第14話 警戒
夕暮れの伏見城。
建設現場を見渡せる番小屋の陰にゴエモンと左輔、龍樹が潜んでいる。
「そろそろ上がるぞ~!」
親方らしき男の声が響くと、槌音は止まり、人夫達が一斉に持ち場を離れ帰り支度を始めた。
「何人いるか数えておけよ」
ゴエモンが龍樹に向かって言った。
人がちょこまかと動くので正確な数が数えにくい。
「よーし帰るぞー!」
親方が声を出すと、人夫達はぞろぞろと裏門の方向に歩き始めた。
「何人だった?」
左輔が問うと、龍樹は自信なさげに「41かな...」と答える。
それを聞いて左輔も五右衛門もクスッと笑った。
「まだまだだな、龍樹。じゃあ俺とゴエモン一緒に答えるか。せいの、」
『36!』
龍樹は驚きの顔で二人を見る。
あの遠目で、同じように日に焼けた褌一丁の男たちの動き回る姿を目で追いながら、正確な数を言い当てるなんて、信じられなかった。
「これができないと忍び働きは無理だからな」
左輔が笑って言い放つ。
「さて、俺は急いで先回りして、確認してくらぁ。」
そう言うと左輔はまるで蒸発したかのように姿を消した。
今まで遊びの延長で忍びの訓練を見てきた龍樹も、父と左輔が見せる本物の忍びの技にはただただ驚き呆れるばかりであった。
20分ほどで左輔は戻ってきた。
「隼人の読み通りだな。城外で裏門から出てくる人夫の数を数えたが32だった。」
「そうか。少なくとも4人はこの城内に潜んでいるわけだな。あとは水路の方はどうかな?」
ゴエモンがそんな心配をしているころ、水路の終着点である炊事場横の排水口付近に隼人と久作がいた。
「こちらからも来ますかね?」
久作は初陣で心を壊した後、隼人の屋敷にて療養し心を取り戻した過去がある。
以来久作は隼人を兄と思い慕っている。
「来ないに越したことはないな。敵の人数が増えるのは歓迎できん。」
隼人が低く呟く。
「しかし、ここまで侵入できたとして、太閤様の寝所まで行けるのですか?」
久作も忍び働きはできるものの、この伏見の厳重な警戒規模を見ると、とてもできそうにないような気がしていた。
「そうだな。太閤の寝所ともなれば、寝ず番が多数控えている。天井裏にもな。生還を期した任務では期待薄だが、差し違える覚悟なら可能性はあるだろう。」
そうは言いつつ隼人も(よほどの修羅場を潜った者でなければ不可能だろう)と思っていた。
あの天正伊賀の乱の頃のように、忍びが大量に暗躍していた時代ならともかく、この天下統一がなった平穏な世に、戦国の忍びの生き残りがどれほどいるのか。
そうこうしているうちに陽はとっぷりと暮れ、あたりは闇夜になった。
城内はまだ人が動く気配がしている。
「月が無いな。やはり今宵か...」
隼人は忍び働きには格好の夜だと感じ取っていた。
その頃、三成は秀吉の元に赴き、今夜の寝所を変えるよう進言していた。
「この天下の伏見城に賊が来る?それは一興!どんな奴が来るか、ここで待たせてもらおうではないか!」
秀吉が楽し気にはしゃいでいる。
「殿下の身に万が一のことがあってもなりません。城の警備に疑念はありませぬが、念には念を入れてということも肝要かと...」
「よいよい、天下統一を果たした後は、儂が恐怖するような敵がいなくなりいささか退屈しておるのだ。命の修羅場など、若かりし頃は嫌というほど通ってきたが、最近ではそんなこともない。あのヒリヒリした緊張感、また味わいたいものよ。」
こうなると秀吉は三成の言うことなど全く聞かない。裸一貫、わが身一つでのし上がってきた男の肝の据わり方は常人とは違っている。
「では殿下の御寝所を移っていただくのは諦めますが、寝ず番はいつもの倍に増やしてもらいますぞ。」
「佐吉は心配性だの~。だがそれもお主の仕事だからな。それは受け入れてやらねばなるまい。」
それを聞くと三成は部屋を辞し、廊下に控えていた左近に命じた。
「左近、お主はあの伊賀者達のお目付け役だ。俺は心底奴らを信用しているわけではないからな。外回りの警戒はいいが、城内に入れるようなことはまかりならんぞ。」
左近は内心少し呆れる思いがあった。
(こういうところを直さなければ、人は誰も殿のために命を懸けて働こうとは思わん。この性格がいつか大きな仇とならなければいいが...)
それでも気を取り直し「招致しました」と返答した。
三成は寝所入口付近にいた近習にも声をかける。
「今宵の寝ず番頭は源次郎か…」
「はっ」
「不埒にも今宵賊が殿下の寝所に押し入るなどという噂が流布している。この伏見の城の本丸に忍び入ることなど不可能であろうが、念には念を入れ寝ず番の人数もいつもより増やしている。その方も頭として特に気を引き締めて任に当たれ!」
「承知いたしました。この真田源次郎、身命に代えましても、殿下をお守りいたします。」
そう答えたのは、この時期真田家から人質として大阪に送られたが、その英邁な資質を気に入られ、近習として秀吉が側に置いていた真田家の次男源次郎信繁(※)であった。
信繁は豊臣家の重臣である大谷吉継の娘を娶わせるほどの厚遇を受けており、吉継と昵懇の仲であった三成とも、自然親しい間柄になっていた。
「頼むぞ!」
そう言うと三成は足早に階下へ降りて行った。
百地党の忍び達は、要所要所に控え、警戒していたが、12人にゴエモン、久作、龍樹を足しても15人しかいない。その人数で広大な伏見城をすべて警戒するのは無理があった。
故に、特に警戒する地点以外は3人が動き周り、途中途中に駐留している忍び達に現状を報告し情報共有していた。
ゴエモン達の駐留している地点に、鈴虫の音が心地よく響いてきた。
龍樹はその音を聞いても何の違和感も感じなかった。
だが、左輔とゴエモンは
「今のところは異状ないようだな。」
と小さく言いあった次の瞬間、左輔が今鳴いていた鈴虫そっくりな音色を口から発し始めた。
「え?」龍樹が声を出しそうになるのを、ゴエモンが手で塞いだ。
少ししてゴエモンは龍樹の口から手を放し小声で教えた。
「あれは伊賀者独特の虫の音の符丁だ。お前が先に聞いていた鈴虫の音は、周回している忍びからの報告で、左輔が発していたのはここの状況だ。4人の忍びが潜入していることを伝えていたのよ。」
龍樹はまたも驚くばかりであった。
一体伊賀の忍びとは、どこまで凄いのだと…
【真田信繁】
戦国時代末期から江戸初期にかけての武将。真田昌幸の次男として生まれ、豊臣秀吉に人質として出仕したのち、関ヶ原以後は大坂方に属し、「大坂の陣」でその勇名を天下に轟かせた。
智勇兼備の将として知られ、特に大坂夏の陣での奮戦は後世「日本一の兵」と称えられた。
なお、後世に広く流布した名である 「真田幸村」 は軍記物などで用いられた呼称であり、信繁本人が“幸村”と名乗った史料上の事実は存在しない。現存する当時の文書はいずれも「信繁」と表記している。
この作品では、世に知られた幸村ではなく、実名の信繁で表記していきます。




