閑話 恋する乙女の胸の内
本編と書き方が変わりますのでご注意を。
とある女の子の過去から今の話です。
今よりずっとずっと小さかった頃に、両親と招待されたパーティー。豪華絢爛で煌びやかなそこは、絵本の世界に迷い込んだかのようで。幼い私は、さながらお姫様にでもなった気分だった。
そんな、全てがキラキラと輝いていた世界の中で、私は見つけたの。
誰よりも美しくて、素敵なあの人を。
まるで一人だけスポットライトに照らされているかのように、私にはその場の誰よりも輝いて見えた。
その姿はとても眩しくて。でも、目を逸らすことなんて出来なくて。
そう、まさにそれは――
「……王子さま、みたい」
その日から。
初めて見たその瞬間から。
私の心はずっと、あの人に囚われている――――
「だいぶ上手くなったな」
「四年も通っているのですから、当然ですわ」
「その割に運動神経は――」
「そ、それとこれとは関係ありません!」
私が通うダンス教室の片隅で繰り広げられる、とある二人の会話。
そこから少し離れたところに立つ私は、二人に気づかれないようにそっと視線を向けた。
そこにいるのは、不敵に笑う男の子と、ぷくっと頬を膨らませている女の子。
どちらも私と同い年で、同じ学園に通っている同級生。
軽口を叩き合うその様子からは、親しい間柄であろうことが見て取れる。いや、実際に親しいのだけれど。
対して私との関係はと言えば、別段親しいわけでもなく、不仲でもない。何とも微妙な関係だ。
そんな二人を覗きながら、私はひっそりと息を吐く。
ただ話しているだけなのに、その光景はまるで貴重な絵画でも見ているかのように絵になっていた。その証拠に、二人に視線を送っているのは私だけではない。恍惚な表情を浮かべている人もいれば、憧憬の眼差しを送っている人もいる。
それは、どちらも芸能人なんて鼻で笑えるくらいの美貌を持っているから。その美しさたるや、自分とは違い過ぎて嫉妬なんて馬鹿らしく思えてしまうほどだ。
思えてしまうけど。
仲睦まじい二人の様子に、私の胸がずきりと音を立てて痛み出す。
偏にそれは、私がそこにいる男の子に恋をしているからだ。
その男の子は、とある大企業の御曹司。
眉目秀麗で頭脳明晰、さらには運動神経も良い。そしてまだ子供ながらも、すでに人の上に立つ者の風格を醸し出している彼は、まさに『神童』と呼ぶに相応しい存在。
彼こそ、私が小さい頃にパーティーで一目惚れしたあの人だ。
まだ恋なんて言葉も知らなかった頃から芽吹いたこの想いは、今ではすっかりと花を咲かせている。
学園に入る前から王子様のような彼だが、その魅力は六年以上経っても霞むどころか増す一方で。そんな彼がモテないわけがなく、出会った日から多くいた私のライバルも、年々増していく一方だ。
でも周りを魅了して止まない彼は、女の子を嫌っていた。話しかければ途端不機嫌になったり、横柄な態度を取ることもあったり、会話だって満足に出来ない時もある。入学したての頃はそんな事はなかったのに。
思い当たる節はたくさんあるが、大きな理由としては彼を取り巻く女の子たちだと思う。どこに行くにも付き纏われたり、大きな嬌声を上げられたりと。彼に恋い焦がれる人たちの行為が積み重なり、嫌気がさしたのだろう。
もちろん、私は彼に迷惑をかけるような真似はしていない。遠くからこっそり眺めたり、偶然一緒だったダンス教室で少し会話するだけ。
でも彼にとっては、私もその一部でしかなくて。
唯一彼を独り占め出来たダンス教室でも、見えない壁が立ち塞がっていた。
悔しかった。他の子たちとは違うのに。
私は他の女の子たちみたいに、上辺だけ見て好きなわけじゃない! そう、叫んでしまいたかった。
確かに始まりは一目惚れ。
けどこの想いを募らせたのは、周りの期待に応えようと努力する彼の姿に、子供ながらに尊敬と憧れの念を抱いたから。
『神童』と呼ばれるに相応しい努力をする、彼の真剣な眼差しが、何より私の心を惹きつけたのだ。
だけど、私はそれを伝える勇気を持ち合わせていなかった。
この想いを否定されるのが、恐ろしかったから。
でも、心のどこかで優越感を持っていた。
彼を外見だけで、その家柄だけで恋をしたと謳う女の子とは違うと。
――誰よりも彼を想っているのは、私だ。と。
そんな独り善がりの優越感は、脆くも崩れ落ちることになるのだけれど。
二年生も終わりかけた頃、長らく休学していた生徒が復学するという噂が流れた。その人物の兄弟が学園でもとても人気のある生徒だったことで、一時期学園中がその噂に夢中になっていた。
大人が言う、「大病患っている、病弱な子」みたいだと。
男の子が言う、「外に出たことが無い、深緑の令嬢」らしいと。
女の子が言う、「高慢ちきで我が侭な、箱入り娘」だと。
噂が噂を呼び、最終的には本当か嘘かも分からない噂が広まった。
しかしそんな中、何故か真実を知る兄弟は何も語ることはなくて。それがより一層興味を惹き立て、その子への期待は否応なしに高まっていった。
私はといえば、その子にあまり興味はなかった。
いや、それは嘘。
その子への興味は、期待というよりも恐怖心の方が大きかった。
どんな子なの?
どんな容姿をしているの?
どれだけの教養を持っているの?
――彼の目に、その子はどう映るの?
それだけが、とても怖かった。
願わくば、彼の目に留まる子でありませんように――
そんな私の願いは、悪い方に裏切られる。
三年生の始業式。姿を現した噂の人物に、言葉が出なかった。
絹のような濡羽色の髪、アメジストを彷彿とさせる神秘的な瞳、陶器のように滑らかな肌。人形のように精巧な容姿を持つ彼女は、恐ろしいほどに美しかった。
自分と比べるなんて烏滸がましいと思えるくらい、何もかもが違う。誰もが息をするのも忘れ、彼女を食入るように見つめた。
だけど何よりも周りを驚かせたのは、彼女と彼が、とても親しげだったことだ。
彼が彼女の手を引いて歩く光景に、多くの女の子が悲鳴を上げた。かくゆう私もその一人。
――そう。すでに彼女は、彼の目に留まっていたのだ。
ガラガラと、何かが音を立てて崩れ去る音が聞こえた。
それからというもの。彼の隣にはいつも彼女がいた。
学園はもちろんのこと、唯一独り占め出来たダンス教室にも、その姿はあった。さらには二人の母親は親友同士らしく、プライベートでもよく一緒にいることを知った。
そして。
彼女がいる空間には、今まで見たことのない彼の顔があった。
呆れたような顔。
可笑しそうな顔。
意地悪そうな顔。
心配そうな顔。
見守るような、優しい顔。
初めて見た彼のそれらの顔は、さらに私を魅了するものだった。
その瞬間、私は理解してしまった。
私では、彼からあんな顔は引き出せない。
あれは、彼女だから引き出せるものだ。
どう足掻いたって、彼女には勝てない。
そう悟ってしまった。
でも。
それでも。
この心は彼を欲していた。
我ながら執念深いなと呆れるけど、諦めたくない。
だってやっぱり、私は彼を愛しているから――
「では、今日のレッスンはこれで終わりです」
『ありがとうございました』
しっかり二秒頭を下げれば、今日のレッスンは終わりを迎える。
教室を取り巻いていた緊張感は飛散し、各々が帰るための準備を始めた。彼も例外じゃなく、誰よりも早く帰り支度を始めてしまう。
私はとっとと帰ろうとする彼を、急いで呼び止めた。
「あの、鷹ノ宮さまっ」
「なんだ?」
声をかければ、彼は振り返る。そこに色は付いていないけど、昔のような嫌そうな顔はないだけで、喜びが込み上げる。だけど、この変化も彼女が齎したものだと分かると、人間は現金なもので憎らしさすら覚えてしまう。
「このあと、お時間ありませんか?」
「……悪いけど、今日は予定があるから」
「……そう、だったんですね。呼び止めてすみませんでした。ではまた今度、お暇な時に」
「あぁ。じゃあな」
私の誘いを断った彼は、微塵の名残惜しさもなく背を向けて去って行った。
断られるのはいつもの事。だけど、悲しみを感じないわけではない。それでも、稀に誘いに乗ってくれることもあるから、声をかけるのを止められない。
離れていく背中を見つめると、彼の隣を歩く彼女が目に入る。
談笑しながら去って行く二人。きっと一緒に帰るのだろう。ということは、彼が言う予定とは彼女との事か。
私はぎゅっと唇を噛み締め、滲む視界から雫が落ちないようにぐっと耐えた。その時――
彼の隣を歩く彼女が、そっとこちらに振り返った。
彼の隣に立つ優越感に浸った笑みを向けられるかと思いきや、その顔は戸惑いと憐れみで満ちていて。
まるで懺悔でもしているかのように、彼女は私を見ていた。
口の中に、鉄の味が広がる。
どうしてあなたがそんな顔をするの?
何であなたがそんな顔で私を見るのよ?
学校でもそう。
誰よりも彼に近い場所にいる彼女は、周りを見て困った顔をすることがある。その場所にいるのは、自分の本意ではないと言いたげに。
みんなが望む場所にいるくせに、どうして嬉しそうじゃないのよ。
その表情を見る度、そんな思いが込み上げる。
いっその事、悦に浸ってくれた方が清々しいというのに。
そんなモヤモヤした思いが積もり積もって、ある日私は尋ねた。
――彼のことが好きなのか、と。
もし彼女が私と同じ想いを少しでも持っていたら、苦しいけど、胸が張り裂けそう痛むけど、この気持ちに蓋をしよう。
彼のことは諦めようと。そう決めていた。
でも。
彼女の答えは、信じられないものだった。
私が人生で一番と言えるほどの決意で問いかけた言葉に、彼女は――
「それはあり得ませんわ」
綺麗な笑顔で、そう答えたの。
あり得ない?
どういうこと?
言葉の意味が理解出来ず呆然とする私に、彼女は追い打ちをかけるかのように「だから安心してください」と微笑みかけた。
意味が分からない。
何を安心したらいいの?
彼女の言葉が、ぐるぐると頭を廻る。
彼女ははっきりと断言していた彼を好きになることはあり得ない、と。
どうしてあり得ないあなたが、その場所にいるの?
なんでこんなにも彼が好きな私は、その場所にいないの?
誰もが望む場所にいるくせに、なんでそんな事を言うのよ?
――じゃあその場所にすら立てない私は、一体どうしたらいいのよっ!?
視界を赤く染めるほどの激情が、私を支配する。
彼女が決して悪い人じゃないことは知っている。
むしろとても親切で、優しい子だということは、痛いほどわかっている。
けど。
それでも。
この感情は、どうすることも出来なくて。
あぁ、本当に。
本当に。
私はあなたが嫌いよ――――
黒い黒い醜い澱みが、心の奥に沈殿する。
彼女の居場所が羨ましい、恋する乙女の話。




