48 東京の夜(とうきょうのよる)
荷物が増えたので一旦ホテルに帰ってシャワーを浴びた。シャワーを浴びている間にリサはパソコンで動画を見ながら蕎麦屋から持ち帰った割り箸で箸を使う練習をしていた。手先が器用なようで正行がシャワーから出てくる頃には、多少のぎこちなさは残るものの、大抵の物は掴めるようになっていた。
正行は下着姿でリサの近くまで行くと、リサは箸で正行の鼻や耳介を掴んだりしてみせた。それが終わると今度は正行のシャツを捲って箸でタトゥーをなぞり始めた。正行はすぐにセックスを要求していることに気づいたが、箸で人を指すのは失礼に当たる、などといなして知らぬ顔をするふりをした。リサはしまいに正行の上に覆い被さってきた。断頭分泌の芳香が正行の嗅覚をくすぐった。正行は上にいるリサをゆっくりと横に押しのけて、仰向けになったリサの横に座った。
「リサ、何がしたいの?」
わざと強いインディアン・アクセントで正行は聞いた。
「トゥイとしたい」
「その意見には賛成だけど、もう少し具体的に言ってくれないか?」
「十分に具体的だと思うけど」
「そうではなくて、僕の体のどの部分をリサの体のどこにどうして欲しいのかきっちり説明してほしい」
「トゥイのそれを私のあそこに・・・」
リサも説明しようとはしたが、正行はやれ指示代名詞が多すぎて分かりにくいだの、もう少し砕けた言葉で言えないかだの言って散々焦らせた。もちろん、最終的にはセックスをしたわけではあるが、その日のリサは一層騒々しかった。行為の最中に正行のスマホに電話がかかってきたがリサは応答させなかった。
正行はしばらくゆっくりしていたが、電話がかかってきたことを思い出してスマホの着信を見た。発信は主税からだった。折り返すと割とすぐに電話をとった。
「主税兄さん、正行です。明日の件ですよね?」
「そうや。迎えの車を行かさないかんので時間が知りたい」
「どこに泊まればいいか教えてくれたら公共交通機関で行きますよ。リサは何故か日本の公共交通機関に興味があるみたいなので」
「泊まるのは竹見台の家でええ。あそこなら何かと移動も便利やし、元々奈央のもんやしな」
「空港から近いの?」
「近くはない。せやけどモノレールに乗って千里中央で地下鉄に乗り換えて桃山台で降りれば歩いてすぐや。どっちも始発駅やから迷うこともないと思う。車庫に車があるから必要なときは使ってもかまわん」
「どんな車があるの?」
「七十年以上前のミニとマツダのコンパクトカーや。どっちもきっちり整備はしてあるけど、ミニではあんまり遠くへ行かん方がええ」
「いずれにせよ遠出はしないよ。それに東京でまだしないといけないことがあるし」
「東京で何をするんや?」
「リサに懐石と寿司を食べさせないと」
「懐石と寿司?懐石は明日の晩に用意してある。寿司は大阪市内にいけばそれなりのもんが食べれるからそないすればええ」
「わかった。懐石はご馳走になる。ただ、寿司は江戸前というくらいだから、やっぱり東京に戻って食べる。飛行機も成田発だし」
「そうか。せっかくの彼女との旅行やから決定権は正行に委ねる」
「ありがとう、主税兄さん。明日会えるのを楽しみにしている。遅くとも何時くらいに行けばいい?」
「プレゼンにはどれくらい時間がかかる?」
「それは俺たちの研究内容に関してどの程度の予備知識があるかによる。きっちりとした予備知識さえあれば一時間半もあれば充分にできる」
「それに関しては日本で特許を出願した時点で内容の解析はしているからそれなりの知識はある。必要な知識を持ったメンバーだけを集めておくので午後三時半に家を出られるようにしておいてくれれば迎えに行く。だから昼過ぎに着けば問題はない。新幹線ではなく飛行機で来るのか?ビジネスジェットを用意しようか?」
「五十分のフライトにそんな無駄なことしなくていいよ。新幹線だと降りてからの一時間あまりを入れると四時間くらい見ないといけないから、明日は飛行機で行くよ。その代わり帰りは新幹線で帰る。多分、リサもその方が喜ぶ」
「わかった。明日は再会を楽しみにしている」
電話を切ると正行はリサに向かって言った。
「明日、大阪で簡単なプレゼンをしないといけなくなった」
「うん、聞いていてわかったよ。準備をしないと」
「準備はいるかもしれないけど、多分、兄さんたちはどのゲノムが何に効果があるのかは知っていると思う。おそらく聞きたいのはどうすれば効果的に投与ができるかとか、どのような場合に適応するのが望ましいとか、そういったことだと思う」
「どうしてそう思うの?お兄様はアカウンタントでしょ?どうして素人にそんなことがわかるの?」
「リサ、特許の件は知っているよね。日本での特許の出願は兄さんが受け皿になっていて、特許を出願したときに内容を吟味したからそれなりの理解はしていると言っていた。そうであればちょっとした研究者か、あるいはそれ以上の知識は必ず持っている」
「そんなはずない。私たちの作ったゲノムでさえ完成まで七年ちかくかかっているのよ」
「俺たちと兄さんたちでは立場が違う。俺たちはゲノムの設計から始めないといけない。でも兄さんたちは完成したものが体内でどのように動くか、なぜそれが目的通りに作用するか、を理解するだけでいい。リサが使っているスマホがあるだろ。ひとつのアプリを動かすにも莫大な数のソースコードがあって、もし不具合があればデバッグもしないといけない。アプリを起動するのにいちいちソースコードを理解してからコンパイルして使わないのと同じで、どういったときにどのアプリ使うか、そのアプリをどうやって効率的に使うかが分かれば問題なく使える」
「それにしてもかなりの遺伝学的知識が必要になるわ」
「それくらいならきっちりとした成書を理解すればなんとかなる。兄さんなら三日もあればそれができる」
「ところで明日はどんな人たちの前でプレゼンをするの?」
「多分、兄さん夫婦とファミリーの医療系メンバーだと思うけど。俺たちが二人で来ることを知っているはずだから、その人たちのパートナーも来ると思う」
「すごく楽しみ」
「いやぁ、全員のことを知っているわけではないけど、異常者だよ」
「異常者って?まさか性犯罪者も混じっているとか?」
「そんなわけないよ。異常に知能指数が高いってこと。具体的な数値はわからない。少なくとも言語IQでは全員が百六十一だと思う」
「なんでその数字なの?」
「それ以上の数値は出ない。計りようがない。特殊な方法があるのかもしれない。でも、IQの絶対値を知っても意味ないし」
「そうなの。トゥイは?」
「不毛な質問はしなくていいよ。それよりも中には本来のパートナー以外の人を連れてくる人がいる。今回、それはないと思うけど、そういう人がいても絶対に批判したりしないでほしい」
「そんなことはしないよ。だけど、なんで?」
「その人はファミリーが認めた人だから。どこにでもいるでしょ、女好きの男って。外科医の山科先生はその典型だから」
「揉めたりしないの?」
「詳しくはわからない。極端に派手なことをしなければ大丈夫じゃないかな。そろそろ天麩羅屋に行ったほうがいい時間だよ。リサ、用意して」
「わかった。ちょっと待っていてね」
しばらくするとお腹の出た白のディープVの丸首シャツとジーンズ、その上にピンクのスーベニアジャケットを着たリサが化粧室から出てきた。
「どう?似合ってる?」
綺麗な体型が強調され非常に似合ってはいたが、その姿に正行は難色を示した。
「リサ、その服装で行くの?」
「なんで?トゥイだってカジュアルじゃない」
正行はレインスプーナーの長袖のアロハにチノパンを履いていた。
「そうじゃなくて、さっき練習していたぐらいだから天ぷらはお箸で食べるんだよね?」
「そのつもりだけど」
「天ぷらは揚げたてが出てくるから胸の隙間に落とすと熱いよ。タンクトップか何かの方がいいんじゃない?」
「大丈夫よ。私器用だから」
「それならいいけど、後悔しても知らないよ」
服装にあまりケチをつけるのも躊躇われたので正行はそれ以上何も言わなかった。
山手線に乗り有楽町まで向かった。身長が百八十五センチを超える正行と百八十センチ近いリサの二人の存在は外国人の多い東京でさえかなり目立つ存在だったようで衆目を集める結果となった。とはいえ、二人の服装は正行にしても普通の三十歳前半の男性の着るものとほぼ同じであり、リサにしてもやや派手ではあるが、外国人観光客がジャパンと書かれたスーベニアジャケットを着てジーンズを履いているだけでごく一般的な日本に訪れた観光客のそれと大差があったわけではなかった。
天ぷら屋では入店時に日本語で話しかけられた。リサが日本語を理解しないことを店員に伝えると初めから終わりまで英語で対応してくれた。ねぶり箸やわたし箸など多少のマナー違反をすることはあったが、リサはさほど問題なく箸を使いこなした。問題が生じたのは最後にかき揚げが出てきた時であった。リサが箸で突き刺してかじりつこうとしたので、正行がさすがにそれはよくないと伝えた。
「そうなの。どうすればいい?」
「一口で口に入らないものは基本的に箸で割ってから食べる。それと食べ物を箸で突き刺して食べるのも良くない」
「わかった。やってみる」
リサがかき揚げを割った瞬間にその一部がVネックの間から入った。
「熱っ!トゥイ!取って、取って!」
「せやから言うたやないか。天ぷら食べるのにディープVは向いてないて」
「わかったから早く取って。右側の胸の下あたりに入ってる」
「急に立つからそんなに奥まで入るんや。早く座って。こんなところで立ったまま胸に手を入れたら変な人に見えるでしょ。だいたい、慌てずに下から取り出せばしまいじゃない」
リサは座り直して正行にかき揚げのかけらを取り出させた。天ぷら職人はニコニコしてその様子を見ていたが、ここでも二人は衆目を集める羽目になってしまった。




