第5話 楓愁嘆
「嫌だ!」
楓が朧に向かって叫んでいる。
「そんな、あちら様たってのお願いなのよ。とってもいいお話だと思うけど。」
朧はすっかり呉服屋のおかみが板についている。もともとおっとりした穏やかな性格は、京都女性によく馴染んでいた。
「まだ早いよ!」
「そんなことないわよ。あなたも来年13になるんだから、もう適齢期よ」
「お父さんが許さないよ!」
「ううん、お父様は良縁だと言って喜んでいたわ」
楓は八方塞がりになった。
「とにかく、嫌だったら嫌なの!」
そういうと楓は店を飛び出していった。
「しょうがない子…誰に似たのかしら」
朧がポツリと呟いた。
「お前だろう」
横から隼人が出てきて朧に言った。
「私あんなに聞き分けなかったかしら...?」
「お前が聞き分け良ければ普通のくのいちになっていたろうに。思いが遂げられなきゃ死にますって、楓の方が万倍可愛げがあるぞ」
そう言って苦笑いする隼人に
「誰のせいかしら?」
そう言って朧は隼人の腕に絡みつく。
3人の子を設けても、二人だけの時は、まだまだ朧も隼人も新婚のようである。
「あの子にも誰か想い人がいるのかしら...」
「ふ、自分の気持ちには凄く素直なのに、人の気持ちはわからんようだな。」
そう言う隼人に
「あなたはわかるのですか?」
と朧が首を傾げる。
「わからない方がおかしいわ…」
隼人は笑いながら奥に消えて行った。
「…誰?」
朧は一人佇んでいた。
(まったく、お母さんってば、ちっとも私の気持ち理解してないんだから...)
楓は口をとがらせ、目を吊り上げながら室町通りを風結庵に向かって歩いていた。
そこへ「楓さん!」と呼びかける声。
(まずい、一番会いたくない人に...)
神鳳堂の神谷宗太郎だ。
「あ、私急いでるんで…」
楓は愛想笑いで軽く流そうとしたが、後ろに宗太郎の父宗一郎も出てきて「楓さん、お話ききましたか?」とにこやかに話しかけられた。
こうなると無視して素通りするわけにはいかない。
楓は立ち止まり、神鳳堂の軒先に近づき丁寧に会釈をした。
「これは神谷のおじ様、ごきげんよう。本日はお日柄も良く…」
「なに他人行儀な挨拶してんの。ウチの子と楓さんや風結庵の子らは皆兄妹みたいな仲じゃないか。」
そういって宗一郎が笑う。
「今日も風結庵かい?」
「はい。弟も妹も行っているので。」
「本当に仲良しだな~」
宗太郎は龍樹、楓より2つ年上だから同年代ではあるが、豪商の跡取り息子の宗太郎は学問好きの控えめな性格で、風結庵の蜂の巣をつついたような喧騒の遊びは性にあわず、一緒に遊ぶことは少なかった。
だが、宗太郎は出生の時の出来事を祖母や両親から良く聞かされていたため、風結庵の綾香のことを凄く慕っていて、今でも「アヤ母さん」と呼んでいた。
そのせいなのか、龍樹とはウマが合っていた。
「風結庵行くならこれ持っていきなよ。瓜をたくさんもらったんだ。」
宗太郎がそういうと、籠一杯の瓜を差し出した。
「ちょ、ちょっと宗太、いくら私がお転婆でも、これ一人で持っていけないよ。」
「ははは、それはそうだな。宗太郎、一緒に持っていってあげなさい。久々にアヤ母さんの顔も見ておいで。」
宗一郎がそう言うと、宗太郎は「ハイ」と言って、瓜の入った籠を持って道を歩き出した。
「あ、ちょっと、待って。」
楓が後を追いかけようとすると、宗一郎が、「楓さん婚約の話もいい返事待ってるよ。」と念押しされた。
「...はい」楓はそう答えるしかなかった。
(誰も私の気持ちなんか無視して、勝手に話が進んでいく…)
そう思いながら、前を行く宗太郎の後ろをトボトボとついて行った。
「おー、宗太郎久しぶり!」
宗太郎が風結庵に入ると、ゴエモンも綾香も笑顔で声かける。
「お久しぶりです。ご近所なのになかなか顔を出さずに申し訳ありません。本日は頂き物ですが瓜をお裾分けにまいりました。」
宗太郎も笑顔でしっかり挨拶した。
「相変わらず宗太はしっかりしてるね~。うちの子らは誰一人そんなしっかりした挨拶できないわよ」
しっかり成長した宗太郎を綾香が目を細めて見つめる。
「アヤ母さんもお変わりないですか?昨年の祖父の臨終の際は最期まで看取っていただき、父も母も大変感謝しておりました。」
風結庵の恩人でもある神谷宗兵衛は、昨年亡くなっていた。
綾香は臨終迄付き添い、これまでの恩に報いた。
宗一郎もそんな綾香の真摯な対応を見て、父以上に風結庵を援助しようと思ってくれていた。
「ううん。私たちがお爺様からしていただいたことは、あんなことじゃ返しきれないくらい大きい事だったのよ。お爺様がいなかったら、風結庵は無かったんだから。私たちは神鳳堂に足を向けて寝られないわ。」
綾香がそう言うと、宗太郎も嬉しそうに微笑んだ。
「あ、宗太兄ちゃんだ!」
階段から虎太郎が顔を出し叫んでいる。
それを聞いて龍樹が下りてきた。
「お、宗太兄久しぶり!上がっていきなよ」
宗太郎は一瞬あの大騒ぎを想像し、及び腰になったが、綾香が笑顔で
「もらった瓜、今切るから、宗太郎も食べて行きなさい」と言った。
綾香の言葉は母の言葉と同じくらいの重みを持つ宗太郎は、二つ返事で「ハイ」と答え、階段を昇って行った。
綾香は入って来た時から、楓の元気がない事に気付いていた。
「楓、これ切るの手伝って」
そう言って、楓を裏の井戸端に誘った。
「甘ーい。ほら、楓、口開けて」
瓜を剥きながら、綾香が楓の口に小さく切った一片を放り込む。
「おいしい!」
楓も満面の笑みで喜んでいる。
「やっと笑ったね、楓。どうした、今日は元気ないぞ。」
綾香がそう言うと、楓はまた俯いた。
「何か悩みごと?」
綾香が問がいかけると、楓は深く溜息を吐いて言った。
「宗太郎のご両親から、うちの両親に正式に婚約の話が持ちかけられたんです...」
綾香は少し驚きつつも、前から宗一郎が神谷家の嫁に楓をと思っていることを宗一郎の妻のタツから聞いていた。
「いい話じゃない。楓は宗太が嫌い?」
そう言われると楓は首を振り、
「嫌いじゃないよ。小さい頃から一緒に育ったんだもん。でも、夫婦になるとか、そんな対象として見たことないし。早いっていうか…私の気持ちなんてどうでもいいんだって思って...」
この時代の婚姻は家同士、親が決めた相手と結ばれるのが常で、本人の意思が通ることはまずなかった。
「そんなことない。お父さんもお母さんも楓が一番幸せになる道選んでると思うよ。宗太郎はいい子だし、神谷家は裕福だし、楓が一生困らない嫁ぎ先として申し分ないじゃない。」
「おば様までそんな風に言うんだ…」
楓が寂しそうに言うのを見て、綾香は楓の横に座り頭を抱きかかえてやった。
「ごめんごめん。一般論を聞きたいんじゃないよね。この縁談が申し分ないことは楓自身がわかっているから、余計悩むんだよね。」
綾香の腕の中で楓はコクンと頷いた。
「龍樹?」
楓はまた頷いた。
「好きな人に嫁ぐ幸せ…私が一番わかってるから、楓のその気持ちを捨てろって言えないな。」
「おば様とおじ様素敵な夫婦だもん...」
「でもさ、楓のご両親も好き者同士が結ばれたのよ。二人今でも仲いいでしょ?」
「お父さんは人がいると態度が変わるけど、お母さんは今でもデレデレ。私もおば様達やお父さんお母さん達のような、ずっと仲良しでいられる夫婦になりたいんだ...」
「宗太郎とはそうなれない?」
「宗太郎どうこうというより、龍樹といると心が落ち着くの。これは理屈じゃないんだ...」
綾香は楓の気持ちが痛いほどわかった。
それはゴエモンといる時の綾香の気持ちそのものだったから。
そんな気持ちの相手がいるのに、家柄がいいから良縁といって、他に嫁げと言われたら、綾香だって楓のように家を飛び出すだろう。
「楓の気持ちわかるよ。でもね、きっとお父さんもお母さんも楓が心から幸せになることを望んでいるんだから、一度素直にそのこと話せばきっとわかってくれるんじゃないかな。」
綾香は楓の頭を撫でてやった。
楓も生まれた時から母と同じくらい撫でてくれてきたその手が心地よかった。




