33 行為障害と知力(こういしょうがいとちりょく)
眉を整え、直線的にアイブローを引き、軽く化粧を施した三木の顔は、目と眉の間が狭いことと相俟ってエキゾティックで美しかった。
「奈央ちゃん、きれい」
諏訪が言った。
「みてみぃ、ちょっと手入れるだけで評価が変わるんや。どないしたらきれいに見えるかもちゃんとわかってるくせになんでせんか不思議や。莉子ちゃん、ちょっと頭臭うてみてくれ」
蓮水は恐る恐る三木の頭の匂いを嗅いだ。
「そこまでは臭ない。皮脂と埃の匂いがちょっとするだけ」
「それなりに臭いんやな?」
「まぁ、それなりには」
「それは仕方ないな。莉子ちゃん、今日はちゃんとシャワーするように重々言うといてや。せやないと明後日、カイコウラに連れていかんぞ」
「明後日、カイコウラに行くんか?私らも行こ思うてたんや。やっぱり、イセエビのヒゲは持って帰ってくるんか?」
「ヒゲ?なんでそんなもん持って帰ってくるんや?」
「尿道に入れるんやないんか?」
「そんなもん入れたらいつまでも血ぃが止まらん上に、小便したら飛び上がるほど痛いやないか。そんなこと言うんは父親ぐらいしかおらんぞ。発想まで似てきたんか?父親でさえ実際にはしたことないと思うぞ。自分ら二人も用意してきてくれ。お腹すいた」
諏訪と蓮水は化粧直しに出て行った。
「手錠は使うんやないんか?」
「手錠かけても怪我まではせん」
「せやけど、先生は猟銃の空薬莢、私の尻に入れたぞ。相当痛かってんからな」
「別に怪我はせんかったやろな?」
「まぁな」
「ものには限度いうもんがあるんや。手錠や空薬莢は言うたら無害や」
「主税さんが限度の話するとは驚きや。限度を超えて残酷なことしてるのしか見たことない」
「それは海外の話やろ。海外の仕事はストレスが多いんや」
「そういえば前に海外で何回か料理作ってくれたやろ?あの時、食べさせてくれた肉は何の肉や?」
「ん?あれは鹿の肉や。何でや?」
「人肉やったんやないか思て」
「ヒトは雑食やから草食獣と比較すると味が落ちる、と思う。もし、人肉やったらどうするつもりや?」
「どうするて、食べてしもたもんはどうしようもないやないか。しかも、もうとっくに排泄されてるし」
諏訪と蓮水がメイクを終えてやってきた。二人とも長所を生かし、欠点をもチャームポイントにしてしまうような見事なメイクだった。
「何の話ししてたんや?」
諏訪が聞いた。
「奈央が海外で人肉を食わしたんやないか言うて詰め寄ってきたんや」
「レクター博士やあるまいし、それはない、と思う。調理中も含めて健康的なリスクも多いしな」
「二人とも、と思う、いうのが何となく怪しいけど、もし主税さんがこっそり人肉を食べてたらどうするんですか?」
「倫理的には問題はあるかもしれんけど、食べ物の趣味までとやかく言うたら、この人の仕事も大概やから容認するしかないかな」
「会計士の仕事にどんな問題があるんや。人肉食を容認する検事の方がどう考えてもおかしいやないか。まぁ、ええわ。用意ができたみたいやし、ご飯食べに行こ」
四人はトラックに乗りブラウンパブに向かった。
ブラウンパブは土曜日ということもあって結構な賑わいであった。四人はビールと料理を注文した。ビールがピッチャーで届くと四人で分け合ってマグに注いだ。誰からともなく乾杯の音頭が上がり、ビールを一口飲んだ。
「ちょっとな、俺と佳奈から報告があってな。俺ら、来年、結婚するんや」
「ええ、ほんまか!おめでとう。カーリーとテミスがケンカせぇへんか?どう見てもカーリーは起訴されるぞ」
「せぇへん。縁起の悪いこと言うな」
「せやけど、佳奈子さんも思い切ったことするな。よう、こんな悪辣で残忍な変質者と結婚する気になったな」
「ちょっと、奈央ちゃん。ひどすぎへんか?」
蓮水が言った。
「いや、この莉子ちゃんのことにしてもそうや。俵うどんの件で、半ば強制的にファミリーのメンバーにされてしもたし、俵うどんもマンション二つ取り上げられた上に、正規の値段よりも高い値段の移植代払わないかんようになったがな」
「奈央ちゃん。それでファミリーメンバーの誰かが損した?莉子ちゃんもマンション一つもらって、将来の心配せんと新しい仕事に打ち込めるやろ。俵うどんさんもちゃんと再移植してもろたやないの。値段が高かったんは山科先生がわがまま言うたからでしょ。それでカメラマンの津山さんとも絆が深なったし、その津山さんもちゃんとファミリーから仕事もらって、大好きな自然写真も撮ってはるし。奈央ちゃんかて、あっ、いや・・。奈央ちゃんかて、莉子ちゃんいうええ友達ができたやないの」
「全部知ってるよ。褒め言葉やがな。なぁ、主税さん?あっ、いや・・・、の後がちょっと気になるけど」
「まぁな」
「洗脳されとる。日本の司法とメディアが心配や。いずれにせよ、おめでとう。結婚式には呼んでや」
「奈央が日本の司法やらメディアの心配する必要はないで。態度次第やけどな」
「へっ、どう言う意味や?」
「父親が生きとるときの奈央の夢は何やった?」
「なんや、いきなり。妙なこと聞くな」
料理と新しいピッチャーが運ばれてきて、一旦、会話が中断した。
「えらい多いな。まぁ、みんなで分けて食べよ。莉子ちゃん、申し訳ないけど、みんなにビール注いでくれる?」
「あ、はい」
蓮水は全員のマグにビールを注いだ。
「ケチ付けた奈央に音頭取ってもらおか」
「褒め言葉や言うねん。佳菜子さん、主税さん、婚約おめでとう!」
四人は再び乾杯して一気にビールを飲んだ。
「佳奈、ピッチャーもう一つ頼んで」
「うん、わかった」
「奈央、話が途切れたけど、どんな夢を抱いとったんや?」
「それは先生と子仲をなすことや。まぁ、実際に夫婦にはなれんかったやろけどな」
「そのうちの一部が叶うなら、どんな試練にでも耐えうるか?」
「一部がどのくらいの大きさかにもよる」
「どこに重点を置いてるかがわからんから、何とも言えんけど、まぁ、半分弱ぐらいやとは思う」
「まどろっこしい言い方やな。何が言いたいんや?」
「父親のメッセージが書いてあった銃の用心鉄に遺伝子の二重螺旋と刻印が打ってあったん覚えてるか?」
「覚えてるよ。NZGB 160263-A-06-147や」
「意味がわかるか?」
「そこまではわからん。160263は先生の誕生日や。他はわからん」
「NZGBはジーンバンク、要するに精子やとか、卵子を保存してるところや。160263は奈央の言う通りや。Aは識別記号やから気にせんでもええ。06は保存を開始した年で、最後の三桁はその時のIQや」
「せ、先生の精液が保存されてるんか?」
「今、なんか変なこと考えたんやないやろな?」
「変なことてどんなことや?」
「あんまり口にしとうないけど、たとえば、それを体に塗ったり、舐めたりするようなことや」
「ち、ちょっと」
「量が限られてるんやから、本来の目的以外に使うたらあかん」
「なんで二千六年から保存してあるんや?」
「父親も、俺の足元にも及びはせんけど、一応、高IQやから、念のために残しといたんや」
「それを私にくれるんか?」
「そんなもん、今更、欲しがるんは奈央しかおらんやろ。せやけど、条件がある」
「どんな条件や?」
「最もファミリーとって有効な方法で使うて欲しいんや」
「何でさっきから遠回しに言うんや。具体的に説明してくれ」
「勿体ぶってるだけや。気にすんな」
「人がどんな反応するか見て楽しんでるんやな。趣味悪いぞ」
「いらんのか?」
「いる、いる。絶対にいる」
「話は飛ぶけど、今、奈央がおる農場は父親が奈央と一緒に過ごそうと思て手に入れたもんや。せやけど、死んでしもたから、今は宙ぶらりんの状態や。あの農場はれなさんが扱うてる商品のほとんど全部を供給してる重要な場所や。れなさんは将来的に独立しよ思てるらしいから、あそこからの供給が途絶えると困るんや。それで、まず、奈央に引き継いでもろて、あとは奈央の子供に任せたい」
「ほな、先生の残したもんを使て、子供を作ってええんやな?それは私の夢の一つやったんや。明日にでも初めてええぞ」
「明日は莉子ちゃんにちゃんとした撃ち方を教えないかんし、明後日はカイコウラに行く。それはさておき、そう簡単にはいかんのや。ずいぶん昔はN国で生まれた子供はすぐに国籍がもらえたんやけど、法律が変わって、最低限、就労ビザがない限りはN国国籍にできんようになったんや。しかも、永住権がなかったら土地の所有ができんから、農場を美和子さん名義から奈央名義に変更するのにそれも取得せないかん。それには最低でも三年かかるんや。その間、農場で頑張ってくれるか?もちろん、働き手はおるから重労働まではせんでええ。管理人として留まってくれればそれでええ。ファミリーとしても協力することにやぶさかではない」
「子供がおったらできる」
「子育てを一人でするんはなかなか骨が折れるぞ。父親もそれで仕事を辞めた。それに金もかかる。それでさっき佳奈が言いかけてたけど、俵うどんのもう一つのマンションの収益を奈央に送金できるようにしてある。奈央が国籍を取得するか、子供が生まれればどっちかに名義を移す。そないしたら外国人やから日本に贈与税を支払う必要もない。N国では相続税がほとんどないから、どっち名義でも問題はないんやけどな。ただ、現物が日本にあるから固定資産税は払わないかんけど、それは家賃収入から引き落とされるようにしとく。それと、もし子供を授かったら、それは俺の弟でもある。奈央はその時点で独り身の実業家で金持ちや。その金目当てに近づいてくるやつがおらんとも限らん。そういう連中を振り払って生きて行かなあかんねんぞ。もちろん、ファミリーもその点に関しては注意しとくけど、何分に遠く離れた場所やきっちり目が届かんこともあるかもしれん。その覚悟はあるか?」
「大丈夫や。先生のために十四年間、いや、三十八年間守ってきた操は伊達やない」
「はぁ!奈央、処女か。尻の穴に空薬莢入れられたくせにか?」
「先生は安定した持続可能な関係を求めてた。それを維持するには先生が子育てに忙しすぎたし、私の家とれなさんの家が近すぎた。そればっかりは仕方ない。私の方がれなさんより後で先生のことを好きになったんやから。悪いか?」
「いや、悪うはないけど、ちょっと気色悪いな」
「純粋な無償の愛のどこが気色悪いんや」
「それ自体は気色悪ない。三十八歳の奈央が処女やいうのが気色悪い。三十八歳の処女が気色悪いわけやないぞ。あくまでも三十八歳でそれなりに美人の奈央がそうやいうのが気色悪いだけやからな。まぁ、覚悟はわかった。そういう方向で話を進めるよ。とりあえず、今回は落ち着いたら日本に帰って、銃関係のことだけはきっちり片付けてこなあかんぞ。今、日本で許可受けてる銃はどうするつもりや?」
「ど変態のくせに、人のことを気色悪い、気色悪い、言うな。しかも、それなりに美人やない。普通に美人や。あの銃は莉子ちゃんに託す」
「えっ、ええんか?先生にもらった大事な銃やないんか?」
蓮水が言った。
「せやから大好きな莉子ちゃんに託すんや」
「奈央ちゃん、私のお尻にも空薬莢入れてたやん。まさかと思うけど、その大好きは性の対象としていう意味やないよな」
「違うて。友達としてや。みんなして人のことを変なやつやと思ってないか?」
「変やないか」
主税が答えた。
「変やと思うよ」
と蓮水、
「気づいてなかったの、それ自体、変よ」
最後に諏訪が言った。
全員の意見が一致した。
「そういう理由で奈央は結婚式に参加するのはちょっと無理かもしれん」
「何でや、何でや。私かて佳奈子さんと主税さんの晴れ姿見たいやないか。ウエディングドレスの開いた背中から見えるテミスのタトゥーなんて素敵やないか」
「アホか。他の検事さんや司法関係の賓客もおるんやぞ。そんなウェディングドレス着れるわけないやろ。佳奈の親戚かて、ご両親ぐらいはご存知かもしれんけど、何であの子はあんな大きなタトゥーしてるんや、いうことになるやろ」
「それもそやな。そいでいつするんや?」
「ほんまは六月にしよか思うてたんやけど、それやと雨が降るとなんとのう嫌やから五月にすることにした。同じようなこと考えてる人らも結構多いようで、やっと式場の予約が取れたんや。その時期いうたらちょうど奈央が移民局に書類を提出して、労働ビザの発行を待ってる時期と重なる。そんな重要な時期に海外渡航するのは審査官の心証を害する可能性が高い。せやから、今回は諦めてくれ。その代わり言うたら何やけど、来年のこの時期にファミリーメンバーとここで披露宴をするから、それにはぜひ参加してくれ。そんときは佳奈にはちゃんと背中のパッカーッ開いたドレス着てもらうし」
「なぁ、なぁ、そんなドレス着れる歳でもないやろ。でもちょっとは見えるドレスは纏うから、今回は許してあげて」
「佳奈子さんがそう言うなら。でも、必ず来年の夏、日本では冬か、には来てくださいね。フライフィッシングの腕前は上げておきますから」
「フライフィッシングは楽しめればええんよ。せやけど、上手なんと下手なんとでは、自ずと楽しみ方が違ってくるの。もちろん、下手くそには下手くそなりの楽しみ方があるわ。上手な人はファイトを期待するの。下手な人は技術に拘りたがる傾向があるような気がする。話は少しずれるけど、お父様は結構職場を変えられてたでしょ?その度に履歴書を書くやない。履歴書の書式に必ず趣味の欄があるテンプレートを使って書いてたらしいんよ。そこにフライフィッシングとクレー射撃って書くのが好きやったみたい。奈央ちゃんのことをクレー射撃が下手って誰も言わんよね。でも、下手やったらフライフィッシングが趣味って書きにくいよね。そら、趣味やから多少、下手でも書いたところで問題はないと思うよ。せやかて、下手やったら自信を持って書けんでしょ。だから、早く下手って言われないようになってね。お父様には奈央ちゃんが下手って言われないようにしてあげる時間がなかっただけ。きっとお父様も奈央ちゃんが下手って言われるのは本意ではないと思う。あの農場を選んだのもきっと下手な間は池で楽しんで、少し下手な段階から進歩したら用水路で釣って、誰も下手って言わなくなったら湖水にチャレンジできるようにって考えたんやないんかな。お空の上から下手な釣りをする奈央ちゃんを見るより、誰からも下手って言われない奈央ちゃんを見ていたいと思うはず」
「ち、主税さん。十六回も下手て言われた」
「正確には十五回や、クレー射撃は下手やないて言うてた。いずれにしても、フライフィッシングに関してはそうやねんから仕方ないやないか。精進したらええだけの話や。最適な場所が庭にあるんやぞ。次来たときにもし下手くそやったら、まじないかけさせてもらうからな」
「あれはある程度、医学的な知識があるもんがせんとあんまりようないんや。わからんいきに押し込んだら腸管を傷つけてしまう可能性が無きにしも非ずや」
「大丈夫や。山科先生に確認して、安全そうなもんを用意する」
「太すぎてもあかんねんぞ、痛いんやからな」
「細めのもんにしとく」
「長すぎても嫌やぞ」
「やかましいな。そこまで嫌がるまじないを無理やり莉子ちゃんにかけたんやな?」
「あの形状は安全性、利便性、効果が確立されてるんや」
「そんなわけないやないか。どうせ、父親がその辺の有り合わせのもん使うて作っただけやろ」
「いや違う。ビー玉と空薬莢との段差が極力、少のなるようにサンディングしてあった」
「父親がそういう細かいことするんが好きやったんは自分もよう知ってるやろ。まだ一年あるんやから、まじないに固執する前に普通に練習しろ。そもそも、一回だけやって成功したかて、その仮定が正しいと言うんは早計で浅薄な推論にすぎんやないか。明日、奈央の銃を使う莉子ちゃんの出来具合をしかと確認させてもらうからな」
「私自身はあれから撃ってないから、前と変わらんと思うけど」
と言う蓮水に三木が宣言した。
「確かにまじないはあたるも八卦、当たらぬも八卦という側面がある。せやけど、あのおまじないと私の魂の籠ったブレーザーがあれば、向かえ矢二十発、追い矢五発で半分越えの十三枚以上を莉子ちゃんが撃破できる。撃破できんかったら、カイコウラのイセエビのひげを尿道に入れる」
「ちょっと、そんなんできる訳ないやないの。アホなこと言わんとき」
「意気込みはわかった。そうしてもらう。・・・と言いたいところやけど、誰も奈央の体に傷をつけることなんか望んでへん。明後日、出かける前の朝食四人分を奈央に作ってもらう。万が一、不味かったらカイコウラでのイセエビは自費で食べてもらうからな」
「できたらどうするんや?」
「それは俺と佳奈の指導が良かったからや。感謝の意味を込めて莉子ちゃんにも手伝うて貰えばええ」
「自分ら二人は絶対になんもせんつもりやな」
「あのなぁ、あの農場のオーナーは奈央やねんから、俺らは客人やぞ。しかも、ええ情報を持ってきてやったやないか」
「あれは佳奈子さんがたまたま見つけただけやろ」
「確かにあそこにあったんを見つけたんは佳奈や。俺が持ってきたんは保存を開始した時の契約書の原本や。それから高い移民弁護士との契約書と移民局に出す書類一式や。どうせ書かんと渡したら先送りにして、いつまでも出さんやろから書けるところは書いてある。美和子さんからの書類も揃うてる。サインして、診断書つけてその弁護士に渡したらええようにしてある。渡すいうても電子申請やから、手書きして、そのまま持って行ったらええいうわけやないぞ。ちゃんと書類に電子署名をつけてファイルとして送信するんやぞ。やり方は佳奈が教えるから。それと今回、日本に戻った時に無犯罪証明を必ず取れよ。海外からでも取れるけど、手順が面倒で時間がかかる」
「なんでそんなに優しいんや。せやけど、ちょっと待ってくれ。それを今ここで言われても忘れてしまうやないか。カイコウラから帰ってきてゆっくりしてから言うてくれ」
「俺は基本的に内輪には優しいぞ。まぁ、確かにここで細かい実務的なことを話しても仕方ないな」
「せやけど、昔、海外で見てる前で酷いことしたやないか」
「奈央には撃たせんかったやろ」
「もっと残酷な殺し方したやないか」
「それは仕方ない。あの医者がそれなりのことしたんやから。しかも、ファミリーのメンバーやない。そんな奴のために奈央が殺人者になる必要はない。あのとき、奈央はまだ二十四歳やった。看護師になって二年目、普通は、普通はやで、これからいくつかの恋愛を経験して、ええ男見つけて、結婚、それから子供ができることもあったやろいう歳や。それがたとえあの医者を早よ楽にしたろいう優しい気持ちがあったとしても、罪に問われることがなかったとしても、自分が撃った一発の銃弾のせいで、自分は殺人者やいうて心に闇ができてしもたら俺としても困る。まぁ、恋愛に関してそうはならんかったようやけど、それはあくまでも結果論や。昨今、男が子育てに協力するのは当たり前になって、俺が子供の頃と比較したら雲泥の差や。とはいえ、やっぱり男と女ではそもそも子供に接する濃密度が違う。都合でミルクだけで育てる親もおるやろ。せやけど、それは母乳が出んかったとか、母親がなんかの病気で乳汁分泌が認められる薬を飲んでるとか、母親が垂直感染する病気に感染してるとか、そういった場合や。大半の母親が母乳か、もしくは母乳とミルクで育てる。男が自分の分泌する体液を子供の栄養にするいうのは聞いたことがない。話は変わるけど、俺は生まれつきかどうかなんともいえんが、少なくとも物心ついた後からは事の善悪がつきにくい性質なんや。それに気づいた両親が何か事を起こす前に普通の人ならどういう対応をするかというのをまず考えるように教えられた。幸いそれをする十分な知力はあったから、多少のトラブルはあったもんの、高等教育を終えることもできたし、それなりの大きな企業にも就職できた。まぁ、父親があれやから、常識的に生きてきたいうても多少は浮世離れしてる部分はあるかもしれんけどな。その頃に父親に時間があるときに猟銃の所持許可を取るように言われた。銃いうたら使いようによっては簡単に人を傷つけたり、殺したりする凶器にもなりうるもんや。なんでそんなもんを俺に持たせようとするのかようわからんかった。それまで親の言うように常識的な生活をしてきたから、所持許可は割と簡単におりた。もちろん、何回も警察に足を運ばなあかんかったのは自分らも知ってる通りや。莉子ちゃんは知らんかもしれんけど、奈央の銃で所持許可を取るときにわかるよ。一旦、猟銃を持ってみて分かったんが、最初に所持許可をもらうよりも、それを維持していく事のほうが大変やいうことや。毎年、一斉検査もあるし、三年ごとに所持許可を更新せなあかんから、常に何事にも不備がないよう気を遣うて生きていかないかん。そのことで遵法の精神が涵養されるんやと思うた。釣りにしてもそうや。口に釣り針を引っ掛けて引っ張り回すんやから、いくら魚が痛みを感じにくいいうても残酷なことに変わりない。ただ、釣りは釣り上げるだけで終わらへん。釣り上げた魚がまた元いた場所に元気に戻って行って初めて完結する。それで命が大事なもんやいうこともわかった。たまには食う目的で持って帰ることもありはする。捕らえた獲物を食すということは古来から行われてきたことで食物連鎖の原則に反することやない。俺はもともと動物が好きやからせんけど、奈央や父親のする狩猟に関してもおそらくそうやろ。そんなこんなで、今では法の番人でもある検事の佳奈というええ伴侶もできた。もっとも、佳奈とは長い付き合いなんやがな」
諏訪がうれしそうな顔で主税を見つめた。
「省略されてる部分がかなり多い気はするけど、おめでとうな、主税さん。明日は莉子ちゃんに指導せないかんのやろ。最後に乾杯してお開きにしよか。莉子ちゃん、音頭とってや」
三木に言われ四人はピッチャーに残ったビールを注ぎ合い、今度は蓮水の口上で乾杯して、残ったビールを飲み干し散会となった。




