謙遜にて
自分の感じる視線一つに、他者が与えた視線以上の意味を、想像してしまう事がある。
今日の学びである。
ああ。
だが、雄一郎さんは確実に良い人だ。
「貴方が、僕の選んだ店を毎回気に入ってくれるだけなので、僕が凄いという訳では……」
なにせ雄一郎さんは、私の嫌味に応えてくれるだけでなく、謙虚な人生を歩む事も忘れていないのである。
「え、本当に?」
「おや。僕の言葉を疑っているので?」
だが私は、雄一郎さんの言葉が信じらず、思わず聞き返してしまった。
これは私が、日本人特有の謙遜というものを理解出来ない部類の人間だった事が大きいだろう。
そう。
私は言葉に含まれた意味を、遠回しな表現を昔から嫌う癖があったのだ。
なにせ、意味が理解出来ないのである。
ちなみに私は、京都の遠回し言葉を知った時に知恵熱で三日間、床に伏せた過去がある。
だから私は、雄一郎さんに向かって媚をへつらう商人のような顔で
「貴方の言葉は、いつも紛らわしいから」
と、このような言葉を告げたである。
暗に、直球で言葉を伝えてくれ、という事だ。
すると私の思いが通じたのか、今度は雄一郎さんが言葉を選ばずに
「おや。では今まで、僕が選んだ店で何か粗相があった事、ありました?」
と、言ったのだ。
ありがたい。
私は、一生京の都に味を踏み入れる事の出来ない質だから、直接的な表現は胃に優しい。
それにしても、雄一郎さんが選んだ店が悪かった事か……。
「えっと。一度も、ないね」
それどころか、私が店を選ぶと、ほぼ確実に悪い事が起こるので、何も言えないのである。
例えば、店員が包丁を振り回したり、会計をぼったくられたり、店員が客と乱闘騒ぎをしたり、である……。
まあ。
色々だ。
「それは良かった。では、これからは貴方の店選びの方法を磨く事に専念しましょうかね」
……え。
「それ、出来るの?」
想像以上に、魅力的な言葉だが……。
第一、店選びの方法を磨くとは?
すると、雄一郎さんが笑いながら、
「磨けば、この世の中、全て光ります。それに貴方は、方法を知らないだけでしょう?」
と言ったのだ。
「いや、あの。それは、そうだね?」
……いや。
それは、そうだが。
……どうしよう。
雄一郎さんの、私に対する理解度が高すぎて怖い。
だって、そうだろう。
まるで、初対面の人に好物を当てられたようなものなのである。
第一、磨けば光る保証など、どこにもないのではないか。
それに、本当に方法を知れば店選びに苦労しなくなるのか?
だが、そんな私の困惑は見事に放置されたらしい。
これは雄一郎さんが、
「それにしても、貴方が此処に来るのは今日で三回目でしょう?このお店に慣れたのではないですか?」
と、このような頓珍漢な事を言ってきた事が原因である。
……この人は、一体、何を言っているのだろう。
「いや。そんな訳ないだろ」
ああ。
だから想像以上に、強い声が出てしまったのだろつ。
これは、仕方ない。
なにせ、心の声が漏れてしまったのである。
「おや。そうですか?」
その時だ。
雄一郎さんが、不思議そうに私の事を見つめてきたのだ。
しかし、答えは変わらない。
いや。
確かに、私がこの店に来るのは三度目である。しかし、この店に来るのが気にならないか、と問われれば、話は変わってくる。
先の問答など、とうに忘れて私は思考を回した。
なにせ、この店に入るという事は……。
例えるのであれば、甘味一色の店に、男が一人で入っていく時に感じる、あの気まずい雰囲気を感じるという事なのである。
そう。
慣れる筈がないのだ。
それに、私は一人でこの喫茶店に迷わず辿り着ける自信もないのである。
だから私は、雄一郎さんに向かって拗ねたような口調で
「そうだよ。知っているかい?人は環境に適応していく生き物だけど、適応出来ない人だっているんだ」
と言ったのだ。
「貴方の事ですか?」
まあ。
心の中で呟いた意味は伝わらなかったが。
「その通りさ。でも、誤解がないように言っておくけど、私はこの店は好きだよ。それは変わらない」
そう。
適応出来るか、出来ないか。
これは、重要な事だ。
だが、出来ないというだけで、嫌いな理由にはならない。
「でも、慣れる事は、絶対にない」
だが。
それと、これとは別である。
すると、雄一郎さんが揶揄うように
「強情ですね」
と、このような事を笑いながら言ったのだ。
だから私は、つい
「貴方には、負けるよ」
と言ってしまったのである。
……だって貴方の方が、強情なんだもの。
「おや、そうですか?」
「そうだよ」
「それに、貴方は若人が集まる店に言った事がないから、解らないのさ」
あの、店に入った瞬間に感じる。何、あいつみたいな視線の恐ろしさを……。
ちなみに、私は一度経験して心が折れた。
「貴方も、十分、若いでしょうに」
「そんな事は、関係ないよ。変なやつが来たって思われるだけで、辛いんだから」
なにせ、その目は外の世界から来た不法侵入者をみる、検疫官のような存在感を放っているのである。
「そう、なのですか?」
「そうだよ。それに、それはこの店も同じだ。未だに外見と内装の違いに慣れなくて、右往左往している私がいるんだからね」
事実である。
それに、雄一郎さんには秘密にしているが、私は今日だけでも三回程、迷子になりかけたのだ。
そう。
お手洗いに行くために離席して自席に帰るだけで、これなのである。
ちなみに、無事に自席に帰る事は出来た。
数分、喫茶店の店内を散策したが、帰れたのだから、問題はない。
うん。
十分、不審者である。
「おやおや」
「そんな姿を他のお客さんが見て、どう思う?」
「それは、随分と怪しいですね」
「ああ。変なやつだって思うだろうね。だから私は貴方と一緒に行く時しか、この店に入れないんだよ」
他にも理由はあるが、ここで言う必要はないだろう。
「残念ですね。貴方が一人でこのお店に辿り着けるように、待ち合わせ場所をこのお店に変えようと思っていたのですが」
「却下」
「即答ですか」
当然である。
雄一郎さんのその言葉は、私に頭痛と腹痛を同時に与えたのだ。
ちなみに、頭痛の種は雄一郎さんの悪戯に対する苦労が原因であり、腹痛の種は待ち合わせ場所に辿り着けない不安が原因である。
「それは、そうだよ。本当にやめてくれ。多分、あと十年くらいは無理だね」
「おやおや。随分と長いですね」
「自信がないんだよ。私が気弱な事は貴方も知っているだろう。それとも、迷子の子羊は、貴方が導いてくれるのかい?」
私は、いつもの意趣返しのつもりで、このような事を雄一郎さんに向かって言った、筈だったのだ。
……この言葉が、後の後悔の火種になるとも知らずに。




