41 名前(なまえ)
胎児は特に問題なく成長し、三木は大きなお腹を抱えて農場の仕事に就いていた。農場の仕事といっても葡萄畑の掃除とポッサムの駆除ぐらいしかなかったが、クリスマス前には湊川が発注した年末、年始用ビーフやクリスマスラムの出荷を見守るなど、それなりには忙しかった。
妊娠してすぐの頃は使い慣れた猟銃でポッサムを撃っていたが、お腹が大きくなるにつれ、胎児に大きな音を聴かせるのはよくないのではと思い始めロッカーにあった空気銃で駆除を行うようになっていた。空気銃には消音器もついており、また、反動もほとんどないので妊婦にとって非常に適したものであると思うようになった。
十月になると蓮水から今年もクリスマスから年末年始まで来るとの連絡が入った。今回は利太も連れてくるとのことであった。去年まではクリスマスとなると買い出しが大変であったが、妊娠二十三週を超えた頃から隔日で家政婦にきてもらっていたので、クリスマスと年末の買い出しは家政婦に頼むこともできた。三木には出産までにどうしてもしておきたいことがあった。三木は自分の子供に何としても正行という名が欲しかった。しかし、正行は湊川が有情の名にちなんで自慢のワインにつけた名であり、三木としてはそのためには湊川と話し合いの席を設ける必要性を感じていた。
ブドウの収穫の季節も近くなり、三木は湊川に一度ブドウの出来を確認しにN国に来ないかと誘ってみることにした。おりしもその年のブドウは豊作であり、尚且つ、自らが葡萄畑に近づくポッサムを相当数駆除しており、比較的誘いやすい状況ではあった。思い切って三木は湊川に電話をかけた。電話にはすぐに応答があった。
「湊川さんのお宅ですか?私、N国のスリーパインズの三木ですが、玲奈さんはご在宅ですか?」
「あっ、奈央さん。ちょっとお待ちくださいね」
電話に出たのは湊川すみれだった。
ママ、奈央ちゃんから電話、という声がして、すぐに湊川が電話口に出た。
「奈央ちゃん、お久しぶり。どないしたん?」
「れなさん、お久しぶりです。実は今年のブドウは今までと比較してとてもよくできているので、一度、見にきていただきたいなと思いまして」
「あら、そうなん。それは楽しみやね。収穫の時期に行けたらええんやけど、なんせ、すみれも来年は受験やから、それが終わらないと何かとバタバタしてて」
「そうなんや。で、すみれちゃんはどこ志望なんですか?」
「HK大学や言うてるけど、T大と偏差値変わらんし、行けるかどうか不安よ」
「れなさん自身はどこいって欲しいんですか?」
「そらすみれの行きたいとこに行ってくれればええけど、北海道いうたらなんか遠くて寂しい気もするねんな。私としてはO公立大が嬉しいけど」
「そうなんですね。じゃあ、二月までに来ていただけるというのはちょっと無理ですよね」
「うん、ごめんね。三月の半ば過ぎたら行けると思うけど、ちょっと収穫には間に合わん可能性高いわ。なんか用事があった?」
「はぁ、実は私、もうすぐ子供が生まれるんですけど、その子の名前の事でちょっと相談がありまして」
「そうなん、おめでとう!電話やったらあかんの?」
「あかんことはないんですけど、れなさんに失礼かと思いまして」
「別にかまへんから言って」
「はい。生まれる子供が男の子やいうことはエコーで見てわかってるんですけど、実はその子に有情先生にちなんで正行という名前をつけたいんです。せやけど、『まさつら』いうたられなさんがそれこそ先生の名前からご自慢のワインにつけた名前でしょ。せやから、やっぱり、れなさんの承諾を得とかんといかんのやないかと思いまして」
「あぁ、そういうこと。私はもう今更、挙子することはあらへんから、全然、気にせんといて。そもそも、あのワインも奈央ちゃんの農場から仕入れるつもりにしてるから、むしろその方がええかもしれんし」
「本当ですか!ありがとうございます」
「でもどうやって先生の子供を作ることができたん?」
「それには色々と事情がありまして、細かいことまで説明すると時間がかかりますので、すみれちゃんが大学に合格して、N国に来られた時に詳細はお話しします。簡単に言えば主税さんが勿体無いからといって先生の精子を冷凍保存していたんです」
「勿体無いって何が?」
「いや、先生の知能指数が百四十以上あったということで、希望する人のために置いておいたそうです」
「主税さんのしそうなことやな。でも、奈央ちゃんはわざわざ冷凍精子を使わなくても普通に子供ができたんやないの?」
「それが実は私は十五年前に先生に出会ってから一度もそういう関係がなかったんです」
「えっ、嘘でしょ?いつも仲良くしてたやないの」
「仲良くはしていただいてました。でも、そういった関係は全くなかったんです」
「奈央ちゃんのお家に先生の車が停まってんの見たことあるで」
「そういうこともありました。ご存知だとは思いますが、泊まりがけで先生と射撃旅行やハンティングトリップに行ったこともあります。不思議に思われるかもしれませんが、それでもそういった関係はありませんでした。実のところ私は処女の状態で妊娠したんです」
「えぇ、えぇ!どういうこと?奈央ちゃんは他の男性とそういう関係にならへんかったん?」
「ないですよ。これも話せば長くなりますから、それはれなさんがN国に来た時にゆっくり話します」
「わかった。子供さんには正行の名前をつけたげて。N国に行った時には子供さんに合わせて。そして、その込み入った事情を聞かせてね」
「はい、もちろん。ときにれなさんは今犬飼ってます?」
「ううん、エルケが死んでからは受験が忙しなりそうやったから飼うてないわ」
「できればすみれちゃんがO公立大学に行って欲しいんですよね?」
「私はな。こない広い家に一人で暮らすんはちょっと寂しいし、すみれも少し迷てるみたいやから」
「それは私に任せてください。期待は裏切りませんよ。O公立大学も受けるんでしょ?」
「うん、そのつもりみたいやで。HK大学は後期日程を選択するいうてたし」
「N国で会えるの楽しみにしてますね。その時は先生に作ってあげた銃を持ってきてください。私が先生直伝の射方を教えます」
「私はつい最近に所持許可が降りたばっかりやから下手やで」
「大丈夫です。私は上手ですから」
「私が持つようになって先台と銃床はオイリングしなおしたんやから舐めんといてよ」
「いや、もうしませんて。あれから主税さんに散々怒られたんですから」
「じゃぁ、来年の三月終わりまでには行ける思うから、そん時ね」
「はい、れなさん。色々とありがとうございました」
電話をかけたあと三木は大きな肩の荷が降りた気がした。何よりも湊川が快諾してくれたことが嬉しかった。あとはすみれが大阪にとどまる手段を講じる必要はあったが、それには考えがあり、湊川の仕事ぶりと有情から聞いていたすみれの性格を勘案すると比較的うまくいくだろうと踏んでいた。




