3話 祓い屋の灰かぶり③
「――え……?」
「悪いわねぇ、お姉さまぁっ! 捨て駒になってちょうだいっ!」
そう言い放った紅葉の顔は、いつものようにニヤリとした笑顔だった。
がしゃどくろの骨の手がぐんと伸びて、灰音の体をぐわしと掴む。冷たい。まるで、氷に掴まれたかのような冷たさだった。大きな手の関節からパキパキと骨の破片が飛び散って、それもまた氷の破片のようだった。
がしゃどくろが腕を上げると、灰音の体も高く上げられた。
「い、嫌……っ。紅葉、助けて……」
「今よっ! 馬車を出して! 早くっ!」
紅葉が叫ぶ。
馬車は、すぐに発車した。御者の指示で馬たちは走り、すぐに遠くなる。
後には、捕らえられた灰音だけが残された。
「そん、な……」
空はどんよりと曇り、すべてを鼠色に変える。冷たい風が強く吹くたびに近くの枯れ枝が揺れ、それさえも骨のように見えた。
いつの間にか、周囲に人はいなくなっていた。馬車預かり所の主人も含め、皆きっと逃げたのだ。
「フシューッ……」
すぐそばで生ぬるい腐臭が発せられ、灰音は思わず息を止めた。
と、そのタイミングで体への締め付けがきつくなった。がしゃどくろが握る力を強くしたのだ。
「……っ! ぁ……っ」
胸を潰され、空気を吸えず、灰音は口をパクパクさせる。
がしゃどくろの手の骨からはパキパキと音が鳴り、破片が地面に落ちていった。
「ぐ……っ! あぁっ……」
(どうしてこんなことに……)
うめきながら、灰音は目を瞑った。
自分には、どうすることもできない。このまま取り殺されてしまうだろうか。
(でも、わたしが死んだところで……誰も困らない……)
――家族には無能と虐げられ、わたしが無能なせいで母は自分を責めながら死んだ。縁談もなく、このまま惨めに暮らすだけならば……生きる意味なんてない……。
締め付けが一旦緩み、灰音は片目を開けてハアハアと大きな息をした。
馬車預かり所にはまだ他の馬車があり、残っている繋がれたままの馬たちが不安そうに嘶いている。
がしゃどくろは、左手で灰音を持ったまま、右手でそれらをつまむ。そして――ポイと口に放り込んだのだ。
食われた馬はバリボリという大きな咀嚼音とともに、飲まれていく。
それは、灰音のすぐ隣で起こっているのだ。
「あっ……ぁ……っ」
喉が詰まって、悲鳴が声にならない。
灰音は眉間に皺を寄せ、ぽろぽろと涙をこぼした。
わたしに、生きる意味なんてない。
だけど、こんな終わりは怖くて、とても怖くて。
なりたかった祓い屋にもなれず、妹にも見捨てられ、わたしがいなくなっても誰も困らない。
わかっているのに、それでもやっぱり死ぬのは怖いなんて……。
母の最後の言葉が思い出される。
――「……でもね、灰音。母はあなたが幸せに生きることを願っているわ……」
お母さま……。わたし、幸せになんてなれませんでした。きっと生まれた時から、無理だったんです。
がしゃどくろは、灰音を頭上につまみ上げる。
(ああ、次はわたしなんだ――)
その時だった。
「謹んで奉る。天つ焔よ、我が刃に宿りて穢れを焼き祓い給え! ――『紅蓮鳳凰斬』!!」
力強い青年の声が響いた。
それとともに、灰音の視界は真っ赤な炎に包まれる。ゴウゴウと燃える紅蓮の炎は、熱を放ちながら灰音の周囲を取り巻いた。
(なに!? 熱い……っ!)
思ったのも束の間、灰音の体を掴んでいたがしゃどくろの手が、パァンと弾け散る。炎で骨が砕けたのだ。
ふわりとした浮遊感の後、
「――え? きゃああっ!?」
すぐに灰音の体は落下し始めた。
炎の輪から抜け出たことで、視界が晴れる。がしゃどくろはまだ燃えており、火の粉と骨の欠片が共に落下していく。
地面まではすぐだ。硬い地面に叩きつけられることを覚悟して、灰音は目を閉じた。
(もうダメ……!)
しかし、いつまで経ってもその衝撃は来なかった。代わりに、温かな体温と逞しい腕の感触。――灰音は、がっしりとした腕に受け止められたのだ。
「――大丈夫か?」
「え……?」
耳元で青年の声が聞こえて、灰音は恐る恐る目を開ける。
そこにいたのは、端整な顔立ちの青年だった。歳は二十代前半だろうか。黒い髪は艶やかで、烏の濡れ羽色をしている。形の良い眉やスッと通った鼻筋は、総じて凜々しい。そして何より灰音の心を奪ったのは、その双眸だった。黒髪の間から覗く瞳は、まるで磨き上げられた黄金のように光っていた。
(こんなに綺麗な男の人、今まで見たことない――)
灰音は恐怖も忘れて、ほぅ……と見惚れてしまう。
彼は黒い詰め襟の軍衣のような衣服を着ていた。肩から掛けた大きな外套もまた黒い。胸ボタンのそばには金の飾り紐が添えられており、衣服の所々に深い赤色の飾りが付いていた。腰には一振りの刀を差している。
青年は灰音をお姫様抱っこしたまま数歩歩き、ゆっくりと地面に下ろした。
「どこか痛むか?」
「い、いえ……。ありがとうございます……」
「そうか」
青年は言うと、灰音から視線を外した。
その方向にはっとした灰音は、がしゃどくろのことを思い出すと、慌てて振り返った。
そこには、ゴウゴウと燃え盛る骨の骸の姿があった。はじめ腕だけが燃えていたはずだが、今は全身が紅蓮の炎に包まれている。
馬車預かり所の建物もいっしょに燃えており、それらの瓦礫や破片が降ってこない位置に運ばれたのだと、灰音は気が付いた。
「オオオ……オオ……」
風の音のようなうなり声がしている。
徐々に崩れ落ちていく骨の欠片が、火花や塵と共に舞っていた。
「すごい……」
思わず感嘆の声が漏れる。
あの巨大な妖怪を、彼は一撃で祓ってしまったのだ。
灰音は、隣に立つ彼の顔を見上げた。眩しい黄金の瞳は、まだまっすぐがしゃどくろを睨んでいる。
その姿が燃え尽きるまで、五分とかからなかった。徐々に小さくなっていった炎が、やがて消えた時、妖怪の姿はきれいさっぱり消えていた。
青年はようやく安堵の息をつき、腰の刀にかけていた手を下ろした。
「無事に祓えたようだな」
「あの、本当に……ありがとうございました」
そう言って灰音は深くお辞儀をする。危うく、命を落とすところだったのだ。彼には、感謝してもしきれない。
灰音が顔を上げると、彼の金色の瞳と目が合った。
「礼には及ばない。――それより、お前……」
「はい。なんでしょうか?」
彼は眉をひそめ、じっと灰音を見た。その威圧感に、後ずさってしまいそうだ。
「――俺の屋敷へ来い」
「え……? あの……?」
突然のことに、灰音は面食らった。
(今、なんて……?)
灰音と彼は初対面……のはずだ。
彼は自分の外套を脱いで、灰音の体に掛けた。
「そのままでは、帰れないだろ」
「あ……」
その時ようやく、灰音は自分の着物がボロボロであることに気がついた。
破れた着物が恥ずかしいやら、彼の上着から良い香りがするやらで、灰音の頬は一気に紅潮した。
それに加えて、
「なんだ? 歩けないのか?」
「えっ、あのっ、きゃあっ!?」
彼は灰音を再び抱き上げ、歩き始める。
「あの……わたし……」
「事情は後で聞く。行くぞ」
彼の顔を見上げると、再び目が合った。
「なんだ? 寒いのか?」
「……いえ……。…………」
掛けられた上着は、彼の体温で温かい。灰音は上着の裾をつかんだ。
まだ、彼の名前も知らない。だけど。
――わたしを心配するような金の瞳が、まるで陽だまりのように思えて。
なんだかそのまま、身を委ねてもいいように思えてしまったのだった。




