4話 鳳凰寺家のお屋敷①
夕映えの街を、灰音らを乗せた車が走る。
車窓から見える川には、夕日を反射したオレンジの光がゆらゆらと揺れている。
「…………」
灰音は黙ったまま、隣に座っている青年の顔をうかがい見た。彼の黄金色の瞳も、今は夕日色に見える。彼はむっすりとした表情で、何かを考えているようだ。気軽に話しかけられるような雰囲気ではなかった。――先ほど優しそうに見えたのは、勘違いだったのだろうか……。
黒塗りの車の車内にいるのは、灰音、青年、それから運転手の三人だった。彼らは特に話さず、車内には車のエンジン音だけが響いている。
車なんて、初めて乗った。あるのは知っていたが、父や紅葉は「馬車の方が優雅に見える」とよく言って、乗らなかったのだ。しかし、ずいぶんと速いスピードで進む。
(もう、だいぶ遠くへと来たんじゃないかしら……?)
普段通らない道を通っているらしきことだけはわかる。そうして窓の外をぼんやり眺めていると、
「――お前には、アレが見えていたんだったな?」
「え、あ……はい」
灰音はびくりとして彼の方へ顔を向けた。
青年はこちらをまっすぐ見ており、その真剣な表情に思わず唾を飲む。
アレ、とは……がしゃどくろのことだろう。灰音は頷いた。
彼は金色の目を細めると言った。
「では、お前はどこかの祓い屋の家なのか? ――俺の名は鳳凰寺斎。お前は?」
「ほうおうじ……いつきさま……」
灰音には、その名前は聞き覚えがあった。祓い屋の名家中の名家、千年前から続く祓い屋の始祖御三家のうちのひとつ、鳳凰寺家。そこの若き当主の名だったはずだ。
(あんな大きな妖怪を一撃で燃やしてしまうなんて、すごい能力だと思ったけれど、まさか鳳凰寺家の当主さまだったなんて……)
祓い屋には階級がある。国からの依頼を受け国内に結界を張ったり、強力な妖怪を払うことのできる一族は、〈上級位〉の御三家と呼ばれる。御三家の補佐をする〈中級位〉が三十家ほど。一般の依頼――「どこどこの家に妖怪が住み着いたので祓ってほしい」というような依頼を解決しに行くのは〈下級位〉で、甘露桜家はこのうち、下級位であった。
「あの、わたしは甘露桜灰音と申します」
「甘露桜家……。では、封印壺は持っていなかったのか?」
「……ご存じなんですか?」
「ああ。大体の祓い屋の情報は知っている」
「そう、ですか……」
さすが鳳凰寺家のお方だ、と思うのと同時に、
(じゃあ、甘露桜家の無能のことも、ご存じ……かしら……)
灰音はそわそわと指先をすり合わせた。
甘露桜家には無能がいる。だけど、それが目の前の少女だとは気づいていないようだ。
「確か、甘露桜家は下級位の中でも式神を扱うことも出来れば、妖怪を封印する力もあると聞いている。がしゃどくろの封印は難しいとしても、多少は戦える家だと思っていたが」
彼の言うとおりだ。お父さまや、ちゃんと式神を連れている時の紅葉なら――あんな捕まるなんて体たらくにはならなかっただろう。……だからこそ、紅葉に期待が掛けられているとも言うのだが――。
灰音は消え入るような声で、俯きながら説明した。
「あの、……わ、わたしは……その……無能でして……」
自分で口にすることの、なんと情けないことか……。
「妖怪祓いの能力があるのは、妹と弟だけなんです。わたしには、なんにもありません……。だから封印壺も、扱えません。今日も、妹といっしょにいたのですが……妹は無事に家に戻れたと思います。わたしだけが、捕まってしまって……」
「……そうか」
(ああ、これで彼も……)
いつもの嘲笑を予感しながら、灰音はそろりと顔を上げ、彼の様子をうかがった。
すると、目が合った青年は――鳳凰寺斎は思いがけず微笑を浮かべた。
「ではなおさら、俺が助けられて良かった」
「え……」
驚いて、目を見張る。斎は今まで真剣な――真顔に近い顔をしていたので、なおさらだ。
それに。
(ああ、「例の甘露桜家の無能が君か」と、言われると、そう思ったのに――)
灰音は思わず目を逸らしてしまい、少し赤くなった頬に手をやるのだった。
その後、車内でがしゃどくろとの遭遇の経緯などを聞かれ、灰音は自分の見たままを話した。
そうしているうちに車はどんどん走り、やがて高台にある一軒の屋敷の前で止まった。ここが鳳凰寺家らしい。来るのは初めてだった。
「着いたぞ」
「は、はい」
斎に声をかけられ、灰音は頷いて車を降りる。そして、目の前にそびえ立つそれを、息をのんで見上げた。
それは、大きな朱塗りの門だった。周囲を照らす夕映えと相まって、その朱色は鮮やかで眩しいほどだ。重そうな門がゆっくりと開いていき、そうして現れたのは広い庭園と、その奥に立つ五棟からなる純和風の大きなお屋敷だった。屋敷の周囲は長い塀で囲まれており、どこまでが鳳凰寺家の敷地なのか、入り口からは把握できない。
(すごく広いお屋敷……)
灰音がほぅ……と屋敷を眺めていると、斎が言った。
「ほら。早くしろ」
「え?」
彼は、両手を広げている。――まさか……。
「足が痛むんだろ?」
「い、いえ……! 大丈夫です。歩けます……!」
「遅いのは嫌いだ」
そう言って斎は、有無を言わせず灰音を抱きかかえてしまった。お姫様抱っこで、紅梅の咲く庭を歩いて行く。
彼の胸板が灰音の頬に触れ、その温もりに体がこわばってしてしまう。嫌なわけではない。ただ、困惑というか――慣れないというか――耐性がないというか。断ることも降りることも出来ず、灰音はただ顔を赤らめるだけだった。
当主の帰りに気づいた使用人が、屋敷に一度戻り、今度は複数人になって出てくる。人数は五人で、それぞれ男性は作務衣、女性は給仕エプロン姿だった。
斎は玄関前まで歩いてから、灰音を地面へと下ろす。
使用人らは斎の前で整列すると、揃ってお辞儀をした。
「当主さま、おかえりなさいませ。そちらのご令嬢は?」
「甘露桜家の灰音嬢だ。報賽通りでがしゃどくろが現れて、彼女はそれに巻き込まれた。医者を呼んでやれ」
そしてチラと薄汚れた灰音を見てから、
「それから、風呂の準備も」
「かしこまりました。しかし、そんな大妖怪に襲われても無事だったなんて、さすがは甘露桜家のご令嬢ですねぇ」
そう言って使用人のひとり――五十代ほどの女性が言って、感心したように灰音を見た。
その視線に、慌てて灰音は首を振る。とんでもない思い違いをされてはいけない。
「いえ、本当に、危ないところでした。斎さまがいらっしゃらなければ、その……。ですから、助けていただいて、本当にありがとうございました……」
そう言って灰音は、斎に頭を下げた。
「別に。普通のことだ。――吉江、後は頼んだぞ」
「はい、かしこまりました。こちらへどうぞ、灰音さま」
「あ、はい……」
吉江と呼ばれた使用人の女性――先ほどの五十代ほどの使用人だ――に手を引かれ、そしてもうひとりの使用人に背を押され、灰音は歩き出す。斎がついて来ないのを感じ、後ろ髪を引かれるかのようにそっと振り返る。
彼はそのまま庭に立ち、灰音が玄関に入るのを見ていた。
灰音と女性の使用人たちがいなくなると、庭には斎と男性の使用人のみが残った。
「しかし当主さま。甘露桜家へ送り届けても良かったのでは? 報賽通りですと、あちらの家の方が近かったのではありませんか? あの家なら夜でも医者も呼べるでしょうし」
「呼ぶと思うか?」
「え……?」
「少し、気になることがあってな。急ぎ、甘露桜家について調べてほしい」
「か、かしこまりました」
使用人たちは手配について相談しながら、屋敷へと戻っていく。
ひとり庭に残った斎は、その場で口を開いた。
「――どう思う?」
「くすくす。どうもこうも、主さまが一番わかるのではないかや?」
斎の背後の空間がゆらりと歪んで――彼の式神が現れた。彼女は着物の袖を口元で揺らしながら、愉快そうに笑う。
「しかし、珍しいこともあるもんじゃ。主さまがおなごを連れてくるとは。いつものあやつでさえ、なかなか屋敷には連れて来んのに。まさか、惚れたのかや?」
「うるさいぞ。話を逸らすな」
「はははっ! しかし、なかなか別嬪じゃったぞ」
斎は「はぁ」とため息ををついて、灰音のことを考えた。しなやかな黒髪と、夜の海のような深く澄んだ藍色の瞳。それらはいつも不安げに揺れていて、痛々しい。――だが、そんなことよりも連れ帰った理由は別にある……。
「……ようやく見つけたかもしれないんだ」
「ほう?」
「まだはっきりとしたわけじゃないが――」
そこで斎は一旦言葉を切った。
「もしかすると、彼女は俺の――……」
そして、また少し考えるような仕草をした。




