15ワガハイの日記
「はあ、これでいちだんらくだ」
茉奈を送り出し、俺様のキライな消毒臭い龍さんも、病院へ送り出した。
オレさまが、この家へ来てから10年になる。
それは、俺様のエサ係だった文が、ある日突、然この家へ帰って来なくなってからだ。
俺様は、文には優しくしていた。気に入らないエサを出されても、相手が女だから大目に見てやった。それが、ある日、突然、帰って来なくなるんだから、きっと、龍さんに愛想が尽きたのだろう。
でも、ちょうど、よい具合に、俺様の彼女の茉奈も10歳になっていたから、名誉なエサ係に任命してやったのだ。
茉奈はかわいい奴で、オレさまが、
「だっこされてやってもいいぞ」
と、言うと、スグに抱きかかえてハグしちゃうんだな。
オレ様は、気恥ずかしいから、
「やめろよバカ、龍さんが見てるだろう」
と、言うんだが、茉奈のやつはオレさまにくびったけだから、人前でもところ構わずバグしてくる。
最近、オレ様は、この家の奴隷、龍さんを追い出してやろうと思っている。
龍さんは、デキの悪い男で、俺様が毎日、家の近所をパトロールして、未然に危険を取り除いてやっているから生きて行けるのだ。
ある日は、カラスの襲撃を未然に防いでやった。
また、ある日は、龍さんが風邪をひいたので、気まぐれに、トカゲを捕まえて、持っていってやったんだ。
すると、龍の野郎、こともあろうに、俺様を叩きやがった。
狩りが下手な上に、龍さんは、恩知らずだ。寛大な心を持ってるオレ様だから、この家へ置いてやっているがな。
反して、娘の茉奈はいいやつだ。オレ様の好物をよく知っている。焼きカツオを焼かせても、香ばしく仕上げるし、カリカリにチュールを混ぜるのも忘れない。
うん、茉奈はいい。
「あ!」
誰か来やがった。今日の日記はここまでとする。
――尼崎総合医療センター。
自動ドアを潜ると吹き抜けの高い天井が広がる。フカフカの絨毯、機械化された受付、押し寄せるたくさんの人――。
尼崎、いや、阪神間最大の総合病院、尼崎総合医療センターは高級ホテルを思わせる上質と、落ち着きのなかにある。
龍さんは、この日、健康診断の要検査の結果をもとに主治医の紹介状をもって、尼崎総合医療センターの胃腸科を訪ねた。
検査結果を聞くためだ。
ドクターはCTスキャンの結果をスクリーンに映して、影を探す。
「あ~、これは」
「重いのですか?」
「う~ん、これは腫瘍ができてますね。それもたくさん。これは、早く手術して胃を取ってしまった方が良いかもしれません」
「先生、そんなに悪いのですか?」
「う~ん、手術して開けてみないとなんとも言えませんが、ワタシの経験だと、このまま、放置したら、寿命はあと3か月」
「3ヵ月!」
「はい、胃をとって、他のところへ転移がなければ、生きられますが、この状態だと、もって、1年……」
――喫茶コロンビア。
阪神出屋敷を下りて、三和商店街のアーケードを潜って、少し行くと木目鮮やかな、昔ながらの喫茶店コロンビアがある。
龍さんは、小説で煮詰まるとここへ来て小一時間ばかり過ごして気分転換をはかる。
龍さんは、ここの通りが見える窓際の席に座り、買い物で通りを通る客を見ながら、アイスコーヒーのストローの口を親指で抑えスポイトにして、水の入ったグラスへ移して遊ぶのが好きだ。
そんなことをしながら、この店の名物ミカン、キュウイ、バナナが入ったフルーツサンドイッチをつまむ。
「なにをしてるんだ。宮里くん遅いな」
こないだ、精密検査を受けて「オレはガンかも知れない」と、動揺していた時、助け舟を出してくれた同じ尼崎に住まう同門の作家、宮里賢治にこの日も連絡したのだ。
「茶川さん、遅くなりました」
「いいから、いいから、挨拶はいいから、ボクの話を聞いてくれ」
仕事の合間に来てくれた宮里先生には申し訳ないが、龍さんは、心の不安のありったけを話した。
宮里先生は、静かに、「うん、うん」と聞いた。
「宮里くん、オレはどうすればいいかね?」
龍さんは、聞かれても返事のしようのない質問をぶつけた。
宮里先生は、やさしく、
「茶川さん、小説のライティングと一緒ですよ。コツコツ、コツコツ、自分で描かないと主人公の人生は一歩も進みません、それに、一番大事なことは師匠が口を酸っぱくしてよくおっしゃってた”何のために生きるのか”ですよ。それに向かって、生きましょう」
――川縁公園。
日暮れた。空を飛ぶ鳥は群れを成し弧を描く。川の水位は上がり、海から登ってきた魚が飛び跳ねる。
龍さんは、子供たちが帰っていなくなった公園のブランコに座った。
ブラン、ブラン、ブラン、ブラン。
龍さんは、子供の用に揺られている。
ただ、刻はゆっくりと流れ、夕日は沈んでゆく――。
「何のために生きるかか……」
ピロロロロン!
龍さんが、力なく呟いた時、スマホが鳴った。
”龍さん、晩御飯できたよ。あったかいうちに帰ってね”
茉奈からのラインのメッセージだ。
「オレには居場所があった。落ち込んでちゃいけない。帰らなきゃな……」
龍さんは、そう独り言をつぶやくとブランコを飛び降りて、阪神出屋敷の駅へ向かい、一駅の阪神尼崎で降りた。すぐさま、駅の向かいの名品コーナーへ向かい大阪心斎橋の老舗カステラ屋「ギンソウ」のカステラ”あすか”を買って帰った――。
つづく




