第十七話 飢えた村には、使われていない家畜小屋がありました
モウ村に着いたのは翌日の昼前だった。
山あいの細い道を馬車で登り切ると、傾いた木の門が見えた。
門の向こうには、茶色い屋根の家が十軒ほど並んでいる。
けれど、村からは人の暮らしを感じさせる音がまるで聞こえなかった。
煙が一本も上がっていない。
「……静かすぎますね」
俺がつぶやくと、ホルスが小さくうなずいた。
「話す力も残ってねえんだ。子供も外では遊ばない」
村の中に入ると、家の陰からこちらをうかがう目がいくつもあった。
やせた老婆。腹を押さえた青年。
そして、戸口の影から顔だけを覗かせた子供たち。
頬はこけ、目だけが不釣り合いなほど大きく見えた。
リディアが黙って俺の隣に立った。
いつもは豪快な彼女が、一言も発しない。
それだけで、目の前の光景がどれほど重いものなのか伝わってきた。
俺は荷台に回って布をめくった。
積み木の余りを抱え、戸口の前へ歩いていく。
「ここに置いとくな。好きなだけ使ってくれ」
地面に赤や青の積み木を並べた。
けれど、子供たちは動かなかった。
家の陰からこちらを見つめているものの、誰一人として近づいてこない。頬はこけ、手足も細い。中には、立っているのもつらそうに壁にもたれている子までいた。
遊びたい気持ちがないわけじゃないのだろう。ただ、遊ぶための元気さえ残っていないのだ。
「……まぁ、無理に遊ばなくてもいいんだけど」
俺はそう言って、積み木のそばにしゃがみ込んだ。
赤い積み木を二つ、その上に青い積み木を一つ。
さらに、その上へ黄色い積み木を乗せてみる。
「よし。これで俺の家が完成だ」
もちろん、家と呼ぶにはあまりにも小さい。ちょっと揺らせば崩れてしまいそうな、頼りない建物だった。
俺は指先でそっと押した。
ぐらり。
積み木の家が傾き、ばらばらと地面に崩れ落ちた。
「あっ、壊れた」
思わず声が漏れた。
そのとき、家の陰から小さな声がした。
「……へたくそ」
顔を上げると、戸口から少女がこちらを見ていた。
「えっ、今なんて?」
「……へたくそって言ったの」
少女はそう言いながらも、ほんの少しだけ口元を緩めていた。
「なるほど。じゃあ、先生にお手本を見せてもらおうかな」
俺が積み木を少女のほうへ押し出すと、彼女は戸惑ったように目を伏せた。
しばらくして、ゆっくりと手を伸ばす。
青い積み木をひとつ拾い上げたものの、すぐに地面へ置いてしまった。
指先に力が入らないのか、積み木を持つ手がかすかに震えていた。
「大丈夫か?」
「……うん。ちょっと、おなかがすいてるだけ」
少女はそれが当たり前のことのように答えた。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
それでも少女は、もう一度積み木に手を伸ばした。
今度は赤い積み木を拾い、青い積み木の隣に並べる。
「ここ、つなげるの」
「なるほど。そういう作り方もあるのか」
俺が真面目にうなずくと、少女は少しだけ得意そうな顔をした。
その様子を見て、弟らしい男の子がそろそろと近づいてきた。
「……ぼくも、いい?」
「もちろん。いくらでも遊べ!」
男の子は黄色い積み木をひとつ手に取ると、少女の隣に座った。
さらに、少し離れたところにいた子供たちも、こちらの様子をうかがいながら集まってくる。
三人。五人。十人。
けれど、みんな元気いっぱいというわけではなかった。
積み木を一つ置くたびに休む子もいれば、座ったまま、ほかの子が作るものをじっと眺めている子もいる。
それでも、誰かが積み木を積めば、別の誰かがその隣に一つ置く。
少しずつ、地面の上に色とりどりの建物が増えていった。
「できた」
少女が小さな声を上げた。
赤い積み木と青い積み木を組み合わせた、少し歪んだ家だった。
「やるなぁ。でも、こっちのほうが高い」
俺が隣に作った積み木の塔を指さすと、男の子がじっと見比べた。
「……もっと高くする」
「おっ、負けないぞ」
俺がわざと大げさに積み木を一つ積むと、男の子も負けじと手を伸ばした。
その手つきはまだ頼りなく、積み木を置くのにも時間がかかる。それでも、彼は自分の塔が少しずつ高くなるのを見て、目を輝かせた。
「できた!」
「おお、これは負けたかもしれないな」
俺が悔しそうな顔をすると、少女がくすりと笑った。
それにつられるように、隣の子も笑う。
やがて、積み木の塔が崩れて大きな音を立てた。
「あーっ!」
「また壊れた!」
「今度はもっと高くする!」
細い声ではあったが、そこには確かに楽しそうな響きがあった。
子供たちは疲れれば手を止め、少し休んではまた積み木を手に取った。
空腹が消えたわけではない。頬のこけた顔も、細い腕も、そのままだ。
それでも、ほんのひとときだけ、彼らは空腹以外のことに夢中になれたのだ。
村の入口に、久しぶりの笑い声が広がった。
後ろでホルスが肩越しに顔を拭った。
「……積み木が余っていてよかったですね」
俺はそれだけ言った。
村の奥へ案内された。
家畜小屋は村の北側に並んでいた。牛小屋が三棟。豚小屋が四棟。鶏小屋が三棟。
どれもしっかりした石と木の造りだ。屋根も壁も無事で、柵がいくつか傾いているだけ。手を入れれば、十分に使えそうだった。
だが、中は空っぽだった。
床に干し草の一本も落ちていない。餌箱には埃が積もり、水桶は乾いてひび割れている。
「ここには牛が五十頭いた」
ホルスが低い声で言った。
「豚は百頭近く。鶏は数え切れねえ。朝になれば、この小屋全部から鳴き声がしてな」
「今は一頭もいないんですね」
「ああ。全部いなくなった」
空の小屋の前で、しばらく誰も口を開かなかった。
かつては村の暮らしを支えていた場所が、今では何も生み出さない空間になっている。
その後、農地も見せてもらった。
村の南側に広がる畑は、見渡す限り干からびていた。地面には無数のひび割れが走り、枯れた茎が立ち尽くしている。
そして、あちこちに小さな足跡が残っていた。
「魔獣の足跡ですね」
フィーナがしゃがみ込んで地面を見た。
「ネズミとウサギの群れ。若い芽を片っ端から食べてる」
「雨が降らない上に魔獣まで。この村も限界だったということね」
セレスティアは、すでに記録用紙に何かを書き込んでいる。
俺は空の小屋と干からびた畑を交互に見た。
小屋は残っている。畑もある。人手だっている。
それなのに、食べ物がない。
腕を組み、しばらく黙り込んだ。
「コータ」
リディアが声をかけてきた。
「食べ物を渡せばいいのではないか。コータにはそれができるだろう」
「できます。今日明日は」
俺は首を横に振った。
「でも、肉も卵も渡し続けることはできない。俺がいなくなったら、この村はまた同じ場所に戻ります。それに……」
空の小屋に目を戻す。
「育てる場所ならある」
フィーナが目を見開いた。
「家畜を、飢えた村で飼うんですか?」
「はい。小屋も柵も残っている。人手もある。足りないのは餌と家畜と時間だけです」
ホルスが身を乗り出した。
「簡単に言うな。餌はどうする。畑はこの通りだ」
「そこをこれから考えます。ただし、俺一人では無理です」
俺は正直に言った。
「だから、人に頼ります」
セレスティアが記録用紙を広げた。
「現状を整理しましょう。数字を示せない相談は、どこでも相手にされないわ」
そう言って、ホルスに質問を重ねていく。
人口は七十五人。家畜小屋は十棟。農地はおよそ三十反。以前は村の裏の川から水路を引いていたが、崩れてそのままになっているという。
「農具はあるのか」
カイルが尋ねると、ホルスは気まずそうに目をそらした。
「……どうかしたのか」
「売った。鉄を売って穀物を買った。今あるのは欠けた鍬が数本だけだ」
鉄は余っているのに、食べ物は足りない。
生き延びるために、食べ物を買う金を作るための道具まで手放してしまったのだ。
「では、農具は俺が用意します」
俺は荷物の陰へ回り込んだ。
リディアとカイルが、さりげなく村人の視線を遮ってくれる。
その隙に専用冷蔵庫を展開し、今朝のチラシを開いた。
【ホームセンター・タガヤスあたらしい畑仕事応援セール!】
━━━━━━━━━━━━━━
鍬一本 1,980円
スコップ一本 1,280円
ネコ車一台 4,980円
軍手十組入り 498円
麦わら帽子一個 398円
━━━━━━━━━━━━━━
「……安い」
思わず声が漏れた。
この世界の卵一個にもならない値段で、七十五人分の道具が揃う。
俺は迷わず購入した。魔獣討伐で稼いだ金は、こういうときのためにある。
購入した農具を荷台の陰で抱え、何食わぬ顔で戻ってきた。
「王都で仕入れたものです。これを使ってください」
「……王都には、こんなに立派なものがあるのか」
ホルスは新品の鍬を手に取り、不思議そうに眺めた。
どう説明したものか。俺は答えに困り、質問の矛先が別のところへ向くのを待つことにした。
その夜、俺たちはホルスの家の土間で話をした。
室内には皿が二枚と欠けた水瓶があるだけだ。それでも、炉端の火があるおかげで寒くはなかった。
「まず、やることを三つに分けます」
俺は指を一本立てた。
「一つ目は畑と水路を直すこと。これは村の人たちが自分たちでやります。二つ目は餌になる作物の種と苗を手に入れること。三つ目は家畜を再び迎えること」
「二つ目と三つ目は金がいる」
カイルが静かに言った。
「種も家畜も無料では手に入らない。それに魔獣の対策も必要だ」
「そこで相談です」
俺は深呼吸した。
「王都ギルドのガルド本部長と、ペイペの町の領主様に手を貸してもらいます」
ホルスの目がぴくりと動いた。
「領主様だと?」
「はい」
「騙されてるんじゃねえか。お偉い様が俺たちみたいな村の話を聞くわけがねえ」
そう言うのも無理はない。
食べ物を買うために農具まで売り払った村だ。領主に助けを求めても無駄だと思っていても不思議ではない。
俺は温かい水を一口飲んでから答えた。
「施しを頼んでいるわけではありません。仕事の話をしています」
「仕事だと?」
「王都の食料が高いのは家畜と農作物が足りないからです。この村が再び肉や卵を出せるようになれば、王都の食卓も楽になります。本部長も領主様も、そこを変えたいはずです」
ガルドは言っていた。家畜と農作物の両方を増やす必要があると。
なら、まずは一つの村から立て直す。今回の計画は、その最初の一手になる。
「そのためには材料が要ります。村の状況と、やる気と、数字です」
「数字は私がまとめる」
セレスティアが即座に言い切った。
「記録は得意よ。農地の面積と小屋の状態、それに必要な水量を明日までに調べる」
「私は魔獣の巣を探すよ」
フィーナが手を上げた。
リディアは大剣を腹に置いて腕を組んだ。
「私とカイルはどうする」
「カイルさんは馬車でペイペのギルドへ行って手紙を届けてもらえますか。エクルさんに早馬を手配してもらうので」
「引き受けた」
カイルがうなずいた。
「リディアさんは、ここに残って村を守っていただけますか」
「コータの護衛もか?」
「そこはもちろん」
リディアの顔がぱっと明るくなった。
「承知した!任せろ!」
頼もしい返事だったが、声が大きすぎた。土間の壁がびりびりと震えた気がした。
手紙は二通書いた。
一通はガルド本部長へ。ここで見た村の状況と、家畜小屋を再利用する構想を伝える。
もう一通は同じ内容を女官のフレイヤ様にも写し、領主様に取り次いでもらうためのものだ。
フレイヤはブレディアの敬虔な信徒だ。豊穣の女神の名を出して、飢えた村を見過ごすとは思えない。
……という理屈は、ちょっとズルいかもしれない。
でも、使える縁は使う。
これはコータ個人の得ではない。村の人たちの命の話だ。
書き終えた手紙をカイルに渡した。
「返事をもらうまではモウ村にいます。往復に三日ですね」
「二日で戻る」
カイルは手紙を懐にしまい、無表情のまま馬車に乗り込んだ。フィーナが手綱を握る。
やがて馬車は山道を下り、見えなくなった。
その夜、荷物の奥でゲーム機が小さく震えた。
人目を避けて小屋の陰で画面を開く。
『……オトクくん』
「コータです。今日は野菜たっぷりの豚汁ですよ」
汁を淡い光に包ませて送る。
ブレディアは、いつもよりやさしい声でひと口食べた。
『……あったかい』
「でしょう」
『あの村の畑、見えました。豊穣という名を背負っているのに、あたしはなにもできなかった』
「神様だって、全部はできませんよ?」
『でも……あの子たち、おなかがすいているのに遊ぶ元気もほとんどなかったでしょう?あんなに小さな子たちがあたりまえのように空腹を我慢しているなんて……』
ブレディアの声が、そこで途切れた。
いつもなら食べ物の話になると止まらない女神が、今は言葉を探している。
『あたしは豊穣と食文化の女神です。おいしいものを食べる喜びも、食べ物を育てる喜びも、みんなに知ってほしくて……そのためにいるはずなのに』
いつもの明るさは、そこにはなかった。
『なのに、あの村の人たちは食べることだけで精いっぱいで……。あたし、もっとちゃんとしなきゃいけませんね』
「ブレディアさん……」
『これからは、もう少し自分の役目を自覚します。豊穣の女神として、食文化を司る神として……あんな思いをする人が少しでも減るように、あたしにできることを考えます』
冗談でも、見栄でもない。本気で反省しているのだろう。
今日の光景は、どうやらこの女神の心にも深く刺さったらしい。
「神様だって、全部を救うことはできないと思います。でも、ブレディア様がそう思ってくれるなら、きっと意味はありますよ?」
『……オトクくんは、やさしいですね』
「コータです」
『ふふっ。でも、オトクくんはあの村を救おうとしてる。だから、あたしも応援します』
「だから、コータです。でも、ありがとうございます」
『それに、畑ができたら野菜をいっぱいお供えしてくださいね!』
「結局そこですか」
『ち、違いますよ!?お供えは豊穣の心ですから!あたしだって、野菜を育てる人たちを応援したいんです!』
「はいはい」
少し慌てた声に、いつものブレディアが戻ってきた。けれど、その言葉がただの食いしん坊な女神の欲望だけではないことは、俺にも分かった。
俺は苦笑して画面を閉じ、夜空の下に広がる干からびた畑を眺めた。
今日の食事を最後に、俺はこの村に食べ物を配るのをやめる。
それは、見捨てることとは違う。
毎日食べ物を与え続ければ、村の人たちはいつまでも俺を待つだけになるかもしれない。
だから明日からは、話を変える。
朝一番に、俺はホルスを訪ねた。
「ホルスさん。俺が渡せる食べ物は、昨日と今日までです。明日からは、育てる話をしましょう」
「施しはもうしてくれねえってことか」
ホルスの目に、わずかな陰りが差した。
「施しを続ければ、村の人たちはいつまでも俺を頼ることになります。それより、自分たちの手で食べ物を作れる村に戻しましょう。そのための食料は、ギルドと領主様に相談して用意してもらいます」
「……無茶を言う」
「無茶です。でも、やってみます」
ホルスはしばらく俺を見つめていた。
やがて、空の小屋へと視線を移す。
「……なあ、お前さん。もしこの村にまた牛が戻ってきたら」
「はい」
「あいつらの鳴き声を、もう一度聞きてえんだ」
その言葉を聞いて、俺は心に誓った。
絶対に、もう一度聞かせてみせる。
背後から、かちゃり、と小さな音がした。
振り返ると、子供たちが積み木を高く積み上げていた。
次回予告
第十八話 ギルド本部長と女官フレイヤが、荒れた村に視察にやってきました
手紙を受け取ったガルドとフレイヤがモウ村へ向かう。空の小屋と干からびた畑を前に、二人は何を思うのか。
「豚の生姜焼きを広めるだけでは、豚は増えんからな」
「承知しております。だから村を見に来たのです」
――料理番の計画に、王国が動き始める。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回はモウ村の現状を目の当たりにしたコータが、施しではなく、村の人たちが自分たちの手で食べ物を作れるようにする道を選ぶお話でした。
余っていた積み木が、子供たちの笑顔を取り戻してくれました。
そして、家畜小屋と農地を再生するため、ガルド本部長と領主様の力を借りることに。コータ一人の料理だけでは解決できない問題に、少しずつ周囲の人たちが動き始めます。
次回は、手紙を受け取ったガルドとフレイヤがモウ村を視察します。二人がどんな判断を下すのか、ぜひご覧ください。
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……野菜のお供えも、大歓迎だそうです。




