第16話 石川五右衛門
「あと二人、どこへ行ったんだろう?」
龍樹が誰ともなく問う。
「まぁ、城内にいたにせよ、殿下の御寝所までたどり着くことは不可能だ。入口の鍵は堅固だし、寝ず番がそこかしこにいるからの。入り込んだが最後、生きて出られはせん。」
左近は肩をゆすって笑った。
だが、左輔とゴエモンは笑っていない。
「入れないまでも、殿下の御寝所がある天守閣の方へ行ってみよう。」
そういって天守閣方面に歩を進め始めた時、隼人が合流してきた。
隼人と左輔は目礼しながら、囁き合う。
「何かおかしいな。」
「隼人もそう思うか。実は火事場の方から2人賊が消えている。だが、この警戒の中、あの程度の技量の忍び2人で秀吉の寝所まで行けるとも思えん。」
「ただの冷やかしか、それとも我らの注意を引き付けるため...」
隼人がそこまで言った時、目の前に見えている天守閣最上段の屋根瓦の上に、大きな鳥が飛んでいるのが見えた。
いや、厳密にいえば見えてはいない。
漆黒の闇だが、よく訓練された隼人らの目には、見えなくとも何かの気配があるのが、肌を通して伝わってくるのだ。
「あれは!」
大きな鳥のようなものが、何かを地上に向けて落とした。
それは天守閣横の馬小屋のあたりに落ちたように感じた。
「左輔!」
「おう!隼人はあの落ちた方を頼む。ゴエモン俺たちは急いで上へ!」
左近と龍樹は事態が呑み込めずポカンとしている。
「豪傑のおっさん!敵は上から来ている!俺たちだけでは天守の寝所に入ることはできないから、あんた先頭で案内してくれ!」
「誠か?わが目には闇夜以外何も見えなんだが…」
「事は一刻を争う!早く!」
そう言われると左近も駆け出し、天守閣へ駆け出した。
隼人は再び指笛を鳴らしながら先ほどの鳥がものを落とした馬小屋のあたりへ駆け込んだ。
そこには、2人の黒装束の男が、上空から垂らされた綱を引いている姿があった。
敵は上空から風に乗った大凧で伏見城に接近し、最後着地のところ下に綱を垂らし本丸上空へ固定させていたのだった。
「やはりあと2人いたか!」
そう言って隼人が躍りかかると、
「ふははは、今頃来てももう遅いわ。石川五右衛門様は既に屋根上に取りついた。我らの役目はもう終わりだ。」
そう言って後ろに飛びのき逃走を図ったが、隼人が呼んでいた百地忍びらに取り囲まれ、一網打尽にされていた。
「左輔、間に合わせろよ…」
隼人は暗闇で見えないが、金の鯱が飾られているであろう、天守閣を見上げ呟いていた。
天守閣上階への急階段を島左近を先頭にゴエモン、左輔、龍樹は駆け上がっていた。
寝ず番の侍達は、突然の乱入者に「何事!?」と驚いているが、左近が「どけどけ!一大事だ!我が行く手妨げる者は斬ってすてるぞ!」と大音声に叫びながら進んでいく。
だが、如何に戦場往来の豪傑も、齢60近くである。3階を越えた辺りで足が止まった。
「む~、寄る年波には勝てんわい。お主ら、先に行って、殿下を頼む...」
左近がいなければ守兵に斬られるかもしれないが、今はそんなことを言ってられなかった。
「わかりました。島様は後から」
ゴエモンがそういうと、島はにっこり笑って
「大丈夫だ。お主は天に愛されている男だからな」
と言って手を振った。
4階にたどり着いたと途端、抜き打ちで切りかかってくる守兵が二人いた。
さすがに殺すわけにはいかない。
「すまん!」
ゴエモンは低く叫びながら、相手の初太刀をかわし、村正を抜かずに鞘で相手のみぞおちに突き刺した。
敵は倒れ悶絶している。
左輔も苦無の柄の部分で相手のこめかみ部分を殴りつけ、気絶させている。
龍樹は二人の早業にただ目を丸くするだけだった。
そして5階、秀吉の寝所の階にたどり着くと、寝ず番頭の真田源次郎信繁が槍を構えている。
「お主ら、賊か?」
「違う!賊は上から来ている!既に殿下の寝所に潜入しているかもしれないんだ!」
「馬鹿な。殿下の御寝所には天井裏にも寝ず番が控えているのだ。何かあればすぐに知らせがあるわ!」
そうこうしている間に、騒ぎを聞きつけ数人の守兵が駆け付けてきていた。
「これでは埒があかねぇな。」
左輔が吐き捨てるように言う。
すると龍樹が
「お願いします。ここを通してください。秀吉様に万が一のことがあれば、皆さんも罰を受けるのでしょう?御寝所を調べて何もなければ、私たちを捕らえても構いませんから」
信繁は龍樹をジッと見つめている。
曇りのないまっすぐな目。
何より、この者達の言うことが本当で会った場合、取り返しのつかないことになる。
三成から外回りの警戒に伊賀者を雇ったことも確かに聞いていた。
「いいだろう。ついて来い」
そう言って信繁は秀吉の寝所へ向け歩き始めた。
-秀吉の寝所
黒装束の忍びの者が、抜身の短刀を秀吉の首元に突き立て固まっていた。
その時、秀吉が目を開け、忍びの者に視線を向け小声で言った。
「どうした。殺れ。そういう約束であろう。」
鋭い目で忍びの男を睨みつけている。
「本当にいいのか、これで」
「ああ。儂にはわかっている。儂が儂でなくなっていっていることが。庶民ならば爺がボケても家族が迷惑を被るだけだが、天下人がボケるとその被害は一国に及ぶ。儂は儂を失っている間に自ら下した命を後から聞き卒然とするのじゃ。」
そういう秀吉の目から、涙があふれ出ていた。
「儂は、自分が恐ろしい。だから、もう一人の儂が全てを支配してしまう前に、自らこの手でと思い、お主を雇ったんじゃ...」
そう言うと再び鋭い目で睨みつけながら、
「殺れ!」
と怒鳴りつけた。
忍びは短刀を振り上げ一気に秀吉の喉元めがけて振り下ろす。
次の瞬間、男の短刀は一瞬の火花を散らし、後方へ吹き飛んでいた。
左輔の放った苦無が、間一髪秀吉の首元に食い込む短刀を妨げたのだった。
「くそ!」
忍びは立ち上がり、臨戦態勢を取ろうとしたが、既に目前に飛び込んできていたゴエモンの掌底をくらい、後ろの壁まで吹っ飛び、意識を失った。
「殿下、お怪我はありませんか!」
信繁が臥所の秀吉に駆け寄る。
「おぉ、源次郎か。寝とったわい。どうした何があった?」
そういうと秀吉は気を失っている忍びをちらりと見た。
「誠に何もお気づきにならなかったのですか?」
「あぁ、また新しい側女をおいて楽しんでいる夢を見ておったぞ。」
そう言ってカカと笑った。
「こ奴が石川五右衛門か?」
「恐らく」
「本日三条河原で釜茹でにせよ。間違って囚われていた者は即刻開放してやれ。迷惑料をつけてやってな。」
そう言うと秀吉は
「儂はまだ眠い。皆早う出ていけ」
と言って手のひらを払うように振ると、床に入っていった。
石川五右衛門は番所で意識を取り戻した。
その覆面を取った瞬間、ゴエモンと隼人は「あっ!」と声を発した。
石川五右衛門を名乗っていたのは、かつて滝川忍軍の頭領を務め、伊賀者を散々苦しめていた鞆田兵馬だった。
「お前だったのか...。俺の名を騙るとは、それほどに恨みを持っていたのか?」
鞆田はうつむいたまま何も答えなかった。
「このまま石川五右衛門として処刑されていいのか?」
ゴエモンが再び問うと、鞆田は一瞬目を向け、諦めたような表情で言った。
「あの伊賀の乱で俺はすべてを失った。もはや世に出ようといういう欲もなかった。俺は各地を渡り歩きながら、自分が食ってく分だけ、時々金持ちの家に忍び入り盗んで歩いていた。もはや上忍としての誇りすら持ち合わせていなかった。」
鞆田は感情の伴わない、抑揚のない語り口で訥々と話し続けた。
「金持ちの家に盗みに入ると、その金がいかに薄汚いことで蓄えられているかがわかった。そんな金、真面目に懸命に働いてもまともな暮らしができない者に配った方が、よほど生きた金の使い方だろうと思ってな。」
鞆田は少しだけ笑った感じがした。
「そうすると、庶民が喜ぶ顔が見えた。俺自身はもうこの世に未練などなかったが、少しでも人の役に立つなら、これを続けようと思ったのよ。」
「だが、どうしてゴエモンの名を使ったんだ?」
隼人が静かに問うと
「俺一人が施してやれる額などはたかがしれているから、もっと多くの施しをしようと思った時、あの『闇鴉』の連中を見つけてな。力で従わせたんだが、ひょんなことからお前の名前が出てきてな。かつてゴエモンという男らに組織が潰されたと。なんという偶然かと思ったが、それなら共通の敵だった男を勝手に英雄にしてやろうじゃないか、と思いっ立ったわけだ。」
「ありがた迷惑な話だな」
左輔が呆れている。
「まぁな。だが心配するな。俺はもう思い残すことはない。大盗賊石川五右衛門の名の元、本日しっかり刑を受けこの世とおさらばする。」
そういう鞆田の目に迷いはなく、達観した面持ちを見せていた。
最後にゴエモンが聞いた。
「だが、義賊だけやっていればよかったものを、何故太閤暗殺など目論んだんだ?」
その問いに鞆田の顔が一瞬強張った。
だが、すぐ元の顔に戻り言った。
「いいか、秀吉には気を付けろ。あの男が狂気に支配される前に殺さないと…」
そこまで言うと、鞆田はふっと笑い出し
「まぁいい。お前たちならやれるだろう。おれはあの世からお前たちがどう立ち向かうか高見の見物させてもらうさ。」
そう言うと鞆田はもう一言も発しなかった。




