。
ホルスは言葉を失い、目の前の老人を見つめていた。
働いた分だけ麦がもらえる。その当たり前の約束が、今の彼らにはどれほど大きな意味を持つのか。俺には想像することしかできなかった。
続いてフレイヤが一歩前に出た。
「領主様からの伝言です。水路の人足は領内から出します。税は収穫が戻るまで猶予いたします」
「そこまで……」
ホルスの声がかすれた。
「あと、領主様はこうおっしゃいました。『コータ殿の願いなら何でも聞き入れよ』と」
「何でも、ですか?」
「あの宴の夜以来、領主様は少々怯えておいでなのです」
「……ああ」
俺は遠い目になった。
その日の夕方。
村の復興について話し合いを終えた頃、ホルスが村の男たちを引き連れて俺たちの前に進み出た。
男たちは誰一人として笑っていなかった。顔には疲労が色濃く残り、固く結ばれた口元からは、これから何を話すつもりなのか察することができた。
ホルスは俺たちの前で立ち止まると、しばらく言葉を探すように視線をさまよわせた。
「……話さなきゃならねえことがある」
低くかすれた声だった。
次の瞬間、ホルスはその場に膝をついた。
両手を地面につき、額が土に触れるほど深く頭を下げる。
「俺たちは街道で馬車を襲った。食い物を奪おうとした。……強盗だ」
その言葉を口にしたホルスの拳が、土を握りしめた。
「どんな理由があろうと、やっちゃならねえことをした。許してもらおうなんて思っちゃいねえ。罪を犯したのは俺たちだ。だから、どんな罰でも受ける」
ホルスは一度言葉を切り、背後に並ぶ男たちを振り返った。
男たちもまた、覚悟を決めたように次々と膝をつく。誰も言い訳をしなかった。誰もホルスを責めなかった。
「だから……どうか、村の者たちだけは」
最後の言葉は、かすれていた。
自分たちが罪を犯したことは認める。罰も受け入れる。それでも、罪のない家族や子供たちまで巻き込まないでほしい。
ホルスが言いたいのは、そういうことなのだろう。
俺は思わず、隣に立つリディアへ視線を向けた。
リディアは何も言わず、膝をついた男たちを見つめていた。
広場に沈黙が落ちる。
夕暮れの風が吹き抜け、乾いた土埃が足元を流れていった。それでも、誰一人として顔を上げようとはしなかった。
最初に口を開いたのは、フレイヤだった。
「領内の街道で強盗を働いた以上、本来であれば処罰を免れることはできません」
落ち着いた声だった。
だが、その言葉には女官として領主の意思を伝える者の厳格さがあった。
ホルスの肩がびくりと震える。
「領主様がお許しになったからといって、罪そのものがなくなるわけではありません。まして、飢えていたからという理由だけで、何をしてもよいことにはならないのです」
「……ああ。分かってる」
ホルスは額を地面につけたまま答えた。
「それでも、あんたたちに刃を向けたのは俺たちだ。罰は俺たちが受ける。村のほかの者には、どうか……」
「最後までお聞きください」
フレイヤが静かに言葉を遮った。
ホルスの口が閉じる。
「領主様から、あなた方への処分についてもお言葉を預かっております」
フレイヤは一度、村人たちを見渡した。
「あなた方への罰は、水路と畑を元に戻し、村が再び自分たちの力で暮らしていけるようにすること。その期限は、最初の収穫の日です」
ホルスがゆっくりと顔を上げかけた。
しかし、フレイヤはまだ話を終えていなかった。
「ただし、これは罪を見逃すという意味ではありません。水路を直し、畑を立て直し、村の暮らしを取り戻す。そこまで果たして、初めてあなた方は自分たちの罪と向き合ったことになるのです」
「それは……」
「楽な罰ではありませんよ」
フレイヤの声は厳しかった。
「水路を直すだけでも時間がかかります。畑を蘇らせ、作物を育て、収穫を迎えるまでには、相応の努力が必要でしょう。途中で投げ出すことは許されません。村を立て直せなければ、罪は消えないのです」
男たちの間に、かすかなざわめきが広がった。
それは、ただ許されたという話ではなかった。
これから先、自分たちの手で村を立て直せということだ。
飢えに苦しみ、何もかも失ったと思っていた村に、もう一度やり直す機会が与えられたのだ。
「……それでも、やらせてもらえるんだな」
ホルスが呟いた。
フレイヤは小さく頷いた。
「ええ。領主様は、あなた方にその機会を与えるとお決めになりました」
そのやり取りを聞いていたリディアが、一歩前に出た。
「襲われた私たちは、何も言っていない」
彼女は背負っていた大剣を外し、地面にとん、と突き立てた。
その音に、膝をついた男たちの肩が一斉に強張る。
「街道で馬車を襲ったことは、許されることじゃない。だが、あのときのことなら私から言うことはない」
リディアは男たちを一人ずつ見た。
「お前たちは武器を落としたあと、誰一人として立ち向かってこなかった。食い物を奪おうとしたのは事実だが、俺たちを殺そうとしたわけでもない」
そこで、リディアは少しだけ声を和らげた。
「……腹が減っていたんだろう」
男たちは何も答えなかった。
ただ、地面についた拳に力がこもる。
「だからといって、やったことがなくなるわけじゃない。これからは二度と同じことをするな」
リディアは大剣から手を離し、腕を組んだ。
「私から言うことは、それだけだ。いつまでも地面に頭をつけているな。立て」
その言葉に、ホルスの肩がかすかに震えた。
それでも、彼はすぐには顔を上げなかった。
許されたからではない。許されて当然だと思っているわけでもない。
自分たちが犯した罪の重さを、ようやく真正面から受け止めているのだろう。
やがて、広場に杖をつく音が響いた。
ガルドが一歩前に出て、杖の先で地面を叩いた。
「ホルス」
名を呼ばれ、ホルスが顔を上げる。
「お前たちの村は、長いこと王都の食卓を支えてきた」
ガルドは、村の向こうに広がる荒れた畑へ目を向けた。
「ここで育った作物も、ここで育てられた家畜も、王都で暮らす者たちの腹を満たしてきたはずだ。それなのに、村が苦しんでいることに、わしらは気づかなかった」
普段の豪快な笑みはなかった。
「村がここまで追い詰められる前に、手を差し伸べることはできたはずだ。そうしなかった王都にも、落ち度がある」
ガルドは再びホルスたちを見据えた。
「もちろん、お前たちが街道で馬車を襲った罪まで、わしらが肩代わりできるわけではない。だがな、これから村を立て直すために手を貸すことはできる」
杖を握る手に、少し力がこもった。
「わしらは、その借りを返しに来ただけだ」
そして、ガルドはいつもの力強い声で言い切った。
「それでもまだ足りんと言う者が出たら、わしのところに来い。話なら、いくらでも聞いてやる」
その言葉を聞いて、ホルスはようやく顔を上げた。
額には土がつき、頬には涙が伝っていた。
「……あんたたち……」
声が震え、それ以上の言葉が続かない。
背後の男たちも、顔を伏せたまま肩を震わせていた。
誰も、もう一度許しを請おうとはしなかった。
代わりに、ホルスは両手を地面につき、深く頭を下げた。
「……必ず、村を立て直す」
その声には、先ほどまでのような怯えだけではなく、確かな決意が宿っていた。
日が傾き、村の屋根が赤く染まる頃。
俺はガルドと並んで広場の端に立っていた。
「お前さん。食べ物を配るのをやめたそうだな」
「はい。毎日渡し続けるわけにはいきませんから」
「腹を空かせた連中の前で、それを決めるのは満たしてやるより難しい」
ガルドは遠くの畑を見つめていた。
「よくやった」
「俺は手紙を書いただけです」
「手紙一通で王国の役人が動く。それも立派な仕事だ」
そう言って、ガルドは俺の肩をぽんと叩いた。
大きな手だった。
俺がやったことを、きちんと認めてくれている。そんな気がした。
ガルドは杖を肩に担ぐと、ゆっくりと歩き出した。
「明日から忙しくなるぞ。覚悟しておけ」
「えっ、俺もですか?」
「当たり前だ。言い出したのはお前さんだろう」
振り返りもしないガルドの背中が、愉快そうに揺れていた。
どうやら俺の平穏なスローライフは、さらに遠くへ行ってしまったらしい。
……いや、待て。俺はただ、腹を空かせた村を何とかしたかっただけなんだが。
気づけば王国まで巻き込んで、村の復興計画を進めることになっている。
いったい、どこで道を間違えたんだろう。
ふと、牛小屋の戸が開いているのが目に入った。
さっきまで閉じていたはずだ。
気になって近づいてみると、小屋の中から箒で床を掃く音が聞こえてきた。
覗くと、ホルスが一人で箒を動かしていた。
「掃除だ」
俺に気づいたホルスが、少し気まずそうに顔を上げた。
「いつ牛が戻ってきてもいいようにな」
ホルスはそう言うと、また床に視線を落とした。
箒が乾いた土埃を集めていく。
空っぽだった餌箱も、干し草のない床も、すぐに変わるわけではない。牛が戻ってくるまでには、まだ時間がかかるだろう。
それでも、ホルスは掃除を始めていた。
もう一度、牛の鳴き声が響く日を信じて。
乾いた小屋の床に、夕日が長く伸びていた。
次回予告
第十九話 最初の家畜は、荷馬車いっぱいの雛鳥でした
水路が直り、畑にようやく水が流れ込む。
そこへ王都から荷馬車が到着する。積まれていたのは、ぴよぴよと鳴く小さな命だった。
「これを、村の子供たちに任せるんですか?」
「世話をする係が必要だろう」
――家畜小屋に、久しぶりに鳴き声が戻る。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、ガルド本部長とフレイヤがモウ村を視察し、コータの計画に王国が動き始めるお話でした。
施しではなく賃金。助けるのではなく、立て直す。
コータの手紙が、少しずつ大きな流れになっていきます。
次回は、村にいよいよ最初の家畜がやってきます。
よろしければブックマークや評価、感想などで応援していただけるとうれしいです!
※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……ブレディア様は豊穣と食文化の女神です。本当です。




