第3話 再始動
風結庵は、ゴエモンが導引、久作と健太が按摩を交替で担っていた。
綾香の健康相談も人気で、食事や衛生管理など、病気にかかりにくい生活を指導している。
蛍も産婆としての需要が多いが、今は子育てに追われてあまり仕事を引き受けていない。
そう、蛍は本能寺の変があった翌年、久作と祝言を挙げた。
念願の平成の里で、ウェディングドレスを着て天女になった。
二人は以前サイゾウとオユキが暮らしていた家に住んでいる。
そして今は三児の母である。
隼人と朧は伊勢屋から独立して、大和屋という小さな呉服屋を営んでいる。
こちらも楓の下に二児を設けていた。
普段の風結庵は、大人たちが日中仕事している間、子供たちが2階に集まって留守番をしている。
が、ゴエモンの所の2人と合わせて8人の育ちざかりがジッとしているわけもなく、2階からは常に床板を走り回る音と、子供同士喧嘩の声、そして誰かが大泣きし、最後は堪りかねた綾香か蛍が怒鳴りつけ、大人しくさせるというのが日常茶飯事だった。
風結庵の患者たちも慣れたもので、治療中でも聞こえてくる騒音に
「ゴエモン先生とこは賑やかでええね。」
「託児所やってるならウチのも預かってや」
と言いながら、天井を見上げて笑い合っていた。
左輔は平成の里に戻っていた。
前田利家からの手紙をショウに届けるためであった。
本能寺の変後、百地党の一部は前田利家に仕えることになった。
賤ケ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗れ自害して以降、ショウの事を知るのは利家だけになった。
利家はショウが平成の里で隠遁していることを知っている。
信長の退場時期は以前から言われていたため、それについて利家は何も言わなかった。
ただ、信長が居なくなった後、北陸のへき地にいて前田家を存続させるためには、中央の情報収集がより重要だと考えた利家は、ショウがいる平成の里が伊賀の百地党と深いつながりがあることに目をつけ、その勢力を配下にすることを望んだ。
そう持ち掛けられたショウは丹波に相談したが、丹波は「俺は隠居の身だ。左輔に聞け。」と言った。
左輔は「俺は宮仕えなんて性に会わないが、百地の仲間が安定した仕官先があるなら構わない。」と言って、自分はこれまで通り京都と平成の里を行き来する生活のまま、配下の百地衆を加賀に送り込んだ。
その縁もあって、千草は前田家の奥女中となり、お松様の世話をしていた。
そして旧百地党は、前田忍軍となった。
現地の頭領は玄十が務めた。
伊勢屋の井村五平や大和屋の柘植隼人は京での協力者となっている。
もちろん風結庵のゴエモンと左輔のところにも逐次情報は入って来る。
利家がショウに相談ある時は、百地党を経由して左輔が手紙を預かり里に届けていた。
利家からの手紙を一読して、ショウは顔を上げ、横にいた三太夫に呟いた。
「秀吉のやつ、いよいよ認知が進んでいるようだな。」
「まだ早かろう。秀吉が人替わりしたように自制が効かなくなるのは、もう少し後のことだろう。」
「だから、お前は本で得た知識ばかりだと言うのだ。後世に残された記録など、その信ぴょう性は怪しいものばかりだぞ。実際秀吉は昔から二面性のある男だ。そんな男が認知機能の低下で自制が効かなくなったら、権力を持っているだけに恐ろしいことになるぞ。」
「だが、歴史が正しく進むためにはもう少し正常であってほしいものだがな。」
「秀長(大和大納言:秀吉実弟)も早死にして、石田や大谷が苦労してるであろうな...」
ショウは腕組みして瞑目した。
「あら、左輔様いらしてたのですか?」
「お、おう。さっき着いた。元気か?」
左輔が顔を赤くしてそっぽ向きながら返事をしている。
声の主は、茶を淹れてきたサイゾウとオユキの養女ひよりだった。
すっかり美しい年ごろの娘に成長している。
「はい。帰りにうちに寄っていらしてください。父も母も喜びます。」
「あぁ、時間があったらな...」
左輔のぎこちない態度に三太夫もショウも苦笑いしている。
「左輔、お前もそろそろ嫁をもらってもいいんじゃないか?」
ショウが横目で言うと
「よ、嫁~?よせよ、俺に家族養える甲斐性なんかねえよ。」
「そんなんだから妹の千草に先越されるんだぞ。」
三太夫が言うと、左輔は立ち上がり、
「あ~。もう、うるせぇ!父上のところにいって来る!」
といって神社の集会所を飛び出していった。
それを見てショウと三太夫は
「あいつこういうところは純粋だな。」
「かわいいとこあるわ」
といって大笑いした。
ひよりはそれを見て静かに微笑んでいた。
やがてショウは真顔になり、三太夫を直視して言った。
「そろそろ動くか。このままでは歴史が歪んでいく恐れがある。」
「うむ。これから秀吉の余生、関ケ原、徳川幕府へと無事進んでいかなければ、我らがいた未来が訪れない可能性があるからな。」
「秀吉の暴走が一番危険性高いな...」
ショウはかつて部下として接していた秀吉の性格を知り抜いている。
「史実にある程度の暴走で済んでくれればいいのだがな。今の秀吉の認知機能の衰え具合を聞くと、他に何か大きなことをやりかねん。」
「うむ。そのためにも俺はここを出て、もう少し政の中枢近くにいたいと思う。」
「ああ、いざとなれば秀吉に直言できるのはお主だけだからな。」
「もう無理だろう。今の俺は何も持たないただの老人だ。それに比べてアイツは太閤殿下だからな…」
ショウは伸びきった顎髭を触りながら、これからの動き方を考えていた。




