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37 カイコウラ

 射撃の指導の次の日、三木と蓮水は少し早起きをして朝食を作った。昼にカイコウラでイセエビを食べる予定だったので、ビッグブレックファーストにはせず、ベーコン、オムレツ、ハッシュド・ポテトだけのシンプルなものだった。


「な、莉子ちゃん。おまじないは効いたやろ?」


「あれは主税さんと佳奈さんが違う撃ち方教えてくれたからやないかな?」


「そらスイング射法に変えたいうんは大きいかもしれん。せやけど、七番の追い矢はスイング射法もリード射法も大して変わらんがな。それを左手震わせながら当てたんやからやっぱりおまじないのご利益やで」


「いやぁ、どやろ。あれはもう左腕がガクガクやったし、まぐれやと思うけど」


「そこやがな、莉子ちゃん。あそこで当たらんかったら半分以下、あれが当たったから半分以上、しかもまぐれやいうたらおまじない以外に考えられへんやないか」


「まぁ、そういうことにしとくわ。いずれにせよありがとうな、奈央ちゃん」


「そうか。ほなやっぱり定期的におまじないをかけなあかんな」


「それはええわ。せやのうて、射撃いう楽しみを教えてくれてありがとう、いう意味や」


「今度は実包で試してみよか?そのほうが効果ありそうやろ」


「万が一、破裂したらどうするんよ」


「いや、莉子ちゃんかて、ここ数日で手滑らして実包を落としたことがあるやろ。破裂したか?実包やいうてもかなりの力で雷管を叩かんかったら、そう簡単に破裂する訳やないんや。お尻に入れたぐらいで破裂したら危のうて持って歩かれへんやないか。まぁ、先に丸いもんつけられへんから、多少は入れにくいかもしれんけど」


「せやからおまじないはもうええて。そろそろ二人呼んできてや」


「しゃあないなぁ」


そう言って三木は主税と諏訪を呼びに行った。


ドアをノックして声をかけた。


「朝ごはんできたで。そろそろ起きや」


部屋の中から主税の声が聞こえた。


「わかった。すぐ行く」


 二人が部屋から出てくると三木が言った。


「今日は昼にイセエビ食べなあかんからちょっと少なめにしたで」


「うん、ありがとう。ところで奈央は昨日、シャワー浴びたんか?射場でちょっと頭臭かったぞ」


「浴びたがな。臭うてみるか?」


「いや、ええ。莉子ちゃん、昨日、奈央はちゃんとシャワー浴びてたか?」


「うん、昨日は十日ぶりぐらいに浴びてた。大丈夫やで」


「昨日な、一番で奈央の後ろから撃つの見てたんや。一番いうたらプールの発射台がすぐ後ろにあるから、どないしても頭に顔近づけなあかんがな。初めはよかってんけど、コールして、クレーが出るやろ、ほな奈央の体が動くやん。そしたらフワッと嫌な匂いがしたんや。普通、女の子の髪の毛が動いたら、ええ匂いがするいうのが頭にあるがな。それがなんや油臭い匂いがして思わず声が出てしもてな。ほな、一番の向かい矢外しやがった。集中力が足りんのやないか?」


「私かて耳栓してるんや。何いうてるかようわからんから気になるやないか」


「そういうこともあるから多少は身なりに気ぃつけいう話や。毎日とは言わんけど、せめて二、三日に一回ぐらいは頭洗うとけ」


「わかったがな。やかましな。冷めんうちに早よ食べ」


「これは誰が作ったんや?」


「誰て、私と莉子ちゃんが一緒に作ったに決まってるやろ」


「汚いことしてないやろな?」


「私らも食べるんや、してるわけないやろ。オムレツは味付けしてないから好きなように塩胡椒ふってや」


 四人は朝食を終え出発の準備をした。レンタカーか、トラックか、どちらで行くか幾分迷ったが、結局、トラックの方が広いということでトラックで行くこととなった。カイオウラまでの約三時間、四人は会話を楽しんだり、景色を見て喜んだりと退屈しせずドライブを堪能した。とりわけカイコウラ近傍の海岸に横たわるアザラシの群れは彼らの興味を惹いた。皆、野生のアザラシを見たことがなかった。


 カイコウラの小さな町でシーフードを供するレストランの数も限られていた。特にどこに行くかを決めていたわけではなかったが、比較的賑わいを見せているレストランを選んで入った。新鮮なシーフードは皆おいしかった。


 時間があったので観光船にも乗った。観光船の近くを小さなイルカが並走した。


「あのイルカはヘクターズ・ドルフィンいうてな世界一小さいイルカやで」


三木が言った。


「確かに小そうはあるけど、なんでそんなこと知ってるんや?」


「乗船券買うたとこに置いてあったブロシューに書いてあったがな」


「ほんま、帰りに持って帰ろ。奈央ちゃん、よく気ぃついたね」


「いや、佳奈さん。ヘクターズ・ドルフィンて書いたある大きい看板の横にブロシューが置いてあって、それ見たらすぐに気づくやん。一体、何見て観光船に乗ったんや?」


「ちょっと腹ごなしに海風にあたるんもええかな思うてな」


「こないだF国に行ったときも先生が言うてたぞ。せっかく大変な目して出かけてきたら楽しまないかんて」


「それは父親が出不精なだけやないか。俺らは普通に旅行行ったり、日帰りで観光地行ったりする。別に大変なことでもなんでもないやないか」


「まぁ、確かにな。自分の好きなことはめんどくさいことでも平気でするけど、せやないと全く動こうとせんかったな」


「そういえばれなさんとここへ来た事ある言うてたぞ」


「ほんまか?わざわざここまで来たんか。なんか妬けるな」


「自分かて岩手にキジ狩り行ってるんやからお互い様やろ。農場の上客やねんから仲ようせなあかんぞ」


「わかってるがな。言うてみただけや」


三木は船縁を泳ぐイルカたちを眺めた。


 観光船を降りると四人は帰路についた。途中でイセエビを蒸して売っている店を見つけて諏訪が言った。


「さっきの店も美味しかったけど、あそこでちょっとイセエビ買うて帰ってお酒の当てにせぇへん?私が頼んだん半分しか入ってなかったからもうちょっと食べたいわ。イセエビてあんまり食べる機会て多ないし」


「ええな、それ。莉子ちゃん、ちょっと車寄せてや」


「うん、わかった」


 店に入ると磯の香りがした。蒸して売っている他に生簀の中に生きたイセエビもたくさんいた。


「なぁ、佳奈さん。この生きたん買うて帰ったら私がええ具合に茹でたるで」


「ほんま。奈央ちゃん、そんな事できるん?」


「うちは農家やけど、割と近くに漁港があって色々買ってたから大丈夫やで」


「主税さん、どうする」


「せっかくやから奈央にしてもらおか」


「ええで。あんまり大きいんは大味やから中ぐらいのにしとこ」


そういって生け簀の中から四匹選び箱に詰めてもらった。


「ところでどないして料理するつもりや?」


「完全に中心部まで熱が加わらん程度に茹でて、レモン絞って、ちょっと醤油かけて食べる」


「また?奈央ちゃん、サーモンステーキまでレアでって頼むねんで」


蓮水が言った。


「せやけど、莉子ちゃん。回転寿司で炙りサーモン食べたことないか?それと変わらんのやないか?」


主税が言った。


「奈央ちゃんも同じこと言うてたわ。あそこまで生やない。半生ぐらいやで」


「たいして変わらんやないか。確かに奈央は変やけど、その部分は別に好みの問題やと思うけど。大体、茹で足らん思うたらもういっぺん殻に入れてオーブンで焼くか、レンジでチンしたらしまいやがな」


「何でみんなして同じこと言うん?普通、自分の好みの焼き方て決まってないか?」


「うちは父親がうるさいんや。肉食べるいうたらほとんど生で食べるし。ステーキハウス行って、焼き加減どうですか、て聞かれても焼きすぎてたら元へは戻せんやろ。せやから、そんなときでも、いいですよ、て言わなしゃあないがな。日本のステーキハウスでブルーやいうたかて、父親のことよう知ってる店以外では焼きすぎになるねん。しかも、女の子と行ったりしたら残すことがあるし、その残った焼きすぎの肉食うんが父親には苦痛やったらしいわ。父親は霜降りのステーキをほとんど食わんかった。父親好みの焼き方にしたらサシの部分が溶けんのや。牛脂は融解温度が高うて、タンパク質の変性温度と大して変わらんから、牛脂溶かそ思うたら肉自体も焼けてしまう。奈央がそう言うんは父親がほとんど生で食べてるんを味見して気に入ったか、あるいは、自分が調理した肉を出して、こんな焼きすぎた肉は食えんいうて卯月にやりでもしたんやろ。普通はあそこまで生にこだわる人はおらんし。ただな、そんな父親でもどういう肉は生でも大丈夫で、どういうのはあかんかいうんはちゃんと心得ててな、牛肉ならこの程度とか、豚肉ならこの程度とか、自分で取ってきた野生の動物はちゃんと加熱せないかんとかいうのはきっちり理解してた。それが余計にややこしんや。せやろ、奈央?」


「せやせや、前に家飲みする機会があって、当て何がええて聞いたら牛肉のたたきがええいうから、前もって肉買うてきてたたきを作ってたんや。そしたら、食べへんのや。ほんで、わざわざ自分で阪急オアシスまで自転車で買いに行って、肉いうのはこうやって焼くんや、言うて一面二秒ぐらいフライパンに押し当てた思うたら、まな板の上に置いて焼けた部分を包丁で削ぎ落とすんや。ほな生のまま食べたらええやないか言うたら、誰が触ってるかわからんのに気色悪いやないか、言うねん。そいで、奈央の作った焼きすぎの肉とこっちの肉と食べ比べてみぃ、言うんや。感じ悪いやろ。確かに表面を焼いてあるんは見てわかってるけど、それを削ぎ落としたあるから、まぁいうたら生肉やがな。今度は私が気色悪うてな、そやけど、食べてみたら、案外、美味しかって、それから私もよう食べるようになったんや。ちなみに私が作ったたたきは次の日に卯月と半分ずつ食べた」


「あぁ、人の作ったもんにケチつけることはないけど、口に合いそうになかったら手ぇつけへんかったからな。うちは兄貴と四人やったから刺身を一皿に何種類か乗せて食べることがあったんや。刺身も見て鮮度がわかるみたいで、ちょっとでも気に入らんかったらそれだけ残して食べへんねん。何でや、いうて聞いたらはじめて、それは鮮度が落ちてるから美味しそうやない言うんや。確かにその刺身を食べてみたら、ほんまのちょっとだけ味が落ちてるいうことはあった。もちろん、食べれんほどではないんやで」


「お父様は食通やったん?」


「いや、そんなことは全くない。駄菓子からファーストフードまで何でも食べる。そもそも、食べもんにあんまり金かけるほうやなかった。昼御飯は病院の給食、夕食は病院からの帰り道にあるスーパーで刺身買って、それだけか、たまに惣菜買うて食べるぐらいやった。れなさんと付き合うようになって、初めの頃は外食に出たりしてたみたいやけど、それもごくたまにや。射撃と釣り以外で家から出ること自体ほぼない。せやのに付き合う人が絶えんかったのは不思議で仕方ない。手当たり次第に声かけてたんやったら、まだわからんでもないけど、そんなことするタイプやない。しかも、奈央以外はみんな美人や。あの爺さんのどこに魅力があったんかか皆目わからん。付き合いを始める、付き合いをやめる、の境界もあいまいや。単に新たにできた人と初めのうちは頻繁に会うから、他の人と会う回数が減ったいう違いしかない。それで前から関係のあった人と切れるわけでもない。ちょっと疎遠になったときに相手の人が結婚したりしたら、さすがに連絡を積極的にとらんようにはなったんやろうけど、結婚してまでまだ連絡取り合うて、たまに会うてる人もおった。その上、関係のあった期間がすごい長いんや。父親が死んだ時に、いつ頃からのお付き合いですか、いうて全員に聞いてはみたけど、十七歳からです、いう人までおった。若い子やないで七十二歳の女の人やぞ」


「なぁ、先生の女性遍歴はさておき、一点だけ気になることがあるんやけど」


「なんや、奈央。俺が言うたことになんか問題があったか?」


「主観的な問題や言われたらそれまでやけど、奈央以外は美人、というのはどういう意味や?」


「どういう意味て。そのままの意味や」


「そんなこと誰にも言われたことないぞ。失礼やな」


「よう考えてみろ、今日日、コンプライアンスがどうのてうるさいのにやな、まだ綺麗な人に美人やて言うんは大丈夫かもしれんけど、そうでない人に面と向かって不細工て言えるはずがないやないか。個性的な顔やいうても場合によってはセクハラや言われかねん」


「ああ言うたらこう言う、こう言うたらああいう、埒あかんなほんまに」


「奈央ちゃん、主税くんは奈央ちゃんが、知性的な努力家、自分自身に真っ直ぐなきれいな女性やいうことはようわかってて、わざと言うてるだけよ。反応を楽しんでるだけやねんから、それに乗せられて言い返したら論破されるだけ損やで」


「せやかて、佳奈さん。なんかあるたびに汚いとか臭いとか言われるんやで」


「それは事実やがな。前にこんなことがあったんよ。混んだ電車の中での痴漢の案件やねんけど、私が被疑者に対して、被害者の女性に対して、大なり小なり性的な好意を抱いたのは事実ですかって聞く場面があってん。それをこの人に対してどう答えるかって聞いてみてんな。そしたら、はい、抱きました。きれいな女性がいてその方を外見だけで判断し、性的な興味を抱くのは再生産可能な男性としては普通の反応です。逆にそうでなければ性的に未成熟か、歪曲された感性の持ち主であり、どちらかといえばそういった人の方が痴漢などという事件を起こす可能性が高いように感じられます。私が乗車した電車はかなりの混雑でした。あなたは他の乗客の全部とは言いませんが、幾人かに同様の質問をすべきです、おそらく他にも同様の答えをする方がいるはずです。私がそういった興味を抱くのは極めて合理的なことで、その被害者女性の美しさへの賛美の証左と捉えていただいた方がいいと思います、触れた、触れてないとは次元の違う話です、て、答えたんよ。そいで、主税くんが私に、なんで、はい、抱きました、言うた答えた時点で、はい、結構です、て発言をやめさせへんのかて聞いてくるん。こんなことを被疑者に雄弁に語らせたら被疑者に対して隙を与えることになる言うんや。まぁ、痴漢の事案なんて余程の反証がない限り判決がひっくり返ることないねんけどな。それはあくまで裁判やから判決が変わらんだけで、普通にそう言われたらそれもそうやなて思うてしまうやん。せやから、そんな重箱の隅をつつくようなことはせんと知らん顔してたらええんよ。そういった部分には絶対になんかのトラップが隠されてるんやから」


「そない言われたら納得させられてしまうな」


「大体、奈央ちゃんのことを軽視してるんやったら、主税くんが必要書類揃えて、わざわざ長い休みとってここまくるはずないやん」


「そらまぁ、せやな」


「それは自分が不細工で汚らしいいうことを自認してるいうことやな」


「もうええて」


三木が言った。


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