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第八話 不運の脅威

「おい、大丈夫かシンリ」


頭上から降ってきた土砂を和服の袖で払いながら、ジンが日本刀を鞘に収めつつ駆け寄ってきた。空中であれだけの立ち回りを演じたというのに、彼にはかすり傷一つついていない。


「あぁ、なんとか…。ありがとな、ジン。ステラも、無事か?」


胸元から顔を覗かせたステラが、「キュイ!」と小さく鳴いて俺の頬に体をすり寄せた。どうやらお互いに大きな怪我はないらしい。しかし、一息ついた俺たちの目に飛び込んできたのは、あまりにも異質な光景だった。


「……何なんだ、ここ」


見上げる天井は遥か高く、数キロ先まで続いているかのような巨大な地下空洞。そこには地上の砂漠がそのまま反転したかのような、不気味に広がる灰色の平原がどこまでも続いていた。ラズマの近郊に、こんな未開の巨大空間が存在するなんてジンも街の人も誰も言っていなかった。その時、遠くの地平線から、パキィンと空気を引き裂くような激しい金属音と、地鳴りのような咆哮が響いてきた。


「ジン、今の音………!」


「あぁ、間違いない。誰かが戦闘中だ。それも、さっき俺が斬ったやつと同格か、それ以上の砂竜(ワーム)の気配が複数ある」


「助けにいくよな!」


俺たちは音の鳴る方角へと、全力で駆け出した。


(俺は無力だ。だが、あの街で買ったこれで……)


走る俺の右手には、一本の小さな小刀(ナイフ)が握りしめられていた。さっきの街で少しのお金を稼いだとき、せめてもの護身用にと買い求めた、安物のごくありふれた鉄のナイフだ。


砂丘を一つ越えた瞬間、俺の足がピタリと止まる。灰色の平原の中央で、数匹の巨大なワームに包囲されているのは、つい先ほど俺たちを猛スピードで追い抜いていった、白銀の装飾が施された豪奢な馬車だった。馬車を守るように円陣を組んでいるのは、十数人の厳めしい騎士たち。だが、地上からそのまま崩落に巻き込まれたのか、その多くが負傷し、地面に血を流して倒れ伏している。


「アテナ様をお守りしろッ! 死守せよ!」


先頭に立つ初老の騎士が、折れた大剣を構えながら血を吐くような叫びをあげた。その背後、大破した馬車の扉から、あの息をのむほどに美しい少女――ラズマの王女アテナが、恐怖に震えながらも気高く前を見据えている姿が見えた。


「ステラ、透明化ってジンにもつけられるか?」


「キュイッ!」


俺の問いかけに、ステラは力強く鳴いて応えた。次の瞬間、ステラから放たれた半透明の淡い紫色の光が、俺だけでなく隣を走るジンの身体をも優しく包み込んでいく。


「おぉ……こいつは面白いな。自分の手足が完全に消えて見えるよ」


ジンが走りながら、驚きと興奮の入り混じった声をあげる。世界最高峰(自称)の幸運値『350』を持つステラの魔法は、ステラ自身だけでなく、俺が認めた仲間であるジンにまでその強力な加護を広げてみせたのだ。


「ジン、まずは一番奥の馬車に迫ってるデカいやつからだ! 俺がナイフで気を引く!」


「了解。合図と同時に、特等席から一瞬で仕留めさせてもらうよ!」


姿なき二人の影が、灰色の砂原を猛スピードで駆け抜ける。包囲網の隙間をすり抜け、俺は馬車の屋根に狙いを定めていた最大のワームの死角へと、一気に跳躍した。


空中に身体が浮き上がると同時に、俺は全神経を両手に集中させる。右手には小さな小刀(ナイフ)。そして左手には、先ほどの街でジンから手渡された、手のひらサイズの質素な魔法書が握られていた。


『シンリ。君は現状、魔力は50しか使えない。だけど、この初級魔法書に記された”低位の炎術式”なら、魔力50でも十分に発動できる。大切なのは、イメージを二つに分けることだ。右手の武器に魔力を乗せる感覚と、左手の本に術式を通す感覚。それを同時に行うのさ』


出発前の夜、焚き火の前でジンが教えてくれた魔力制御の訓練。あの時は上手くいかずに苦笑いされたけれど、死線をくぐり抜けている今の俺の脳は、驚くほど冴え渡っていた。


右手のナイフの先へ、手持ちの魔力を絞り出すように込めていく。それと同時に、左手の魔法書へと残りの魔力を流し込み、爆発するような『炎』のイメージを強く刻み込んだ。


「“爆炎弾(ブレイムフレア)”」


瞬間、俺の左手から溢れ出た魔力は、イメージ通りに右手の小刀(ナイフ)の先へと収束した。――いや、それだけじゃない。俺たちの背後で「キュイッ!」と小さく響いたステラの鳴き声と同時に、小刀(ナイフ)の先で膨れ上がった熱量は、初級術式の限界を遥かに超えていた。


ジンの言っていた「魔力50相応」なんてレベルじゃない。ステラの持つ世界最高峰(自称)の幸運値が、術式のクリティカル発動を引き起こしたのだ。ゴォッ! と夜の砂原を赤く染め上げたのは、俺の頭ほどもある巨大な紅蓮の火球だった。それが大気を切り裂き、アテナ王女を執拗に追い詰めていたのワームの顔面へと直撃する。


ゴッッッッッッ!!


「今だ、ジン!」


爆煙の向こう側へ空中を落ちていく俺の口から、魂を絞り出すような叫びが響いた。それが、待ち侘びた合図だった。


「よくやったシンリ! ――特等席から、お邪魔するよ!」


目にも留まらぬ踏み込み。閃光となったジンの一撃が、無防備に晒されたワームの首筋へと吸い込まれるように振り下ろされた。


その瞬間、ジンが振るった刀の刀身が――奇妙に「ズレ」た。パキィン、と空間そのものが物理的にひび割れるような硬質な音が響く。ジンの固有能力(スキル)――空間の位相を強制的に狂わせるその一振りに、その瞬間、世界でそこだけが歪んだのだ。刀身の軌道がズレたのではない。刃が通った軌跡の空間そのものが、断層のようにズレていた。


あらゆる防御を無視して空間ごと叩き斬る『位相を司る能力(スキル)』。ワームは、自身の身に何が起きたのかさえ理解していなかっただろう。その巨体は、ズレた空間の境界線に沿って、吸い物に入れた豆腐のように綺麗に一刀両断されていた。ドサリ、と重い地響きを立てて、二つに分かたれたワームの巨体が砂原に沈む。


「――っ、加勢する! 生き残りは声をあげろ!」


着地と同時に、俺は腰にある予備のもう一つの小刀(ナイフ)を引き抜きながら、大破した馬車の周りで戦う者たちへ叫んだ。俺たちの突然の介入に、生き残っていた騎士たち――約6名が、驚愕に目を見張りながらも、即座に戦士の顔を取り戻す。


「生きている者は俺を含めて6名だ! 恩に着る、名も知らぬ戦士たちよ!」


先頭で血を吐くような叫びをあげていた騎士団長らしき男が、折れた大剣を握り直して応じた。


「ジン、ステラ! まだ包囲は解けちゃいない。この人たちと連携して、残りの有象無象を一気に片付けるぞ!」


「了解。前衛は俺と騎士たちで支える。シンリは指揮と遊撃を頼む!」


ーーーーーーーーーー


そこからの戦いは、まさに地獄絵図だった。敵の総数は二十体。俺とジン、そして合流した騎士たちの猛攻により、激しい砂塵の中で十六体近くのワームをどうにか斬り伏せることには成功した。


だが、代償はあまりにも大きすぎた。


「ガハッ…………!? う、王女、殿下……っ!」


砂原にまた一つ、若い騎士の肉体が崩れ落ちる。数の暴力は、確実に彼らの命を削り取っていった。死闘が終わり、巻き上がった灰色の砂塵がゆっくりと落ち着きを取り戻したとき、俺の視界に飛び込んできたのは、静寂の中に転がるいくつもの骸だった。先ほどまで声を掛け合い、命を賭して戦っていた騎士たちの姿はもうない。


生き残ったのは、俺とジン、そしてステラ。大破した馬車の前で、恐怖に顔を青ざめさせながらも奇跡的に無傷のアテナ王女。そして、へし折れた大剣を杖代わりにし、血反吐を吐きながら辛うじて踏みとどまっている騎士団長、ただ一人だけだった。


「……皆、逝ったか。私の不徳の致すところだ…」


騎士団長が、血に染まった顔で自嘲気味に呟く。二十体いたワームは残り四体。しかし、こちらの戦力も実質的に壊滅していた。絶望的な静寂の中、生き残った四体のワームが、じりじりと俺たちを包囲するように距離を詰めてくる。砂を穿つ不気味な足音が、全滅のカウントダウンのように響いていた。


ジンが、自嘲気味に笑いながら一歩前に出た。空間をも叩き割る強力な能力の連続行使は、彼の肉体と魔力を限界まで削り取っていた。


ジンは振り返らず、刀を逆手に持ち替えて深く身構えた。その瞬間、彼の周囲の空気が、肌を刺すような絶対零度の冷気へと一変する。空間の位相を操るジンの能力が、今度は「熱量」そのものを空間ごと完全に停止、あるいは強制排除させたのだ。


「これで、俺の魔力は空っぽだ。――シンリ、あとは頼んだぞ」


ジンが、静かに息を吐き出す。


「”凛(りん)“」


キィィィン、と鼓膜を震わせる高い音が砂原に響き渡った。ジンの足元から全方位へと、一瞬で純白の霜が駆け抜ける。襲いかかろうと跳躍していた四体のワームの巨躯が、空中に浮いたまま、あるいは砂を巻き上げた姿勢のまま、美しい氷像へと変貌していく。


「みんなこの技は大きな敵だと短時間しか凍らせられない!!逃げるぞ!」


「ガハッ………!!」


技の発動と同時に、ジンは盛大に血を吐き、そのまま糸が切れた人形のように崩れ落ちた。すべての魔力を使い果たし、気絶したのだ。


「ジン! ――クソッ、騎士団長、王女を頼みます! ステラ、ジンを頼む!」


背後では、完全に凍りついた四体のワームが、月光を浴びて不気味に輝いている。

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