思考にて
如何でしたか?
実に、素晴らしい映画であったことでしょう。
此れには、皆様もご満足いただけた筈。
皆様が舞台を楽しんで頂ける。其れ以上の幸福を、我々は知りません。
其れが我々の生きる糧なので御座います。
けれども先程の狂いのことは、矢張り、気になります。
今回は、何もなかったようで、安心しましたが、次はどのようになるのか、我々にも分りません。
「備えあれば憂い無し」
で御座います。
其のようなことは言っても、起こっていないことを考慮して、本懐に支障が出てしまっては、本末転倒で御座います。
精神を蝕む毒は、難解なので御座います。
皆様も、適度な休息がとりながら、映画をお楽しみください。
肉体は簡単に休まりますが、心は其のような構造をしていないので御座います。
ですから、皆様は先程のことを、一旦忘れても宜しいかと存じます。
なにせ、青年の見たという夢は
「身動きがとれない身体で海に揺蕩い、結局は海底に沈んでゆく」という彼の心理が表れた可思議な物であったのです。
此れは狂いの影響が、微塵も起こっていない、という確たる証拠でしょう。
ええ、休みましょう。
皆様にお伝えした通り、我々は狂いが何であるのか理解しています。
ですから、狂いが舞台に影響を及ぼさず、連続して起こる物ではない、ということも知っているので御座います。
舞台の中の出来事は、舞台の外には影響しない。
其れは、狂いでも壊せない規則なので御座います。
そして夢とは、総じて不思議な物で御座います。
ですから、誰がどのような夢を見たとしても、疑問を持つべきでないので御座います。
其れが突拍子もない、南極で神楽を踊る夢でも、孤独に獣道を静かに進む夢でも、神隠しをされる夢でも、不思議はないので御座います。
夢とは一様に、考えるだけで思考の渦に呑まれて、最後には抜け出せなくなるのですから。
ええ、疑問を持つべきでは、ありません。
規則にも、夢にも、舞台にも。
例え、其れが当人の罪を糾弾する物であったとしても、其の罪の業火に身体を焼かれていたとしても、不思議に感じる事はないので御座います。
其れは、「夢」なのですから。
ところで、一つお聞きしたいことが御座います。
皆様は、夢をご覧になられた事はありますか?
「此奴は突然、何を言い出すのだろう」と思われては心が痛みますので、此のような質問をした理由も、ご説明致します。
早い噺、夢と現実の境を理解しているのか其の事実を、我々は知りたかったので御座います。
夢を夢だと諦め、現実を歩む事を出来るのであれば、此の質問は、意味は成しません。
ですが、其れが幸福な夢であったなら、如何でしょう?
夢から目覚めたときに、もう少し微睡み、歩みを止めたい、と考えるのではないですか?
例えば、そうですね。
もう二度と会うことのできない、故人に出合うことが出来たら、如何でしょう?
滅多に味わうことのできない、豪華な食事を味わうことが出来たら?
誰にも脅かされることの無い、安息の場所に行くことが出来たら?
如何でしょう?
此のような幸福な夢を、皆さまは諦めることができますか?
先程も申し上げた通り。
夢は夢、現在は現在だ、と区別ができていれば良いのです。
青年は夢と現実の境界線が危うくなり、夢を現実に呼び込もうとしていました。
ですので、少々、過干渉では御座いますが、お聞きしたので御座います。
しかし映画とは言え、青年の言葉は中々でした。起きた瞬間に
「今まで近くにいた深海魚は何処に?」と言ったのですね。
ですが此の夢は、青年の心の底の感情を表しているのでしょう。すると、如何でしょう?
「人の夢は、実現可能の事象」である、という言葉の通り。
夢は現実に似て非なる、仮想現実のような物だと言えるのではないしょうか?
「夢」を夢の出来事として、区切りをつけることは、大事なことで御座います。
ですが、夢を夢の出来事として、軽んじてしまってはいけません。
其れは、刃物で刺された怪我を「唾をつけておけば治る」と言って治療を行わず、後に悪化していた状況と、同じことなので御座います。
皆様には、夢を軽んじる事なく、自分自身を大切にして頂きたいので御座います。
そして、舞台の青年とは異なり、其の夢に、引きずり込まれないようにして頂きたいのです。
「何事にも節度が必要だ」ということで御座います。
其のようにして頂けなければ、夢に引きずり込まれ、現実を視る事ができなくなってしまうので御座います。
皆様は、あの光景をご覧になったことはありますか?
猫が何もないところを見つめて、動かない、あの光景を。
其の姿に、恐怖した方もいることでしょう。
厳密に言えば其の光景と、此れは違うのですが、其の状態と同じようなことを、夢に囚われた方は、感じているので御座います。
「いない」と思っていても、其処に確かに「いる」のです。
此れが、夢を軽んじることへの代償で御座います。なんと、恐ろしいことで御座いましょう。
虚言、妄言、幻覚、夢想。
誰にも其れは見えないのですから、誰も信じてくれません。
其れは、夢で得た事象を軽んじ、自身の身体に起きたことを夢だと軽んじた罰なので御座います。
そして其れと同時に、彼奴も、鎌を振りかざしながら、追って来るので御座います。
彼奴から逃げることは、容易ではありません。不可能と言っても、間違いないでしょう。
彼奴は、影、心の揺らぎ、性、自責の思い。感情を持っているのであれば、誰もが一度は経験をした事がある筈。
彼奴の名は、「後悔」で御座います。
決して、後悔の念を感じることが、悪いことだと言っているわけでは御座いません。
其の感情を、薪に自らの身を炎に焼べる方もいることで御座いましょう。
しかし、我々は其の感情に追われる事のない、平穏な日常を皆さまに過ごして頂きたいので御座います。
綺麗事を、並べているように聞こえるかも知れませんが、皆さまの幸福が、我々の救いなので御座います。
どうか、何処までも、許す限りの平穏を。
何故なら、此の後悔という感情は、我々の舞台には、必要ない物なのですから。
其れでは、皆さま
席のご準備はお済みですか?
舞台は未だ、続いております。
心の許す限り、ご堪能あれ。
=章
彼は一体、誰でせう?
彼奴の隣で寝ている、彼は一体誰でせう?
その姿は、猫のやう
その姿は、鷹のやう
その姿は、蛇のやう
その姿は、鷲のやう
まるで、物の怪、ひとでなし
けれども、あれは、人でせう
口が一つに、目ふたつ
鼻が一つに、耳ふたつ
人でなければなんでせう?
猿の親戚か、なにかでせうか?
虎のやうな、牙を持ち
狗のやうな、爪を持つ
けれども、人です、違いない
あゝ、彼奴に、惹かれたばつかりに
戻れなくなつた、哀れな仔
忠告しませう
警告しませう
古い轍を、辿らずに
新たな歩みを、拓きなさい
どうか、忠告を忘れずに
どうか、警告を心の中に
彼奴は、太陽
彼奴は、月
悪魔のやうに、林檎の与えておきながら、
星のやうに、愛を与えておきながら、
さようなら、の一つも言わず
ありがとう、の一つも言わず
静かに、去つてゐくのです
なんて、神聖な人でせう
なんて、罪深い人でせう
求めずには、ゐられない
焦がれずには、ゐられない
後悔しても、遅いでせう
懺悔しても、無意味でせう
気付けば、体は宙の中
業火の海に、身を焼かれ
奈落の底に、身を落とし
深海の闇に、身を投げて
空に身体を、沈ませて
甘く、温かい、罪の中
苦く、冷たい、業の中
静かに、堕ちてゐくのです
それが、幸せなのだから
それが、現実なのだから
どこまでも、堕ちてゐくのです
堕ちてゐくしかないのです
あゝ!あの時は、幸せだつた!
彼奴と話した春の日が!
彼奴と遊んだ夏の日が!
彼奴と学んだ秋の日が!
彼奴と別れた冬の日が!
悪い夢には到底おもえず
底まで堕ちていつたのです
あの夢のやうな思い出を
彼奴は、覚えてゐるでせうか?
覚えてゐるなら、喜びませう
覚えてなゐなら、悲しみませう
心の奥底にゐる、黒く醜い感情を隠すやうに
心の取り繕つてゐる、白い清らかな感情を見せるやうに
すべてを隠して、笑いませう
すべてを明かして、嘆きませう
再会を果たした、その時に
再会を許さない、思いと共に
本心を偽り、笑いませう
本心のままに、贈りませう
何の花を贈りませうか?
百合でせうか?菫でせうか?椿でせうか?
朝顔でせうか?秋桜でせうか?向日葵でせうか?
薔薇でせうか?
確かに彼奴は、薔薇が好きです
目を輝かせていたことを、知つてゐます
あゝ、贈りませう!祝いませう!
輝かしい道を歩む、彼奴に
険しい道を諦めない、彼奴に
八十八の花々で
その道筋を祝いませう!
楽しげな道には、黒の薔薇
哀しげな道には、紫の薔薇
喜びの道には、黄色の薔薇
怒りの道には、緋色の薔薇
祝いませう、呪いませう
その時がきたら、祝いませう
=章? ー完ー
今回は短めです。
日々語彙力を鍛えながら、作品を創っておりますが、それでも至らぬ点があること、恥ずべきばかりです。
お読みくださる読者の方には、感謝の思いしか御座いません。
追記
お気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが
-章、=章などは中原中也詩集から、影響を多いに受けております
念のため、ここに記させて頂きます
それでは、次回作をご期待ください




