第四話 重圧
俺は「表紙に大きな星マークのついた本」を強く握りしめる。ここに落ちる前からずっと持っていた、使い道もわからない、ただの重い本だ。
「あ、あの、、助けてくれてありがとうございまぁぁぁす!」
洞窟内に俺の情けない叫びが響き渡る。しかし、男はピクリとも表情を変えない。お礼の言葉など最初から耳に入っていないかのように、ただ静然と佇んでいる。
──いや、男の視線は俺の顔ではなく、星の紋章をじっと見つめている。その視線に込められた圧倒的なプレッシャーだけで、心臓を直接素手で掴まれたかのように息が詰まる。この男にとって、俺という人間は床に転がる石ころ以下だ。だが、この本にだけは、何かしらの明確な価値を見出している。その事実が、恐怖で濁った俺の脳裏に瞬時に閃いた。
「これ、、ですか?どうぞ!どうぞ!」
俺は恐怖から逃れるように、必死の形相でその「表紙に大きな星マークのついた本」を両手で前に差し出した。助かるためなら、こんな正体不明の本、いくらでもくれてやる。売れば金になると思ったが背に腹はかえられねぇ。
男はただ、差し出された本を冷徹に見つめたまま無言で──すっと、白く細い片手を『グッ』と強く握りしめた。まるで、そこにある空気そのものを握り潰すかのような、静かで無慈悲な動作だった。呪文の詠唱も、刃物の風切り音すらもない。
その瞬間、視界の中で、何かが不自然に宙を舞った。それは、ついさっきまで本を差し出していた、、、
見覚えのある手のひら、俺の右腕だった。
「あ、あああ, ああああああああああああああーーーッッッ!!!???」
自分の右肩に目をやると、引きちぎられた肉の隙間から、白く尖った骨の断端がグロテスクに剥き出しになって突き出ていた。
(は? なんで? 腕が、どーすれば、、)
──ダッ!!!
考えるよりも先に、身体が動いていた。一歩踏み出すたび、右肩の剥き出しの骨が内側の肉を抉り、脳が焼け焦げるような激痛が全身を駆け巡る。それでも足は止まらない。脳を焼き尽くすほどの本能が、大音量で叫んでいた。
──止まるな。ここにいたら死ぬ。逃げろ、逃げろ、逃げろ!!!
狂ったように走り続けた。痛みを忘れるために、ただ前だけを見て脚を動かす。しかし、どれだけ走っても未知の深層は暗闇が続く。じわじわと意識が遠のき、限界が近づいているのがわかった。傷口から溢れ出た鮮血が、星空のような鉱石の床を赤く汚していく。
ドクドクと脈打つたびに、体内の熱が右肩からドス黒い川となって流れ落ちていく。視界の端が急速に狭まり、まるで古いテレビの砂嵐のようにノイズが混ざり始めた。あの銀のコートの男が追ってくる気配はない。ゴミ屑を払っただけと言わんばかりの、完全な興味の消失。それが今の俺の現在地だ。だが、その男が残したトカゲの死体の山が、別の地獄を呼び寄せていた。
背後からゾロゾロと這い寄るトカゲたちの地響きのような足音を聞きながら、俺は暗い洞窟の奥へと、ただ必死に脚を突き動かした。
ドサッ
唐突に、視界が激しく地面へと叩きつけられた。勢いよく転倒し、星空のような鉱石の床を無様に転がる。
「ガハッ、、、っ!」
激しく息を吐き出しながら、すぐに立ち上がろうとする。しかし、どういうわけか下半身に全く力が入らない。命令が届かないかのように、自分の脚がピクリとも動かなかった。
「な、んだよ、動けよ、俺の足、、っ!」
何かに引っかかったのかと前方を見る。青白く光る洞窟の床の少し先に、何か、見覚えのある二本の棒状の物体がゴロゴロと転がっていた。服の破れ方。見慣れた靴。それは
──紛れもなく、俺自身の『両脚』だった。
「あ、、え、、?」
脳の理解が完全に拒絶を起こす。なぜ自分の脚が、あんな離れた場所に転がっている? 衣服の断面から溢れ出た鮮血が、星空の床に大きな赤黒い池を作っていく。切断された下半身の断面から、遅れて爆発的な熱と激痛がせり上がってきた。走っていたんじゃない。俺は最初から、両脚を失ったまま、ただ床を這いずっていただけだったのか?
「あぁぁ、あああああぁぁッッッ!!」
わけがわからない。恐怖で心臓が破裂しそうになりながら、恐る恐る後ろを振り返る。
──そこに、奴がいた。数十メートル走って引き離したはずの、あの銀の服の男。男は、最初に出会ったあの場所から一歩も動いていない。ただ静然と佇み、冷徹な瞳でこちらを見下ろしている。
(は?なん、で?え?)
空間が歪んでいるのか?抗うことすら許されない圧倒的な絶対強者の前で、俺のプライドも、生存本能も、すべてが無慈悲に粉砕されていく。
男が静かに、歩みを進める。コツン、コツン、と冷徹な足音が近づいてくる。次は残された左腕か、それとも首か。
しかし──そんな地獄のような状況になってもなお、俺の残された左手だけは、無意識のうちに、あの「本」を意思を持つかのように死守していた。それを、銀の服の男は冷徹な瞳で見下ろしていた。
「ハァ、、う、ぐぅ、、ぁあ」
(骨が床を擦れ激痛が走る)
「あぁぁぁぁあ、っっ、、ぅうあぁっ」
「こう、かい、、がっ、ゴハッ」
「まだ、、」
「死にたく、、ない!」
(ドサッ)
──そして、再び男の手が動く。
ーーーーーーーーーー
俺は沖縄のようなところにいた。動けないだが、眼は見える。砂浜には一人の女性がいた。見渡す限りのエメラルドグリーンの海。優しく寄せては返す白い波飛沫と、どこか懐かしい潮の匂い。暗黒の地下迷宮とは対極にある、あまりにも穏やかで眩しい世界。
『やり直しなさい』
その声は俺がこの世界に来る直前の夢の中で聴いた声によく似ていた。
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「やり、、直す、?」
ハッと意識が現実の深層へと引き戻された瞬間、左手に宿る本の星の紋章がバチバチと弾け、洞窟の闇をすべて焼き尽くすほどの巨大な黄金の光を放った。
“超転移時空操作魔法“『リワインドアナクロニズム』
粒子となって消えゆく意識の中、俺の視界は真っ白な光に染まっていく。四肢を失った肉体が、血の一滴に至るまで光の粒子へと還元されていく。痛みは消え、代わりに時空が激しく逆流する轟音が脳裏を満たした。
ずっと無表情で、不気味なほど静然と佇んでいたあの銀の服の男が、初めてその端正な顔を醜く歪めた。そして、消えゆく俺に向かって手を伸ばしながら、低く、地を這うような声を絞り出した。これまで一度も言葉を発しなかった男が、最後に残した言葉。
──「禁断の魔法書を使えるのか、、」
俺はその言葉の意味がわからなかった。
体が完全にその場から消える
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「ん、あっ、、、あっ!?」
あまりの衝撃に、俺は勢いよく跳ね起き、ハァハァと荒い息を吐きながら周囲を見回す。星空のような美しい鉱石の洞窟も、あの凶悪なトカゲも、銀の服の男も、どこにもいない。そこに広がっていた景色は、俺が数時間前に落ちたはずの──地面の裂け目だった。
驚愕して手元を見る。ある。手のひらも、指も、手首も。銀の服の男に木っ端微塵に吹き飛ばされたはずの、俺の右腕が、そこには当たり前のように繋がっていた。慌てて視線を下に落とす。切断されて前方に転がっていたはずの両脚も、しっかりと自分の腰から伸びていた。どこを触っても、どの部分も一切失われていない。剥き出しの骨が肉を抉るあの狂気じみた激痛も、嘘のように消え去っていた。
「は?、、え?」
わけがわからない。呆然と声を漏らした、その時だった。すぐ目の前で、短く息を呑む気配がした。ハッと顔を上げる。
そこには、目を見開いて驚きを隠せていないジンと、その傍らでふわふわと浮かぶ幽霊のような奇妙な生物が、俺のことをじっと見つめていた。
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「シンリくん!?さっき落ちたはずじゃ、、っていうかこの魔獣どっから湧いた、、」
「えと、な、えー、、」
何から話せばいいかわからずパニックになっていると、
「シンリくん、、本は?」
そういえば本に助けられたことを思い出す。しかし手元からは消えていた。
「え?多分使った、だからここにいるんだと思う、、」
ついさっきまで左手に残っていたあの重みも、星の紋章の感触も、綺麗さっぱり消滅している。文字通り、時間を巻き戻すための『代償』として、あの本は粒子となって消えてしまったのだ。
ジンは驚き急いでバックから本を取り出す。
「シンリくんステータス確認してもいいかい?」
どうやら『ステータス確認の魔法書』らしい、そして自分がこの世界に来てからどんな能力値か知らないことを今更になって気づき「いいよ、頼む」っとお願いする。
「”能力測定“」
そうジンが唱えると本に文字が浮かんでくる。
ジンの手元にある魔法書の白紙のページに、青白い光の粒子が染み込むようにして、滑らかなフォントで見たこともない文字――なのに、なぜか意味が完璧に理解できる羅列が浮かび上がってきた。
種族:人間 体力:75 攻撃力:35 防御力:40
──運:3 魔力:測定不能 能力:なし 従魔:フュード
(ちょっと待て、色々とツッコミどころが多すぎるだろ……!)
体力や攻撃力といった数値は、中学生の平均より少しマシな程度か?いや、あの蛙の獣人に一撃でみぞおちをブチ抜かれたことを考えれば、一般人並みのペラペラな防御力だ。能力はやっぱり『なし』。おまけに『運:3』って、、、
ジンが震えながらいう。
「異常じゃん」
「ふぇ?」
俺の口から情けない驚きの声が漏れ出た。




