第十八話 刀と傘
――時間は少し遡り、ソライヤの街がパンドラの爆炎に揺れる前のこと。
炉の炎が爆ぜる音が、絶え間なく工房から響いてくる。カン、カン、カン、と。最強の鍛冶師フガルマの工房には、心地よい鉄を叩く音が響き渡っていた。あの中で、俺のために一本の刀が打たれている。鉄を叩き、鍛え、研ぎ澄ます――その気の遠くなるような時間を、俺はただ外の濡れ縁に腰掛け、じっと待つことしかできなかった。
見上げた空は、不気味なほどに静まり返っている。
「……おい、ガキ。もうすぐ仕上がるぞ。大人しく待ってな」
炉の熱気に照らされながら、フガルマが眼を細めてジンの『刀』を仕上げていく。刀身は最高級の魔鉱石とフガルマの魔力によって、見たこともない神話級の気迫を帯びつつあった。
「ありがとうございます、フガルマさん。……シンリのやつ、テンシさんの手伝い、上手くやってるかな」
シンリのステータスに刻まれた『運3』という数字は、ただの不運という言葉では片付けられない。まるで世界そのものから嫌われているかのように、平穏な日常に突如として災厄の亀裂を入れる、絶望的な呪いに等しかった。そして今、何か大きな運命の歯車が、最悪の方向へ回り始めているような、冷たい汗がジンの背筋を伝った。
そんなジンの焦燥を知ってか知らずか、背後の炉からは、パチパチと魔力が爆ぜる冷徹な音が響き続けている。 フガルマの眼光は、完全に職人のそれへと変貌していた。最高級の魔鉱石が熱で融解し、フガルマ自身が注ぎ込む膨大な魔力と混ざり合っていく。それはすでに、一本の「武器」という概念を超越していた。凄まじいプレッシャーが工房の空気を歪ませ、ジンの肌をチリチリと痛烈に刺激する。
――あと少し。あとほんの少しで、この刀が完成する。しかし、その時。
ピシリ、と。
窓の外の夜空で、何かが「割れる」ような、奇妙な高音が響いた。
「……ッ!?」
ジンが窓に駆け寄り、夜の帳を見下ろす。
来る。
ガガガガガギィィィィィンッッッ!!!
突如、工房を保護していた一級品の防御結界が、ガラスのように粉々に砕け散った。それと同時に、呼吸すら困難になるほどの、底冷えするような禍々しいプレッシャーが室内に流れ込んでくる。
「チッ……! 誰だぁ! ワシの聖なる工房に踏み込んできた命知らずは!」
フガルマがハンマーを握り直し、鋭い怒声を上げる。ジンも即座に、まだ強化途中の未完成の刀に手をかけ、入り口の闇を睨みつけた。爆煙と土煙を掻き分けてゆっくりと姿を現したのは、異様な気配を纏った『フードの男』だった。
「おやおや。パンドラが面白いものを見つけたと報告してきたから、どんな奴やと思えば……。少年は留守のようやな」
男はケッケッと不気味に笑いながら、蛇のような冷徹な瞳でジンとフガルマを見据えた。
「私の名はイシス。冥王の使い魔であり、主の復活の障害となる『最強の鍛冶師』……そして、仲間であるあなたを殺しに来ました」
イシスの身体から、工房の床をベキベキと陥没させるほどの、圧倒的な闇の魔力が膨れ上がる。シンリが路地裏でパンドラと対峙していたその裏で、ジンもまた、武器が完成していないという最悪の状況のなか、世界の崩壊を望む『第二の絶望』と命懸けの死闘を繰り広げようとしていた――。
ジンが地を蹴り、工房にあった刀を取り、一閃させた。目にも留まらぬ超高速の踏み込み。
パキィィン、と。イシスがただ指先を軽く払っただけで、ジンの放った渾身の一撃は、目に見えない漆黒の闇が飲み込んだ。
次の瞬間、イシスが空でデコピンすると、ジンの両腕の骨が軋み、凄まじい力で後方へと吹き飛ばされる。
「くっ……、あぁっ!?」
「ガキィ!!」
フガルマが叫ぶ。瓦礫に背中を叩きつけられたジンは、驚愕に目を見開いた。
(何だ今のは……! 攻撃が当たらなかった……!?)
「私の前で、刃を向けるなど不遜やね。……パンドラは随分と人間相手に手こずっているようですが、私は一瞬で終わらせましょう」
ズズズ……と、イシスの胸元から這い出るようにして、不気味な『傘の紋章』が黒く浮かび上がってくる。紋章が禍々しい闇の魔力を放ちながら実体化し、イシスの右手に収まったのは、どこか東方の異国を思わせる一本の古びた『傘』だった。
「――っ、何だその武器は……!」
ジンが警戒を強める。ただの傘ではない。その傘からは、それ自体が巨大な意思の塊であるかのような、圧倒的な威圧感が放たれていた。
『“唐傘”……攻防一体の武器。……さて、どれほど耐えられるでしょうか」
イシスが不敵に笑い、唐傘をわずかに傾けた。その瞬間、ジンの戦闘センスが最大級の警報を鳴らす。
「舐めるなよ、クソ野郎がッ!!」
ジンが地を蹴り、再び工房にある刀を一閃させた。フガルマの工房の床を爆ぜさせながら、目にも留らぬ超高速でイシスの首元へと肉薄する。しかし、男は一歩も動かない。ただ、手にした唐傘を『パッ』と、静かに開いた。
ゴッ………、、、
バキィィィィィンッッッ!!!
ジンの放った渾身の斬撃が、開かれた唐傘の薄い紙の表面に接触した瞬間、まるで鉄壁の城壁にぶつかったかのような凄まじい衝撃がジンを襲った。男の持つ唐傘は、ジンの刃を完全に無傷で受け止めたのだ。
(何だこの硬さは……!? 刀の威力が全部、完璧に弾かれてる……っ!)
「守るだけだと思いましたか?」
男が冷徹に呟き、開いた唐傘を閉じる。次の瞬間、イシスが傘を突き出す。
「ぐ、あぁぁっ!?」
衝撃波を浴びたジンは、凄まじい力で後方へと吹き飛ばされ、工房の頑丈な石壁に背中を激しく叩きつけられた。ガラガラと瓦礫が崩れ落ち、ジンの口から苦悶の息が漏れる。
刀を握り直しながら立ち上がるジンは、冷や汗を流しながら目の前の怪物を睨みつけた。この男の持つ『唐傘』は、物理も魔術もすべてを受け流し、そのままカウンターとして攻撃する『攻防一体』。
(この強さ、本当にただの『使い魔』なのか……!?)
イシスが再び、先端をジンの心臓めがけて真っ直ぐに向けた、その時だった。
「――ワシの工房で、好き勝手抜かしてんじゃねえぞ、ゴラァッッ!!」
地響きのような怒号と共に、工房の奥から凄まじい熱量が爆発した。飛び出してきたのは、――最強の鍛冶師フガルマ。その両腕には、手にした身の丈ほどもある巨大な鍛冶槌が太陽のように赤く輝いている。フガルマはジンの前に割って入ると、その体をねじり、男の頭上めがけて巨大槌を容赦なく振り下ろした。
「“神鉄炎槌”――ッ!!」
超重量の質量と、すべてをドロドロに溶かす超高熱の炎が合わさった極大の一撃。
「ほう」
男は小さく呟くと、再び『唐傘』をパッと開いて頭上に掲げた。フガルマの巨大槌が、唐傘の薄い紙の表面へと叩きつけられる。
ドガァァァァァァァァァンッッッ!!!
工房が丸ごと吹き飛ぶほどの衝撃と爆炎が巻き起こり、周囲の瓦礫が熱量で一瞬にしてガラス状に融解していく。しかし、男の持つ唐傘は、最強の鍛冶師の全開の一撃すらも、軋む音一つ立てずに受け止めてみせた。
「無駄ですよ。この唐傘の前では、あらゆる熱量も、質量も――」
「――誰が無駄だって言ったぁ!!」
フガルマがニヤリと笑う。最強の鍛冶師の狙いは、イシスを直接潰すことではなかった。フガルマが巨大槌をさらに強く押し込むと、槌に宿っていた『鍛冶の炎』が唐傘の表面を伝い、イシスの足元の地面へと一気に流れ込んだ。
ドゴゴゴゴゴ……ッ!!
男の周囲の床がドロドロのマグマのように溶け落ち、足場が完全に消失する。
「っ……!?」
「今だ、ガキィ! こいつの『攻防一体』の意識が、上と下に分散したぞ!」
「おおおおおっ!!」
フガルマが作ってくれた、一瞬の隙。ジンは痛む身体を無理やり突き動かし、まだ工房にあった刀を両手で強く握りしめ、足場を失ってわずかに体勢を崩した男の死角めがけて、神速の突きを放った――
(普通の斬撃が届かないなら……空間ごと、抉り切る……ッ!)
「ハァァァァッ!!」
ジンは刀を突き出し、自身の持つ最大の切り札を発動した。
「――『位相鏡』ッ!!」
キィィィン、と空間がガラスのようにひび割れる音が響く。ジンの放った刃は、物質的な距離を無視し、男の首元へと『空間の位相をずらして直接出現する』という絶対不可避の次元攻撃だった。どれほど強固な盾があろうと、空間の隙間を抜けてくるこの一撃は防げない。勝った――そう確信した刹那。
パキィィィィィンッッッ!!!
ジンの放った『位相』の刃は、男の肌に触れる直前、再び現れた目に見えない漆黒の闇が飲み込んだことよって、完璧に相殺される。
「なっ……空間をずらした一撃すら、防がれた……っ!?」
ジンが驚愕に目を見開く。
「惜しかったですね。ですが、この唐傘以外にも、技があると考えるべきでしたね」
イシスは傘で空中を浮遊しながら、冷徹な瞳でジンを見下ろした。フガルマの溶岩も、ジンの位相攻撃も、すべてを無に帰す絶対的な絶望。
「ぐ、おっ……!?」
唐傘がわずかに回転した瞬間、今度は空間そのものが爆ぜるような衝撃波。ジンは刀を手放し、血を吐きながら工房の壁へと深く叩きつけられ、ついに動けなくなってしまう。
「!! ……おのれぇっ!」
フガルマが再び巨大槌を構えようとするが、男の唐傘の先端から強烈な突風のような一撃が、フガルマの肩を貫いた。
「が、はっ……っ!」
「これで終わりやな。ナララク大陸の崩壊に、あなた方の席はありません」
イシスが唐傘を静かに開き、二人を完全に消し去るための魔力をチャージし始める。武器は未完成、最強のコンボも破られ、フガルマもジンも満身創痍。ソライヤの街の裏で、ジンたちはまさに命の灯火が消えかけるほどの、本当の絶体絶命に追い詰められていた――。




