13綾波はるかの誓約書
駅を間違えた綾波はるかは、茶川家へタクシーで乗り付けた。
「一体全体どうしたっていうんですか、ずいぶん遅いじゃないですか綾波さん?」
タクシーで到着や否や息も絶え絶え、ピンクと白のdryメッシュのパーカーに、真っ白なホワイトジーンズの綾波はるかを見た龍さんが尋ねた。
「一度、歩いて行くって決めたんです。何としても、歩いてJR尼崎から尼崎城目指して、南下したまでは良かったんですが、東西の方向をすこーし、間違っていたらしく、阪神杭瀬駅へ着いてしまいました」
「それなら、そこは阪神沿線ですから、なにもタクシーなんて使わずに電車で来ればいいのに」
「いえ、これ以上の遅延はワタシの教職としてのポリシーが許しません。お金より確実性です。幸い、タクシーのドライバーさんに、尼崎の作家さんの茶川龍太郎さんの家をご存知ですか? と、尋ねたら、ああ、あの有名な宮里賢治先生の近くだろ? と、スグに連れてきてくれました」
龍さんはすこーし、悲しい顔して、いや、薄っすら涙を浮かべて、
「ああ、そうですとも、そうですとも、わたしの家はあの探偵小説「暗闇ゾロ』の作者の宮里賢治先生のご近所ですよ。どーも、すいませんね」
はるかは、冷静に龍さんの言葉を打ち消すように、
「茶川さん、自信をもってください。わたしは、確かに宮里賢治先生の『暗闇ゾロ』の愛読者ですが、茶川さんの作品は知りませんが、帰ったらネット通販で購入して読んで見ようと思っています」
「綾波さん、完全に丁寧な言葉で、とても丁寧になぞってワタシをディスってますよね?」
「ディする? ワタシはそんな心の狭いことは教職としてしません。出来の良い子供も、不出来な子供も、平等公平に対応するのがワタシの教職としての信念です!」
はるかの言葉にぶすりと止めを刺された龍さんをよそに、トツトツトツと、ワガハイがはるかの手にぶら下げた、ビニール袋へ鼻を近づけて、クンカクンカと臭いを嗅ぎ始めた。
「にゃ?!」
ワガハイは、はるかが持ち込んだ袋の中身が食べ物だと気付いたらしく、茉奈へ合図を送って、「はやく、吾輩に食わせろ」という素振りだ。
「コラ、ワガハイ! 綾波さんお客さんなんだから食い意地の張った失礼なことしちゃダメよ」
と、はるかの足元に張り付いたワガハイを抱き上げて、はるかの手荷物から引きはがした。
「ふにゃにゃにゃにゃにゃ~~~」
ワガハイは、飼い主の龍さんに似て食い意地が張っている。狙った獲物は逃さない。いや、しがみつくし、執念深い。
茉奈に抱っこされたワガハイだが、必死の抵抗をやめない。
ワガハイは、軟体のクネクネした体をよじって、茉奈の腕から逃れようとする。クネクネ、クネクネ、クネクネクネクネだ。
「パシンッ!」
いきなり龍さんがワガハイのお尻を叩いた。
びっくりしたワガハイは飛び上がって茉奈の腕から逃げてサササと、柱の陰に隠れた。
「猫のくせに人間様の持ち物に、食い意地を見せるからそうなるんだ」
と、龍さんは捨てセリフ。
柱の陰からワガハイは、龍さんを睨んで、
「フシャー――!」
と、威嚇する。
それを聞いた龍さんは、手を上げて、再び、ワガハイを叩きに行く素振り。
「ふにゃ」
小さく鳴いたと思うと、ワガハイは逃げ出した。
「あらあら、ワガハイ、龍さんに起こられてすねちゃたじゃない」
「いいんだアイツは男だから、これくらい厳しく躾けたほうがアイツのためだ」
ワガハイと龍さんのやり取りを見ていたはるかが、メガネをくいっと上げた。
「茶川さん、こちらのご家庭のペットの躾けはわかりませんが、なにがあっても、弱いものに暴力はどうかとおもいます。もし、ワタシが茶川さんと結婚したとしたら、暴力は即日改めていただきます」
(ひぇぇぇぇ~~~~~~、この女性は、ハッキリ物を言いすぎて付き合いずらい。結婚?! ないないない、このまま、お引き取り願いたいくらいだ)
心の中で、反論していた龍さんが、話をまともに聞いていないと見たはるかが、メガネをクイっと持ち上げた。背中に背負ったリュックサックをほどき何やらゴソゴソやり始めた。
「バンッ!」
はるかはリュックサックから一枚のA4の紙を叩きつけた。
「茶川さん、甲斐性無しなのは仕方ないにしても、ドメスティックバイオレンスがあると言うのは致命的欠陥です。それだけで、十分な離婚の原因になります。いい機会です。わたしたちが結婚へ踏み出す前にハッキリしておきましょう。茶川さん、ワタシが勝手に夫婦のルールをまとめた誓約書を作成しておきました。しっかり、目を通して印鑑捺印してください」
(いや、だから、オレはあなたとは結婚しないって!)
と、龍さんは、心の声が、喉まで出かかったが必死で押しとどめた。
すると、茉奈が、ヒョイっと、はるかから、誓約書を受け取って、サ~っと、目を通した。
「あ、これいいんじゃない。とても、フェアな立場で作られてるわ。龍さんサインしちゃいなよ」
「バカ! 茉奈、そう言ったものは、もっと、親しくなってお互いの心が近づいた時に、お互いが知恵を絞って作るものだ」
「あ! 龍さん私のことバカって言った。1っ点ペナルティーだ。今日から、入浴後の風呂掃除よろしくね」
「なに?! 貸してみろ」
龍さんは、茉奈からはるかの作った誓約書をふんだくってサっと目を通した。
「ぐぬぬ、これは! 確かに良くできている」
不敵に、右の口角を上げたはるかが、ニヤッと薄気味悪い笑みを浮かべた。
「いかがですか茶川さん、ご納得いただけましたか? よろしければ、その誓約書に印鑑捺印を……」
(なんでやね~~~~~ん!)
と、龍太郎は心の中で悲鳴を上げた。
つづく




