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51 懐石(かいせき)

 プレゼンと質疑応答が終わったあと、正行とリサは主税と諏訪とともにテーブルで懐石を楽しんだ。リサが長い時間床に座るという経験をしたことがなかったからだった。はじめリサは皆と一緒に床で食べることを主張したが、足の具合が悪くなれば懐石を味わう余裕がなくなるという加奈子の意見を受け入れた。リサは運ばれてくる料理と盛り皿の調和に感動しているようだった。それを口に運ぶと、見た目も味も素晴らしい、といった。殊に素材の良さを引き立てる味付けに心を奪われたようだった。


 料理と酒が進むに従って四人の話は次第に砕けた内容に変わっていった。


「加奈子さんは検事をやめて弁護士になったと聞きましたが、どうしてですか?」


 リサが聞いた。


「そういえばリサちゃんのご家族はみんな弁護士って聞いたわ。弁護士と違って検事は公務員なのよ。だから起訴になろうが不起訴になろうが、有罪になろうが無罪になろうが給料は変わらないの。多少ボーナスは変わってくるでしょうけどね。それに私に回ってくる事件なんて大した犯罪じゃないの。せいぜい、傷害事件ぐらい。しかも、容疑者もたいてい品がないの。もちろん、被害者がいるからそれなりのことはするけど、その被害者だって、なんていうか、頭の回転が鈍い人が多いのよ。その場で、ごめんね、って言っておけばわざわざ事件にならないようなことがほとんどなの。ファミリーの人たちが容疑者になることなんてないし、被害者にすらならない。冤罪になったところでそれは対応した弁護士が無能なのか、やる気がないからよ。たいていが国選弁護士だからね」


「冤罪になったことってあるんですか?それで恨まれたとか?」


「分からないわ。たいして興味もないし。恨んで刑務所から出てきたとしても刑務官から事情を聞いてるから大丈夫よ。ねっ、主税くん」


「そうだよ。でも加奈子、それではリサちゃんの質問の答えになってないよ。なぜ弁護士になったかが抜け落ちてるからね」


「それはね、二千四十一年に私たち結婚したの。それを機に検事はやめたわ。結婚した時点で私は妊娠していたの。主税くんも色々手伝ってくれたけど、やっぱり授乳をしたり、少し大きくなってからは保育所や幼稚園に送っていかないといけないし、それを全部主税くんに任せるわけにもいかないでしょ。授乳なんて主税くんは生物学的にもできない。あなたたち、れなさんて知ってる?すみれちゃんのお母さんと言ったほうがわかりやすいかも」


「もちろんわかりますよ。母の農場に時々来てるし」


「トゥイから聞いたことがあります」


 正行とリサが答えた。


「あの人はお仕事が好きだったのよ。そして、正行くんのお父さん、主税くんのお父さんでもあるけど、正成さんはすごく精緻な仕事をする人だったのに、あんまり仕事に興味がなかったの。だからお父さんはすぐに常勤の仕事を辞めたわ。昔と比べて福利厚生は飛躍的に向上したけど、それはあくまで子供にトラブルがないことを前提にしているわけで、子供はよく熱を出したり、怪我をしたりするのよ。そうなるとどちらかが迎えに行ったりしなければならないわけで、主税くんみたいに夫がしょっちゅう海外に行ってる場合なんかはどうしても私がそうしないといけなくなってしまう。検事の仕事は結構忙しいのよ。つまらない事件を起こす人たちが結構多くてね。その点弁護士は依頼がないと仕事しないでもいいし、あったとしても勝てそうな事件しか受けなくても構わないし。私は基本的にファミリーの人たちの企業法務と民事しかしてないから変な人や気持ち悪い人もいない。だから検事をやめて弁護士になったの」


「どちらの方にやりがいがありますか?」


「どっちもないわよ。だいたい、私は司法書士になってゆっくり仕事がしたかったのに主税くんが無理やり司法試験を受けさせたの」


「別に司法試験に合格してても司法書士の仕事もできるがな。今してる仕事と司法書士の仕事はほとんど変わらんやないか」


「それは今の話で結婚する前は忙しかったじゃない」


「長い人生のうち数年ぐらいは多少忙しくてもまぁええやないか」


「リサ、ファミリーの人に仕事に対する積極的な姿勢を求めても意味がないよ。仕事は人生を豊かにする一つの手段としてしか考えてないから。ファミリーの人たちはファミリーの仕事以外に何かしら仕事はしてる。もちろん杜撰なことはしないとは思うけど、やっぱりファミリーからの収入の方が大きいからね。それでも別の仕事してるのはファミリーを守るためのルールなんだ。何があってもファミリーに迷惑がかからないようにね」


「そうなの?ファミリーに迷惑って?」


「ファミリーのメンバーがもしファミリーの仕事が出来なくなっても食いっぱぐれがないようにするためにそれなりの収入のある仕事についていなければならない。ファミリーの仕事がなくなって、ファミリーからお金をせびるようなことがあってはならないんだ。元メンバーを処分するのは利太兄さんだって嫌がる」



「なんか怖いわ」


「大丈夫、今までそんな人は一人もいないから」


「ちょっと安心した」


「ところで主税兄さん、ママの家にあった空薬莢だけど、どうしてそんなものをママが大切にしてるの?」


「あれの話は汚らしいからあんまりしたくないんやけどなぁ。加奈子がしてやってくれるか?」


「ええっ、私だって恥ずかしいわよ」


「今日はメンバーしかいないし問題ないよ」


「まぁ、いいけど。正行くんが生まれる前の話だけど、お父様がC国で亡くなって、その後でホテルで追悼会があったの。その時に小さな祭壇が設けてあったんだけど、そこにお父様が使っていた競技用の銃が飾られてたわけ。この銃はさっき出てきたすみれちゃんのお母様のれなさんがデザインしてお父様にプレゼントした銃ですごく綺麗な彫刻が彫ってあったの。当然、その銃はれなさんが使う予定になっていたんだけど、奈央ちゃんがその銃を舐めまわし始めたのよ」


「ええっ、母がですか?」


「そうよ。こんなことを息子さんの正行くんには言いにくいんだけど、奈央ちゃんはちょっとエキセントリックなところがあって、たまにそういう類のことをするのよ。日本には昔から辞世の句というのを残す習慣があってね、最近はそんなことする人は稀なんだけど、お父様はそれを残してたの。もちろん、元気なうちに作っておいて死んでから発表するって感じの詩ね。お父様が亡くなったのはすごく小さなフィッシングボート、ちょうど湖や川で観光客が自分で漕ぐボートみたいなのの上でね。そのボートの座るところの木の部分にこの辞世の句と、奈央ちゃんが問題を起こしたらN国に送り込むようにって書いてあったの。おそらく死の間際に書いたみたいで奈央ちゃんの部分ははっきり読めなくて解読に苦労したのよ。追悼会の場で色々な人に聞いてお父様がきれいな農場を奈央ちゃんに残してくれていたことがわかったの。後で分かったことだけど、お父様の冷凍精子もね。それで奈央ちゃんと、莉子ちゃんは知ってるでしょ、前にテレビ局に勤めた人で利太さんの奥さん。黒猫のタトゥーの人ね。その莉子ちゃんと二人でN国に行かせたわけ」


「母が何か問題を起こしたんですか?」


「問題というほどではないけど、さっきも言ったように追悼会でお父様に対する思いが強いあまりに衆目の前で銃を舐めまわしたから、少し落ち着かせる目的もあってN国に行かせたのよ。行かせたら行かせたで田舎の生活が楽しかったみたいで一週間以上も何の連絡もしないで遊び呆けていたのよ。日本には殉死という死に方があってね、大切な人が亡くなった後に後追い自殺をすることがあるのね。こっちの方は奈央ちゃんの持ってるファミリーのカードが結構使われていたからそれほど心配はしてなかったんだけど。とにかく連絡が全くないもんだから仕方なく私たちが行ったの。そしたら案の定二人でおかしげなことをして遊んでいたわ。ほら」


 そう言って加奈子はスマホを開いてファームハウスで写した古い写真を見せた。


「母は一体何をしているのですか?」


「これはたわいもないことよ。正行くん、卯月って子覚えてる?」


「卯月って、犬の卯月ですか?」


「そう、犬の卯月。奈央ちゃんは卯月の真似をしてたって言ってたわ。これ自体はどうってことないんだけど、テーブルの上を見て。空薬莢が乗ってるのわかる?」


 加奈子はそう言って写真を拡大した。


「あぁ、確かにありますね。母の家で見つけたものとほぼ一緒です」


「これはもともとおまじないに使われてたの。射撃が上達するようにってね」


「これをどのように使うと射撃が上手くなるんですか?母は相当うまいように思いますが」


「そんなのどう使っても上手くなるわけないわよ。奈央ちゃんが上手になったのは一生懸命にお父様に追いつこうとしたからよ。四十年くらいの話になるけど、奈央ちゃんがちょうど射撃を始めて少し上手くなってきた頃にね、正行くんも迎え矢ばかり撃ってた時期があったでしょ、そんな時期の話よ。正行くんはジャパンルールって撃ったことある?」


「いえ、僕は迎え矢を撃って少し上手になってからは国際ルールを全部シングルで撃ってました」


「ジャパンルールというのはそれと似たようなものよ。ダブルもありはするんだけどね。そのジャパンルールの移行する前に迎え矢の射撃で満射を出してからって決めてたみたい。その満射がなかなか出なくてお父様に泣きついたのよ。そしたらお父様が、奈央は射撃に使う道具と一体感ができてないとかなんとか言って、今からおまじないをかけてやるってことになったらしいの。その時に使ったのが奈央ちゃんのお部屋にあった空薬莢」


「空薬莢をどのように使ったんですか?そもそも空薬莢になぜビー玉が入っているんですか?」


「あなたたちもあの空薬莢を使ったんでしょ?それと同じことをお父様が奈央ちゃんにしたのよ。そしたら次の日に奈央ちゃんが射撃場で二回も満射を出したの」


「それはたまたまでしょう?でも、どうして父が母のお尻に空薬莢を入れたって知ってるんですか?」


「もちろん、そうよ。そんなことで簡単に満射が出るならオリンピック選手のお尻なんてズタズタになってるはずよ。この話には続きがあるの。私たちは当然のことながらお父様が奈央ちゃんのお尻に空薬莢を入れたことなんて知らなかったわ。本人も言わないし、お父様だってそんなことを言ったりはしないでしょう。私たちが奈央ちゃんの農場に行ったときに同じものが食台の上に置いてあったのよ。それはさっき写真で見たでしょ。このとき私たちはAからCCまですぐに移動したからお昼ご飯を食べてなくてお腹が空いてたの。それで農場に着いたらダイニングにはデミグラスソースのいい匂いが残ってて。どうやらオムライスを作って食べたみたいで。そのとき農場にいた奈央ちゃんと莉子ちゃんに私たちにもオムライスを作ってもらったのね。そこにくだんの空薬莢があって、主税くんが何に使ったのか聞いたら莉子ちゃんのお尻に入れたっていうから、理由を聞いたら奈央ちゃんが、これは射撃が上手になるおまじないで、自分の場合は効果覿面だった、って。そのときに奈央ちゃんもお父様に同じことをされたって言ってたの。だから奈央ちゃんはその空薬莢を大事に持ってたんだと思う」


「げっ、じゃあ私はトゥイのママのお尻に入れられたものを同じものを入れられたの?」


「いや、あれはきれいに洗ってあるから問題ないよ。もし洗ってなかったらリムの部分の金属が錆びてるはずだから」


「そうだよ、CFだって洗って再使用するじゃないか」


「それもそうね」


 リサは医者らしくその部分には容易に納得した。


「リサちゃん、奈央ちゃんは決して意地悪や嫌がらせをするような人ではないわ。でも、突拍子もないことを平気でするから何があっても常に冷静に対応してね。それと限度はあるかもしれないけど、何をしてもまず怒ったりはしないから」


「お二人ともよくトゥイのママのことをよくご存知なんですね」


「まぁ、付き合いも長いし、美人で性格もええし、いかにも普通の人が多いファミリーメンバーの中では目立つ上に数奇な運命を辿った子やからな」


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