第十話 砂竜(ワーム)との戦い
俺は一歩前に出ると、ワームが潜む砂原とはあえて大きく外れた、遠くへと右手を向けた。
「ステラ、頼むぞ。お前の『運』が必要だ」
「キュイッ!」
俺の肩に乗ったステラが、小さくも力強く鳴いて頷く。
「奴らは微細な振動と魔力に集まる……だったら、これ以上ない特大のデコイを用意してやるよ」
深く息を吸い、体内の魔力を限界まで練り上げる。同時に、俺の魔力に同調するように、ステラの身から目に見えないほどの凄まじい天運の波動が立ち上った。ステラの持つ規格外の数値――『運350』が、俺が持っていた魔法書へと完全に上乗せされる。
「“爆炎弾”」
小刀の先から放たれたのは、初級の炎魔法とは明らかに一線を画す、紅蓮の超巨大な炎の球だった。眩いばかりの光と熱量が地下から響く静寂を切り裂き、遠方の岩壁へと着弾する。
ズドォォォォンッ!!!
凄まじい大爆破の音が轟き、大気が激しく震えた。凄まじい魔力の奔流と爆発の振動が、砂漠一帯へと波状に広がっていく。その瞬間、俺たちの足元の砂が、生き物のように一斉に波打ち始めた。
「――来たぞ! 地下のワームどもが全員、あの炎に引き寄せられてる!」
ジンの叫び通り、砂原のあちこちから巨大な地鳴りとともに、無数の黒い影が飛び出し、俺たちが放った爆炎の塊へと猛スピードで殺到していく
「シンリくん、ジンくん、ステラちゃん、遅れないで!」
アテナ王女の手を引く俺が、ジンの顔を見て短く頷いた。ジンの能力『位相』は、この先に待ち受けるかもしれない本当の強敵のために完全に温存できている。
「よし、作戦成功だ!一気に駆け抜けるぞ!」
俺たちは背後で燃え盛る紅蓮の炎と、それに群がるワームの大群を置き去りにしながら、砂漠を脱出するべく灰色の大地を全力で走り出した。
しかし突如、俺たちの目の前の砂原が爆発したように大きく跳ね上がった。凄まじい砂煙の向こうから現れたのは、これまでのワームとは比較にならないほど巨大な、禍々しい紫色のオーラを纏った超巨大ワーム。そして、その頭上に不気味に佇む一人の男の姿だった。
「――なぜだァ! なぜ俺の可愛い可愛い『蚯蚓』どもが、あんなデコイに釣られて動かねえんだよォ!」
男は狂ったように頭を掻き毟りながら、ぎろりとこちらを睨みつける。その視線がアテナ王女を捉えた瞬間、男の顔が歓喜に歪んだ。
「ヒハハハッ! 見つけたぞアテナ王女! 運良く生き延びていたようだが、この俺の能力『蚯蚓の王』を持つ俺様からは逃げられねえ!」
「まさか……他国の暗殺者か⁈」
「チッ、まだ刺客が残ってたか……! ステラ、もう一発だ!」
「キュイッ!」
俺はすぐさま右手を掲げ、残った魔力を振り絞って再び炎を放とうとした。しかし、男がニヤリと不気味に笑う。
「無駄だ無駄ァ! 『蚯蚓の王』に統率されたこの王のワームは、貴様らの生ぬるい魔法など丸ごと喰らい尽くすわ!」
男の言葉通り、巨大ワームの口から放たれた衝撃波が、俺の魔力を強引に霧散させていく。先ほどの特大魔法の直後ということもあり、俺の炎では押し切れない。
(クソ、防戦一方か――)
俺が歯噛みした、その時だった。
「――シンリ。温存しておいた甲斐があったな」
ゆっくりと前へ進んでいた、ジンの低く冷静な声が響いた。その瞳には、並々ならぬ覚悟の光が宿っていた。
「だけど、、、いや、無理するなよ!ジン!!」
ジンが右手を静かに動かし、抜刀の構えをする。その瞬間、世界の法則がパキリと音を立てて歪むような、圧倒的なプレッシャーが辺りを支配した。
「いけェッ! 押し潰せッ!!」
男の悲鳴のような命令に応じ、紫のオーラを纏った超巨大ワームが、地響きとともにジンへと牙を剥く。だが、ジンは微動だにしない。ただ静かに、その刀身へと意識を集中させていく。
「――能力『位相鏡」
キィィィィィン――ッ!!!
鼓膜を刺すような高音が響き、ジンの前方にある『空間』そのものが、まるでガラスのようにバキバキとひび割れた。ワームが放っていた禍々しい衝撃波も、突き進んできた巨体も、ジンの刃が描いた「歪んだ空間」に衝突した瞬間、ワームの王が綺麗に六枚に斬られる。
「なんだとッ……!?ボクのワームがァ…!」
「がはっ……!」
力を使ったジンが、口から鮮血を吐き、膝を突きそうになる。だが、その視線は、ワームを失って宙に放り出された能力『蚯蚓の王』を捉えていた。
「シンリ、今だ……! 王女を、頼む……!」
ジンの命がけの一撃が、最悪の突進を完全に打ち砕き、一瞬の勝機を作り出した――!
「ステラ、今度こそアイツに全弾叩き込む! お前の『運』、もう一度だけ俺に貸してくれ!」
「キュイィィィィッ!!」
ステラの身から立ち上る、目に見えない天運の波動が、俺の小刀の先に収束していく。狙うは、ワームを失い、完全に無防備な状態で空中を落下している『蚯蚓の王』。
「ごめんだけど、手加減はできないよ…… “爆炎弾”」
ステラの『運350』が上乗せされた炎の弾丸が、砂漠の熱風を切り裂き、真っ直ぐに男へと着弾した。
ズガァァァァンッ!!!
空中での大爆発。男の悲鳴が上がるよりも早く、紅蓮の炎がその身体を完全に包み込んだ。
が、焼けただれた右腕を振り抜く。その手から放たれたのは、砂と同化した色の、極細の毒針。それは俺たちではなく、騎士団長の背後――完全に意識の外にあった、アテナ王女の無防備な首筋へと、寸分の狂いもなく突き進む。
「しまっ――」
姿を消していたステラが異変に気づき、身を挺して軌道を変えようとするが、わずかに及ばない。
「――殿下ッ!!!!」
その瞬間、叫びながら割り込んだのは、騎士団長だった。巨体を翻し、盾のようにはだけた己の胸で、アテナ王女の身代わりとなって針を受け止める。チクリ、と不吉な音が響いた。
「が、はっ……」
騎士団長の巨体が、どさりと灰色の砂地へ崩れ落ちる。針に塗られた猛毒は一瞬でその全身を巡り、肌をどす黒く変色させていく。
「ヒハハハッ……王女じゃねえが……盾は消したぞ……!」
男は冷酷に笑うと、満身創痍の身体を引きずり、再びアテナ王女へと近づいていく。
「団長……!? 嘘、嘘でしょ……! 目を開けてください!!」
アテナ王女の悲痛な絶叫が、砂漠の熱風に掻き消される。後に残されたのは、命の光を失っていく騎士団長の身体と、絶望の静寂だけだった。そのとき、地を這っていた騎士団長の腕が、爆発的な力で折れた大剣を掴んだ。
「――我が命に代えても、殿下は傷つけさせんッ!!」
魂を削り出すような咆哮。騎士団長は毒に侵された身体で無理やり立ち上がると、大剣を両手で逆手に握り直し、迫り来る暗殺者へと突撃した。
「なっ……動けるはずが――」
驚愕に目を見開く暗殺者。その視界が、斜めに大きく傾く。
ズシャァァァァッ!!!
折れた大剣の分厚い刃が、全身火傷を負った男の肉体を、一刀両断に叩き斬っていた。
「が、はっ……ボク、が……」
暗殺者は言葉を血とともに吐き出し、そのまま砂の上へ崩れ落ちる。今度こそ、二度と動かない物言わぬ肉塊へと変わった。
「……殿、下……ご無事で……」
かすれた声を最後に、騎士団長の大剣が手から滑り落ちる。糸が切れたようにその巨体が仰向けに倒れ込み、激しい地鳴りを立てて静止した。
「団長……!? 嘘、嘘でしょ……! 目を開けてください!!」
アテナ王女が泣き叫びながら騎士団長に近づき揺さぶる。だが、どれだけ揺さぶっても、もうその心臓が動くことはなかった。
「あ……」
俺の口から、乾いた声が漏れた。足がすくみ、一歩も動けない。死体だ。これが、本物の、人間の死体。現代日本で普通の学生として生きてきた俺にとって、それはテレビの画面やゲームのグラフィックの向こう側にある「記号」でしかなかった。だが、今目の前にあるのは違う。切り裂かれた肉から溢れ出る、鉄臭い血の匂い。急速に熱を失い、灰色に変色していく肌。さっきまで確かにそこに存在していた「命」が、完全に消滅してただの『物質』になってしまったという圧倒的な事実。吐き気が、内臓の奥底からせり上がってくる。心臓が警鐘を鳴らすようにドクドクと激しく脈打ち、冷や汗が全身から吹き出た。
「シン、リ……」
限界を超えて吐血し、壁にもたれかかるように座り込んでいるジンが、苦しげに俺の名前を呼ぶ。その声で、俺はかろうじて思考のフリーズを解かれた。目の前には、涙を流し続けてパニックに陥っているアテナ王女。そして、命を賭して道を切り拓いてくれた騎士団長の遺体。動けないジンと、俺の顔を心配そうに見つめるステラ。
(しっかりしろ……俺が今、ここで倒れるわけにはいかないんだ……!)
奥歯を血がにじむほど噛み締め、俺は震える足で、一歩を踏み出した。
「ガァァァァァァッ!!!」
突如、砂漠の地底から、鼓膜を裂くような不協和音の咆哮が湧き上がった。『蚯蚓の王』が死んだことで、それまで統率されていたワームたちが一斉に制御を失ったのだ。王を失い暴走した無数の黒い影が、狂乱状態で俺たちを目がけて四方八方から襲いかかってくる。
「くそっ、次から次へと……!」
ゆっくり怯んでいる時間さえ、この砂漠は与えてくれない。俺は強引に震える膝を叩き、自分の役割を頭に叩き込んだ。今ここで俺が動かないなら、誰が動く!、全員があの化け物どもの餌食になるだろうが!
「ステラ! ジンを守れ! 」
「キュイッ!」
俺は肩のステラに叫び、懐から先ほどまで使っていた、炎の魔法書を取り出して投げ渡した。姿を消したステラが空中でそれを受け取り、吐血して動けないジンのもとへと一瞬で駆け寄っていく。ステラなら、魔法書を使用した初級魔法で最低限の自衛はできるはずだ。
仲間を信じて背中を預け、俺は灰色の大地を蹴った。向かうのは、騎士団長の遺体にすがりつき、涙を流し続けているアテナ王女のそばだ。激しい砂塵が吹き荒れる中、俺は王女の前に膝を突き、その細い肩をがっしりと掴んだ。
「王女様……アテナさん! しっかりしてください!」
「嫌……嫌です、団長、目を開けて……私を置いていかないで……!」
絶望に瞳を濁らせ、狂ったように首を振る彼女の姿に、胸が締め付けられる。だが、迫り来るワームの地鳴りはすぐそこまで来ている。ここで立ち止まることは、騎士団長が命を懸けて繋いだ未来をドブに捨てるのと同じだ。
「アテナさん、聞いてくれ! 団長さんは、あなたを生かすために戦ったんだ! あなたがここで死んだら、意味がなくなる!」
俺の必死の叫びが届いたのか、アテナ王女の瞳にわずかに生気が戻る。だが、過酷な砂漠の行軍と精神的なショックで、彼女の足にはもうまともに立つ力さえ残っていなかった。
「アテナさん、つかまってろ!」
俺は彼女の前に背中を向け、その身体を強引におぶい直した。背中に伝わる彼女の震えを、今はただ耐える。暴走するワームの包囲網を突破するべく、砂漠の出口へと全力で走り出した。出口まで、あと約⒍5キロ。
地響きと共に無数の暴走ワームが迫ってくる。おぶっている王女の息遣いが、恐怖で激しく乱れるのが背中越しに伝わってきた。
「俺がやるっきゃねぇな……」




