第九話 砂漠を抜けるまで
俺たちは息を殺し、ただひたすらに、灰色の砂原の奥深くへと夜の闇を駆け抜けた。
「……ここまで来れば、ひとまずは大丈夫、なはずだ」
ジンの身体をそっと地面に横たえ、俺は激しく上下する呼吸を整える。極限の緊張が解けた瞬間、全身を襲う疲労感に足が震えた。隣では、へし折れた大剣を握りしめたままの騎士団長が、力なく岩壁に背を預けている。生き残ったのは、気絶しているジン、ステラ、俺、アテナ王女、そして騎士団長のみ。あまりにも重い静寂が、俺たちの間に降りてきた。
「……あ、あの」
沈黙を破ったのは、大破した馬車から救い出した少女――ラズマの王女アテナだった。恐怖に震えていたはずの彼女は、衣服を砂に汚しながらも、その澄んだ瞳で真っ直ぐに俺を見つめていた。
「私を……私たちを救ってくださり、心より感謝いたします。お二人の気高き戦いぶりがなければ、私は今頃…」
「いや、俺たちは……。それに、他の騎士の人たちは、、」
騎士団長は自嘲気味に首を振ると、重い口を開いた。
「気にするな、若き戦士よ。我らは王女殿下の盾となるために命を誓った身。彼らはその本分を全うしたのだ。それよりも、見事な一撃だった。君の爆炎と、彼の空間を狂わせる刃……そしてあの凍結の奇跡。二人の力に、ラズマの騎士として最大の敬意を表する」
騎士団長はそう言うと、折れた大剣を前に突き出し、臣下の礼をとるように深く頭を下げた。
「……だが、これで現状はさらに厳しくなった」
顔を上げた騎士団長の表情は、厳しさを増していた。
「この砂漠の襲撃で、我らの目的地へのルートは完全に断たれた。これほど強力なワームが群れるということは、この大陸の魔力のバランスが崩れ始めている証拠。……シンリ殿、ジン殿。勝手なお願いであることは百も承知だが、どうか、今後もアテナ殿下の旅路に、その力を貸してはいただけないだろうか」
「……でも俺たちは、ナララク大陸までしかついていけないですよ」
その時、アテナ王女が切実な表情で頭を下げた。
「ナララク大陸まででいいので……お願いします」
すがるような彼女の瞳を見つめながら、俺は少し悩み、まずはジンと相談して決めることにした。
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翌朝、灰色の砂原に淡い朝日が昇る頃、ジンがようやく目を覚ました。
「……ててて、最悪の目覚めだな。魔力枯渇の頭痛は、いつになっても慣れないよ」
ジンは額を押さえながら起き上がり、自分の無事と、周囲にいるアテナ王女、騎士団長、そして俺の姿を確認して、ほっと息を吐いた。しかしまだ体調がすぐれないらしく、少し咳き込む。
「ジン、気がついたか!」
「キュイッ!」
ステラが嬉しそうにジンの膝へ飛び乗る。俺はジンに、彼が気絶したあとのこと――ワームを巻いてここまで逃げ延びたこと、そして昨夜、王女たちから頼まれた「旅の同行」について、すべてをかいつまんで話した。
「──ってわけなんだけど、どうする、ジン?」
俺の話を頭痛をこらえながら聞いていたジンは、ふう、と深くため息をついた。
「やれやれ…。目が覚めたら、随分と大層な厄介事が転がり込んできてるじゃないか」
ジンは肩をすくめ、まだ少し青い顔のまま、アテナ王女へと視線を向けた。王女はまっすぐな、しかしどこか不安げな瞳で、ジンの言葉を待っている。その必死な眼差しに気圧されたのか、ジンは苦笑交じりに自分の頭をワシワシと掻いた。
「ナララク大陸まで、か。……まあ、意識を失っていた俺を守ってくれたし、可愛い女の子のお願いを無下にするほど、俺は薄情な男じゃないよ」
ジンはそう言って、ニカッと笑みを浮かべる。
「アテナ王女、その依頼、俺たちがお引き受けします。ただし、砂漠を抜けるまでですからね?」
「本当ですか……! ありがとうございます、ジン殿、シンリ殿!」
王女の顔に、パッと明るい喜びの表情が咲いた。
「殿下、彼らはしがない冒険者にすぎません。『殿』などという大層な呼び方は堅苦しすぎます。そこらの一介の者と同じく、『さん』などを付けて呼べば十分です」
騎士団長がそう言うと、アテナ王女は少し首を傾げ、それから何かを思いついたように悪戯っぽく微笑んだ。
「…………では、シンリくん、ジンくん、これからよろしくお願いしますね?」
「「えっ」」
俺とジンの声が綺麗にハモった。王女からの予想外の「くん呼び」に、俺は思わず面食らって硬直してしまう。
「なっ……!? ア、アテナ殿下!?一国の王女たる者が、初対面に近い殿方に対して『くん』などという、そのような、そんな親しげな愛称で呼ぶなど……! 王家の威厳が……ッ!」
案の定、先ほど口を挟んだ騎士団長が、今度は顔を真っ赤にして慌てふためいている。「さん」でいいと言った手前、まさかさらに崩した「くん」で呼ぶとは思わなかったのだろう。しかし王女は「もう決めたことです」とばかりに、上品にクスクスと笑っていた。
「はぁ……。まぁ、呼び方は追々慣れるとして、だ」
俺は、コホンと一つ咳払いをして強引に話題を切り替えた。
「アテナ王女……いや、アテナ様。話をご自身の護衛のことに戻してもいいですか。騎士団長の話だと、強力なワームの群れのせいでルートが断たれた、とのことでしたが」
俺の言葉に、一同の表情が引き締まる。先ほどまで頭を抱えていた騎士団長も、瞬時に真剣な武人の顔に戻った。
「うむ……。奴らは砂の微細な振動や魔力を感知して襲ってくる。あの数を真っ向から突破するのは、今の我らの戦力では不可能だ」
すると、膝の上のステラを撫でていたジンが、顎に手を当てて「ふむ」と呟いた。
「振動と魔力、か。……ねぇ、それならさ。シンリが、ステラの『運350』から繰り出される350%クリティカル炎魔法を別の場所に撃って、ワームの注意をそっちに引きつけている間に駆け抜ける、っていうのはどうかな?」
「俺とステラの炎魔法か……。確かに、それなら戦わずに砂漠を抜けるルートを作れるかもしれないな」
ジンの現実的な提案に、騎士団長とアテナ王女は驚いたように目を見開いた。
「なるほど、ステラちゃんの運とシンリくんの炎魔法を囮にする、と……。しかしジンくん、あなたの強力な魔法で直接ルートを切り開くことは難しいのですか?」
アテナ王女の問いに、ジンは苦笑しながら首を横に振った。
「僕の能力を使えば空間ごとワームを斬りまくれますけど……あれ、めちゃくちゃ魔力を喰う上に、一度使うと連続では発動できないんですよ。道中で乱発して、もしもっと強いワームが出たら詰んじゃいますからね」
「なるほど。ジンの能力は、本当に追い詰められた時の最終手段として残しておきたい。だからこそ、まずは俺とステラのクリティカル魔法でワームを誘導して、安全に切り抜けるのが一番確実だ」
俺が補足すると、騎士団長は深く納得したように顎を引いた。だが、騎士団長はふと何かに気づいたように眉をひそめ、ジンの膝の上で「キュイ?」と首を傾げているステラに鋭い視線を向けた。
「……時に、シンリ殿、ジン殿。先ほどから気になっていたのだが、そのステラと呼ばれている魔獣は、もしや希少種である『浮遊魔獣フュード』ではないか?」
騎士団長の声音が、一段と低くなる。その瞳には、騎士団長としての警戒の色が浮かんでいた。
「フュードといえば、極めて高い知性を持ち、人間には決して懐かないとされる気性の荒い魔獣のはず。それを『従魔』として連れ歩き、あまつさえ『運350』などという規格外の力を完全に制御している……。失礼ながら、お二方は一体何者なのだ? 目的地が同じというだけで、これほどの存在を無条件で信用して良いものか……」
張り詰めた空気が場に流れる。ステラの正体を見破られ、さすがに怪しまれるのも無理はなかった。俺とジンが顔を見合わせ、どう説明したものかと口を淀ませた──その時だ。
「騎士団長、そこまでにしなさい。気にする必要はありませんよ」
凛とした声で場を収めたのは、アテナ王女だった。彼女は咎めるように騎士団長を見つめ、それから俺たちに向かって優しく微笑んだ。
「ステラちゃんがどれほど強い魔獣であっても、今こうして私たちを助けるために力を貸してくれようとしています。それに、昨夜ワームの群れから命がけで私たちを救ってくれたのは、紛れもないシンリくんとジンくん、そしてステラちゃんです。その事実に、これ以上の不信を抱く理由がどこにありますか?」
「し、しかし殿下……!」
「私はお二人を、そしてステラちゃんを信じます。ね? ステラちゃん」
「キュイッ!」
アテナ王女が手を伸ばして小さな頭を撫でてあげると、ステラは嬉しそうに鳴き声をあげて彼女の手に頬をすり寄せた。王女の圧倒的な包容力を前に、騎士団長もそれ以上は何も言えず、「……出過ぎた真似を」と悔しそうに引き下がるしかなかった。
「よし、話はまとまったな。──じゃあ、行こうか」
ジンの言葉を合図に、俺たちは一斉に立ち上がった。朝日に照らされた灰色の砂原が、目の前に果てしなく広がっている。




