第二十四話 ドウルトンネルへ
鬱蒼と生い茂る樹海をようやく抜け出した時、俺とステラの前に広がっていたのは、赤茶けた荒野と、その境界線に佇む無骨な石造りの街だった。忘れられた古代の迷宮へと挑む冒険者たちが最後に立ち寄る中継都市であり、荒くれ者と命知らずが集う、独特の熱気が入り混じった境界の街である。
「キューッ! 」
頭上を飛んでいたステラが、太陽の光を浴びながら大袈裟に伸びをした。
「ここからが本番だ。まずは組合長の情報を集めるのと、旅の補給を済ませよう」
俺は街の頑強な門をくぐった。樹海での死線の中、俺は自分の『異常な冷静さ』の正体を思い出した。元の世界に残してきた、俺に心をくれた唯一の人――星奈。彼女のいない世界があまりに灰色だったから、俺の心は防衛反応で凍りついていただけだった。星奈の元へ帰る。その明確な『ケジメ』がついた今、俺の脳はかつてないほど冴え渡り、精神的なブレは一切消え失せていた。まずは情報を集めるため、俺たちは街で一番大きいと言われる酒場兼宿屋『怒りの杯』の戸を叩いた。
扉を開けた瞬間、安酒の臭いと肉の焼ける煙、そして男たちの怒号に近い話し声が押し寄せてくる。
「おいおい、見ろよ。また死ににきたようなガキが街へ迷い込んできたぜ?」
「おい坊主、ママのミルクが恋しくなったら今のうちに帰るんだな!」
カウンターに座る大柄な冒険者たちが、俺の姿を見て下品な笑い声を上げる。ソライヤの壊滅的な戦闘を経験し、さらに樹海を無傷で突破してきた俺からすれば、彼らの挑発などそよ風にもならなかった。俺は彼らを完全に無視し、カウンターの店主にアテナ王女から貰った『国章』を、他の客に見えないよう手元で一瞬だけ提示した。
「――っ!?」
店主の目が、恐怖と驚愕で丸くなる。国章が持つ権威は、この辺境の街でも絶対だ。店主はすぐに声を潜め、俺を奥の個室へと案内した。
(おいおい、あの店主の怯えようはなんだ。あの可愛なアテナ王女の権力、裏ではどれだけすげーんだよ……)
「お、驚かせないでくだせえ、特使殿……。国章をお持ちということは、王女との知り合いですよね……?」
「形式的な挨拶はいいですよ。俺はソライヤの組合長を追ってきた者です。彼は今、どこにいますか?」
俺の冷徹な問いかけに、店主は額の汗を拭いながら答えた。
「ソライヤの組合長ですかい? ええ、三日前にこの街を通過されました。ですが……様子が異常でした。通常の迷宮調査にしちゃあ、まるで『戦争』にでも行くような血相で向かわれましたよ」
「戦争、か」
店主の話によると、数日前から忘れられた古代の迷宮周辺で、不気味なフードの集団――ソライヤを襲った「パンドラ」や「イシス」の組織と思われる連中の目撃情報が相次いでいたらしい。組合長は彼らの企みを察知し、叩き潰すために出陣したのだ。
「さらに、これは噂ですがね……。そのフードの連中、迷宮の奥で何か企んでるらしいんです。それが成功しちまうと、この辺り一体の空間が引き裂かれ、何が起きるか分からねえって……」
「世界の境界を歪める魔法……」
その言葉に、俺の胸がドクンと大きく跳ね上がった。空間を、世界の境界を歪める。それは、俺が現実世界へ帰るための『手がかり』そのものではないのか。
「情報に感謝する。これを受け取ってくれ」
俺はフガルマから路銀として渡されていた金貨を数枚、テーブルに置いた。個室を出ようとしたその時、ガシャーン! と激しい音が酒場に響き渡った。先ほど俺を挑発していた男たちが、地元の若い行商人の胸ぐらを掴み、商品を床にぶち撒けて怒鳴り散らしている。
「おい、このポーション、偽物じゃねえか! 命がかかってんだよ、舐めてんのか!」
「ひっ、そんな、それはちゃんとした教会公認の……!」
周囲の冒険者たちは関わり合いを恐れて見て見ぬ振りをしている。普段の俺なら、他人のトラブルなど一瞥して通り過ぎていただろう。感情が欠落していた頃の俺なら、合理的ではないと判断して無視した。だが、今の俺の胸には、星奈を想う『人間としての心』が確かにある。理不尽に怯える若者の姿が、どこか過去の自分たちに重なった。
「……ステラ。三分で片付ける」
「キュ!」
俺は迷いなく、暴力を振るう大男の背後へと歩み寄った。
「な、なんだテメェ――」
「静かにしろ。命がかかっているのは、今のお前の方だ」
俺の瞳に宿る、異常なまでの冷徹さと、プレッシャーが酒場全体を威圧する。男は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「商品を弁償し、その男に謝罪して失せろ。次はない」
俺の放つ圧倒的な異常者のオーラに気圧され、男たちは捨て台詞すら吐けずに金を叩きつけ、逃げるように酒場を飛び出していった。若同行商人にお礼を言われる暇もなく、俺は補給用の食料と水を買い込み、宿の一室へと向かった。ベッドに腰掛ける。組合長に会うため、そして元の世界へ帰る手段。二つの目的達成に必要な場所が『忘れられた古代の迷宮』へと繋がった。
「待ってろ、星奈。俺は必ず、お前のいる場所に帰る」
境界の街の夜は更けていく。俺の胸には、明日からの戦いに向けた、静かで熱い決意が満ちていた。
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翌朝。境界の街を包む朝靄が明ける前に、俺とステラは宿を発った。目指す『忘れられた古代の迷宮』があるエリアに向かうには、岩山を大きく貫く巨大な『ドウルトンネル』を潜り抜ける必要がある。意外なことに、そのトンネルへと至る道中は、拍子抜けするほど平和だった。樹海で見舞われたような凶悪な魔獣の急襲もなく、時折、街道の脇を大人しい草食性の野生動物がのんびりと横切っていく程度だ。赤茶けた荒野を照らす朝日は暖かく、吹き抜ける風もどこか心地いい。
「キュ〜」
ステラは、俺の肩に乗ってふわふわと楽しそうに浮かんだ。
しかし、平和だった街道の空気が、徐々に張り詰めたものへと変わっていく。行く手に遮るようにそびえ立つ、巨大な岩壁。その中央に、まるで巨人の怪物が大口を開けているかのような、無骨で巨大な『トンネル』の入り口が姿を現した。――街の店主の言葉が脳裏をよぎる。組合長が、戦争に行くような血相でこの先へ向かったということ。そして、組織の連中が迷宮の奥で何かを企んでいるということ。
ステラが肩から飛び立ち、警戒の眼差しで暗いトンネルの奥を見つめる。肌を刺すようなピリピリとした大気の震え。これは、高密度の魔力が残留している証拠だ。それも、おぞましく歪んだ、あの組織の人為的な魔力の残滓。平和な道中は、ここまでだ。この暗闇を抜けた先には、間違いなくあの組織の陰謀と、組合長が待つ迷宮がある。
「よし、行くか……」




