第6話 親の心子知らず
「楓がね、宗太郎との縁談持ち掛けられているんだって。」
診療の終わった風結庵。
綾香は後片付けしながらゴエモンに言った。
「へー、まだ子供だと思ってたけど、この時代の女の子は早いな~。」
ゴエモンは何やら書類を書きながら答えた。
「それで楓悩んでるのよ」
「嫌なのか?」
ゴエモンが書き物から顔を上げて問い返す。
「嫌っていうより...現実感がないのと、他にもっと居心地のいい場所があるから。」
綾香が少し含みのある笑いを湛えながら答えると、ゴエモンも察したようで
「なるほどな。でも女の子と違って男はまだまだ早いぞ~。特にあれは...」
と言いながら2階にいるであろう誰かさんを思い描きながら天井を見上げた。
「ね~。まして、神谷さんが是非にって言っている縁談の横槍入れるようなマネもできないしね。」
「でも楓も我が子のようなもんだからな~。できれば気持ち叶えてやりたいけど。」
ゴエモンも少し複雑な顔をしている。
「朧さんに話してみようか?」
綾香がそう言うと、
「いや、今夜伊勢屋で定例会があるから、隼人にそれとなく言ってみるよ。」
ゴエモンと隼人はこの10年超の間ですっかり親友になっていた。
以前は主従に近い関係だったが、実年齢はゴエモンの方が2つ上であるのに加え、商売をやり始めてからは、隼人も忍びの第一線は退いていた。
そして同時期に子を授かり、共に京で暮らしてきたことが、二人を気の置けない仲にしていた。
夜、伊勢谷の2階奥の間に、旧百地党の忍びが集まっていた。
伊勢屋の井村五平、隼人、そして前田家に仕えている者は定期的に京と加賀を行き来しているが、今夜は弥太郎と朱音が来ている。
ゴエモンが伊勢屋に入ろうとした時、「よう、ゴエモン」と呼び止める声があった。左輔だった。
「お、少しの間見なかったな。里へ行っていたのか?」
ゴエモンが言うと
「ああ。里に行って、それからショウのお供で叡山に行ってきた帰りだ。」
それを聞いてゴエモンは少し驚きの色を見せた。
「ショウが里を出たのか...」
「ああ。これから世に出るため、叡山の僧たる名を得ようとしてのことらしい。そのまま山門に入り修行するってことなんで、俺一人戻ってきたってわけだ。」
ショウが世に出る。
きっと歴史の番人として自らでなければならない局面が来ていると感じているのだろう。
そうなれば自分達風の忍びの出番も近いということを、ゴエモンも左輔も感じていた。
「ところで、ひよりは元気だったか?」
ゴエモンが横目で左輔に問いかける。
「な、なんでひよりだけなんだよ。里のみんな元気だったよ。」
左輔はドギマギしながら答えると、そそくさと伊勢屋に入っていった。
「25でこれだからな。12、3の龍樹なんてまだまだ...」
そう言いながら、ゴエモンは苦笑いをしつつ左輔の後に続いた。
伊勢屋での定例会は、互いの近況報告からそれぞれが掴んでいる情報交換といった感じで進む。
秀吉の天下が定まって安定期に入っているこの時期は、特に戦乱の匂いのする話は出なかった。
その代わり、ここでも例の義賊の話題になった。
「石川五右衛門とは、なんとも嫌な名前を名乗るな。」
五平がゴエモンを見ながら言った。
「偶然の一致だとは思うが、気分のいいものではないな。」
隼人も同意する。
「秀吉は大層ご立腹なようだぞ。石田殿や大谷殿、玄以殿など、日々追い込まれているそうです。」
前田家に仕える弥太郎が、利家から聞いている情報を伝えた。
「危険だな。そのうち誰か身代わりを立ててでも、事態を収束させようとするぞ。秀吉の耄碌はかなり進んでいるとの噂だから、捕まえて処罰したという結果だけあれば満足するだろう。追い込まれた石田らがやりかねん。」
隼人が瞑目しながらため息をつく。
「そういえば、その石川は伊賀者だという情報が出回っています。」
前田忍軍となった百地党の京都番をしている朱音が言った。
「どこ情報だ?」
五平が問いかける。
「石川五右衛門が単独ではなく、徒党を組んでいるということは既に知られていますが、最近では盗みに入った屋敷や、金品を分け与える庶民に対し、名刺のような物を入れて自己喧伝しているようです。その中に、『我は伊賀の地に生を受け、伝説の伊賀者百地丹波に師事し、その奥義を会得した』という一文があったそうです。
「丹波様!?」
ゴエモンが驚きの声をあげた。
平成の里の百地丹波は、天正伊賀の乱以降世に全く出ていない。
その名を知る者は相当限られる。
「いったいどこでその名を知ったんだ?」
なお疑念の声を発するゴエモンに隼人が言った。
「奴が本当に伊賀者かどうかはわからんが、百地の名を出していることは許しがたいな。我らの忍びの術は、コソ泥に入るための安っぽいものではないからな。」
座にいた一同がうなずいた。
「みんな当面はこの石川五右衛門らの情報に敏感になっていてくれ。何かあったらすぐ情報を共有すること。今日のところは以上だ。」
左輔がそう言って締めると座は解散した。
定例会が解散し、立ち上がろうとした隼人をゴエモンが呼び止めた。
「隼人、ちょっといいか」
「おう、どうした?毎日うちの子らが風結庵で迷惑かけてる苦情か?」
そう笑いながら隼人は座りなおした。
「それはな、もう毎日のことで慣れっこだ。患者さんまであれは颯の声だとか、あれは響の泣き声だとかってわかるくらいになっているんだぞ。」
ゴエモンが嘆くと、隼人は「すまん!」と両手を合わせてゴエモンを拝んだ。
「いや、いいんだ。呉服屋が騒がしいんじゃ商売できないだろうしな。皆一緒に育つの眺めているのも楽しいもんだよ。」
「本当、お主や綾香には感謝しているよ。」
「ところで、楓に縁談が来てるって?」
「早耳だな。まぁ、隠しているわけでもない。神谷家とて我らの身内のようなものだからな。」
「ああ。いい縁談だと思うよ。傍目にはな。相手の家柄も文句ない。宗太郎も真面目でいい子だ。だけど...」
そこまで言うゴエモンを制すように隼人が
「お主の言いたいことはわかっている。父たる俺が娘の態度で気づかぬわけなかろう。」
「だが、婚姻は家同士のものだ。楓の気持ちに沿うも違えるもお前次第だろ。」
「あんなお転婆を神谷家が是非にと言ってくれているのだ。凄くありがたい話よ。神谷家に嫁げば一生食うに困らないからな。普通の親なら二つ返事で受ける縁談だ。」
ゴエモンはじっと聞き入っている。
「だが、俺もお主も、人の幸せというのは、本当に一緒にいたい者と人生を歩むことだと知ってしまった。これは銭金ではない。」
隼人は腕組みし、深いため息をつく。
「だが、親となるとその考えも鈍る。子供に食うや食わずの思いをさせたくはないからな...」
隼人の顔に苦悩の表情が浮かぶ。
「楓に今は恨まれても、この縁談を進める方が、いつか良かったと言ってもらえる時が来るのかもという気持ちと、あれが望むように好いている者のところへ嫁がせてやるのと、どちらが本当の幸せなのだろうな…?」
隼人がそう言ってゴエモンを見つめた。
ゴエモンにも答えは出せなかった。
龍樹と双子のように育った楓は我が子同様だ。彼女の物質的幸せを考えるなら、神谷家は最高の嫁ぎ先だ。
だが、多感な今の時期、龍樹と引き裂くように話を進めると、心に大きな傷を作るかもしれない。
子を持つ二人の忍びは、戦闘以上の難題にため息をつくばかりだった。




