第二十一話 組合長(ギルドマスター)に会いに
丸二日間の昏睡から目覚め、組合での会議を終えた翌日。俺は、ジンとステラを連れて、ソライヤの街外れにある組合の病室を訪れていた。
「……おう、ガキども。生きてやがったか」
ベッドの上で上半身を起こし、豪快に鼻を鳴らしたのは、最強の鍛冶師フガルマだった。魔力を限界まで酷使する固有能力『鍛冶神』の反動で強制休暇中のはずだが、その眼にはすでに職人としての鋭い光が戻っている。
「フガルマさん、身体はもういいんですか?」
「舐めるな、これくらい一晩寝れば元通りだ。それよりジン、お前……ワシの最高傑作にヒビを入れやがって。あと一回で崩壊するだと? 職人泣かせのバカ野郎め」
フガルマは苦言を呈しつつも、どこか嬉しそうにジンの腰の刀を見つめた。イシスの唐傘を両断した男の戦いを、誇らしく思っているのだろう。
「すいません、フガルマさん。でも、次の一回は、ここぞって時まで絶対に抜かないって約束します」
「フン、当然だ。……おい、シンリ。お前はナイフを完全に粉々にしやがったな。パンドラとかいうやつのチート能力相手に生きてるだけで奇跡だが……今のワシの魔力じゃ、すぐに新しい武器は打てん。代わりに、これを持って行け」
フガルマがベッドの脇から取り出し、俺に放り投げてきたのは、無骨な黒い鞘に収まった一本の新しい小刀だった。
「それはワシが昔、退屈しのぎに打った頑丈だけが取り柄の鉄の塊だ。魔力伝導もクソもねえ。だが、そんじょそこらの魔物の牙じゃ傷一つ付かねえぞ。……禁断の魔法書の力に頼りすぎるなよ、シンリィ」
「はい……ありがとうございます。大切に使わせてもらいます」
俺はフガルマ特製の小刀を腰に下げた。武器を失った俺にとって、これ以上ない頼もしい相棒だ。
「それとフガルマさん、あんたに預けたい」
俺は、古びた麻布に包まれた物体を、そっと机の上に置いた。慎重な手つきで結び目を解くと、中から現れたのは、騎士団長の剣だった。
「……これは、お前が直したい剣だったな」
「ああ。直してくれとはまだ言わない、だが……預かっといて欲しいんだ」
折れた刃の断面を指先でなぞり、それから顔を上げた。
「今の俺には、この剣の重みに耐えられるだけの腕も、覚悟もない。持っていれば、ただの感傷に囚われるだけだ。だから、ここに預けていく。いつか俺が、この刃の続きを継ぐにふさわしい男になったとき――もう一度、こいつに新しい命を吹き込んでくれ」
フガルマはしばらく黙っていたが、やがて腕を伸ばし、折れた剣を布ごと抱え上げた。
「分かった。お前が帰るまで、火の傍で眠らせておこう」
―数時間後。ソライヤ共和国の巨大な城門の前。
「ケホッ、ケホッ……。本当に、もう行ってしまうのね」
まだ高熱の余波で顔を少し赤くしたテンシさんが、大きなコートに身を包みながら、俺たちの見送りに来てくれていた。
「ああ。テンシさんこそ、風邪なんだから無理して出てこなくてよかったのに」
「組合長の秘書官としての執念よ。……これ、あのマスターが滞在している迷宮の地図。ソライヤの北にある、危険な場所よ」
テンシさんから古びた羊皮紙の地図を受け取る。
「マスターは現在、そこで破壊神アヌビスの動向を直接調査しているわ。……アテナ王女の国章を持ったあなたたちなら、最深部の祭壇で、必ずあのお方に会えるはず。気をつけてね、シンリ様」
「ありがとう、テンシさん。街の復興、ジンと一緒に手伝えなくて悪い。……行ってくる」
「ああ、ソライヤのことは俺たちに任せて、シンリとステラは前へ進めよ」
後ろで腕を組んだジンが、不敵に笑って俺の背中を叩いた。
「キュキュ…!」
言葉は通じないが、フワフワと宙に浮くステラも、小さな身体をいっぱいにつかって胸を張るようにアピールしていた。俺は右手にしっかりと握られた本の重みを感じながら、ソライヤ共和国の門をくぐった。ジンの刀の寿命は、あと残り一回。俺の武器は、魔力を通さないただの鋼鉄のナイフ、使い込んだ炎の魔法書。そして手に入れた、扱い方もわからない謎の超空間魔法の魔法書。満身創痍で、かつてないほど制限だらけの危うい状態のまま、俺たちの破壊神アヌビスの脅威に立ち向かう新たなる旅――組合長の待つ迷宮への道が、いま幕を開けた。
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俺はテンシさんから受け取った古びた羊皮紙の地図を懐にしまい、ソライヤ共和国の巨大な城門をくぐった。俺たちの前に広がったのは、砂漠とは完全に真逆の舞台。天を突くような巨木が乱立する、薄暗く湿った広大な『緑の樹海』。そして、その奥にそびえ立つ、切り立った断崖絶壁の峡谷地帯だった。
「……さて、と言いたいところだけど」
俺は、歩幅を緩めて隣をフワフワと浮遊している小さな相棒を見た。
「キュー?」
不思議そうに俺を見上げてくるステラ。透明化してパンドラの攻撃を避けまくり無傷だったあのチートな『運350』の持ち主だが……現状、俺とステラは言葉を交わすことができない。
「ステラ、とりあえず組合長のいる迷宮を目指すわけだけど……今更だが言葉が通じないのは、やっぱりちょっと不便だな」
「キュ、キュー!」
ステラは何かを主張するように、俺の頭の上へとフワリと着地した。どうやら「私に任せて!」とでも言いたいらしい。言葉は通じなくても、なんとなく意思が伝わってくるのは、あの激戦を共に生き延びた絆のおかげだろう。歩きながら、俺は右手の本を開いてみた。
(パンドラ戦の時は無意識で発動したけど……これ、どうやって使うんだ?)
意識を本に向けて、測定不能の魔力を少しだけ流し込んでみる。本が黄金の光を帯び、ページがパラリと捲れた。
「――っ」
空間が、ほんの少しだけ歪む。俺の目の前、わずか数センチメートルほどの虚空がぐにゃりと捩じれ、小さな『空間の穴』が開いた。しかし、維持できたのはほんの一秒。すぐにパチンと弾けるように消滅してしまう。
(なるほど……今の俺の魔力50じゃ、空間を数センチ歪めるのが限界か。実戦で使うには、やはり死にかけの状態に発動する大量の魔力が必要か……)
しかし、本にはパンドラ戦の負荷による無数の亀裂が走っている。フガルマのオッサンからは、「その魔法書は、あと残り一回の使用で完全に崩壊する」と宣告されていた。元の世界に帰るための、唯一の手がかり。こんな見知らぬ土地の道中で、最後の貴重な一回を消費するわけには絶対にいかない。
(だったら、まだ扱い慣れる炎魔法を、ステラの運で補って使うしかない……!)
その時だった。ガササササッ!!! と、周囲の巨木の茂みが激しく揺れた。「キュッ!?」頭の上のステラが浮き上がる。緑の闇の向こうから姿を現したのは、毒々しい紫色の体毛を持つ巨大な猿の魔物――『凶暴猿』の群れだった。その数、およそ五頭。俺の武器は魔力伝導ゼロのただの硬い鉄塊。そして、ステラの運を借りた強力炎魔法。
「言葉は通じなくても、やることは一つだな、ステラ。――行くぞ!」
俺はフガルマの小刀を逆手に構え、地面を強く蹴り出した――。




