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第三話 ラズマの迷宮

「ん、んぅ……」


重い瞼を持ち上げると、そこには――こちらを覗き込む男の姿があった。

異世界のはずなのに、なぜか日本でいう和服を纏い、腰には日本刀のようなものを装備している。

黒髪ウルフマッシュで襟足が白色の男だった。

男は俺が目を覚ましたことに気づくと、バツが悪そうに頭を掻いた。


「ごめん、脅かし過ぎた?」


どうやら悪い奴ではないらしい。ほっとした俺の目の前には、いつの間にかパンや牛乳のようなものが用意されていた。


「あなたは?」


問いかけつつも、俺の手はすでに動いていた。用意されていたパンに貪り付き、牛乳で一気に流し込む。

現実世界よりも美味い気がする。腹が減っていたのもあるかもしれないが、五臓六腑に染み渡る感覚に一息つきながら、俺は男の話を聞くことにした


「俺の名はナスズ・ジン。北の方からある目的でここ、ラズマに来た旅人だよ。君は?」


のどを鳴らして牛乳を飲み干し、ようやく一息つく。冷たい石畳の床の上で仰向けになりながら、俺を助けてくれた男を改めて見つめた。どこか飄々とした佇まいだが、その瞳の奥には、一介の旅人とは思えない油断のない光が宿っている。


「俺はその、、東の国から何故かここに飛ばされたえと、ヒヨリ・シンリ」


「飛ばされた?まさか禁断の魔法書(アーティファクト)を使ったのか!?」


「?なんだ?あーてぃふぁくと?って」


その瞬間地面が揺れる。


(ゴゴゴゴゴッ)


「地震!?」


突如として、迷宮の強固な岩盤が悲鳴を上げた。積み上げられていた無数の革装丁の書物が雪崩のように崩れ落ち、周囲を照らしていた青い鉱石が激しく明滅を繰り返す。


「まずいな、、とりあえずここから出ようシンリくん」


「まずい?ここには何か危険な魔獣でもいるのか?」


「ここは『五大神獣(ごだいしんじゅう)』の一角がいると言われている砂漠の迷宮(ダンジョン)だ」


「『五大神獣(ごだいしんじゅう)』?」


その時、再び地面が揺れだした。地響きが鳴り響く。さっきよりも明らかに強い。


(ゴゴゴゴゴゴゴゴッ)


今度はただの揺れじゃない。地の底から巨大な何かが咆哮を上げているような、空間そのものを震わせる凄まじい大音響だ。天井の岩肌にピキピキと亀裂が走り、パラパラと激しく砂埃が降り注ぐ。


「説明はここから出た後だ。行くぞシンリくん」


ーーーーーーーーーー


その後、地面は相次いで揺れていたが、ジンの道案内で何なく迷宮(ダンジョン)の出入り口に着く。


「見えた!あそこがこの迷宮(ダンジョン)の出口だ。行くぞシンリ!」


視界の先に入口の光が広がった。あと数歩で、この危険なところから抜け出せる─

そう思った瞬間だった。


(バリバリバリッ)


轟音と共に床が裂ける。支えを失った身体が、重力に従って下層へと引きずり落とされる。一瞬の出来事だった。強固だったはずの石畳が、まるで薄い氷のように一気に砕け散る。足元が完全に消失し、強烈な浮遊感が俺の全身を包み込んだ。


「シンリくん!!」


瞬間、ジンの手が伸びてきた。しかし、落下の凄まじい風圧がそれを許さない。スカッ、無情にもジンの手がすり抜けていく。和服の袖をはためかせ、ジンが必死に腕を伸ばしてくれたのがスローモーションのように見えた。だが、その指先は俺の外套の端をかすめただけで、虚しく空を切った。ジンの驚愕に染まった顔が、一瞬で遥か上方へと遠ざかっていく。


俺は遠ざかっていくジンの姿を見つめながら、強く歯を食いしばる。


「まってろ!絶対戻る!」


現実世界でした強がり、俺はまた嘘をついた。異世界でもまた、、、あの時、別の街へ行った親友に『最高超絶楽しい!!』と嘘のメッセージを送った時と同じだ。本当は怖くてたまらないのに、自分が無力でボロボロのくせに、俺はまた、体裁を整えるためだけの見栄を張ってしまった。こんな底の知れない奈落に落ちて、能力(スキル)も使えない俺が、どうやって戻れるっていうんだ。


ーーーーーーーーーー


いつからだろうか、自分ではなく周りの人の反応を優先して生きていたのは、、、


「真黎(しんり)はどう思う?これ超良くね?」


自信満々に俺に聞いてくる。


「え?むっちゃいいじゃん流石だな!」


(ズキッ)


周りの人間が幸せならそれでいい。他人が納得するなら、自分が一歩引けばいい。自分の心に嘘をついて他人に合わせることが、波風を立てない唯一の方法だと信じていた。相手の顔色を窺って、求められているセリフを脳内で瞬時に検索する。そんな「器用な生き方」をしているうちに、自分が本当は何を思い、何に怒り、何に傷ついているのかさえ分からなくなっていった。心を麻痺させて笑うたびに、胸の奥が鋭く軋んでいたんだ。


だが、その周りに合わせる方法は、ただ自分を縛り、苦しめていただけだったと今なら分かる。


(ズキッ)


なのに俺はこの世界でもまた、同じことをしている。


(俺全然変わってねぇじゃん)


俺は一人、完全な闇へと沈んでいった。


光の届かない深淵へと向かって、身体がどこまでも落ちていく。風の音すら遠ざかり、世界のすべてから隔絶されたような本当の静寂。それはあの放課後の、誰もいない四角い教室の暗闇と、驚くほどよく似ていた。


ーーーーーーーーーー


(ドサッ)


激しい衝撃と共に、俺は高く積もった土砂の上に転がり落ちた。激痛に耐えながら痛む身体を起こし、恐る恐る周囲を見回す。そこは、ダンジョンの上層とは明らかに空気の違う、禍々しい気配に満ちた未知の深層だった。


「どんだけ落ちたんだ?」


上を見上げる、遥か上空に一筋の光が見える。


(結構落ちたか、崖から落ちた感じに近いな)


痛みを我慢しながら、数十分ほど進んだ時、俺の足が凍りついた。未知の洞窟。壁一面に広がるのは、見たこともない青い鉱石や黄金に輝く鉱石。まるで星空の中を歩いているみたいで、不気味だけどどこか綺麗だった。


しかし、その綺麗な洞窟の奥には巨大なトカゲのような魔獣が鉱石を食べていた。


──ボリ、ボリ、と硬い鉱石を噛み砕く、禍々しい音が洞窟内に反響している。トカゲが鉱石を噛み砕くたび、その皮膚の鱗がじわじわと銀色に変色し、より強固に硬質化していくのが見えた。


(おいおいシャレになんねーぞ、、、)


武器なし、食料なし、能力(スキル)(おそらく)なし、一文無し


(こんな化けもんに勝てるわけねぇ)


トカゲの体から銀の鱗が落ちる。あの鋭利な銀の鱗を拾えば、ナイフの代わりに使えるかもしれない。あいつが食べ残した鉱石の粉に、何か生き延びるヒントがあるかもしれない。恐怖でガタガタと震える膝を、俺は自分の両手で無理やり押さえつけた。スキルがないなら、知恵を使うしかない。俺は息を完全に殺し、トカゲの視界の死角に転がる『銀の鱗』へと向かって、静かに、慎重に地面を這い始めた。


しかしその瞬間


(ドッ)


背中に強い衝撃が走る。


俺の身体は星空のような鉱石の床を無様に転がった。割れるような背中の激痛。視界がチカチカと明滅する。痛む首を必死に動かし、背後を振り返った。


──そこにいたのは、今まさに鉱石を喰っていた、トカゲの同一個体だった。


(嘘だろ、、一匹じゃなかったのかよ、、!)


完全に油断した。もう一体いる可能性など考えたらわかることだった。だがここに落ちた時の痛みで思考は正常ではなかったのだ。現実世界のぬるい環境にいたツケが、ここに来て最悪の形で回ってきた。ここは弱肉強食の迷宮の深層。一匹の獲物がいる場所には、そのつがいや群れが潜んでいるなんて、冒険者なら常識の範疇だったはずだ。痛む背中を必死に庇いながら、俺は冷たい鉱石の床を無様に這いずった。


吹き飛ばされた先は、さっきの巨大な親玉の目の前。背後には逃げ道を塞ぐもう一匹。さらにゾロゾロとトカゲが増えていく。暗闇の奥から、無数の銀色に輝く鱗がシャリシャリと擦れ合う音が不気味に響き渡る。一対、また一対と、暗闇の中でらんらんと輝くトカゲたちの冷酷な眼光が、一斉に俺という『獲物』に照準を合わせた。彼らが吐き出す熱い息が、洞窟内の冷気をじわじわと塗り替えていく。前後左右、どこを見渡しても退路など残されていなかった。


俺が生き残る確率は、完全にゼロになった。


(コツンコツンコツン)


光の届かない暗闇の奥から、静かに歩み寄ってくる男がいた。


男の纏う銀のロングコートには、同色の銀の糸で、見たこともない複雑な模様の刺繍が全面に施されていた。それは魔術の術式か、あるいは何かの紋章のようにも見える。


(パァン!!)


突如トカゲの体が内側から同時に木っ端微塵に破裂したのだ。飛び散る銀の鱗と、濃い緑色の液体と肉片。


俺は何が起きたのか分からなかった。


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