期待にて
自分の能力を過大評価するべきでない。
一時の快楽で、一生分の後悔を背負う事があるのだから……。
今日の、教訓である。
だが私は、少し雄一郎さんの態度を崩そうとしただけだったのだ。
しかし、やはり、雄一郎さんを揶揄うには相応の覚悟が必要だったのである。
「おや。貴方、狼に導かれるのが、お好きだったので?」
この言葉からも、それは察せる事だろう。
「嫌です。お断りします。好みじゃないです」
しかし、私の予想は甘かった。
なにせ、こちらの方が攻撃を受けているのだから救えない。
「おやおや。随分と素敵な、お返事ですね」
ああ。
雄一郎さんはとても楽しそうだ。
とても怖い。
「貴方、本当に良い性格してるよ」
「褒め言葉ですね」
……もうやだ。
「それにしても、貴方の店を選ぶ感性には毎回驚かされるね」
こうなったら、話題を逸らそう。
「おや。嬉しい事を言ってくれますね」
……良し。逸れた。
「事実だからね。誇っても良いくらいだ。自分はこんなに良い感性を持ってるんだぞって」
「貴方、出る杭は打たれる、という諺をご存じですか?」
……失敗した。
なにせ、雄一郎さんの顔が呆れたような、失望したような顔を浮かべていたのである。
どうやら、雄一郎さんには、何か苦い思い出があるらしい。
これ以上は、もう、止めに……。
「知ってるよ。だから、偶には私以外の友人でも誘えば良いと言っただろう?」
「数秒前の僕の言葉、覚えていますか?」
「覚えてるよ。でも、きっと友達なら喜んでくれるよ。いや、そっか。誘っても来る人が居ないのか」
……する訳がない。
これは、先程の恐ろしい誘いの一件の仕返しである。
言い過ぎたような気がするが、それは、この際考えない。
なにせ私の攻撃的な言葉など、雄一郎さんにとっては、子猫に噛まれた程度の痛みなのである。
意味がないのだ。
雄一郎さんの余裕そうな表情を見れば、解る。
「おやおや、手厳しい。しかし貴方は本当に口が上手くなりましたね。最初に出会った時とは大違いです」
「え。それって、成長したって」
「まだ、あの時の方が可愛げがありました」
違うらしい。
断じて、私の語彙力が養われた訳ではなかったようである。
「貴方のおかげだよ」
だが、これぐらいの嫌味なら許されるだろう。
「おやおや。ですが、気を付けてくださいね。その口の上手さは、誰かを傷つける事になるのですから」
「仰る通りで」
許されなかった。
反論の仕様もない、正論だった。
雄一郎さんの言葉が、私の繊細な心に刺さった瞬間だった。
「ですが、貴方と話す方は宝石のように貴重な存在ですからね。そのような事は起こらないでしょう」
訂正しよう。
刺されるよりも、酷かった。
刺された箇所から抉られたのである。
ああ。
なんと純度の高い嫌味だろうか。
だが……。
「訂正して。純金くらい、私と話す人は貴重なんだから」
私の理解力が足りていなかったな。
……自分で言っていて、悲しくなってきた。
「おや。それは失礼。しかし友人の数で言うのであれば、僕は貴方とは違って、相手によって態度を変えないから、少ないのです」
「それは」
「貴方は、違うでしょう、みつる君?」
とんでもない反撃である。
恐らく、私が雄一郎さんを出し抜ける日は来ないだろう。
しかし、それ以上に雄一郎さんの言葉が保護者の様だった事が一番気になる。
まるで、子を見守る母のような言葉だったのである。
後方保護者面、という言葉が頭に浮かんだ瞬間だ。
「いや、確かに貴方の言う通りだけど」
だが、宝石云々という言葉は、心にきた。
例えるなら、猫のような俊敏さで相手の首に噛みつこうとしたのに、逆に相手の犬に首筋を強靭な顎で噛み砕かれる感覚だ。
そう。
私の吐いた毒舌が可愛く思えた程には、雄一郎さんの言葉は攻撃力が高かったのである。
これが、自分で己を貶す事と、他者からの罵倒を受ける事の違いだろう。
身をもって知った。
だが、それよりも。
私の呼び方が、みつる君になっている。
不味い。
雄一郎さんが私の事を名前で呼ぶ時は八割九割、私に対して何か苛立ちを募らせている時なのだ。
揶揄いすぎた。
その言葉が、私の心を支配した。
足の小指から脳味噌に向けて駆け巡る罪悪感と悪寒で、頭が回らなくなったのである。
「みつる君?どうかしましたか?」
雄一郎さんが、私に向かって言う。
「ああ、いや」
「そうですか?少し体調が悪そうに見えますが」
「気のせいだよ。心配性だね。それじゃあ世間話もここまでにして本題に入ろう。今日はどんな話をするんだい?」
だから私は、この気まずい空気から抜けるために、わざと話題を変えた。
自業自得。
そんな言葉が頭を掠めたが、知らない振りをした。
確かに、この気まずい雰囲気は、元はと言えば私の失言が原因である。
だが私は、この現実を受け入れたくなかったのだ。
しかし、無理矢理話題を変えようとしたからだろう。
お得意の毒舌は見る影もなくなっている。
ちなみに、雄一郎さんは私に苛ついていたのではなく、揶揄っていたらしい。
後で知る事が出来た。
しかし、そんな事、今の私には藪の中。
すると雄一郎さんは、悪気のない顔をしながら、こう言ったのだ。
「そうですね。いつものように貴方との歓談を愉しむのも一興ですが、今日は趣向を変えて僕の思い出話に付き合ってください」
「思い出話?貴方の?」
私は、驚きながら言った。
少し、意外だったからである。
そう。
いつも話す内容とは、かけ離れていたからだ。
「そうです。言い方は気に障るかもしれませんが、飲み会で上司の自慢話を聞かされるようなものですよ」
そして、その言葉に、私は先程の言葉遊びの事など忘れ、内心意味の分からない例えをするものだと首を傾げた。
「お忘れかな、私はまだ学生だよ。だから飲み会の上司の自慢話はまだ経験したことがない」
「おやおや」
「その反応は、完全に忘れていたね。けど、その言い方だと好いものではないんだろう?想像は出来るよ」
「おやおや」
二度目である。
しかし、一度目は驚きながら、二度目は私の想像力に対して感嘆しながらという違いはあった。
そして私は、そんな雄一郎さんの反応を見ながら、話を続けたのだ。
そう。
「好きな話題が出た途端に、いつも寡黙な人が突然饒舌になって、歯止めが利かなくなるのと、きっと同じことだね」
と、言ったのである。
これは私の知り合いにも、そんな人がいるから良く解るのだ。
いや。
確か、それ以外にも……。
「ああ。授業中に突然始まる教授の自慢話の方が合っているかな。どちらにしろ、貴方が話をするんだったら別だよ」
なぜなら、教授の話はつまらない自慢噺であり、雄一郎さんの話は全てが面白いからである。
「さて。何時間でも付き合うよ。なんなら、夜まで話してくれてもいい」
私が言った。
そしてこの時、雄一郎さんは私が学生であるという事実を、綺麗に忘れていたのだろう。
顔を掌で覆いながら、恥ずかしそうにしていたのである。
その姿を見て、私は紅茶で喉を潤してから、続きの言葉を紡いだ。
「ああ。とても、気になるね。どんな愉快な思い出話を聞かせてくれるんだい?」
その瞬間だった。
雄一郎さんは、まるで照れ隠しでもするかのように、私の顔を見て
「まるで、小学生が博物館に行った時のような顔ですね」
と言ったのである。
なるほど。
明日の私は表情筋の痛みに苦しむ事だろう。
すると、いつもの調子を取り戻した雄一郎さんは、私を揶揄うように
「夜までは、さすがにかかりませんよ」
と愉快そうに言って話を始めたのである。
雄一郎さんの掌は、いつの間にか普段の定位置に戻っていた。
これが、全ての始まりだったのだろう。
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