興味にて
人の記憶は、随分と曖昧である。
だから何か一つに集中すれば、他の事は消えていくのだろう。
ああ。
それは雄一郎さんが紅茶を一口飲んだ後の事だった。
「ああ。失念していました。肝心の彼について、話すのを忘れていましたね」
このような言葉と共に、申し訳なさそうに眉を下げながら話を始めたのだ。
「本当に、忘れてたんだね」
「ええ。忘れていましたね、完全に」
「そっか。それなら、仕方ないね」
なにせ私も、人の名前を忘れたり、約束事を忘れる事が良くあるのである。
「ええ。仕方ありません。そして、彼というのは、洋館の所有者の事ですよ」
「へえ。そう、だったんだ」
だが私は、その答えを少し予想出来ていたのである。
しかしこの世には、万が一の可能性という言葉があるのだ。
ちなみに、この場合の万が一の可能性というのは……。
隣の家に住む知り合いの、その親戚と同じ猫好き連盟に所属している、名前を知らない誰かといった人の事である。
ちなみに私は過去に、この極端に低い可能性に立ち会った事がある。
まあ。
私の場合は、犬好き連盟に所属していた人だから、少し違うのだが……。
今はそんな事を話している場合ではないから、次にいこう。
それにしても……。
「その人。随分と、面白そうなだね。もっと興味が湧いたよ」
「おやおや」
「だって貴方の表情を、それだけ変える程の人だよ?」
「はい?」
え?
そんなに驚く?
まるで、私が過去に行った奇行を聞いた時のような反応ではないか。
ああ、なるほど。
雄一郎さんは、私の言葉を聞くまで、表情を変化させている自覚がなかったのか。
それなら、納得だ。
ちなみに先程の雄一郎さんの表情は、いつもの穏やかな笑みではなく、夏に虫取りに行く少年のような笑みだった。
そう。
いつもの紳士的な笑みではなく、雄一郎さんらしからぬ、無邪気な笑みだったのである。
まあ。
私は雄一郎さんの新しい一面を知る事が出来たから幸運だったのだが、雄一郎さんからしたら、違うらしい。
恐らく、恥ずかしいのだろう。
満足感を得ている私とは、大違いだ。
すると、その時。
雄一郎さんが、少し表情を強ばらせながら
「おやおや。それは、それは。そこまで変わっていましたか?自覚は、なかったのですが」
と、まるで親に叱られる事を恐れた子供のような声をしながら、こう言ったのである。
え?
なぜ、そんな声を?
いや。
それ以上に、今は雄一郎さんの誤解を解かなければならないのでは……?
そこで私は細心の注意を払いながら、雄一郎さんに
「えっと、誤解してるみたいだから、言うけど。それは全然、悪い事じゃないと思うよ」
と、こう言ったのだ。
本心だった。
すると、雄一郎さんは、驚いて私の方を見たのである。
だが、それに気が付いても、私は話すのを止めなかった。
なにせ、このまま話すのを終えれば、私の言いたい事が言えずに終わってしまうのだ。
だから私は、続けて
「だって、それほど良い人に出会えたって事だろう?」
と、心の内の言葉を紡いだのである。
ああ。
だが、これで言いたい事は言えた。
後は、雄一郎さんに思いが伝わるのか、それだけである。
恐らく雄一郎さんは、今までの長い人生経験を得て、感情を抑える術を身に付けてしまったのだろう。
だから、常に穏やかな口調で話しているのだ。
だが、偶には息抜きも必要だろう。
我慢するのは、疲れるのだから……。
「多分。貴方にとって、その人はとても大切で、大事な、まるで夜明けのような人なんだろうね」
そんな貴重な人は、大事にしなければならないよ。
ちなみに、これは私の親からの教訓である。
「ええ。ええ。確かに、そうですね」
すると雄一郎さんは、私の言葉を噛み締めるように、涙を堪えるように、こう言ったのだ。
「だろう?」
ああ、良かった。
私の拙い言葉でも、伝わった。
やはり勇気を出して会話をする事は、大事なのである……。
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