第十三話 王都ギルド本部長が、料理番に会いたがっています
朝刊を広げると、王都の靴職人が近所の野良猫に店の看板を占領されて困っているという記事が目に入った。
『何度下ろしても、気づけば看板の上に戻っている』
…………王都の新聞もまた、どうでもいいニュースばかりだった。
俺は新聞を脇に置き、朝刊の折り込みチラシの束をめくっていった。
すると、見慣れた赤と黄色のロゴが現れた。
【スーパー・マル得今日の大特売!】
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国産豚ロース薄切り100g128円
新玉ねぎ三個入り138円
おろし生姜チューブ158円
醤油一リットル248円
みりん398円
キャベツ一玉198円
お米五キロ2,980円
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「……これは」
俺は思わず座り直した。
豚ロースに玉ねぎと生姜。醤油とみりん。付け合わせにキャベツ。そして白い米。
どこをどう見ても、豚の生姜焼き定食を作れと言わんばかりのラインナップだった。
「今日は生姜焼きにしよう」
そう決めたのと、扉をノックする音が聞こえたのはほとんど同時だった。
静かなノックだった。
扉を開けると、ギルドの制服をきちんと着た職員が立っていた。
胸には王都ギルド本部の紋章が光っている。
「コータ様ですね。本部長がお会いしたいと申しております」
「本部長ですか?」
「はい。昨日のガルボア討伐の件で」
できれば触れられたくない話だった。だが、断るわけにもいかない。
すると、話を聞いていたリディアたちが、いつの間にか俺の後ろに集まっていた。
「コータ、私たちも一緒に行くぞ」
リディアが俺の肩にそっと手を置き、職員をまっすぐ見据えた。
「えっと、付き添いということでしょうか?」
「当然だ。コータは私たちの大切な仲間だからな」
リディアはそう言い切ると、俺をかばうように半歩前へ出た。
「それに、うちの料理番に妙なちょっかいを出されても困る」
「リ、リディアさん……」
思わず見上げると、リディアは何でもないことのように笑った。
「心配するな。私たちがついている」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「そういうことよ。『うちの料理番に手を出すな』って、しっかり伝えておかないとね」
フィーナが小声で付け加える。
……どうやら、俺の意思を確認するつもりはないらしい。
けれど、こうして当たり前のように守ろうとしてくれるのは、悪い気がしなかった。
王都ギルド本部の最上階にある部屋は、思ったより質素だった。
壁一面の棚には古い地図と帳簿が並び、大きな机の向こうでは、白髪と白い髭をたたえた老人がこちらを見ていた。
長年、肉体労働に携わってきたのだろう。太く、節くれ立った手が目を引いた。
「王都ギルド本部長のガルドだ。よく来てくれた」
低いが、よく通る声だった。
「コータというのは、お前さんか。料理番でありながら、ガルボアのとどめを刺したと聞いている」
「あれはパーティーの皆さんが弱らせてくれたからです。俺は最後に、ちょっと突いただけで」
「謙遜しなさんな」
ガルドは豊かな髭を撫で、面白そうに目を細めた。
「実は今日呼んだのは、討伐の話だけではない。討伐もできて料理もできるという珍しい人間に、相談がある」
「相談ですか?」
俺が聞き返すと、隣にいたリディアが一歩前に出た。
「その前に、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだね?」
「コータに危険な仕事を頼むつもりではありませんよね?」
「おい、リディア……」
思わず小声でたしなめる。
ガルドは一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。
「はっはっは!心配せんでも、今日は仕事を押しつけるために呼んだわけじゃない」
「なら、いいんだが……」
リディアはまだ少し警戒した様子で俺の隣に戻った。
「それで、相談というのは何ですか?」
俺が改めて尋ねると、ガルドの表情が引き締まった。
「王都の食料高騰の件だ」
部屋の空気が、すっと重くなった。
ガルドはゆっくりと話し始めた。
ここ数年、王都の食料品はあり得ない速さで値上がりしている。
原因は明らかだった。家畜は減り、畑も魔獣に荒らされている。
討伐依頼は増え続けているが、冒険者の手だけでは追いつかない。
「魔獣の肉を食料にできないかと、これまで何度も試させた。焼いても煮ても、どんな香辛料を使っても駄目だ。あれは人間の口に合わん」
「……そうですね。俺も一度試しましたが、駄目でした」
「やはり試していたか」
ガルドは小さく笑った。どうやら、こちらの事情もある程度は調べているらしい。
「だから魔獣の話はいい。今日は別の相談だ。家畜を増やすためには、何が足りないと思う?」
突然の問いだった。
俺は少し考えた。これまで見てきた光景を思い出す。高すぎる豚肉。高すぎる卵。食べたい人はいるのに、買えない人もいる。
「……飼う人にとって、割に合う仕事であること、ですかね」
「というと?」
「肉を食べたい人がいて、その肉がおいしく食べられると分かれば、買う人が増えます。買う人が増えれば、飼う人も増える。今は豚や鶏が、高いのに、どう食べればいいのか分からない状態なんじゃないですか」
ガルドの眉が、ぴくりと動いた。
「……食べ方、か」
「まだうまく言葉にはできませんけど、調理法を確立して広めれば、変わると思います。実際にやってみますか?」
いつの間にか、口がそう動いていた。
ガルドは黙って、かすかにうなずいた。
本部の厨房は広かった。
料理人たちが遠巻きに見守る中、俺は一枚の肉を手に取った。
王宮御用の牧場から分けてもらったという豚のロース。この世界では、一枚で家が買えてしまうほどの貴重品だ。さすがに、手が震える。
用意された調味料も、すべてこの世界のものだった。塩にハーブ、ハチミツ、赤ワイン、すりおろした生姜の根。そして玉ねぎ。
チラシは使わない。この世界の食材だけで作らなければ、調理法を広める意味がない。
まずは肉を薄く切り、すりおろした生姜とハチミツ、赤ワイン、刻んだハーブ、塩を混ぜ合わせたタレに漬け込む。
十分ほど置く間に玉ねぎを薄切りにし、フライパンでじっくりと炒めておく。
やがて、肉を焼き始めると――厨房の空気が変わった。
焼き目のついた肉から立ち上る香ばしさ。生姜のツンとした香り。ハチミツとワインが焼ける甘い匂い。それらが混ざり合い、天井の高い厨房から廊下へと流れていく。
廊下で職員たちがどよめいた。
「……何だ、この匂いは」
「脂の多い肉が、こんなに食欲をそそる匂いを出すとは……」
フィーナとセレスティアも、いつの間にか厨房の入口に張りついていた。
タレを絡めた豚肉を、炒めておいた玉ねぎと一緒に皿へ盛りつける。
完成したのは、豚肉の生姜焼き風。特別な食材も珍しい調味料も使わず、王都の市場で手に入るものだけで作った料理だ。
「……どうぞ」
ガルドは無言でひと切れを口に運んだ。
ゆっくりと噛みしめ、目を閉じる。そのまま、しばらく動かなかった。
「……うまい」
やがて、低い声が漏れた。
「肉の甘みと、タレの甘辛さ。それに生姜の後味……。こんな食べ方があったのか」
「使ったのは、王都の市場で手に入る食材ですよ。調味料も特別なものはありません」
ガルドが目を開けた。その眼差しには、先ほどまでとは違う力が宿っていた。
「……これを、書き留めてくれるか」
「はい。今すぐに」
俺は紙とペンを借り、調理の工程をひとつずつ書き出していった。
肉の切り方から下味の配合、漬け込む時間、焼く順番、玉ねぎを先に炒めておく理由まで、できるだけ詳しく記していく。
書き終えると、ガルドはその紙を両手で大切そうに受け取った。
「これを全国のギルドに配ろう。もっとも、今は豚肉そのものが高い。だが、この調理法が広まれば、豚を飼う者を増やすための話を王都の農政院に持ち込める」
「ただ、これには玉ねぎや生姜も必要ですよ」
カイルが静かに口を開いた。
「肉だけ増やしても、調理に使う食材が足りなければ意味がない。農作物も一緒に増やす必要がある」
「その通りだ」
ガルドは大きくうなずいた。
「家畜と農作物、その両方を増やす。ギルドだけでできることではないが、王国の農政院や領主たちを説得するための材料は、これで揃った」
「あとは王国ギルドにお任せします」
俺は頭を下げた。
「俺にできるのは、ここまでです。調理法はお渡ししますので、自由に活用してください」
「承知した。ここから先は、わしたちの仕事だ」
ガルドは、今日いちばんの笑顔を見せた。
宿に戻ったのは、太陽がそろそろ傾き始める頃だった。
部屋に戻って椅子に座ると、ようやく緊張が解けたのか、腹が鳴った。
本部で作った生姜焼きを、俺は一切れも食べていない。味見はしたが、あとは皆に食べてもらうばかりだった。
……やっぱり、物足りない
今朝のチラシを思い出す。豚ロース、玉ねぎ、生姜、醤油、みりん、キャベツ。そして白いご飯。
俺は立ち上がった。
宿の主人に「厨房を貸してください」と頭を下げると、「お前さんならいいよ」と、あっさり許可が出た。この宿でも、俺はすでに顔を知られている。
チラシをペラリとめくる。
購入した食材は、専用冷蔵庫から取り出す。国産豚ロース、新玉ねぎ、おろし生姜、醤油とみりん。そして、お米五キロ。
宿の大きな鍋に米を一升分、研いで入れる。
「……一升は多いかもしれないけど、余ったらおにぎりにすればいい」
そう思っていた。
この時は、まだ。
炊いている米の蓋の隙間から白い湯気が上がり始めた頃、厨房の扉が開いた。
「コータ。いい匂いがすると思って来た」
リディアだ。後ろにはフィーナとセレスティア、カイルもいる。
「どうして分かるんですか?」
「匂いが廊下まで流れていたからだ」
「まだ焼いていませんよ」
「えっ?まだ何も焼いていないんですか?」
セレスティアが厨房を覗き込んだ。
「この匂いで、まだ完成していないなんて……。いったい何を作っているんですか?」
「豚肉の生姜焼きです。そんなに珍しい料理でもないですよ」
「でも、こんなにいい匂いがするじゃないですか!」
セレスティアは期待に満ちた目で俺を見つめた。
その隣では、フィーナが小さく咳払いをした。
「皆さん、食事の時間にはまだ早いのではありませんか?」
「フィーナも食べる気満々じゃないか」
リディアが指摘すると、フィーナはぴたりと動きを止めた。
「わ、私は皆さんが先走らないように注意しているだけです!」
「そうか。じゃあ、フィーナの分はなくてもいいな」
「そ、それは困ります!」
即答だった。
カイルはすでに席についていた。手にはスプーンを握り、厨房の様子をじっと見つめている。
「……カイルまで」
「料理ができるまで待つ」
「いや、待つのはいいんですけど、どうして全員スプーンを持っているんですか?」
「すぐに食べられるようにだ」
リディアは当然のように答えた。
俺はため息をついた。
豚肉を薄く切り、おろし生姜と醤油、みりんに漬け込む。
フライパンを熱し、豚肉を手早く焼いていく。
じゅうっ。
音とともに、先ほど本部で作ったものよりも濃厚な甘辛い香りが立ち上がった。
「……っ」
セレスティアが口元を押さえた。
「この香り……。さっきよりも、もっと食欲をそそられますね」
「醤油とみりんの量を少し変えただけですよ」
「少しで、こんなに変わるんですか?」
「料理は奥が深いな……」
リディアが感心したように呟く。
フィーナも、先ほどまでの余裕はどこへやら。じっとフライパンを見つめていた。
「……コータさん。そろそろ、完成でしょうか?」
「まだです。もう少し焼きます」
「そうですか……」
残念そうに肩を落とすフィーナ。
カイルは何も言わなかった。ただ、フライパンから目を離さない。
全員、黙って完成を待っていた。
そこへ、空気を切り裂くような声が頭の中で爆発した。
『この匂いは、生姜焼きですね!しかも、特売のやつ!』
「……どうして分かるんですか?」
『そりゃあ、あたしは豊穣と食文化の女神ですからねぇ!オトクくぅん!』
「コータです」
『細かいことはいいんですよぉ!それより、今日もお供えがあるんでしょうね!?』
「今、作っていますよ」
『よろしい!さすがはあたしの信徒です!』
「信徒になった覚えはありませんけど……」
『細かいことは気にしない!』
俺は今日も負けた。
写真立てを取り出して厨房の隅に立て、その前にできたての一皿を置く。
「……お供えです」
皿がすうっと光に包まれて消えた。
直後、頭の中に声が響き渡る。
『うまぁぁぁぁぁい!!生姜と醤油が、しょっぱいのに甘い!この絶妙なバランス!さすがはあたしの見込んだ料理番です!』
「自分で見込んだことにしないでください」
『それより、ご飯は!?ご飯はどこですか!?』
「今、炊いてますよ」
『一升、炊いてるんですね!分けてくださいね!』
「……分ける気はありますけど、足りると思いますよ」
『本当ですね!?約束ですよ!?』
「はいはい」
ちなみに、この予想は見事に外れた。
一升のご飯が炊き上がった。
炊きたてのご飯を茶碗によそい、皿に盛った生姜焼きを食卓に並べる。
その瞬間、リディアの手が伸びた。
「いただきます!」
「リディア、もう少し落ち着いてください!」
フィーナがたしなめるが、その手もすでに茶碗を持っている。
「……いただきます」
セレスティアも待ちきれない様子でフォークを伸ばした。
カイルは何も言わず、ご飯の上に生姜焼きをのせて口に運ぶ。
「……うまい」
短い一言だった。
リディアもひと口食べると、目を見開いた。
「この生姜焼きは、本部で食べたものとも違うな!この甘辛いタレ、何度食べても飽きない!」
「本当ですね。お肉の旨味がしっかり感じられるのに、タレの味も濃すぎません……!」
フィーナは感心しながら、次のひと切れに手を伸ばした。
「生姜の香りが食欲を引き立てているんですね。醤油とみりんだけで、こんな味になるなんて……」
セレスティアは目を輝かせている。
「ねえ、コータさん!このタレには、ほかの食材を使っても合うんでしょうか?」
「ええ、肉以外にも使えますよ。魚や野菜でも、工夫すればおいしくなると思います」
「本当ですか!?それなら、いろいろ試してみたいです!」
「……まずは、食べながら考えよう」
カイルがそう言って、二杯目のご飯をよそった。
「カイル、もう二杯目ですか!?」
「生姜焼きには、ご飯が必要だ」
真顔で言い切るカイルに、俺は苦笑した。
その頃、頭の中ではブレディアが騒いでいた。
『コータくぅん!おかわりのご飯はまだですか!?あたしのお肉が冷めちゃいますよぉ!』
「そっちはそっちで、ちゃんと食べてください!」
『ご飯がないとぉ、お肉のおいしさが半減しちゃうんですけどぉ!早くぃ!』
「女神様なのに、食べ物のことしか頭にないんですか……」
『豊穣と食文化の女神ですからね!』
胸を張る姿が目に浮かぶ。
俺はため息をつき、炊きたてのご飯を小さな器によそった。
「ほら、これでいいですか?」
『待ってましたぁ!』
器が淡い光に包まれ、すうっと消えていく。
直後、頭の中から幸せそうな声が響いた。
『はぁぁ……!やっぱり、お肉にはご飯ですねぇ!』
「……もう、好きにしてください」
俺はもう、何も言わなかった。
一升のご飯は、三十分も経たずになくなった。
空になった炊飯器を見つめ、俺は遠い目をした。おにぎりにするつもりだったのに、まさか一升まるごと食べ尽くされるとは。
「……余ったらおにぎりにするつもりだったんですが」
「余るわけがないだろう」
リディアは茶碗を抱えたまま、当然のように言った。
「いや、一升ですよ?」
「おいしかったからな!」
リディアは満足そうに笑った。
「それは、ありがとうございます……」
褒められるのはうれしい。うれしいけれど、俺の分も少しは残してほしかった。
あまりにも迷いのない返事に、俺は思わず笑ってしまった。
「……明日も、炊きますよ」
「頼む!」
リディアはいつもと変わらない調子で答えた。けれど、耳はほんの少し赤くなっていた。
空になった茶碗をじっと見つめながら、ぽつりと付け加える。
「やっぱり、コータの飯が一番だ」
その言葉を聞き、カイルは空の皿を抱えて静かにうなずいた。
「……同感だ」
「私もです!こんな料理を毎日食べられるなんて、幸せですね!」
セレスティアがうっとりと目を細める。
「ええ。これほどおいしいものをいただけるなら、明日からの食事も楽しみです」
フィーナはそう言いながら、皿に残ったタレを最後のひと口ですくい取った。
……全員、きれいに完食である。
俺は空になった炊飯器をもう一度見つめた。
五キロも買った米があるのだから、しばらくは困らない。
そう思いたい。
宿の厨房に、穏やかな空気が流れた。
王都の食料問題は、今日ここで解決するわけではない。
それでも明日も、明後日も、俺はきっとこうして、皿を空にする皆の顔を見ているのだろう。
……まあ、できれば自分の分も残してほしいけど。
次回予告
第十四話王都の領主の館から、料理番への正式な招待状が届きました
王都ギルド本部での一件から数日後、コータのもとに豪華な封筒が届く。差出人は、この一帯を治める領主だった。
「『領主様が、コータ殿の料理をご所望です』と書いてありますね」
「俺は、行かなきゃダメですか?」
「ダメです」
――料理番の社交界デビューは、どうやら避けられそうにない。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、コータの生姜焼きが王都の食料問題解決への第一歩となるお話でした。
食べ方ひとつで、食材の価値も変わる。ガルドがこのレシピをどう広めていくのか、今後の展開にもご期待ください!
そして宿に戻れば、いつもの食いしん坊たちが待ち構えていました。
一升のご飯が三十分で消えるとは……。コータも、まさかおにぎりの夢がこんな形で終わるとは思わなかったでしょう。
次回、第十四話
「王都の領主の館から、料理番への正式な招待状が届きました」
ギルド本部での一件も束の間、今度は領主様からのお呼び出し!
果たしてコータは、料理番としての社交界デビューを無事に乗り切れるのでしょうか?
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※ブレディア様へのお供え物は任意です。
……ご飯付きだと、なお喜ばれるそうです。




