47 寄り道(よりみち)
当初、正行はH大学への留学は約一年を考えていたが、リサが博士号を取得するのに二年近くかかったためUS国滞在は二年を少し上回った。この間、正行はしばしばN国内にいる母親に連絡をとってはいた。初期にはビデオ通話に出ていた母親が途中からそれを拒むようになったことに一抹の不安を抱いていた。理由は化粧をしていないとか、風呂上がりだからとか、様々であったが、留学が一年を超える頃からあまり自分の顔を晒さなくなっていた。
一方でリサは自分の合成した遺伝子がin vitroでもin vivoでも極めて有効なことは確認していたが、ことin vivoの実験は動物実験に限定しており、ヒトでも試してみたいと考えるようになってきて、それを正行に打ち明けた。正行はそれが不可能ではないことを十分に承知していたが、果たして弁護士一家で育った正義感の強いリサが受け入れるかどうかが定かではなかった。そこで正行はリサの大学院修了の記念に生地であるN国旅行に誘ってみた。リサは快諾し、正行の母親に会うことも楽しみにしているようだった。
正行が帰国する旨を三木に伝えると三木の喜びようは大変なもので、すぐにマサチューセッツまでビジネスジェットを回すから早く帰って来いと主張した。今度はその旨をリサに伝えたら、そんなお金のかかることをするくらいなら定期便で日本に寄って何かプレゼントを買い、日本食を食べさせてくれるよう強請ってきた。どうしたものかと迷いはしたが、正行は無難に目の前にいるリサの言う通りにすることにした。正行は三木に日本に寄りたいから少し帰るのが遅くなることを伝えた。三木は不承不承納得したものの、A空港ではそれなりの覚悟はしておけ、というような意味深な発言をして電話を切った。
正行がUS国にいる間に三木はメスベンを離れA郊外に住居を移していた。もちろん、農場の経営は順調で経常利益は右肩上がりであった。しかし、正行が理由を聞くとメスベンには少し住みにくくなったというだけで、なぜ住みにくくなったのかといった本質的な部分には決して触れなかった。
日本に着いた当日はさすがに疲れていたのでホテルの近くの居酒屋で済ませたが、翌日は夕食の天ぷら屋を予約し、ロレックスのショップに行った。色々試着させてみると褐色の肌にデイデイトの金のブレスレットとダイヤのベゼルが最も映えた。正行は自分用にエクスプローラーのスチールモデルを買った。そして、家電量販店でG-SHOCKのペアウォッチも買った。
時間が空いたので、三木が毎年何らかのジャケットをアメヤ横丁で買って、きれいに刺繍を入れているのを見てきた正行はせっかくだからとアメ横まで行ってみた。そこは様々な店が立ち並ぶ商店街で一見の正行とリサはどこに行けば何が求められるのか全くわからなかった。かろうじて正行好みのカジュアルショップは見つけたものの刺繍屋となると皆目見当がつかなかった。何よりも商店街にはあまりにも多くの人がいて、そのような場所に不慣れな二人は人に酔ってしまい、昼食がてら近くの蕎麦屋に入った。
蕎麦屋から三木に電話をかけ聞いてみると、三木も実店舗に行ったのは二、三回しかなく、刺繍は大阪で依頼していて、その際は通販で主税に荷物を送り、デザインをスキャンして送っていると言った。正行は仕方なく電話を切り、リサにその旨を告げた。リサはとりあえず刺繍済みのものを買い、よさそうなものがあれば下絵を添えて主税に送ることを提案した。
仕方なく正行は主税に電話をして事情を説明した。主税はそれなら大阪まで来るように伝えてきた。大阪までは新幹線に乗れば2時間半程度で来られるので、リサとともに大阪まで来て新しい治療法に関して簡単にプレゼンテーションをして欲しいと言われた。たしかに新たに取得した特許の説明はしておきたくはあったが、サンプルが少ない上にデータは動物のものが主で素人に見せても簡単には理解できるものでもなかった。ためらいを見せていると主税にちゃんともてなす用意をするからさっさと来いというようなことを言われたので、今は買い物をしており、今夜は銀座で天ぷら屋を予約しているため明日の朝に行くと伝えた。再度、リサにその旨を伝えると、あなたのお兄さんに会えるは非常に楽しみと言って喜んでいた。注文したざるそばが運ばれてきたので、一旦会話は中断したが、いうまでもなくリサは主税が会計士をしていることしか知らず、また、世界を股にかけた違法行為を生業にしていることは知る由もなかった。加えて海外遠征時の残虐行為の数々についてはできれば話したくなかった。
「お兄さんというのはどんな人?」
「前にも伝えたと思うけど、大阪でアカウンタントをしている。背は俺等よりちょっと低いかな。兄弟といっても母親が違うから、それほど親密な仲ではないよ」
「そうなんや、でも、トゥイの周りの人には会ったことがないから興味がある。結婚はしているの?」
「うん、ワイフはプロセキューターやったけど、今はロイヤーをしている」
「お子さんは?」
「一人おるよ。医者、泌尿器科医している。年は俺よりひとつ上。腎移植と透析関係の論文で博士号とった。今はカナダやないかな」
「あぁ、息子さんにも会いたかったな。話し合いそうやし」
「海外の仕事に行けばすぐに会えるよ。人当たりの柔らかいいい人」
「海外の仕事ってどんなことしているの?」
「そら、俺は皮膚科関係やし、当然、兼平、甥っ子、は泌尿器科系の仕事やで。ただ、俺等の仕事とは若干違いがあるけど」
「違いって?」
「おいおい話すよ。そばは早めに食べないと食感が悪くなるよ」
「お箸の使い方がうまくいいかなくて」
「こればっかりは慣れてないとね」
そういって正行は給仕にフォークを持ってこさせた。
「なんかこれって恥ずかしくない?」
上手に箸を使いこなす正行にリサが言った。
「恥ずかしくないよ。ママもよくご飯をスプーンで食べているし」
「お箸でのんびり食べていたらそばが柔らかくなってしまう。そばは味もさることながら、その食感が大切なんやから」
「日本食に詳しいのね。前から思っていたのだけど、トゥイってどこの国の人?」
「N国人だよ。パスポート見たでしょ」
「そうじゃなくてオリジンをきいているの。だいたい、なんでシーバのタトゥーを入れているの?」
「日本人だよ。前にも言ったよ。シーバのタトゥーは兄の主税さんがカーリーのタトゥーをしていて、遺伝子操作を行う俺にはそのほうが合うと思ったからだよ。創造と破壊の神だからね」
リサはそば屋の客を見回した。
「うそ。ここのお客さんとは全然違うけど」
「リサにそんな意味のない嘘はつかないよ。そりゃ、日本人にも色々な人がいる。アフリカ系の人でもリサみたいに素敵な人もいるけど、そうでもない人だってたくさんいる」
「それもそうねぇ」
リサは少し照れながら言った。
『すんません、そば湯二人分持って来て』
正行は近くを通った給仕に声をかけた。
給仕は一瞬驚いたような顔をして、かしこまりました、と言った。
「どうして今の子は驚いたような顔をしたの?」
「さっき日本語で言ったのだけど、多分それがこの地方のアクセントと違っていたからだと思う」
正行はリサにそう言ったが、おそらくは外国人と思っていた人が急に大阪弁でそば湯を頼んできたからであろうと思われた。
「日本語使えるの?」
「話すのはできるよ。読んだり書いたりは無理。それに地方地方によって方言があるから俺が話すことができるのは、明日行く大阪あたりのアクセントだけ。東京のそれとはかなり違う。リサが話す英語と俺が話す英語のアクセントがちょっと違うのと一緒」
「でもトゥイはお酒を飲んだり、そのぉ、セックスしたりするときにインディアン・アクセントになる。それはなんで?」
「ママに会えばわかる。ママは元々英語を話せたのだけど、すごくインディアン・アクセントが強かった。それを聴いて育ったからだと思う。気分が落ち着いているときとか、逆に昂っているときにはつい出てしまう」
「私とセックスをするときはどっちなの?」
「それは状況、というか段階による。基本的には落ち着いているときにセックスを始めるけど、そうするとリサが騒ぎ出すから、そのときは昂っている」
「そんなに騒がないわよ」
「リサが騒がないというなら世の中に騒がしいセックスは存在しない」
リサは、もうっ、と言いながらも満足げな笑みを湛えていた。
食事を終え再び商店街に戻ったが、結局、二人は東洋のスーベニアジャケットとGBスポーツの無地のスタジャンを買うにとどめた。




