53 A・N国
(今までの章では英語の会話は概ね標準語で書きましたが、ここでは英語の会話ではあるが、家族内、非常に近しい人、の間の会話なので、あえて方言で書いています。)
N航空九十便は定刻より少し早い午前七時半過ぎにA空港に着陸するというアナウンスが流れた。正行とリサの二人はプレミアム・エコノミーのシートにいた。正行は初めロングフライトなので、ビジネスクラスの乗ることを提案したが、リサは正行の母親である三木に会うことで緊張するから個々の席が離れているビジネスクラスよりもすぐ隣に座れるスカイカウチかプレミアム・エコノミーに乗ると言って聞かなかった。そうは言ったものの羽田空港を離陸して食事が終わる頃までは正行とベタベタしてはいたが、旅の疲れかすぐに眠ってしまった。正行もリサにつられて比較的すぐに眠りについた。二人が目を覚したのは朝食を配るために機内の照明が明るくなってからだった。リサは朝食後も眠ってしまった。しかし、正行は以前にビデオ通話で三木に言われた、ほったらかしにしとくんならそれなりなりの覚悟をしておけ、という言葉が気になり、少しうとうとするだけであまりゆっくりは眠れなかった。
いたずら
通関は荷物検査もX線を通しただけで開けられることもなく終わり、待合室の出口を出た。パッと見た限り母親である奈央の姿はなかった。スマホで奈央に連絡しようとポケットを探り、それに目を落としたときに事態は急変した。出口が混み合わないように一応柵はしてあったが、もちろん、荷物を受け取ったり、出迎えにきたことを知らせたりするために出口に到達することは可能なので、柵の切れたあたりから正行より少し年上と思しき二人の女性が早足で近づいてきて、アジア人風の一人が正行の腕に絡みつき、ポリネシア人風の女性が首に両腕をかけてキスをした。リサはあっけにとられその様子を見ていた。
「ちょっと、ママ、気色悪いなぁ」
「なんでわかるんや」
「いや、そらわかるやろ。タトゥー、タトゥー」
「しもたな、長袖着てくればよかった」
「そういう問題やないがな。極端なことしたらあかん言うたやろ。リサかてびっくりしてるやないか。それに莉子さんまでそんなんしたらもうテレビ出れませんやん」
「私はもうお仕事は引退したから」
「せやのうて、これからどないして生活するんですか」
二人は紺地に金色の 絵が描かれたパスポートをそれぞれのポケットから取り出した。
「はぁー、まぁええわ。リサ、俺に似てるほうがママ、もうひとりが友達の莉子さん。二人とも七十代。ママ、ちゃんとリサにあいさつして。こんな人目につくとこでこの論議はやめよ。車に乗ってからにしよ」
「リサちゃん、ごめんね。トゥイの母です。トゥイがあんまりほったらかしにするから、ちょっとイタズラしてみたんよ。朝ごはん食べた?」
「はい、機内食ですが、いただきました」
「それやったらお腹減ってるんやないん」
「ちょっと」
「じゃ、家でオムライスでもつくろか」
「オムライス?」
「あぁ、ジャパニーズフードやから知らんかも」
「あっ、いただきます」
「とりあえず車乗ろか」
そういって四人は駐車場に向かった。
「二人は後ろに乗って」
奈央が車に近づいてドアを開けた。
「また車変えたんか」
正行が言った。
「いや、やっぱり日本車がええかな思うて。安いし」
「値段なんか気にしたことないやろな」
「せやかて似たような性能やった安うて壊れんほうがええやないか」
「メルセデスはこわれたんか」
「パワーウインドウが開かんようになった」
「それだけ」
「せやで。すごい不便やった」
「どっからそんな金が出てくるんや」
「やかましなぁ。ハーバード行けんほうが良かったんか」
「いや、それはない」
「ほな、グズグズ言いないな。なぁ、リサちゃん」
「はい、それがなければトゥイと会うこともありませんでしたし」
「妬けるねぇ」
「アホか。息子にヤキモチ焼いてどうすんねん」
「他にやきもち焼く人自体おらんやないか」
「そらそうやけど。ちょっとさっきのパスポート見せてみ」
奈央は再度I国のパスポートをポケットから取り出した。正行はパスポートを広げて中身を確認した。
「海外旅行行ってるやないか」
「そらI国はここのビザがいるから仕方ないやろな」
「主税兄さんに怒られへんかったか」
「多少は愚痴言われたよ、多少な」
「何学部行ってるんや?」
「医学部や」
「はぁ、倫理的に問題あるやろ」
「あんたに言われたないわ」
「まぁ、ええけど。ところで何科になるつもりや?」
「皮膚科」
「修士課程行かなあかんぞ」
「まぁ、まだちょっと時間あるさかい、そんときに考えるわ」
「うん、そうし。俺らの邪魔だけはせんといてくれよ」
「そんなことするわけないやないか。アホか」
「今日かて大概やってんから信用できん」
「せぇへん言うてるねん。ほら、着いたぞ」
奈央はコントローラーを操作してゲートを開けた。
「なんや、この家は。めちゃめちゃでかいやないか」
「いちいちいちいち、うるさいな。ほなホテルにでも泊まるか」
「いや、ええ。あんまり触れんとく」
奈央は車をエントランスにつけ四人は家の中に入って行った。
「いま、莉子ちゃんと一緒に住んでるんや。莉子ちゃんも学生やで」
「医学部か?」
「いや、莉子ちゃんは法学部や」
「それはそれで問題が多そうやな。それで卒業したらどないしはるんですか?」
「さしあたり移民弁護士の事務所に勤めよ思てるよ」
「まさか怪しげなパスポートばら撒くつもりやないでしょうね?」
「そんなことするわけないやん。別にお金に困ってる訳やないし。それこそ怒られそうやし」
「それはさすがに相手国との大問題になると思いますよ」
「それがな、利太さんが一回投資物件でミスってちょっとマイナス出したときに主税さんから言われて、ほら、正行くんが作った銃あったやん、あれを改造して強力なレーザー発射できるようにしてI国に提供したから、多分、問題にならへんと思う」
「あんまりきな臭いはなしにかかわったらだめですよ」
「どの口が言うてんのよ、正行くん。山ほど理由のわからん実験してるて奈央ちゃんから聞いてるで」
「せやかて、ちゃんと検証してないもん、莉子さんに勧められませんがな」
「それもそやな」
「ちょっと、あんたら、リサちゃんがおるのに何物騒な話してるんや。莉子ちゃん、オムライス作るから手伝うてや。リサちゃんとトゥイはビールでも飲んどき」
正行は二人について台所まで行きビールを二本とグラスを一つ持ってきた。
オムライス
「ねぇ、トゥイ。あの二人、大丈夫?」
「えっ、何が?」
「いや、なんか、人体実験と食べもんの話、同列でしてるし」
「ママはもう五十年以上ファミリーにおるし、莉子さんも、そのママと三十年以上友達やからやと思うで。こないだは来たはれへんかったけど、旦那さんもファミリーの人やし。オムライス、すごいおいしいで」
「そもそも、オムライスてなに?」
「説明すんの難しいな。フライドライスに卵が乗ってるんや。ちょっと違うけど、芙蓉蟹(egg foe yung)をご飯に乗せた感じやな」
「そんなもんがほんまにおいしいん?」
「ママはたいがい碌なことせんけど、あれはうまい。こないだ主税兄さんと食べた懐石とか、リサが大騒ぎした天ぷらとか、寿司な、ああいうんはA級グルメいうてな、毎日食べるもんやない。オムライスやら、大阪で食べたハンバーガーやらはB級グルメいうてな、これは、まぁ、外で食べることもあるし、家でも作るし、日常的に食べるもんやねん。すぐできるやろから待っとり」
「それってほんまに日本食?」
「その由来は知らんけど、日本人やったら誰でも知ってるらしいで」
「らしいて、トゥイも日本人やん」
「いや、俺はN国生まれのN国育ちで、N国人や。ママは初めは日本人やったけど、N国人になって、今はI国人やけどな。ようもあんだけ無茶なことするわ」
「せやけど、医学部に行くて経歴書とかもいるんちゃうん?そんなんどうやって作るんよ?」
「パスポート作れるんやから、それぐらい完璧なんができるんちゃうか」
「せやかて、なんか聞かれたとき医学的知識とかあるん?」
「学生やから、それは今のうても問題ないやろ。もともと看護師やからありはするで」
「ええっ、あんな非常識やのに?」
「非常識て、リサちゃんはオムライス食べたないんやな?」
三木と蓮水がオムライスをふた皿ずつ運んできた。デミグラスソースの匂いが部屋を包んだ。
「いや、そういう訳やなくて、こないだ主税さんと加奈子さんから、ちょっと信じられないようなお話を聞かされまして」
「あぁ、あの二人から?何を聞いたんや?」
「それで非常識って言うてしまったんですけど」
「まぁ、あの二人は変態の極みやからな」
三木はチキンライスを紡錘形に盛った皿を二人のテーブルに運び、オムレツを乗せた。
「ほら、ナイフで真ん中から割って広げてみて。熱いさかい気ぃつけてな」
「わぁ、きれい」
リサがナイフを入れると半熟の卵がとろりと広がった。
「うちの家族はみんなそんなもんやから、慣れてくれたらそれでええよ」
「リサちゃん、このあとどないするつもりや?」
「トゥイと一緒に皮膚科のクリニックを開く予定です。私はそこで施術をしながら研究も続けたいと思っています」
「ほな、私も一緒にしてええか?修士課程は面倒やからGPのままでええねんけど、クリニックに一人GPがおったら何かと便利やろ」
「もちろんですよ。でもお母様はまだ在学中じゃないですか」
「あと二年もあれば卒業できるから、それまでトゥイは何する言うてた?」
「トゥイはその間、AU空軍に入隊する言うてましたけど」
「あの子はほんまに好き勝手するわ。まぁ、今やなかったらできんのは確かやけどな」




