第二十話 会議
冥王の二大使い魔、パンドラとイシスがソライヤの街から排除されて、数時間が経過した。夜が明け、朝の光が照らし出したソライヤの街は、凄惨なものだった。パンドラの放った雷と炎魔法、シンリとステラの爆炎、そしてテンシの重力操作がぶつかり合った結果、街のあちこちの建物が半壊し、瓦礫の山が築かれている。幸いだったのは、テンシの重力操作による迅速な避難誘導とジンの乱入のタイミングにより、街の住人に死傷者が一人も出なかったことだ。だが、その奇跡の代償は、あまりにも大きかった。
今回の事件における重症者は、ただ一人――シンリ。背中を覆う大火傷。そして、パンドラの一撃を至近距離で浴びた衝撃による、内臓の一部の負傷。『リネアエディメンショナル』がもたらした黄金の光によって命の危機こそ脱したものの、シンリは未だベッドの上で深く気絶したままであった。その他の面々も、お世辞にも無事とは言えなかった。
最強の鍛冶師フガルマは、ジンの刀を完成させるために固有能力『鍛冶神』を限界を超えて酷使したため、全身の魔力と体力を使い果たして強制的な長期休暇に入っていた。
「……ケホッ、ケホッ。……ジン様、そっちの瓦礫の撤去、お願いできますか?」
「ああ、任せとけ。テンシさんこそ、それ以上動いたら本当に倒れるぞ」
組合のオフィス兼救護室では、秘書のヒソナ・テンシが青白い顔で額に手を当てていた。最大出力の重力魔法を連続で使い、魔力を限界まで酷使した彼女は、急激な免疫力低下によって酷い風邪を引き起こしていた。しかし、組合長が不在の今、街の人民を落ち着かせ、復興の指揮を執れるのは彼女しかいない。テンシは熱でふらつく身体を必死に支え、書類に目を通していた。その隣で、泥と汗にまみれながら重い瓦礫を運んでいるのはジンだ。ジンもまた、工房でのイシスとの死闘により内臓の一部を負傷していたが、魔力が身体に残っていたため、負傷を押して街のために泥臭く働き続けていた。
「ジン様も……ケホッ、休んでください……」
「大丈夫。シンリが命懸けで守った街だからな。これくらい、なんてことねえよ」
ジンは痛む脇腹を押さえながら、不敵に笑って再び瓦礫へと向かう。ちなみに、透明化してシンリに本を届けたステラだけは、かすり傷一つない完全な「無傷」だった。彼女は現在、申し訳なさそうにしながらも、ベッドで眠るシンリの看病に専念している。ソライヤの街の復興、人民の混乱の鎮静化。誰もが満身創痍のなか、街のために必死に動き続けるジンとテンシ。そして、最大の功労者であるシンリが目を覚ますのは、それから丸二日が経った後のことだった。
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二日後――
「気がついたか、シンリ」
ソライヤの組合内にある、臨時の会議室。丸二日間の昏睡からようやく目覚め、まだ少し気怠そうに身体を起こしたシンリの前に、満身創痍の面々が集まっていた。脇腹を押さえたジン、額に冷却シートのようなものを貼ってケホケホと小さな咳をするテンシ、そしてシンリの無事を心底ホッとした表情で見つめるステラ。フガルマだけは魔力枯渇の治療のため、まだ別の部屋で眠っているらしい。
「みんな……ごめん。あの後どうなったんだ……?」
「心配しましたよ、シンリ様……。でも、まずは無事でよかった」
テンシが熱の帯びた声で、しかし安堵の笑みを浮かべて机の上にいくつかの書類を並べた。
「シンリ様も動けるようになったことだし、今回の『ソライヤ襲撃事件』の被害と状況を一度まとめましょう。ジン様、報告をお願い」
ジンは深く頷くと、険しい表情で口を開いた。
「まず、俺たちの武器の状況だ。まぁ……最悪と言っていい」
ジンが机の上に差し出したのは、黒色の金属片の山――かつてフガルマの最高級魔鉱石を宿していた、シンリの小刀の成れの果てだった。
「シンリ、お前の小刀はパンドラの雷魔法の直撃に耐えきれず、完全に粉々だ。そして、俺の刀だが……」
ジンが腰の刀を少しだけ抜く。フガルマによって神話級に覚醒し、イシスの唐傘を叩き切った美しい刀身。しかし、その表面には、無数の細かな亀裂が走っていた。
「フガルマのオッサンが無理やり仕上げてくれた反動だ。この刀は、あと残り一回の使用で完全に崩壊する」
「一回、か……。使い魔の恐ろしさが身に染みるな」
シンリが苦笑交じりに自身の右手を見る。そこには、天から降ってきた黄金の本が静かに鎮座していた。武器を失った代償に手に入れた、新たなる禁断の魔法書らしい。しかし、少しボロボロになっており、こちらも残り一回のように思えた。
「次に、街の被害状況について。テンシさん、頼む」
「ええ……。パンドラとイシスが暴れた結果、ソライヤの路地裏からフガルマ様の工房まで、半径1キロメートルがほぼ崩壊したわ。幸い、死傷者はゼロ。重症者は内臓を負傷したシンリ様とジン様、そして魔力枯渇のフガルマ様だけよ」
半径1キロの消滅。災害級だ。しかし、このメンバーがいなければ、ソライヤ共和国そのものが滅んでいたかもしれない。
「そして最後に……一番重要な、事件の内容と犯人の目的についてです」
テンシが書類を指先でトントンと叩き、声を潜めた。
「ナララク大陸の破壊神、その名は『アヌビス・ラーンズ』」
「アヌビス……」
シンリがその不吉な名を反芻する。
「ええ。破壊神アヌビスの目的は、このナララク大陸そのものの完全な破壊。そのために、ここソライヤ共和国へパンドラとイシスという『二体の使い魔』を送り込んできた。目的は街の壊滅、そして――シンリ様、あなたが今持つ『禁断の魔法書を使える体』の利用あるいは破壊よ」
会議室に、重苦しい沈黙が流れる。パンドラとイシスは『リネアエディメンショナル』によってどこかへ強制転移させたが、倒したわけではない。そして、背後にいるのは大陸を滅ぼす破壊神アヌビス。武器は失われ、ジンの刀もあと一回しか振るえない。
「……上等だ。大陸を滅ぼさせないのはもちろんだけど、俺には絶対やらなきゃいけないことがあるんだ。破壊神だろうが使い魔だろうが、邪魔するなら次こそ完全にブチのめす」
俺の不敵な言葉に、ジンがニヤリと笑い、テンシもどこか嬉しそうに微笑む。
「それにしても……」
手元の禁断の魔法書を見つめながら、首を傾げた。
「なんで、そんな絶体絶命の瞬間に、空からこれが落ちてきたんだ? ステラが運んで発動してくれたとはいえ、降臨したタイミングが良すぎる。まるで、誰かが俺たちのピンチを遠くから見ていて、ピンポイントで送り届けてくれたみたいだ」
俺の素朴な疑問に、ジンも「確かに、都合が良すぎるよな」と腕を組んで考え込む。その瞬間だった。テンシの、書類をめくる指先がピクリと不自然に止まった。彼女は、前髪の影に隠れた瞳をわずかに泳がせ、それから何かを誤魔化すように、口元に手を当ててケホケホと小さく咳をしてみせる。
「テンシさん? 風邪、まだ辛いなら無理しなくて……」
「いいえ、大丈夫よ、シンリ様。……そうね、あの本が降ってきた理由は、今のギルドの調査能力ではまだ何とも言えないわ。……偶然、アヌビスの魔力の歪みに引き寄せられたと考えるのが、今のところは自然じゃないかしら?」
テンシは顔を上げると、いつもの有能な秘書官の笑みを完璧に浮かべてみせた。だが、彼女の手は、デスクの下で静かに、きつく握りしめられていた。視線はシンリではなく、そのさらに奥――ソライヤ共和国から離れた、とある『方角』へと一瞬だけ向けられ、そしてすぐに目を背けた。
「キュ……?」
ステラだけが、その一瞬の違和感に気づき、不思議そうにテンシの横顔をじっと見つめていた。テンシのその態度の理由は、本人以外には知る由もない。テンシは小さく息を吐くと、机の上の書類を綺麗にトントンと揃え、何食わぬ顔で会話を次の議題へと進めた。
「とにかく、使い魔たちの目的はアヌビスによる大陸破壊、そしてシンリ様の持つ魔法書です。原因がどうあれ、戦力が手に入ったのは事実。私たちは次の一手を考えなくてはなりません」
彼女の徹底した『沈黙』により、降臨した禁断の魔法書の真の出処は、深い霧の向こうへと隠されることとなった。しかし、その不自然なほどに綺麗な幕引きこそが、これから始まるさらに大きな渦の予兆であることに、まだ誰も気づいてはいなかった――。




