19 N国・弛緩(エヌ国・しかん)
N航空九十便はA空港に定刻よりも早い午前七時半ごろに到着した。三木は自分の猟銃を持ってきていたのでやや通関に時間がかかったが、到着口から出ると二人は喫煙所を探した。
「確か出口出て、左の扉から外出て、道挟んだ向こうやいうてたよな。まぁ、行ってみよか」
「あっ、あれちゃう」
蓮水は扉の向こうに屋根のついた休憩所のようなものを見つけ三木に言った。
「せやせや、長い時間タバコ吸わんかったから早よ吸いたいわ。寝起きの一本がすぐに吸えんのは辛いな」
二人は喫煙所に行きタバコを吸った。
「あぁ、よう寝た後の一服は体に染みるな。莉子ちゃんはよう眠れたか?」
「そのことやねんけど、帰りは主税さんが言うてたみたいにビジネスで帰れへんか?」
「なんでやの、結構快適やったやんか」
「いや、まぁ、奈央ちゃんはそうやったかもしれんけど、寝相が悪いて言われたことないか?」
「ないな。あんまり人と一緒に寝たことないからな」
「先生と一緒に旅行行ったことあるやろ。そん時になんも言われんかったか?」
「あの人は晩に寝てるの邪魔されたら嫌やから言うてツインに泊まるんや。ほいで最初は私のベッドにおって遊んでるねんけど、寝る時間になったらさっさと自分のベッドに戻るんや。ちょっと寂しいやろ」
蓮水はきっと有情がどこかで三木が寝ている姿を見て、敢えてツインにしている気がしてならなかった。
「まぁ、確かに寂しいかもしれん。せやけどな、奈央ちゃんは座席よりの方で寝てたやん。それがだんだん足台の方に寄ってきてやな、私が前の座席のすぐそばまで行ってしもたら、もう逃げ場ないやん、そしたら抱き枕みたいに私を抱き抱えるんや。首元に奈央ちゃんの寝息が当たってそれがこそぼうて寝られへんねん。ここまではまぁええわ。その状態で涎垂らすんや。必然的にその涎は私の首にかかるわな、その量が結構あってな」
三木が顔を赤くして言った。
「うそぅ、そんなことするん?帰りはビジネスにしてもらお。ごめんな、莉子ちゃん」
二人は笑った。
A空港からCCは国内線に乗り換えて約一時間の距離にある。A空港の国際線ターミナルから国内線ターミナルまでは結構な距離がある。歩いて行けないこともないが、二人はシャトルバスに乗った。
シャトルバスの中で三木は蓮水の首筋に顔を寄せてきた。
「何してんの、奈央ちゃん」
「いや、涎臭ないか確認しててん。大丈夫や、ええ匂いしかせぇへんで」
「奈央ちゃんが離れたときにおしぼりもろて拭いたがな」
シャトルバスは数分で国内線ターミナルについた。
Aは北島の中心地であり、CCは南島の中心地であるため、飛行機は頻繁に飛んでおり、さほど待つことなく搭乗できた。飛行機が離陸すると中心地は建物が密集してはいたものの、周辺は緑に包まれていた。また、着陸時に至ってはほとんど緑の中を飛行し、着陸地の周辺も多くの緑で覆われていた。蓮水は離陸直後から眠り始め、着陸しても起きなかった。
「莉子ちゃん、着いたで」
三木に起こされ蓮水はやっと目を覚ました。二人は降機してターミナルに出た。
「えらい小さい空港やな。周りもほとんど緑やったで」
「ここからどない行ったらええの?」
「ちょう待ってな」
と言って三木は主税からもらった、湊川が書いたメモを開いた。
「こっからバスでメスベンいうとこまで行くらしいわ」
「どっからバスに乗るんやろか?」
「ちょっとインフォメーションで聞いてみるわ」
二人はインフォメーションを探して、三木が係員にメスベンに行くバスはどこから出ているのかという内容のことを日本語で聞いた。インフォメーションの対応言語に日本語があったからだが、係員に中国語を話せる人がいるのは冬場だけだと言われた。再度、英語で同じことを聞いたら、インドから来たのかと聞かれた。バスは向こうの出口の前のバス停に約一時間半後に来るようだった。
蓮水が後ろでクスクス笑っていた。
「ちょっと待たなあかんわ。なんで笑うてるん?」
「いや、確かにインディアン・アクセントやな思うて」
「ほな莉子ちゃん、タバコ吸いたいから、喫煙所の場所聞いてや」
「ええよ」
蓮水はそう言って係員に喫煙所の場所を聞いた。
「自分かてオーストラリアン・アクセントやないか」
「確かに学生時代に一年間オーストラリアに語学留学はしてたけど、みんなに上手な英語話すなぁって言われるよ」
「それは聞いてる人がさほど英語になれてない人やからやろな。外で鉄板の上に肉やらソーセージ乗せて、焼いて食べる料理はなんていうんや?」
「バービーや」
「ガソリンスタンドは?」
「ペトロールステーションや」
「イセエビは?」
「クレイフィッシュや」
「やっぱりオーストラリア流やないか。まぁ、覚えた場所によるから仕方ないよ。タバコ吸いに行こ」
二人はタバコを吸いながら、もう一度、湊川が書いたメモを見た。
「農場に車とトラックがあるからメスベンからタクシーで行けて書いたあるわ」
バスは十五分くらい遅れて到着した。リムジンバスのようなものを想像していたが、小型のマイクロバスに後ろに荷物を入れるトレーラーがついたものだった。乗客は少なく、二人は前後の席をそれぞれ独占し、メスベンに向かった。バスは国道一号線を南下して行った。信号機は殆どなく、市街地に入るときだけ制限速度が変わるようで、バスは速度を落としたが、それも多くはなかった。
国道の周りにも放牧地があるようで羊や牛が飼われていた。三木は蓮水に伝えようとしたが、蓮水は眠っており、三木は敢えて起こしはしなかった。
バスは大きな川を渡ったところで一度停車し、トイレ休憩があった。公衆トイレは水洗式であったが、トイレには便座がなくどのようにして排泄を行うか今ひとつわからなかった。日本の洋式便器の便座がないような感じで、金属製の便器にゴムがいくつか嵌め込まれており、ゴムの上に座るのは憚られたし、ゴムの上に足を乗せてするには便器の大きさが小さすぎた。
「なぁ、奈央ちゃん。どないしておしっこしたん?」
「立ったまま少し屈んでしたけど、ほら、脱毛してるやん。せやから周りに結構飛び散ってしもた」
「あぁ、一緒か。あれどうやって使うんやろ。どこの便器もあんなんなんやろか?」
「N国は今回が初めてやから、ようわからんわ」
「I国ではどうなん?」
「そもそもI国では公衆トイレはあんまりなくて、あったとしてもすごい汚いねん。板に穴が開いてるだけやけど、和式便器みたいに使えるから、ここのトイレよりはしやすくはある」
「みなこんなんやったら誰かに聞いてみなあかんな」
二人はそんなことを言いながらタバコを吸い、大きなサケのモニュメントの前で写真を撮り、再びバスに戻った。
バスは国道には出ず線路脇の道を走り、右折して田舎道に入った。左手に日本のコンビニを少し大きくしたくらいのスーパーがあった。そこから先、メスベンまでは信号機はひとつもなかった。
やがてバスは停留所に停まり、何人かが降りた。二人は他の旅行者と同じようにバスを降り、荷物を受け取って歩道に降りた。
バスは少し先のアシュバートンまで行くようであった。




