14龍さんとワガハイ
「いかがですか茶川さん、ご納得いただけましたか? よろしければ、その誓約書に印鑑捺印を……」
綾波はるかの突然の来訪と、いきなり突き付けられた結婚生活のルールが書かれた誓約書を、すんでのところで、
「検討させていただきます」と、茶を濁して、やり過ごした龍さんは、はるかが帰ってから一人書斎へ入って、机に向かっている。
パソコンへ向かってカタカタと、
”7月7日晴天、天国の文さんへ。
ボクは今、余命の限られた範囲で、茉奈の将来。ボクが亡くなったあとも一人にならないように、相談相手になれるような女性を探しています。緑子叔母さんの紹介で、三人の女性と見合いをしました。
1人目は、広瀬亜紀さんといって、デパート勤めの気働きのできる女性です。
彼女は、歳も若くきっと茉奈の相談を感覚的に理解して姉のような役割で支えてくれるでしょう。
2人目は、伊集院ふみさん、彼女は活発です。お仕事も看護師で、どちらかと言えば、ボクの末期医療を支えてくれるかもしれません。
3人目は、綾波はるかさん、彼女は高校の教師をしています。たしかに、頭が良いのでしょうが、かなりの変人です。神戸で初めて会った時に、彼女からもらったイクラのおにぎりでボクは食あたりを起こしました。出会いは最悪です。翌日も、押しかけてきて、今度は、何をあせっているのか、結婚生活のルールを書いた誓約書を突きつけてきました。訳がわかりません、彼女だけはさっさとお断りをいれようとおもっています。
以上、愛する天国の文さんへ”
チュンチュン、チュンチュン!
朝でも、夜でも、カーテンを閉め切った龍さんの書斎に、明かりが射し込んだ。
龍さんは昨夜、綾波はるかの襲来で、原稿を書かず疲れて寝てしまったのだ。
ぺチッ!
ぺチッ!
クンカクンカ……。
ワガハイが机に打ち伏して眠る龍さんの生死を確認するように、反応を試し、死臭がしないか臭いを嗅いでいる。
「ううう……。ううう……」
ワガハイは、敏腕検視官のように慎重だ。それは、龍さんが参考のために放送していたら必ず見る映画会社制作のドラマの検視官のように、丁寧に、丁寧に、証拠を積み上げて、つみあげて、鋭利な思考で推理を閃かせるように……。
「うわ! ワガハイしつこい! 寝ている人間の鼻は塞ぐな、ホントに死んじゃうだろう!」
龍さんが、酸欠で三途の川に渡し船が到着した間際で、今、まさに乗り込もうという間際に飛び起きた。
「にゃ~~」
ワガハイはさすがに、知能犯、モリアーティー教授だ。なにごともなかったように、龍さんが起きると、ピョンと、机から飛び降りて、ひと声鳴いて、サササと部屋を出てゆく。
「この野郎!」と、龍さんが寝ぼけた頭で追いかけると、
「にゃ~ご、にゃ~ご」と、朝食を作る茉奈の足元へ絡みついて、
「やってやりやしたぜ、お嬢さん、さあ、はやくあっしにご褒美のちゅ~るをくださいな」
と、人間様をしてやったりの始末。
「あら、龍さん、昨日は徹夜だったの? 遅いから今日は朝食、自分で作ちゃった。簡単な、トーストと、目玉焼きだけど食べるでしょ?」
龍さんは、こうなると、ワガハイに仕返しする気も失せて、寝ぐせのついた頭をボリボリ掻いた。
「おお、厚切りトーストか、まるで、名古屋のカフェみたいだな」
「あら、龍さん知らないの? 最近、尼崎にも高級食パン専門店が出店してきたから、学校の帰りに試しに買ってきたの」
「高かっただろ?」
「少しね」
「そうか、それじゃ今日の昼ごはんは食堂だろうから、こずかいじゃたりないだろう」
「はい」と、龍さんは財布から、1000円出して渡した。
「今日は、サービスしとくか」と、龍さんはさらに、スマホをいじって、
「今、Payを補充しておいたから、また、新しい食い物を見つけたら情報だけでなく、お土産に買ってるように、ヨロシク」
「やった、ありがとう龍さん、今度は、難波に生タピオカのお店か、市内のおいしいかき氷やさん見つけたから紹介するね」
「いいや、茉奈さんよ。紹介じゃのうて、お土産を買って来るのじゃ」
「うん、考えとく」
龍さんは、ズズズと、テーブルのあったかい緑茶を啜って、
「ほら、茉奈さんや、茶ばしらが立っておるよ。きっと、今日は良い日じゃって、きっと、健気に部屋に引きこもって執筆しておる不幸な書生さんに、手土産を持って帰って来る親切な娘さんがいることを信じておるよ」
茉奈は、腕時計をチラリとみて、
「いけないわ、もうこんな時間。はやく、朝食をすまして、出発しないと友達の佳奈に叱られるわ」
と、茉奈は、スクールバックを引っ掛けると、トーストに目玉焼きをダイブさせ、醤油と塩コショウを少々振りかけると、ラップに包んで出て行った。
――――静寂。
ダイニングに残された龍さんの食器の音だけが響く。
「美味い。確かに、この高級食パンは、触感もしっとりとして最高だ。しかし、この美味しさを上回る淋しさはなんだ。それは、まるでキレイな草原で一人でお弁当箱を広げてピクニックするようなもの。孤独だ、孤独だ……(孤独なクリエイターの心の叫び)」
「ふ~にゃ」
龍さんが、訳の分からない心の叫びを吐露していると、ワガハイがピョンと膝の上に飛び乗ってきた。
「フツ、このホームズの罠に、かかったなモリアーティー教授」
すると、突然、龍さんはニヤリとほくそ笑んだかと思うと、茉奈のおいて行った猫用おやつちゅ~るを掴んだ。
「君の欲しいのはこのおやつのちゅ~るであろう。残念だな、わたしは助手の茉奈くんと違って、優しくはないのだよフフフフフ、フハハハハ~~~」
と、高らかに笑った。
こうして、陰鬱な売れない作家と、飼い猫の攻防を通して陽が明けるのだ。
つづく




