16龍さんの朝食
昨日のガンを宣告されて落ち込んだ龍さんであったが、今朝は、吹っ切れたように、張り切りオジさんだ。
龍さんは、計画的に早くに執筆を済ませ、朝食の支度を始めている。この日の龍さんは井出たちも襟を立てた白のシャツを爽やかに、ブルージーンズを履いて、キリっと黒のエプロンで決めている。まるで、在りし日の亡くなった妻、文さんが働いていた梅田の風月堂の店員だ。
そして、フライパンを自分と、茉奈と、二丁用意して弱火で温めている。
目玉焼き2つと、シャウエッセンのソーセージ2つ、トマトの輪切り2枚をフライパンをプレートにしてそのままテーブルに出す算段だ。
「できた。おい、ワガハイ起きろ! オレに時間はない、早く、茉奈を起こしてこい!」
と、龍さんは、イスで丸まって居眠りしているワガハイの尻を叩いて暴力的に叩き起こした。
(チっ、エサ係のくせになまいきだ)
オレさま、ワガハイは、賢いからアホの龍さんとは喧嘩せずソソソと、茉奈を起こしに行く。
――二階の茉奈の部屋。
ぺチ!
ぺチッ!
ぺチッ!
ワガハイは眠っている茉奈の顔を叩いて起こしにかかるのだが反応は鈍い。
茉奈が寝がえりをタイミングよく打ったものだから、ベットの半分にワガハイには丁度いいスペースが出来た。
ワガハイはそこへ腰を落として、香箱座りをして、ゆっくり目を閉じた。
「ゴロゴロゴロ……」
「ゴロゴロゴロ……」
「ゴロゴロゴロ……」
ドタドタドタ。
聞き覚えのある足音がワガハイの研ぎ澄まされた聴覚に聞こえてくる。
ワガハイはかすかに目を開けた。
(なんだ、エサ係か……)
ワガハイはまた、目を閉じた。
「ゴロゴロゴロ……」
「ゴロゴロゴロ……」
「ゴロゴロゴロ……」
ワガハイは気持ちよさそうにノドを鳴らして眠っている。
「起きろバカ、ワガハイ!」
ぺシンッ!
いきなり龍さんがワガハイの安らぎのひと時を奪った。
「ふにゃーーっ!」
ワガハイはびっくりして飛び上がって、茉奈の部屋で暴れて駆け出した。
「な~に、ワガハイ突然? あら、龍さんおはよう」
「おい、茉奈起きろ、今朝の朝食は自信あるんだ」
茉奈は充電しているスマホで時間を確認して、
「え~、まだ、6時じゃない。もう少し、寝たいよ」
「いいや、今日からは毎日特別な日が続くんだ。頼む起きて一緒に朝食をたべよう!」
――茶川家ダイニング。
洗顔をすまして茉奈がテーブルにつくと、龍さんが待ってましたと、高級食パン乃が美の食パン一斤を厚切りにパン切ナイフで切り分け魚焼きグリルへかける。
「おっと、いけない」
龍さんは、そう言うと霧吹きを用意し、シュ!シュ!と魚焼きグリルの内側を切り吹いた。
「何してんの、龍さん?」
「いや、こうするとな、トーストの乾きを抑えられるんだ」
「へ~」
龍さんは、ストップウォッチを持って、タイマーをはかる。
「まずは、表1分半で、裏1分、余熱で2分ですね~」
「おお、龍さんこだわりね」
「だろう? オレもやればできるんだ」
トーストが出来上がると、今度は冷蔵庫から包み紙に巻いた横のストライプに青抜きの「ECHIRE」と書かれた小箱を取り出した。
「このエシレのバターはこないだ宮里くんに教えてもらったんだ」
と、言うと龍さんは、バターナイフでエシレのバターをすくうと、焼き立てのトーストへ乗せて、茉奈へと差し出した。
「おっと、待った」
そう言って、フライパンのプレートを並べて、最後に、いろどりに緑のバジルを散らした。
「では、茉奈さん。ご賞味あれ!」
娘の茉奈にとっては、何気ない毎日。多少、龍さんテンション高めに盛り上がってるから、徹夜明けなんだろうって感じだ。
龍さんにとっては、残された余命の中でやってくるカウントダウンの毎日だ。
ついでに、愛猫ワガハイについても述べておくと、いかに、アホのエサ係の龍さんを教育して、便利に使うか、いわゆる、「バカとハサミは使いよう」を心がける毎日だ。
一つ屋根の下、家族の団欒のなかで、それぞれの小さな希望の毎日が続いて行くのだ。
そう思うと龍さんの頬にあたたかい物が伝って来るのを感じた。
それを見つけた茉奈が、
「龍さん、なんで朝から泣いてるの?」
龍さんは涙を、テーブルに置いてあったダスターを掴んで、ゴシゴシ拭った。
「なんだかこんな毎日が嬉しくってな」
「あはは、へんなの」
「!?」
「あ、龍さんそのダスター……」
龍さんは、ダスターの何かに気付いた。
「なんで、粘り気のある鼻水ついてんねん!」
「あはは、ワガハイ、エアコンの寒さ苦手だからか風邪ひいたみたいで鼻水垂らしてたから、ダスターで拭いちゃった」
「おいおい、茉奈くんその場合はティッシュを使いなさい」
「ごめん龍さんティッシュ切らしてて、そこにある物で間にあわせちゃった」
「よりによって、衛生的に大事なテーブルダスターを使うことはないんじゃないだろうか」
「アルコール消毒してるから大丈夫かな~って、龍さんごめんなさい」
と、龍さんと茉奈が揉めてるのを尻目に、オッホン! ワガハイ殿はこっそりテーブルの上に飛び乗って、龍さんのシャウエッセンを咥えて逃げた。
「バカ! ワガハイ!!」
こうして、茶川家の毎日はつづいて行く――。
つづく




