17広瀬亜紀さんが尋ねて来た
「龍太郎、週末、そちらへ、広瀬亜紀さんが行くザンすから、ちゃんと、失礼のないようにおもてなしするのよ」
そう言って、緑子叔母さんは、娘の茉奈を学校へ送り出して、二度寝へ入った龍さんを、電話で叩き起こした。
龍さんは、夢から叩き起こされたところだから、話半分、まともに話を聞いてない。
「いいね、龍太郎、くれぐれも、先方様に失礼のないようにね」
「うんうん、分かった。任せといて」
――当日。
「何やってるザンすか、龍太郎! 先方は、もう、尼崎の都ホテルでお待ちになってるザンす。スグに行きなさい」
いつもの二度寝の龍さんは、昨日、寝ぼけて緑子叔母さんの電話を受けてたものだから、数週間は先の話だと勝手に解釈していた。
それが、まさか、昨日の今日とは思いもしなかった。
飛び起きた龍さんは、投棄てていたズボンを履いて、アイロンの当たっていないシャツを引っ掛け飛び出した。
龍さんの住む尼崎の出屋敷から商店街を抜けて、阪神尼崎までの一駅の距離は、およそ、1.5キロある。
急ぐ時は、電車より、走った方が早い。
龍さんは、走った。
それは、太宰治の「走れメロス」のようにーー。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
夜、執筆して、朝は寝て、昼から起き出す自堕落な作家生活を送る龍さんは、当たり前だが体力がない。
家から、コンビニまで、わずか、100メートル走っただけで、息が上がり、心臓が破裂しそうにバクバクする。
(このままでは、オレは行き倒れになるかもしれない……)
そう思った、龍さんは、性懲りもなく、コンビニへ入った。
「オッ! 龍さん、今日はお早いね」
と、幼なじみのコンビニ店長が、声をかけた。
「新しいスイーツ入ったかい?」
「レアダブルチーズケーキが神ってるよ。いっぺん、食べてみて」
と、コンビニ店長は、龍さんに、レアダブルチーズケーキのカップと、スプーンを渡した。
「オレは、スイーツは毎日、食べてるからそう簡単には旨いとは言わないよ」
と、前置きした龍さんが、レアダブルチーズケーキを口へ運んだ。
「ハッ! 絶品や!! 上層部のクラッシュクッキーと、中層の濃厚チーズ、そして、下層のムース状のチーズが、口の中で溶け合ってハーモニーを奏でる。これは、旨い。旨いぞーーーー!!!」
「だろう、龍さんだったら気に入ると思って、大量入荷したんだ。茉奈ちゃんにも買って帰ってあげたら、きっと、喜ぶよ」
龍さんは、目に入れても射たくない溺愛している娘の茉奈のワードには弱い。先を急がなければならない状況で、ダブルチーズケーキを4つ買ってコンビニを出てきた。
「ハッ! オレは何をしてるんだ」
このままでは、四二歳になるオッサンが、子供のように、緑子叔母さんに叱られる。
我に返った龍さんは、走った。走った。
手には、バランスをとらないと壊れてしまう繊細なケーキを持って!
すると、
「ピーヒャラ、ピーヒャラ、コンチキキチン! ドンツクツのセイヤー! セイヤー! 」
聞き覚えのある笛と、鐘と太鼓、勇壮な男立ちの掛け声だ。
「オッ! 龍さん、応援に来てくれたんやね」
そう、今日、8月1日、2日は、阪神尼崎は、尼崎貴船神社の夏祭りの日だ。
阪神尼崎近辺の町ごとに、三〇台弱の地車引が、市内を練り走る。
尼崎の地車は、喧嘩御輿と呼ばれ、向き合えば、引手の角と角をぶつけて喧嘩する。
御輿の屋根に乗った主役の氏子は、御輿がぶつかり合うタイミングでピョンと、ジャンプして、空中でバランスをとる。
この尼崎の喧嘩御輿は、一歩間違えば死人が出る危険な祭りだ。
しかし、岸和田のだんじり祭にも負けない、勇壮な男たちが多い尼崎だ。誰一人、臆病風に吹かれる者などいない。ただ、一人を除いては……。
龍さんは、今でこそインテリ層の小説家をしているが、ここは下町尼崎、友達のほとんどは、勢いのある向こう見ずな建築の職人たちだ。
みんな、ガキのころから、勇ましい男たちを見て育つ。龍さんは、父親が温厚な医者であったから、同級生とは、テンションが違って祭りのノリに気後れしてしまう。
そんな、龍さんも、子供のころに、一度、御輿を引いたことがある。積極的な友達に誘われてイヤイヤながらも付き合いで参加したら、案の定、ヒドイ目にあった。
それは、おとなしい龍さんを見た世話人が、それならと、御輿の中にある鐘太鼓役にに選抜したのだ。
鐘太鼓役と言っても、今日来てスグに、リズムよく打てる訳ではない。およそ、一ヶ月前から集まって練習を繰り返す。
龍さんの生きた昭和は、今のように、夏の盛りの水分補給の重要性は説かれていなかった。
ましてや、ポカリスエットもなかった。
龍さんは七月の梅雨明けから、来日も、来日も、テンツクツ、ポンポコポンと太鼓を叩いて真面目に練習をした。
しかし、祭り当日、連日の炎天下でのがんばりがたたって、熱中症で脱水症状になり、ドクターストップがかかって不参加になった。
だが、子供の龍さんは、変に友情に熱いところがあって、医者の父の目を盗んでこっそり、祭りに参加した。
それが、イケなかった。世話役に、神輿の中に乗せられ、太鼓を打つ。
祭りの熱気と、男たちの勇壮さで、子供の龍さんも、ボルテージはいやおうなく高まる。
ガツン! ガツン!
そして、祭りのクライマックス、神輿の角と角を激しくぶつける喧嘩神輿だ。
セイヤ―! セイヤ―!
あれ~~!
喧嘩神輿はぶつけ合うときに、神輿の前輪を持ち上げる。脱水症状で体の弱っていた子供の龍さんは、風に飛ばされる薄っぺらなチラシのように、振り落とされた。
龍さんは、地面に叩きつけられ、トンと、手を突いた右腕を骨折。親の目を勝手に盗んで参加したことで、父にこっぴどく叱られ、それ以来、祭りに懲りた。
以後、、龍さんは、祭りはなんだか馬鹿らしくなり、神輿を引いて参加すると言うよりも、もっぱら、りんご飴に、綿菓子、焼きそばに、フランクフルト、いつも帰りのお土産に、ベビーカステラが定番の食道楽が定番となった。
「龍さん、久しぶりに、神輿引いて行かへんか? 」
と、今や、神輿の世話役になった幼馴染みが、カップに冷たいビールを注いで突き出した。
龍さんは、ビールを受け取り、一気に飲み干すと、
「いっちょ、やってみるか! 」
龍さんは、さっと、頭にねじり鉢巻きを巻いて、
セイヤ! セイヤ!
祭りの輪の中に入った。
――それから、一時間後。
プルルル、プルルルル……。
神輿を引く男たちのたまり場で、すっかり、いい気分でビールを煽る龍さんのスマホが鳴った。
「なにしてるんザンすか龍太郎、先方は、待ちくたびれて、そんなに、忙しいようでしたら、日を改めるとおっしゃっている。いったい、一時間も何をグズグズしてるんだい」
「しまった!」
アルコールが入っていい気分の龍さんは、慌てて立ち上がり、ねじり鉢巻きに、幼なじみから借りた法被のまま、祭りのたまり場を飛び出した。
つづく




